1-2 あくまで嗜好品ですので
「……吸血鬼って別に血しか飲まない訳じゃないんだろ」
あの後、暴れるリラにハンバーグを二口、ニンジンひと口、スープを三匙、デザートのゼリーは半分。何とか食べさせることに成功した。一事が万事、この調子なのである。
「まぁなぁ」
グウェンがのんびりと同意する。その証拠と言わんばかりに、リラが残した分の食事を口にしながら。
「生きるに必須という訳ではないがね。吸血鬼にとって、命を繋ぐのは血液。それ以外の食事は嗜好品だ。だから嗜む者がいれば、そうでない者も当然いる」
「アンタには食事は嗜好品としての価値がある訳だ」
「人間は本当に工夫を凝らすことにおいては随一だから面白いのだ。試してみたくなる」
この男は毎度毎度リラがほとんど残す食事を、代わりに口にする。だから和馬も何とかギリギリのところで虚しさを押し殺しながら、また食事を作る気力を絞り出しているのだ。
好みというものはある程度あるようだが、グウェンは大体のものは口にする。
――――ここまでの会話でも分かる通り、目の前で優雅に食事を摂るこの男は吸血鬼だ。
和馬は、グウェンが吸血鬼というところは信じていた。いや、信じざるを得なかった。
血を飲むところも見たし、眷属を有していることも知っているし、“隷属”という強制的な関係を結ぶ能力を持つことも知っている。人間離れしたその業をこの目の前で見せつけられてしまったら、ある程度は信じないとやっていけない。
頑なな拒絶は馬鹿のやることだ。事実を事実と受け止められなければ、適応できずに淘汰されてしまう。そう思うから。
「まぁ彼女は私と違って、昔から人間の食べ物はほとんど口にしなかったからな」
「食べない派だったのかよ……」
グウェンの答えを聞いて頭を抱えてしまう。そりゃ習慣がなけりゃ口にしないだろう、と思ってから首を振る。
「いや違った。訂正。自称・元吸血鬼だった。リラは人間だ」
「自称ではない。真実吸血鬼だ。彼女ほど偉大な吸血鬼はいなかった。――――まぁ前世、の話ではあるが」
「…………」
ここら辺が、まだ和馬が受け入れ切れていない設定である。
グウェンは吸血鬼。リラは、前世グウェンの恋人だった吸血鬼の生まれ変わりで、今世は人間に転生したと言うのである。
転生した恋人の魂を追って極東の地までやって来た何百年を生きる吸血鬼は、とある街の児童施設で愛しの彼女をようやく見つけ、何やかんやの面倒くさい手続きを経て、ようやく彼女を自分の屋敷へ引き取ったのだと。
いきなり見知らぬじーさんに引き取られた彼女の方は、なんとグウェンと出会って前世の記憶を取り戻したらしく、それ故自分は吸血鬼なのだから血以外は食べないと激しい拒絶を続けている。
「まぁ“リラ”は元々かなりの偏食家だったらしい。とにかく食べることが嫌いで嫌いで、施設の職員もかなり手を焼いていたと」
何を出しても嫌がる。けれど腹が空かない訳ではない。空くのに食べないから、常にイライラしている。もちろん身体に良い訳がない。
施設でもあの手この手で頑張っていたらしいが、目を手をかけるべき子どもは他にも沢山いただろうから、限界があっただろう。
「それが私と再会して、記憶戻って、“食べないこと・食べたくないこと”に正当な理由ができてしまった。今まで訳も分からず拒否してきたものが、何故そうだったのかというのが彼女の中ではっきりとしてしまったのだよ。それで、偏食に拍車がかかっている」
「ってじーさんのせいじゃないか……!」
リラは五歳だ。いくらなんでも飲まず食わずで生きられるはずがないのだから、嫌だと言っても最低限は口にしていたはずなのである。
だが、和馬がこの家の料理を作り始めてからのリラの食事の拒否っぷりは、その最低限を下回ってしまいそうなのだ。
「私と彼女が再会したのは定められたことだよ。彼女が私を見れば全てを思い出すのもね。人間に転生していたのは少々意外だったが……人外の住まう場所が狭まる現代では、まぁ確率的には当然だったのかもしれない」
グウェンと再会さえしなければ、もう少しマシだったのかもしれないのに。食べることは本当に大事なのに。なのにこの男はそこに関しては全く後悔を抱いていないらしい。
「だが、やはりこのままにしてはおけない。人間には栄養が必要だ。彼女の健康は最重要事項だよ。今世彼女には豊かな人生を送ってほしいと、そう心から願っている」
前世に何があったのかは、面倒だし興味もないので訊かないでおこう、と和馬は決めている。
だが、こちらに向けられた期待の眼差しには黙っていられず、思わず言葉を返してしまう。
「これ以上、オレにどうしろって言うんだよ」
正直、和馬だってお手上げ状態だ。
「野菜が嫌いとかそういうレベルじゃない」
毎日の食事はもはや格闘だ。嫌がるリラに、どれだけ少しでも食べさせられるか。彼女にはおだてやご褒美で釣るなどの行為は全く効かないので、かなりの根気が必要なのだ。
「ハンバーグ、唐揚げ、オムライス、カレー、グラタン、フライドポテト、コーンスープ、ハムエッグ、全部ダメ」
子どもの好きそうなものは一通り試した。
「白ご飯ダメ、パンもダメ、それどころかケーキ、ゼリー、チョコ、スナック菓子、果てはジュースもお茶も水もマズイ、嫌って言うんだぜ?」
主食の炭水化物も甘いお菓子も、それどころか水分ですら嫌そうな顔をする。さすがに喉の渇きはどうしようもないのか、飲み物だけは最低限ながら自発的に口にするが。
「偏食ってレベルじゃねーよ」
だからリラはやはり平均に比べると軽いし細い。
何とかかんとか最低限は食べさせているが、幼い子がその空腹を上手く満たせない様は、例え他人のことであったとしても歯痒いし、見ていたくない。どうにかしてやりたいとは思う。だが。
「食べることそのものを拒否してる。全ての食べ物に対して、これは自分が口にできるものじゃないって言うんだ」
見た目を飾っても、野菜の匂いを誤魔化しても、細かく刻んで何か分からなくしても意味がない。何もかもが嫌なのだから。
「作ったものが端から拒否されていく、オレの気持ちにもなってみてくれよ……」
毎日虚しさが更新されていくだけだ。
最早自分のような素人の手に負えるような事態ではないと、そう思う。
「病院には連れて行ったのか?」
和馬が溜め息と一緒にそう問うと、
「行ったとも」
グウェンは大きく頷いた。
「あらゆる検査を受けてみたが、特に異常はないと。心因的なものかもしれないと、そちらの科を受診するように勧められたが」
味覚やその他に異常が見つからなければ、そうなるだろう。
「まぁそれは正しい。リラ嬢の偏食は心因性のものだ」
彼女の心が納得しないから、食事に難が出ている。
「ただ、それは一般の人間に紐解かせて解決できる類のものではない」
「そりゃそうだろうよ。私は吸血鬼だから人間の血しか飲まないなんて言ってみろ、大分ややこしいことになる」
「……だろうな」
「大抵の人間は思い込みだって判断するだろうな。まぁ、それが普通。オレも正直、どこかでそういう気持ちがある」
そうしたら、どうなるのだろう。“思い込み”を矯正されるのだろうか。
でも、リラが信じていることの方が真実だとしたら、それは“本当”を捻じ曲げることになる。それで良いのだろうか。
いや、そもそも本当だとしても、前世の情報がどうしても必要なものかと言われれば、そんなこともないような気が和馬はしてしまうが。
「……前世とか転生とか、そんなの分かんないよ。でも、まぁアンタという存在が目の前にあるから、吸血鬼がこの世に存在してるんだってことだけは渋々認めてるけど」
でも、この際そんなことはどうでも良いのである。
「リラの前世が吸血鬼だとして」
大切なことは決まっている。
「でもあの身体は人間のものだ」
「そうだとも」
「人間の身体には人間の身体の生き方がある。あのままじゃ遠からず栄養失調で患って、最悪――――」
死に至るだろう。
「だからこその君だろう」
そしてここでまた振り出しに戻る、である。これだけ毎日苦戦していて、グウェンはまだ和馬に何とかさせようとしている。
「じーさん、オレの無力さと使えなさにまだ気付かないのか」
こんな素人高校生に、どれだけの難題を吹っかけているのだ。
リラが懐いているグウェンが宥めすかし優しく説いても、彼女は頑なな態度を解かない。それがこんなポッと出の見知らぬ男の言うことなど、ますます聞かないのは自明の理なのに。
「もっと他にいるだろ、三ツ星レストランのシェフとか、スーパー家政婦とか、最近じゃ一般の家庭に料理を作りに来てくれる出張料理人とかもいるんだ。あぁいう人達は発想豊かで色んなアレンジメニューを持ってる。そういう人に頼んでみた方がいいんじゃ?」
試せるものは何でも試した方が良い。
「私は君のガッツを買っている」
なのにグウェンの返答は、非常にズレていた。
「ガッツでどうにかなれば苦労はしない。それに、料理の道を志す若者なら探せば他にいくらでもいる」
「私が買っているのは、別に料理へのガッツという訳ではない。もちろん和馬、君にはそれもあるだろうが、君はそもそもこう、生き様に根性を感じる」
「それはどーも」
「私は君ならいけると思ったんだがね。こういう勘は外れないものだ」
「あんたが幾つか知らないけど、勘って鈍ることもあるんじゃないのか」
そんなに勝手に期待をかけられても、重圧になるだけだ。
「とにかく、まだ君も始めて一月じゃないか。私もリラ嬢の好みに合うような食材がないか、それこそ古今東西どんなものでも集めてみるから」
「…………はいはい、頑張ればいいんだろ」
諦めの気持ちで、和馬は返事をしておいた。
嫌ならやめればいいと思われるかもしれない。
だが、残念なことに和馬はこの大役をやめたくてもやめられない状況に置かれているのである。