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1-12 切実な空腹




 その可能性に行き当たって、思わずポロリとそう問いかける。



 食べられるものがないか、探していたのか。



「――――」

 リラは答えなかった。闇夜に少し慣れてきた目が、不機嫌に染まったその表情を捉え始める。

 不機嫌、と一言では言いきれないかもしれない。拗ねているような、腹を立てているような、焦燥感を孕んでいるような。ままならない現実に、感情に、翻弄されているような。

「…………」

 リラは答えない。でも、和馬の中で勝手に想像が連なっていく。



 お腹が空いたから。空いて空いてどうしようもなかったから。

 自分が食べられるものがないか、一縷の望みをかけて。ただ抑えられない衝動のままに。

 幼い彼女はこんな真夜中、たった一人で真っ暗なキッチンで飢えを凌ごうと必死だったのではないか。



「リラ、腹が減ってるのか」

「……うるさい」

「そうなんだろ」

「うるさい!」



 激しい声の調子に合わせて、身体が震える。僅かな光を反射する青の瞳が潤んでいるようで、和馬は咄嗟に辺りを見回した。その様子を見て、またリラが鋭い声を上げる。



「どうせたべられるものなんてないわよ……! なんにもないの!」



 美味しいと思って食べられるものが、ない。

 それはどれだけ心を削る行為だろうか、と和馬は思う。



 ただそこに栄養素があるというだけでなく、疲れた日、頑張った日に食べるスイーツが、悲しいことがあった日に作ってもらった大好物ばかりの夕食が、思いも寄らぬ組み合わせに新しい美味しさを知った一品が、感情と記憶を結び付け、心を癒し、豊かにし、楽しみを教えてくれる。

 料理とは、そういうものではないだろうか。

 栄養だけが必要なら、こんなにレシピなんて必要ない。美味しく食べるための努力は、つまり心豊かに生きていきたいという思いが根底にあるのだろうと、和馬はそう思うから。



「もうはなしなさいよぅ! 和馬にはカンケーないでしょ! わたしのおなかがからっぽだろうと、和馬のおなかとはつながってないんだから、放っておきなさいよ!」

「放って――――」

 おけるか、と言い切る前に、パッと目に刺激を感じて思わず閉じる。電気が点けられたのだと半瞬遅れて気付くが、目を慣らす前にその隙を突かれて腕の中から脱出されてしまう。



「一体何事だね」



 次に目を開けた時、入口に立つ老紳士と彼に向って全力ダッシュする小さな背中があった。



「グウェン!」

「おっ! と……」

 突然のタックルにも、やはりグウェンは驚きはしてもよろめきはしなかった。見た目年齢通りの脚力、体力ではないので、しなやかな動きで軽々とその身体を抱き上げる。

「どうしたね、リラ嬢。こんな夜更けに」

 怖い夢でも見たかね、と穏やかに声をかけるが、リラはそんなものは耳に入れずよじ登るようにして辿り着いたグウェンの首筋に、次の瞬間思い切り噛み付いた。



「リラ嬢?」

「リラ!?」



 甘噛みじゃない。本気噛みだ。まだ乳歯だし、なんて言っていられない。子どもだろうが何だろうが本気で噛めば痛いし、というか、これは。



「わー! 馬鹿! なにやってるんだ!」

 グウェンが目を丸くするだけで特にそれ以上アクションを起こさないので、慌てて和馬は二人に駆け寄った。

「血なんか飲める訳ないだろ! 飲んじゃいけません!」

 絶対にそういうつもりで噛み付いているのだ。だが、それはいけない。

「リラ!」

 無理矢理引っぺがすと、グウェンの首筋には歯型が付いていた。だがまぁ、型が付いているだけでそれ以上にはなっていない。



 リラは和馬をキッと睨みつけながら叫んだ。



「だってほかに食べられるものないもの! これはむかしも好んで口にできてたものだもの!」

「昔とか知らん! 今の身体はそれを食べ物として摂取しないんだ!」



 そう言い聞かせるが、リラの苛立ちはヒートアップするばかり。



「私は吸血鬼なのよ!」

「お ま え は 人 間 だ!」



 空腹は、苛立ちを加速させる。そう分かっていても、和馬もつられて大きな声で返していた。



「やだやだやだやだ! のどかわいた! 口がもの足りないの! のむのむのむ!」

「他のにしなさい!」



 だが、ぷくりとそのまぁるい瞳に水滴が浮かび上がって、そこで和馬の熱はザッと冷めた。

 言いすぎた。リラだって自分の生き様に苦しんでいるはずなのに、頭から怒鳴りつけてしまった。言って聞かせてどうにかなるのなら、お互いこんなに苦労はしていないのに。



「リ、リラ」

 見る見るうちに膨れ上がった雫は、あっけなく表面張力の限界を迎え決壊した。一粒溢れ出すと、あとはもう流れる川のように止めどない。

「やだぁあぁあぁ」

 箍が外れたようにリラが泣き出す。今まで嫌だ嫌だと拒絶はしても、手放しで泣き叫ぶことなどなかった。リラの中にあるという前世の記憶が、リラから年相応の子どもっぽさを抑え付けていたからかもしれない。

 だが、もうそんな自意識も吹き飛ぶほどにリラは疲弊しているのだ。

「リラ嬢」

 グウェンが困った顔をして、けれどとても優しい手つきでリラの背中を撫でる。何度も何度も何度も。

「空腹なのだね。私の血で凌げるものなら、いくらでも捧げるところではあるが……」

 さすがにグウェンだって、それがマズイことは知っている。誰より彼女が今はただの人間であることを理解しているからこそ、和馬という人間を料理番として引っ張ってきたのだから。



 小さな身体から、驚くほどの泣き声が上がる。キッチンという他より限られた空間で、その声はわんわんと響き渡る。



 グウェンの視線が和馬へ向けられた。

 大切な大切なリラ嬢に強い言葉を投げつけ、あまつさえ泣かせてしまった。怒りを買っていてもおかしくないと和馬は覚悟していたが、意外にもその視線は鋭くはなかった。

 どうしたものか、とグウェンは目で問うてくる。



 そうだ、努力はしているが、そもそもこの男は人間ではないのだ。嗜好品として食事を楽しみはしても、生きるに必要な訳ではないから経験に基づいて行動することができない。大切な彼女を守るのに本当に適切な対処は何なのか、自信を持って判断を下すことができないのだ。



「…………じーさん」

 和馬だって育児のプロではないし、ごはんが嫌い、食べることが嫌いなんて経験はない。でも、きっとグウェンよりは想像力を働かせる余地がある。

「じーさん、その昔リラは嗜好品としても人間の食事はあんまり摂らなかったって言ってたけど、それって本当に何一つ口にしなかったのか? 少しくらい、口にしたものはあったりしなかったか?」

 泣き声の合間を縫って、そう問う。

「君は、リラ嬢の前世をそう信じていなかったと記憶していたが」

 グウェンは少し意外そうな顔をした。

「今はそんな場合じゃないだろ。藁にでも縋りたい気分なんだよ」

 それに、前世の記憶があると認めないと、説明がつかないことがリラには多い。

「何かないのか?」

 重ねて問うとグウェンは困った顔をした。それを見て、和馬は落胆する。そうか、何も人間の食べ物は口にしなかったのか、と。

 だが、しばらく逡巡した後、困った顔のままグウェンは小声を出した。



「彼女が唯一、好んだものと言えば――――」

「言えば?」




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