1-10 人間である「彼女」
「疲れた……」
今日も今日とて、夕食は闘いだった。
リラには嫌だと言ってそこから絶対に食べないパターンと、嫌だ嫌だと言いつつものすごくのろのろとしたスピードで物を口に運ぶパターンがあるが、今晩は後者だった。二時間に亘る攻防の果て、随分とリラの胃袋に食事は収まったとは思う。だが、付き合い続けた和馬の疲労感も随分なものだった。
「だが、今日は珍しいくらいに食べたと思うが。何かいいことでもあったのかな」
「どうだろうな……」
グウェンの問いに、和馬は食卓に突っ伏したまま答える。
いいことはなかったと思う。いつもと違うことと言えば、あの推定クラスメイトとの遭遇ぐらいだが、あれと今晩の食事量に因果関係はないように思う。
「スーパーはどうだった?」
「機嫌を悪くしただけだった」
明日の朝食と昼食の仕込みをする気力はない。少しだけ早起きして、時短レシピでどうにかしようとそう思う。
「難しいな。まさか彼女と再会後、こんな難題が待ち構えているとは思わなかった」
和馬という駒を手にして、グウェンは何とかリラの食事状況を改善しようとしている。だがそれは、全てを和馬任せにしているという訳でもない。
キッチンの棚にはグウェンが買ったのだろう最近のレシピ本があった。“離乳食のつくり方”のタイトルを見た時は、いやそれは違うだろうとツッコんだものだが。
というか、今更だがグウェンが今日出掛けていた用事はちゃんと済んでいたのだろうか、と和馬は思う。
リラがメールを送ったら、それに影響されて瞬時に現れた。あの反応速度。用事を途中で放り投げてきていてもおかしくない。彼が何か仕事をしているのかとか、交友関係がどうなっているのかとか、そんなこと和馬は一つも知りはしないが。
「あ」
「うん?」
だが一つ思い出す。
「あのさぁ、家に他に人がいるなら、最初に言っておいてくれないか」
「人?」
「男だよ、男。いるだろ? イザックとかいう。今日いきなり現れて、マジでビビった。不法侵入者だと思ったじゃないか」
言うと、あぁ、と分かったような分かっていないような中途半端な返事をされる。
「じーさんの眷属? とか言ってたけど」
「それは確かにそうだ。アレは私の眷属で、だからリラ嬢に無礼を働くことはない」
眷属、が何なのか和馬にはよく分からない。隷属させられた自分とは、また別の何かだろうか。それとも同じ隷属仲間なのだろうか。訊いてみようかと思わなくもないが、それよりも気になることがある。
「他にもいないだろうな」
スーパーから帰って来た時、イザックの影はどこにもなくなっていた。今はもう、チラとも気配を感じない。本当に存在していたのかさえ怪しいレベルだ。でもきっと、どこかにいるのだろう。
同じような別の誰かが他にもいるなら、それは落ち着かない。せめて“いる”という事実は知っておきたい。
「多分」
「多分?」
後でびっくりしたくないのに、グウェンの答えは非常に曖昧だった。
多分とは何なのだ。自分の眷属と言うのなら、その数くらいきちんと把握しておいてほしい。
「イザックもそう現れない。だが、そうか、失念していたな。彼女をこの家に一人残すことを心配しなくても大丈夫だ。例え私がいなくとも、彼女の傍には常に誰かを付けておく。学業は大切だから、優先してくれて構わない」
「まぁ、じーさんが大丈夫って言うならそうなんだろうけど」
和馬は正直納得していない部分もある。
隷属の契約は、半ばだまし討ちみたいなところがあった。のほほんとしているように見えるグウェンに、腹が立つこともある。そもそも、人間ですらない相手だ。容易に相互理解できる相手ではないのではと思う。
だが、グウェンは和馬の人間として必要な生き方に配慮してくれる。無理強いはしない。
和馬の周りにいる、どの人間よりもずっと。
「君はリラ嬢に対して心を配ってくれる」
不意にそんなことを言われて、自分の考えていたことと内容が被っていてドキッとする。吸血鬼といえども、心を読むような超能力は使えないと思っていたが。多分そのはずだが。
当たり前だろ、と和馬は返しておいた。
「小さい女の子だぞ」
放っておいて良い存在ではない。十分に庇護されるべき存在だ。
正しい認識だ、とグウェンは言った。
「和馬、君には人間としての彼女がきちんと見えている」