触るな!
都心の小売店で働いている私は運行本数の少ない路線の運行時刻と乗り継ぎによってできた仕事までの空白の時間をいつもと同じ此処の喫茶店で過ごすことにしている。
コーヒーとトーストの匂いが充満する朝の喫茶店は朝の通勤時刻と重なり大変混雑している。
「ご注文はいかがなさいますか?」とハッキリとした店員の声も雑踏に紛れ込んでしまった新聞紙の様にカウンターの前に立ち当事者とならなければ把握する事すら困難なくらいだ。
「ブレンドコーヒーを。あと灰皿も」
此処は混雑しているが奥にある喫煙席は比較的空いている。喫煙者にとっては大変ありがたい場所ではあるが喫煙者が肩身が狭く徐々に減少している事も表しているのだろう。
喫煙席までたどり着いた私は情報端末を片手に煙草を吸いながら仕事に係る通知を整理していたが画面に見知らぬアプリが表示されている。
「触るな?」
アプリの名称は『触るな!』となっている。
恐らく詐欺メールと同じタップさせる為の名称だろう。
情報化社会で知識が足りない者達は危ない事には近づかない事が鉄則である。
私はこのアプリを削除しようとするが……
「いたっ!」
小さく鋭い痛みが指先を襲い反射的に情報端末を落としてしまう。
喫煙室にいる客達が声を上げた私を一瞬見るが大した事でないと各々が判断して自分の世界に帰っていく。
何が起こったかわからないが指先を見ると小さな何かに噛まれた跡からじわじわと血が滲み出していた。
止血する為に机に置いてあるテーブルナプキンを数枚引き出し傷口に当て圧迫する。
血は中々止まらないが落としてしまった情報端末を拾いあげ画面を確認するが削除されていない『触るな!』と言うアプリがまだ表示されている。
「まだいる……」
今度はゆっくりと指先をアプリに近づける。するとアプリのアイコンが怪物の口の様に変化する。
「ひぃ!」
『触るな!』のアイコンから目を逸らす為にとりあえず画面をスクロールしてみるが『触るな!』のアイコンはスクロールを跨ぎ出張ってくる。
そして慌ててスワイプした指先をまた齧られた。
「んっ!」と、これ以上変な奴に思われたくない私は声を押し殺す。
じんじんと痛む指先よりこの奇妙なアプリが怖い私は電源を切る為にボタンを長押しした。
すると私の情報端末から気持ちが悪い蚯蚓の様な物が飛び出し喫煙室から出ようとしていたスーツ姿の男性のズボンに吸い込まれて行った。
私は情報端末の電源を入れ直し『触るな!』のアイコンが消えているのを確認した。
ほっと一息つけたが罪悪感が僅かに残る。
とりあえず喫茶店で隣にいる人物が指先を怪我していたら注意して置いた方がいいのだろうか?
また私の情報端末に奇妙な生物がやってくるかもしれないのだから……
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