【短編】S氏の跳躍
朝、 会社に行くと、 俺の斜め前の机に座っていた見慣れた顔がなかった。
不思議に思っていると、 課長がやって来てその席にいたSが急な心臓の発作で命を落としたと告げた。
俺は絶句した。Sは、 この部署で唯一と言って良い仲のいい同僚だった。
彼と一緒に飲んだ日も、一緒に仕事の愚痴で盛り上がった日―――も思い出す暇がないほど突然の別れだった。
葬式が終わり、 放心状態になる俺に課長が声を掛けてきた。
「辛い気持ちは分かるが、 あまり彼の事ばかりに囚われてもいられないぞ。 これから忙しくなるからな」
俺ははっとした。 部署から人が一人いなくなるという事は、 その分残された者の負担が増えるという事。
目の前の、 主を失った机を見て俺は否が応でも現実に引き戻された。
案の定、 その日から俺たちにはSが担当するはずだった大量の仕事が舞い込んできた。
Sを失った悲しみにくれる暇もなく、 俺たちはその処理に追われていった。
当たり前の話だが、一人減ったからと言っても仕事はいつも通りにやって来る。
おまけに、 部署の中でSと同じくらいの仕事の知識を持つのは自分しかいなかった。 周りに教える時間もないので、 必然的に俺に負担がのしかかることになる。 気づけば、 帰宅が深夜になるのが当たり前になっていた。
そんな、 部署全体に疲労の色が濃くなっていた時にそれは起こった。
机に積まれた大量の書類の山を見て、 「また今日も帰宅は午前様か……」などと思いながら俺はトイレに向かった。
トイレから帰ってくると、 山と積まれていた書類の大部分が綺麗に片付けられていた。
俺のいない間に、 ここにいた誰かが処理してくれたのか……と思ったが、 他の者も驚いた表情で顔を見合わせていたからそれは無いのだろう。 第一、 部署の者総掛かりでやったとしてもあれはこの短期間に片付けられる量ではない。
不思議な現象はそれだけに留まらなかった。 部署に入って間もない若手が、 何ヵ月も経験を積んだかのように仕事を身に付けていた。
疲れから来る幻覚などではないようだ。
何か奇跡でも起こったのかと思ったが、 そう言えば―――
ひとつ、 思い当たることがあった。
以前、 Sと共通の趣味である映画の話をしていた時、 彼は主人公が過去に戻って人生をやり直すアニメ映画の話をしていた。
そう、 その時Sは自分もそんな能力が使えたら過去に戻って人生をやり直したいと熱弁していたのだ。
もし、 Sが過去に戻って仕事や周りの社員に何らかの干渉をしているとしたら……
いや、 そんなバカな話があるか。 小学生でも、 そこまで非現実的な想像はしないだろう。
俺は、 その想像を打ち消すようにさらに仕事に没頭していった。
だが、 やはりそれからも少しづつ書類は減りつづけ、 周囲の仕事のスキルも上がっていった。
そんなある日のことだった。
休憩中、 何気なしにスマホの画像ファイルを開いた俺はひとつの画像に目を止めた。
それは、 居酒屋でSと俺が並んで映っている画像だった。
「……」
やはり、 Sはタイムリープしているに違いない。
俺はそう確信した。
翌日、 課長が声を掛けてきた。
「いやあ、 皆最近頑張ってるじゃないか。 一体、 いつ仕事を教えたんだ?」
「……」
いや、 残念ながらそれは俺の手柄じゃない。
「実は……」
俺は意を決してタイムリープの事を切り出した。
「タイムリープと言うと、 映画やアニメに出てくる、 過去に戻って人生をやり直すっていう奴かね?」
「はい」
俺は自分の推測を話した。
あの日Sが発作で倒れそうになった時、 何らかの理由でタイムリープ能力を得ていた彼は、 最後の力を振り絞って能力を使い過去に戻ったこと、 残された俺たちに迷惑をかけまいと過去で少しずつ書類が増える原因になる事を片付けて行ったり周りに仕事を教えて行ったりした事、 そして、 そのお陰で少しずつ今の俺たちの仕事が減って来ていること……
「馬鹿馬鹿しい。 君は本気かね? きっと疲れが溜まっているのだろう。 仕事も減ってきたことだし、 今日は早く帰って休みたまえ」
課長は冷たく言い放った。 まあそうだろう。 仕事が勝手に減っただけでも非現実的なのに、 言うに事欠いてその理由がタイムリープとは誰一人信じないに違いない。
―――この俺以外は。
課長が去った後、 俺はスマホを開くと改めてSと俺とが映っている画像を見た。
この画像こそ、 Sがタイムリープしているという決定的証拠だ。
何故なら、俺とSは酒の席で一緒に写真を撮ったことなど一度もないのだから。
きっと、Sが過去で写真を撮って俺のスマホに画像を送ったのだろう。自分がタイムリープしているという事を俺に伝えるために……
*
*
*
Sがいなくなってから3か月が経った。
あれほど溜まっていた仕事は、 もはやSがいなくなる前と同じくらいにまで減っていた。
過去に戻ったSは今どうしているのだろう。 やはり、 あの日が来たらまた死んでしまうのだろうか。 それとも、 Sが生き続ける別の未来のような物が生まれているのだろうか。 もしかしたら、 そのうち元気なSがひょっこり俺の前に姿を現すのかもしれない。
俺の斜め前の机には、 まだ誰も座っていない。
タイムリープ「された」側の視点で描かれた作品はあまり見た事がないので(たぶん自分が知らないだけ)書いてみました。
SFに詳しい人から見たらおかしい所があるかもしれませんが。