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CODE:I  作者: 一木 川臣
幕間:奪われた皇女の遺志
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幕間:奪われた皇女の遺志5

【東京都八王子市皇女陵墓内 午後10時前 晴れ 気温17℃】


 

 黒い物陰が、こちらに目を向けている。


「み、蜜柑さんっ!」


 張り詰めた空気の中、たまらず光里が声を発してしまった。何もかもが理解できない。今、何が起きているのか、目の前の存在が何なのか。

 ただ一つ救いがあるとすれば、隣にもう一人、大人・・がいてくれたことであった。

 大きな白いローブにフードを被った蜜柑・・と名乗る謎の女性が隣にいてくれたこと。それが唯一、光里を安心させるものであった。


「……私も分からないわ。何が起きているのか」


 自分の図体の2倍近くある生き物。だが、様相が明らかにこの世のものとは思えない。

 蜜柑は戦術だけでなく学術も優秀であった。そんな彼女ですらも理解できない存在が目の前に現れてしまったのだ。


──理解なんてしなくてもいい。今は……


 直様すぐさま思考を切り替え、光里に向かって「逃げるわよ!」っと声をかける。すっかり身体が固まってしまった光里であるが、蜜柑の言葉を受けて目が覚めたように動き出し、そして蜜柑と一緒に逃げようと墓所を離れ、走り始めた。


 だが、しかし……


 ズンッと鈍い足音。それは広場を踏み締めるものであった。

 数体の化物が、広場の方にも姿を見せる。徘徊するように、ぞろぞろと湧き出るように……

 視界に映った光里は、その場で足を止め、びくりと震慴しんしょうした。


「──っ、こっちにも! こっちにもいるよ、蜜柑さん!!」

「……囲まれたわね」


 鋭い、爪のようなものを持っており、黒の素体には眼球が埋め込まれている異形。禍々しい姿を目にして光里が「ひっ」と悲鳴に似た声をあげてしまった。


 明らかに味方をしてくれるような存在ではない。それだけは理解できた。だから、せめて攻撃はしてくれるなと思いたいところだが……


──この様子じゃ、無理そうね。


 敵意は感じられない。こちらへ殺意を示すようなものは、察知出来ない。だからこそ厄介・・だ。


「ど、どうしよう、蜜柑さん……! 逃げ場が全部……!」

「光里の言うとおり、どうやらそうみたいね。逃してはくれなさそうね」


 完全に光里の声は震えていた。何体いるのだろうか、未知の敵を前にして光里のような子供が正気を保てというのも無理な話だろう。


 怖くて怖くて、本当ならその場でうずくまりたい。そこまで光里の心は追い込まれていた。


 そんな中でも、光里は思う。


『どうしてこの人は…… 隣にいるこのは、ここまで落ち着いているのか?』と


 誰も見た事がない敵のはずだ。ただの猛獣が現れたのではない、大きな爪を持った巨体の化物だ。普通の人間なら、まず怯えて当然のはずだ。


 それなのに…… どうしてこの人は……


 この時であった。光里の中で「もしかして」が生まれ始めたのは。「もしかして、このは」と、希望じみた推測が……



「少なくとも、こちらの言葉は通じなさそうね」


 蜜柑の声に力が込められたのを光里は感じた。鈴の音のような、柔らかなものでなく、凛々しい声。彼女の顔はフードに隠されており、光里には蜜柑の表情を読み取る事ができなかった。


 ただ、何かつぶやくように口を動かしているのだけは分かった。何を口にしているのかまでは、知り得ないが。


 その後、蜜柑は右手を横へ広げてこう言った。


「光里、少し下がっていて」

「えっ……?」


 蜜柑が前に踏み出し始め、結果的に光里が下がったようになったが、思うように脚が動かず、光里は下がる事ができなかった。一歩前に出た蜜柑は敵の前におもむろに佇み、相手の様子を探るように顔を向ける。

 

 何をするつもりなのだろうか、この人は…… 蜜柑と言う名の女性は一体何を……?

 

 光里の思惑をよそに、蜜柑はじっと前を見つめたままであった。





 強い風が、陵墓に吹き荒れた瞬間である。


 異形が蜜柑に対して飛びかかってきた。奇声を上げながら、軽々を身をこなす。巨大な身体に似合わないとてつもないスピードだ。


 微動だにしない蜜柑に向かい、噛みつこうと突撃してくる。


 即座に距離を詰められ、蜜柑の身体は影に覆われてしまった。


──ダメだ!! 間に合わない!!


「蜜柑さん!!」


 叫びながら、光里は目を伏せた。


 間に合わず、やられたものだと思ったから。


 無惨に殺される、蜜柑の姿が目に映ってしまうと思ったから。


 今ある光景が、現実じゃないと信じたかったから。


 光里はまぶたを閉じた。蹲りながら、現実を逃避するように。




 だが、光里の耳に入ったのは『ザンッ』といった何かを斬る音であった。


「──まさか、こんなところで剣を振るなんて……」


 次に聞こえるのは、独り言のような蜜柑の言葉。おごそかな口ぶりだ。


 光里は恐る恐る目を見開いた。そして見る。何が起きたのか……現実を確かめるために。



「嘘……」


 目に映る光景は、あまりにも信じ難いものであった。


 広場には鮮血によって、花火のような模様がえがかれていた。そこから視線を移し、横たわる黒の影を見やる。


 胴体を二つに裂かれた異形の化物。バッサリと斬られていた。

 そして、その前に一人の女性が堂々と立っていた。


 右手には細身の剣が握られていた。ローブの中に隠されていたものであろう。美しい白銀の刀身に血が滴っており、これで斬ったものと思われる。


 白いローブを靡かせながら、斬られた敵を見下ろすその姿は、先程一緒に妹について会話を広げたあの人と、とても同一人物に思えなかった。


 光里は目を疑ってしまった。あの一瞬で叩き切ったのかと……あんな恐ろしいスピードで襲いかかる巨大な化物を剣で切り払う事が出来るのかと……


 そんな人間・・、いるわけがない。


 あり得ない……と


 だが直ぐに、もみ消すようにして思考を変えた。


 いや…… あの人ならできるはずだ! と


 

 そして、斬られたことを皮切りに、あたりは一斉に蜜柑に対して攻撃を仕掛けてきた。

 

 だが、蜜柑も全くおののかない。それどころか、フードに手を掛けて顔を露わにした。長い黒髪に、日本人離れした美しい顔立ちが月明かりによって写し出され、さっと首を振れば、黒髪がふわりとひるがる。


 そしてそのまま化物のふところへと飛び込んでいった。


 瞬きもできないほどの速さで……


「はああっ!!」


 気勢と共に、影のはらわたが剣によってえぐられる。光里の目に全く追えないほどの凄まじい速さで、次々と斬り倒す。まるで、流星のように化物の懐に入り込めば、有無を言わさず叩き斬る。地を踏めば、瞬く間に彼女の姿が見えなくなる。明らかに化物以上の速度スピードだ。


 踊るような剣戟けんげき……そういう状況ではないと分かっているのに、光里はつい見惚れてしまうほど、美しいものであった。

 

 この瞬間、光里の中の推測は、確信へと進化かわった。

 

 こんなこと出来る人間なんて……



──間違いない。本物・・だ。


 あの人こそが本物の静岡蜜柑・・・・であると、光里は確信した。


 無双の強さを誇り、長年皇軍騎士(ナイト)として、絶対的な地位に君臨し続けた『騎士の偶像アイコン』が。


 皇女から絶大な信頼を寄せられた、『史上最強の騎士ナイト』が。


 人々からの圧倒的な支持により、常に皇軍のトップに立ち続けた人間が。


 自分自身が強い憧れを持ち、常に追い求めてきた人間そのものが。


 今自分の前で戦っているのだ。


 だから、光里は勇気を振り絞って奮い立つ。あの皇女ですら、命を預ける事ができた人物なのだ。一人怯えて縮こまっているわけにはいかないのだ。


 この人に全てを委ねる意味を込め、光里は力強く合図を出した。



静岡・・さん!! 上です!!」

「光里! 私から離れて!」


 上空から化物が襲い掛かろうとする。月と重なるようにして飛び上がり、蜜柑の命を狙おうと爪を構えながら落下をしてくる。恐らく、光里に言われるまでもなく気づいていた蜜柑は分身するかのようなスピードで落下点まで駆け寄った。その後、そっと天空に目を向け、そして……


「──っ!」


 神速の一撃によって葬り去る。


 化物は空中で仕留められたのか、化物は紅色の血を弾けるようにして撒き散らした。

 蜜柑が着ている白いローブが赤く染まる。


 鮮血とともに、二つに裂かれた化物は声を出さずして沈黙した。


 血を見るのが苦手な光里ですらも、この時ばかりは美しくて心を奪われたと言う。紅の塗料を用いた芸術を見せられたと……


 光里も、何をしたかは直ぐに分からなかった。あれは恐らく居合斬りのような必殺の一太刀であった。

 攻撃時、剣が目に追えないのはもちろんだが、斬った瞬間、蜜柑の身体は殆ど地に背を向けているような状態であった。あの体勢で上空の敵を迎撃するなんて……


「凄すぎる……」


 その光景は映像で見るよりも、写真で見るよりも、噂で聞くよりも……そして自分が持つ誇張された想像よりも遥か上の上をいくものであった。


──これが、静岡蜜柑……


 光里の身体は再び震え始めた。けれど、これは恐怖に苛まれたものではない。自然と胸がたかぶってくるのだ。


 蜜柑は剣を振り下ろし、「ふっ」と軽く息を吐いた。あれだけ動いたのにも関わらず、全く息が上がっていない様子であった。

 

──これが、皇女様が全てを預けた騎士ナイトの力……


 いとも簡単に光里の想像を上回ってみせた。速さも、強さも、美しさも、何もかもだ。


 静岡蜜柑の存在に圧倒され、光里は言葉を失うことしかできなかった。

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