県境にて
前回のあらすじ
旧東軍に所属する霙と三河は上層部からのお達しによりとある任務を引き受けることとなった。『売木夏希の妹を確保せよ』と、怪しさしか漂わないその任務に霙は愚痴を溢しながらも個人的な興味があり、とりあえずは前向きな姿勢を見せていた。ただ、それを遂行する以前に東京から北城村まで自動車で移動しなければならないようで……
「ついた?」
「まだに決まっているだろう」
横たわっていた助手席シートが突然起き上がる。それと一緒に霙も身を起こした。口には大きな欠伸。厚手の軍服はブランケットの代わりか膝にかかっており、上は黒の長袖姿となっていた。なんのつもりか腕まくりまでしているが。
長い長い旅路になると聞いていたので霆 霙は助手席で一眠りしていた。
隣で黙々と寝ずに運転を続ける男がいるのにも関わらずだ。霙一人だけのんびりと夢心地に陥っており、ふと目が覚めた瞬間に「ついた?」の一言である。
なんとも太々しい態度であるが、隣の男は彼女の性格に慣れているのか文句一つ言わずに霙から放たれた質問についての回答だけを述べてくれた。
「──でしょうね」
外を見ても依然として暗いままであり、寝る前とあんまり景色が変わっていない。霙自身北城村へ行ったことがないが、これだけは自信を持って言えるだろう。『ここは北城村ではない』と。
いつもなら綺麗に切り揃えられている深い蒼色に近い霙の黒髪が今は若干乱れていた。隣でハンドルを握る男が随分と寝心地の良い運転をしてくれたお陰で、短時間であるが熟睡できたようである。そんな頭を乱雑に掻きながら霙は側にあった時計を確認した。
時計は深夜12時を表示していた。最後に時計を見た時は8時すぎであったことから、4時間近く寝ていたと判断がつく。
揺れる車内の中で霙は不機嫌そうに喉を鳴らした。
「じゃあここはどこなのよ?」
東京から北城村までどんなに早くても6時間以上はかかると聞いていたので、流石に4時間前後で到着するだなんて思ってはいない。ただ、とりあえず進捗確認はすることにした。
「まだ埼玉だ」
「はぁ!?」
大きな声が出てしまった。それもそのはずである。霙が寝る前──4時間前も埼玉県内にいたからだ。つまり、4時間経っても同じ県内にいるということである。
流石に何かの間違いだと思い、霙は震えた声で「冗談でしょ……?」と隣で座る男へ何度も確認を取ってみるが回答変わらず。そもそもこの男は冗談を言うような人ではない。それでも耳を疑ってしまう事実に霙は呆気に取られてしまった。
「全然進行んでないじゃないの、どうなっているのよ!?」
4時間寝た結果がこれである。あまりにも残念な経緯に狭い車内で霙は唾を飛ばした。
しかしながら一方、ハンドルを握る霙の先輩は嫌がるような表情を一歳せず、あくまで冷静な口調を保っていた。
「道が混んでいたんだ。仕方ないだろう」
「だからと言って…… ええ!? そんなことってある!?」
まだ信じられないといった様子だ。寝起き頭にはなかなか響く衝撃の事実。呆れた訝しげな目つきで霙は運転席に座る男を見やる。
霙曰く『少しかっこいいくらい?』との評価を受ける一重目を持つ顔立ち。痩せているのか顔面はほっそりしており、黒い髪は少し立っている。本人曰く『若干の癖毛』とのことだ。
何より特徴的なのは、その目に宿る真っ黒な瞳であった。獣のようなものを彷彿させるほど鋭く据わっていた。
そんな顔が基本的に固まったまま動かないのだ。霙も今だに『何を考えているか全然分からない』と苦言を呈するほど無表情かつ喜怒哀楽に乏しい。
おまけに口調も眠くなる程淡々としており、ついに感情すらも失ってしまったのかと霙は初めて出会った時は思ったらしい。
それでも、彼……三河 恭一は、軍に入った人間であれば皇軍、本軍、旧東軍問わず誰でも一度は耳にするほどの伝説的な戦果を誇る人物であった。
こう見えても……
今横で埼玉を出るのに4時間以上もかけて齷齪している人間と、残念ながら同一人物であるが。
「あの三河先輩が道に迷うだなんてシャレにもならないわよ」
「道が混んでいたんだ。迷ったわけじゃない」
念を押された。無論冗談のつもりで発した言葉であるが、そこは譲れなかったようだ。理由はどうあれまだ埼玉すらも出ていない現実に霙は眉を歪ませてしまう。
せめて、埼玉ぐらいは脱してくれとも思いたくもなる。先輩のことだから避けられなかった理由があるのには間違いないだろうが……
「──やはり、化物の影響かしら?」
「恐らくな。皆考えることは一緒だ」
聞くに大渋滞が何箇所かあったとのことだ。考えるまでもないだろう、皆化物の襲来から逃げたいのだ。都市圏にいた人間が一斉に出ようとすれば渋滞なる。
「まだ報道されていないのに、流石東京。情報が早いわね」
もちろん皮肉のつもりである。3日前に東京の八王子に出没したのをはじめ、各所で姿を見せているのだ。報道されなくとも一人勝手に情報が広がり、早く情報を得たものが逃げ出したのであろう。これが報道されて更に大事になっていれば4時間程度では済まなかったのかもしれない。
更に三河から聞くと残念なことに交通事故が発生したことも相まって相当時間を食ってしまったとのことであった。大量の車が犇めく中、交通事故という役満を細い山道で受けてしまったのだ。聞いた瞬間、流石の霙も苦虫を噛んだような顔を浮かべてしまった。
かなりの長時間、山道で缶詰にあったことが伺え霙は彼に同情する。
「ホント、御愁傷様ね」
それでも一般人とのトラブルにならなくて良かったのが救いであろう。寝ていたので、渋滞中彼がどう過ごしていたのかは知らないが、自分だったら恐らく耐えられない。つくづく彼に運転を任せておいて正解だったとほっとしてしまう。
それにしても……あの伝説的な戦果を誇る三河が、律儀に渋滞の流れに合わせて車を走らせる姿は絵面的にも滑稽さを感じてしまう。これが仮に皇軍様ならお得意の『特権』を使って無理矢理前進していったのかも知れないが、彼はそういうことをする性分ではないだろう。
あの三河恭一でも交通渋滞には勝てない…… これは話のネタになりそうだと横目で含み笑いを浮かべてしまった。
とは言え、今となっては道路の流れも円滑である。山奥へと至っているのか徐々に車の量も少なくなってきた。
「ほぼほぼ口伝えの情報でこんな状態じゃ、一斉に報道した途端混乱は免れないわね。でも、どうする気なのかしら? エイトの件も収束がつかないじゃない。いつまでも旧東軍でやっていけなんて冗談じゃないわよ」
「その為に皇軍がいるんじゃないか?」
センスの無さすぎる回答を受けたので霙は「面白くないわね」と返しておいた。考察が全く進まないので話にならない。
しかしながらこの辺りは皇軍の事情なので、いくら彼に聞いても良さげな答えが出てくるのは見込めないだろう。霙は話を変えようと考え、「ところで……」と切り出した。
「先輩はファーストコンタクトの現場について、何かご存知かしら?」
「現場……? 皇女の陵墓のことか?」
霙は静かに「そう……」と言って続けた。
「あろうことか星様の墓がある公園内で、化物の姿が初めて確認された……」
恐らく、これがあるから国も表立って情報発信ができないのだろうと霙は推測する。
今から3日前の5月10日。時間は夜の9時前後とされている。3年前、売木夏希によって暗殺された皇女の骨が収められた墓がある場所で事は起きたのだ。
これも裏情報である為、公には公開されていない情報だ。霙も三河も現場の諜報部から耳にした情報で話しているが、本当に皇女の陵墓に現れたらしい。
まさかのまさかだ。初めて知った時は霙も思わず声が出てしまった。
殺された今となっても、人々へ大きな影響力を持つ皇女。そしてその彼女の墓が未知の化物によって荒らされた……
こんな事実、伝え方を間違えれば世間は一瞬にして混乱になることは明白だ。隠したくなるのも頷ける話である。ただ、どこまで隠せるかが問題であるが……
「これが偶然だと思えます?」
「厳しいだろうな」
ファーストコンタクトについての情報を得てから霙はすぐに諜報部へ直接足を運んだ。ありとあらゆるデータを集め、自分なりに考察する。別に何の意味はない、こういうことが好きなのだ。
もっとも、調べている最中はこれこそ軍人の『特権』だと柄にもなく昂っていたが……
思うところは三河も同じようである。よりにもよってファーストコンタクトの場所が皇女の墓。霙に限らずこれを偶然の一致と済ます人間は少ないであろう。
「直様現場も見に行ったけど、国の人間が邪魔して入れてくれなかったわ」
「そりゃそうだろうな」
事件発生後、霙も急いで現場へと直行したが、その時は既に封鎖されており青幕に覆われ非公開になっていた。この時ばかりは国の軍に所属しておけば良かったとたいそう悔やんだそうだ。
当時はかなりガックリであったと霙は語るが、それでも動いた中で色々得ることは出来たという。話せば話すほどやたらと早口になる霙に度々「諜報部より動いているんじゃないか?」と皮肉られたが実際そうであろう。
「3年前、あの夏希さんに殺されたとされる星様の陵墓において現れた。そんなに欲しかったものがあったのかしら。じゃなきゃわざわざ皇女の墓で出没すると思います?」
「たまたま──」
「確かに、八王子にある公園に現れる以前も、確認が無かっただけでエイトが日本の各所に出没したという可能性も否めないわ。けれど、先輩…… あのエイトが皇女の墓を襲ったということは、紛れのない事実よ」
三河が何か言おうとしていたが、霙は間髪入れずに畳み掛ける。押された三河は唸り声に似た音を発しながらも「そうだな」と彼女に同意した。
無表情な三河に対して霙は若干興奮気味で「更に興味深いことがあるの」と続けた。
「現場にはエイトの死骸がいくつか転がっていたらしいのよ」
「──誰かが立ち向かったということか?」
察しの良い回答に霙は「ご明察……」と得意気な顔を作る。
「そう、誰かがね。誰も見たことがない化物に対して、臆することなく対峙する人間がたまたま現場にいたの。たまたまね」
「それは果敢だな」
普通に考えれば、見たことも聞いたこともない異形に対して立ち向かうなんてあり得ない話だ。まして相手はそれなりの戦闘力を持つエイトである。軍の人間か誰かとも思いたいところだが……
「斬られていたの。私もこの目で写真を見たけどバッサリとね。剣のようなもので何体かが真っ二つになっていたわ」
「剣で……?」
写真は外部に持ち出すことが出来なかったので、口頭で彼に現場の様子を伝えることしかできない。
あまりにもぼんやりとした情景ばかり話し出すので、内容を聞いてもイマイチ三河の中でピンとこなかったようだが要約するとこうである。
・3日前の夜9時ごろ化物のファーストコンタクトは皇女の陵墓にて発生した。
・当時、誰かが勇敢にエイトへ立ち向かい数匹撃退した
・しかも撃退のされ方が剣で綺麗に斬られていた
とのことだ。
「あの惚れ惚れするような太刀筋…… あんな芸当が出来る人間そうそういないわ」
そしていつの間にか霙の話は、エイトのことそっちのけで太刀筋の話に変わっていた。写真を見ていない三河は全く分からなかったのか「そんなに美しかったのか……?」と尋ねる。
「ええ。少なくとも、並の軍人じゃまず無理ね。かなりの手練れよ」
口数は多いが霙も旧東軍の中でトップクラスの強さを誇る軍人だ。そんな彼女を唸らせる程のものであったと考えるに、霙が言う通り『かなりの手練れ』が皇女の墓にいたようである。
「霙がそこまで言うとはな。珍しいな、絶讃じゃないか?」
「そうね。やれる人間もかなり限られるし……偶然その人がそこにいたで終わらせてしまえば、皇女の墓を襲ったエイトはびっくりする程運が無かったとしか思えないわ。それこそ『稲妻に的中してしまった程』の運の悪さね」
たまにこうやって自分の苗字──霆──をあやかった洒落込みを始める。彼女の悪癖だ。言われた三河もどう反応すれば良いのか分からなかった。
「同情したくなる程の運の悪さだな」
「そうよ。そういう日もあるから先輩も気をつけた方がいいわ。『雷に打たれる』確率なんて『交通事故』に遭遇する確率より遥かに低いんだから」
「……そうだな」
気のせいなのかも知れないが、搭乗するSUVの速度が少しばかり下がったような気がした。
とはいえ、この一連を偶然の出来事と収めて良いものなのか。それは流石に無理があるだろう。ここまで仕上がった事件なんて3年前に起きた『皇女暗殺事件』以来であると霙は主張する。
「正直、ヒントが少なくてこれ以上考察も進みそうにないわ。先輩と一緒に夜更かしするならと思って材料をかき集めてみたけれど今の所この程度。夜を跨ぐにはちょっと物足りないわね」
「さっきまで寝ていただろう」
あまりにもストレートすぎる発言を受け、霙は「なによ」と睨みつけた。むしろ熟睡できたおかげで元気が有り余っているのだ。この程度で終わらせる気なんて微塵も無かった。