思い出す戒め
──私のせいだ。
命というものは返ってはこない。一度落としてしまったら二度と拾えない。どんなに謝っても許されるわけがなく、聞く耳を持たない相手が故に桜はついに自責へと行き着いてしまう。
自分がもう少し早く気づいていればこんなことにはならなかったと……
私が姉達みたいに強かったら皆を救命えたと……
幾度となく後悔する。
けれど、もう遅い。今となれば、彼らは動かないどころかその身体すら成していない。墓へ納骨する喉仏すら奴らに食われてしまった。
救えない、救いようがない、埋葬することすら許されないのだ。
本当に何も出来ないと悟り、桜は強く唇を強く噛む。
今の桜が出来ることと言えば、無惨に食い散らかされる家族を黙って見届けるぐらいしかない。それがあの家族の最期と認められるのであればの話であるが……
それすらも桜はできなかった。
ぎり……と奥歯が軋む。
もう少し、自分に力があればと己の無力さを悔やむ。嘆く。絶望する。そして……思い出す。
過去に覚えた感情に似ていると。あの日を思い出す。
感情と連鎖するように、桜の脳裏にあの日の情景が、光景が桜の意思に反して勝手に回想されてゆく。
そうだ……と桜は理解した。この感情がいつ覚えたものだったのか、そしてどんな時に覚えてしまったものだったのかを思い出したからだ。
あの日、あの時も何も出来なかった。悔しかった、力になれなかった、強くなりたいと思った。
目の前で起きることに対して何も出来ない、無力な存在だった。それどころか逆に守られてばかりだったのだ。
強い姉達に守られてばかりだった……
昔からそうだった。昔からずっと姉達に守られ、暖かな部屋で過ごしてきた。
だから夏希のような強い姉に憧れ、そして失望したのだ。
いつだってそうだ。この場に夏希がいたら、いや……夏希の様に強ければこんなことにはならなかった筈であると考えてしまう。
あの時も、そして現在も……
──何も変わってない。
そんなことを未だに思考する自分が嫌いで、舌を噛み切りたくなるような気分にもなる。変わってない、ずっと同じだ。弱い自分から目を背け、来もしない夏希や姉達の助けを冀求する。
ただ逃げ続け、起こることのない奇跡を祈り、窮地に追い込まれれば焦るだけ。そして挙句の果てには何も出来ず傍観するだけの人間だ。
売木桜はたったこれだけしか出来ない弱い人間だ。
──これだけだ……
右手を広げる。手汗で濡れており、小刻みに顫動していた。桜の意思ではない、本能が怯えている証拠だ。
目前で広がる恐怖に……
──怯えているだけだ……
立ち向かう力が無い。守る力が無い。目の前で幼い子供が、家族が殺されようと何も出来ずに怯えているのみだ。
怯えているだけの桜だけが生き残る。生き残ってしまったのだ……
「──っ!!」
ぐわっと感情が爆発する。
あまりにもやりきれない。自暴自棄になりそうだ。一体どうすればいいのか分からない。せめて、あの家族が受けた痛みを少しでも和らげることができたら、こんな惨めな自分が変わりに受け止めることができたらと黒の空へ向かい赦しを乞う。
ただただ無力な自分だけが悠々と生きていることだけが許せなかったのだ。
だから…… 思考ってしまう。
──なんで、私だけ生きているの……?
絶望と失望に駆られる中突如として現れる錯乱。普段の桜が思うことのないシンプルな問いであった。加速する不安は遂に行き着く先まで辿り着いてしまった。自責において最も突入してはいけない領域だ。
生き残った自分へ問いかける。どうして生きているのかと……
何も出来ず怯えるだけの自分が生き残って何になるのだと。疲れた身体に染み渡るように闇のような感情がじんわりと広がる。
だが、そんな泥水のような負の感情はとある光によって……桜の奥底に眠る記憶によって押し退けられた。強い、強い太陽のような光が無力な自分を照らしてゆく。
我を失いかける桜を助けるため、押し寄せるネガティブに対抗するため、そして…… 自分自身の使命を自覚する為に幼い記憶が語りかけた。
『絆を頼んだぞ……』
脳裏を囁く暖かな声に気付かされ、桜は目が醒めるようにして我に返った。
自分を見失いそうな時、いつも遠い昔の記憶が蘇る。辛い時、苦しい時、そして孤独を感じた時に、いつもその記憶は現れて桜を励ますのだ。
呼んでもいない、意図的に思い出したわけではない。だが自分が窮地に陥った時に必ず浮かぶあの日の記憶。絆と始めて出会い、絆を委された日のことだ。誰かも分からぬ声なのに、ずっと励まされながら桜は今までやってきたのだ。
でも、そのどこか懐かしい男の声を聞いた瞬間、頭の中で吹き溜まった靄が一瞬のうちに晴れてゆく。強い、暖かな光が桜を導いてくれるのだ。
──そうだ。
そして、全てを思い出す。自分に置かれた使命を、やらなければならないことを。
『絆を守る』、それは桜が自分自身で交わした約束でもあった。何がなんでも、何があろうと、必ず絆を守ると、己に誓約ったのだ。
自分が亡くなれば絆は一人になってしまう。絆を守れなくなってしまうというのに、少しでも愚かな考えをしてしまったことに桜は大きく後悔した。けれど、すぐに前を向く。
徐々に冷静さも戻ってきたのか、桜の虚になりかけていた目に正気が宿り始める。夏希とよく似た強い正義感を示す眼差しが息を吹き返す。
地を踏み込み、桜はふらついた足取りを正した。
──確かに、何も出来ないのは事実だ。
このまま感情任せに立ち向かっても虚しく犬死してしまうだろう。
守る立場の人間が弱い。何も出来ない。情けない。甲斐性が無い。悔しいが事実だ。目を背けたくなる事実だ。
だが、それが現実であるなら桜がこうして今、生存ているのもまた事実。かたちはどうあれまだ生き残っているのだ。だから、前を向く。食らいつくす化物の姿を視界に収める。現実と向き合うために直視し、桜は状況を確認した。
惨めでも、辛くても絆を守る……
その使命を果たすことが、犠牲となってしまったあの家族への償いだろう。
やりきれない思い、当然消化なんてできる筈がない。そんなことで片付けていい事では無いことだって分かっている。だが、今はもう後ろを見ることは出来ない。生き残って使命を果たすのならば強引にでも前に進むしかないのだ。
黒色の影達は皮肉にも家族の処理に気を取られていることが判明る。言ってしまえば『逃げる機会』だ。
こんな状況を活かしてひっそり逃亡ようとする自分が嫌いだ。本当に嫌いだ。
それでも、今の自分に出来ることと言えば……
──本当にすまない。
桜は無言で十字を切りながらその場を離れた。