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夏至前夜

作者: 日高 仁

夕暮れのポストをのぞくと笹の葉が一枚入っていた。


こんやれいじ、むかえにゆきます


宛名も差出人もない。青いインクで、そっけないような硬い字でそう書いてある。

ふしぎに思いながらベッドにもぐった夜半、はたして窓を叩くものがある。外にいたのは白い猿だった。

「お迎えにあがりました」

桃の実にちまちまと顔を描いたような不思議な猿だ。白いしっぽの先はステッキのようにまるく闇にうかんでいる。

「ええと、わたしを?」

戸惑ってたずねると驚いた様子でうなずく。

「はい。招待状をうけとったでしょう?」

「あの笹のこと?でも招待される理由がないよ」

わたしの言葉に猿はますます驚いたように口をすぼめた。そして、

「今日は夏至前夜。理由などなくともお客様はみな今宵を楽しむことができるのです」

そう言うと、涼しい顔でわたしを連れ出した。


夏の夜は薄くもやがかっていて、ぼやけた空の下、猿はずんずん歩く。

つゆくさだろうか、足首にこすれた冷たい葉っぱからしっとりと緑の匂いがする。

最初は桃ほどの大きさだったのに猿は歩くほどに大きくふくらんでいく。

商店街をぬけ、橋を渡り、青草の丘を越えた頃、とうとう猿の背丈はわたしと同じほどになる。

それでもまだ猿はとまらない。知らない景色の中で猿はどんどんふくらんでいく。

やがてわたしの目はその白い背とにじんだような夜空でいっぱいになってしまう。このまま帰れなかったらどうしようと思いはじめた頃、猿はようやく足をとめた。

「ここです」

着いたのはたぶん、何もない野原だ。

なにかにふれた気がして、足もとを見るとトカゲがいた。その隣はひよこ。蛇に鹿、猫も羊もいる。気づけば周囲は動物たちのくろぐろとした影にあふれていた。

動物たちは次々あつまってくる。熊にさそり。くじゃくにかわうそ。そして名も知らぬ鳥や魚や獣たち。

「みんな招待されたの?」

「ええ」

傍らの猿に聞くと、再び驚いたように答える。もともと無口なたちらしく、歩いている間は一言もしゃべらなかった。

「誰が招待してくれたの?」

「春です」

それでも猿は聞けばきちんと答えてくれる。どうやら猿はわたしのお守り役らしい。ほかの動物たちはみんな一人で来て行儀よくしている。

「春?」

「はい。むこうがわは夏に招待された方たちです」

猿の指さす方向にもたくさんの動物の姿がゆらめいていた。猿の言うむこうとの境は曖昧でどこからが夏の招待客なのかはわからない。

「春はやさしい方です。おおらかに深く我々にいのちのよろこびを与えてくれます。夏もまた魅力にあふれた方です。我々にいのちのたぎりと美しさを与えてくれます。明日はそのちょうど間の日。今夜は一年に一度だけ春と夏が出会うすばらしい夜なのです。さあ、静かに。そろそろはじまります」

猿がしゃんと背筋をのばし、しかたなくわたしは口をつぐんだ。


空の端がうっすらぼやけている。北なのか南なのか東なのか西なのか、もやがかった夏の夜とはまたちがう、ほの白い光が空の端からのぼってきていた。

よく見れば四方すべての夜のはしっこが白くめくれてきている。やがて白い光はひとつの大きな帯となってきらきらと空の真ん中に浮かんだ。

「天の川です」

猿がつぶやく。

天の川は空の上でやたら元気だ。不規則なグラフみたいにのたうち、金や銀の星のかけらをばらまく。

降りそそぐ星のかけらに触れると、不思議に体が軽くなる。

動物たちは思い思いの鳴き声で歓声をあげた。わたしの髪をみどりの小鳥がひっぱる。足にはミルク色の蛇がまきつく。星のかけらは夕立のようにじゃんじゃん降り、地面いっぱいに七色の花をさかせる。

空の端から天の川の真ん中にむかって大きな金の星が流れた。反対側からは銀の星が流れた。大きな二つの星はまったくひるまず、いきおいよく互いに近づく。

「夏だ」

曖昧なむこうの誰かが叫ぶ。

「春だ」

こちらの誰かもうれしそうな声をあげる。

金と銀の星は盛大にぶつかり、いっせいにはじけた。耳をつんざくような大きな音がして、星屑はまっしろなシャワーになっていよいよわたしたちに降りそそぐ。

「さあ、行きましょう。今宵は夏至前夜、春と夏が握手をする日」

猿が言う。

空と地面の境はいつのまにかなくなっている。

猿が私の手をとる。その猿の手をきりんがとる。猿がつないだのと逆のきりんの手は人魚がつないでいる。まっしろな世界の中で、わたしたちの輪は果てしなくつながっていく。

「今だけはみながひとつです。わたしたちは同じ時を同じ思いでむかえている。さあ、握手をしましょう。そしてともに生きるよろこびを感じましょう。今だけはすべてが平等な夏至前夜なのです」

猿の言葉がまっしろな空間にとけていく。

しろい世界はやさしく、あたたかく、わたしたちの輪は永遠につづいていくようなここちよさに満ちていた。


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