第1幕 ReLoad(7/9)
あのきのこのようなものは、トウチュウカソウ。
死んだモンスターに寄生し、ゾンビ状態にするモンスター。
つまり、あのドラゴンはこの村に来た時点で死んでいて、ゾンビ状態だったのだ。
ゾンビ状態になったモンスターは、物理攻撃で致命傷を与えるか、トウチュウカソウが寄生している部分を切り離すか、でしか倒すことはできない。
火傷状態では動きをしばらく止めることはできるが、倒しきることはできない。
そして、ゾンビ状態になったフレアドラゴンは…上級モンスター、デッドリーフレアドラゴンとなる。
周りの人が私の言葉を聞いて、ドラゴンの方に視線を動かすと、今までじっとしていたドラゴンが目を開いた。
駆け寄った誰かが叫んだ。
「に、逃げろ、こっち向いてるぞ!」
私はマルクと、お母さんに手を引かれ、走り出した。
が、私たちがその場を離れるよりも先に、ドラゴンが口を大きく開けてこちらを見ていた。
その口の奥には、炎が見えた。
この距離であの炎を浴びると、間違いなく死ぬだろう。
そんなことを思いながら、走るしかなかった。
走るしかなかったが、同時にわかっていた。
この距離で逃げ切ることなんて、不可能なことだと。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアア!!!」
咆哮と共に炎がまっすぐ私たちに進んでくる。
(うまくいったと、思ったのになあ…。)
崩れる風車から生き延びただけでも幸運だったのだ。
そう思って諦めて、目を瞑った。
瞑る瞬間、何かに押された感覚があったが、熱波に包まれて再び意識がそちらに持っていかれる。
***
「…。」
熱い。体が焼けているような感覚。
(ああ、そりゃそうか、ドラゴンの炎をまともに食らったんだからなあ…。)
でも意識がある。ということはまだ死んでいないのか。
(溺れて死ぬとか、焼け死ぬとか、苦しいって聞くけど…こういう感覚なのかなあ…。)
一瞬で意識がなくなるものかと思ったが、そうではないらしい。
「ユリエ。」
誰かが呼ぶ声がする。
軋む体を起こして目を開けると、目の前にはお母さんがいた。
自分の姿を確認すると、燃えている様子はなかった。
周りを見渡すと、私の手を引いていたマルクがその場に倒れていた。
他の駆け寄ってくれた人も意識はあるようだったが、起き上がれないのかうめいていた。
まさか、間に合って無事だった?
そう思った矢先、お母さんを再び見ると―
「お、おかあ、さ…ん…?」
お腹から下が、真っ黒に焼けていた。
「な、なんで、なんで?」
わかっていた。
状況を見れば、間に合わないと思ったお母さんが、自分を犠牲に私たちを押したのだと。
結果、炎を浴びたのはお母さんだけだったということも。
「どうして?どうしてこんなこと…。」
1日も経たない間だった。しかも、会話したのだってほんの数分だろう。
けれど、お母さんと呼べるほど、私はこの人のことを知らない。
でも。涙は止まらなかった。
「なんで私を助けたの…?自分が死ぬかもしれないのに…。」
お母さんは、私が無事なことがわかったのか、その言葉を聴いてなのか、どちらかはわからなかったが、不思議そうな顔をしてから、にっこりと微笑んだ。
「子供を助けない母親なんて、どこにいるんだい?」
そう言って、私の体を包んでいた母の力は、すっと抜けたように、地面に落ちた。
「ねえ、嘘でしょ、ねえ、ねえってば、ねえ!」
揺すっても揺すっても、お母さんは私が揺らしたままに揺れるだけだった。
私にはほんの数分だったのかもしれない。
けれど、この人にとっては、私は17年育ててきた娘だったのだ。
そんなことに気づかないで、なんで私は自分を助けた理由なんて聞いたんだろう。
「そんな…。」
まだドラゴンが私たちを見つめていることなど忘れて、私は呆然となった。
お兄さんや他の人も、お母さんが死んだことに気がついたようだったが、動けないらしく何も言わずその場にうずくまっているだけだった。
(ああ、なんて私は無力なんだろう。)
こっちの世界に来たら何か変わると思っていた。第二の人生だ、なんて思っていた。
あれこれ考えて村を歩いていたけれど、早く帰っていればよかったんだ。
そうしたら、お母さんともっと話すことだってできただろうに。
なんて自分勝手だったんだろう。自然と、自分の母親とこっちの世界の母親とを重ねていた。
もっと早くに外に出ていればよかったんだ。そうすれば、お母さんと話すことだって…。
出てくるのは後悔の念と涙だけだった。
「うう、あああああっ!」
悔しくなって、自分の太ももを叩く。
叩くと、何か固いものがポケットに入っていることがわかった。
手を入れてその硬いものをポケットから取り出すと、それがネックレスであることがわかった。
真ん中に緋色の宝石が輝いたネックレス。
(珍しい色…緋色のネックレスだなんて…。)
もう自分は死ぬものだと思うと、こんな状況であっても冷静にネックレスを見つめていた。
「緋色の…ネックレス…?」
その言葉を口にすると、思い出した。
キャラクター設定が終わった後に、ランダムでもらえる初期アイテム。
自分が何を選んだのか覚えていなかったが、これがそうだとしたら。
ゲーム中盤で手に入れることもできるが、中盤以降には代償が大きすぎて役に立たないアイテム。
逆に初期アイテムで手に入れることができれば、他のどんな初期アイテムよりも役に立つアイテム。
自分のほとんどのステータスは半分になる代わりに、悪魔と契約できるレアアイテム、《緋色のネックレス》。
これがそうなのだとしたら。
立ち上がり、ネックレスを首にかける。
もはや残された道はこれしかない。
幸いレベルは1だ。このアイテムを使うには十二分すぎる条件。
後からレベルさえ上げてしまえば、ほとんど代償もない。
(また、やりこんでてよかったと思える瞬間がくるなんてね…。)
もう少し早く気づいておけば、とも思ったが。今はそれを悔いているときではない。
しゃがんで両手を地面に付け、呪文を唱える。
「我、汝と契約を結ぶ者。我、己の半身を汝に捧げる者。」
地面に付けている両手から、紋章が広がっていく。
成功だ、このまま呪文を続ければ、悪魔と契約ができる。
「我、冥府の扉を開ける者。我、許されざる罪をその身に背負いし者。」
広がった紋章が、光って弾ける。
「この世に来たれ、この身に宿れ、冥府の力、顕現せよ!!」
呪文を唱え終わると、私は真っ白な世界に来た。
『冥府の扉は開かれた。汝、我を誘いし者か?』
声だけが聞こえる。
『汝、我の力をその身に宿すことを願う者か?』
声は出せないようだが、心の中で力強く祈る。
『我は射手の悪魔なり。我は汝に力を宿す悪魔なり。契約の器は満たされた―』
白い世界が弾けて、私の中に入ってくるような感覚がする。
***
そして目を開けると…相変わらず、ドラゴンはこちらを見据えていた。
「ゆ、ユリエちゃん、それ…。」
倒れていたマルクが私を指差す。正確には、私の右目。
手で触っても何の感触もないが、右目に移る世界だけうっすらと緋色になっている。
そしてその視界の中で、ドラゴンとトウチュウカソウをつないでいる部分が赤い点でマークされたように光っていた。
「…なるほどね、射手の悪魔、か。」
もしその名のとおりなのであれば、私が得た能力は、弓のような武器を手にしたときに本領が発揮されるのだろう。
(この能力って、投げても強化されるのかな?)
ドラゴンがまた口を開く。その奥には、さっきと同じように炎が見えている。
けれど、同時に、口の奥も緋色の視界の中では赤く光っていた。
私は足元に転がっていた、木の柵の一部分を持ち上げて、
「えいっ。」
それをそのまま、まるで紙飛行機を飛ばすかのように投げた。
柵だった欠片はまるで鋭利な槍のように、ドラゴンの口の奥に刺さった。
「オオオオオオオアアアアアアオオオオォォォォォ…!」
ドラゴンは口をあけたまま、刺さった木を抜こうと短い手をじたばたと口の中に入れようとする。
だが、大きな口にその手が入ることはない。
諦めたのか、バキッという音と共にドラゴンは口を閉じた。
「やっと見えた、繋がってるところ。」
私は足元を見渡し、さっき投げたものより少し大きい木の柵を持ち上げた。
狙うのは、もちろんドラゴンとトウチュウカソウは繋がっている部分。
「ちょっと大きいけど、大丈夫だよね?」
そういって、私はまた木の柵をドラゴンに向かって投げる。
当然のように、それはドラゴンとトウチュウカソウは繋がっている部分に刺さり、その2つを切り離した。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオ…!!」
ドラゴンは一度天を仰ぐように咆えたが、そのまま大きな音を立てながら地面に伏した。
その頭には、トウチュウカソウはもうなかった。
…これで、終わった。
そう感じたときに、自分の体が少し軽くなる感覚がした。それは10秒くらい続いた。
(もしかして、レベルアップ?)
レベル1で上級モンスターを倒したことはなかったので、レベルがどれほど上がっているのか、あまりわからなかった。
だけれども、レベルアップしたということは、確実にあのドラゴンを倒したということで。
安心した気持ちも大きかったが、何か心の中にぽっかりと穴が開いたようなままで、ただ私は立ちつくしていた。