第1幕 ReLoad(2/9)
「ユリエ、そろそろ起きなさいな。」
優しい声だ。私を起こそうとする声。なんだか、久しぶりに聞いたなあ、こんな優しい声。
でも、私には、うるさいなあ、もう少し寝かせておいてよ…昨日の晩は大変だったんだから…今思い出しただけでも辛いんだから、という思いが目覚めて一番に頭の中に出てくる。
だって、10000時間だよ?カンストしてたから、正確に言うと9999時間59分だったんだけれども。
2年以上そればかりに費やしてきた、ゲームのデータがひょんなことで消えちゃったんだよ?
他にどんな絶望があるのか、そう思うくらい全てどうでもよくなったんだから。
「今日こそは手伝うって約束したじゃないの、ほら、さっさと起きて!」
手伝う?約束?そんなのしてないよ…。だってお母さんとはもう2年以上会話なんてしてないじゃんか。
…それも、思い出して辛くなる。胸が、きゅうっと締め付けられる。
憧れの高校生活、でも実際は憧れとは程遠い、成績が支配するピラミッド社会だった。
成績が悪ければ教師からも、クラスメイトからも見下され、信じてた友達からも…。
そうだ。そこから私は家から…部屋から出なくなった。
自分には才能がある、そう信じていた。
幼い頃からなんでもそつなくこなして、勉強だって授業を聞いていればそれでいつもいい成績だった。
それで周りは褒めてくれた。お母さんは、お父さんの仏壇に毎日毎日報告していて、気恥ずかしかったけれども、なんだか、それも心地よくて。
そうじゃない世界を知って、自分は別に特別でも何でも無くて、なんだかちっぽけな存在に思えて。
…やめよう、そういう思い出したくないことを思い出すのは。
部屋で叫びたくなって、でもできなくって、枕に顔を埋めてジタバタするのを何度経験したか。
「お母さん、農場のお手伝いに行くからね、起きてお買い物に行っておいて頂戴ね。」
わかった、わかったから…って、ん?農場?
お母さん、いつから農場で働いてたの?私の知る限りスーパーのレジ打ちとかしてたような…。
待って、そこじゃないな。一旦整理しよう。
そもそも私の部屋には厳重な鍵があるからお母さんは入れないわけで…。
そこまで考えてから目を開くと、見たこともない木が張られた天井で。
「どこここ!?」
ガバッと布団から勢いよく飛び出して、見渡してみるが、やっぱり知らない部屋で。
部屋のドアはやはり鍵がかかっていなくて、そのドアを開けても見たこともない部屋で、既にお母さんはいなくて。
「…夢か。」
うーんと唸ってから至った結論は、夢を見ているということだった。
一度部屋に戻るが、ベッドのほかにはタンス(のような家具)と、机と椅子と鏡があるのみで、当然パソコンもなくて、ほとんど何も無い部屋だった。
でもなんだか見たことがあるような気がする…と思ったが、夢の中なのだから、自分の記憶のどこかから構築された映像なのだろう。
ベタにも思えたが、一応ほっぺをつねってみる。普通に痛かった。
「う~ん、リアルな夢だなあ…。」
そう思うしかなかった。
***
とりあえず、鏡で自分の姿を見てみる。まあ、当然自分が映っているわけで。
着たこともないような真っ白なワンピースを着ていたことにまず驚いた。
普段はジャージですからね。
さっきまでこの格好で寝ていたということは、恐らく寝巻きなんだろう。
タンスを開くと、色々な服がかかっていた。
が、どれも自分が持っているものではなかったし、当然ジャージなんてものはなかった。
「た、多分これが普通の服なんだよね…?」
一番左端にかかっていた服を取り出して着替えてみる。
久しぶりにスカートなんて履いたもので、ちょっとそわそわしたが、寝巻きのままいるわけにもいかない。というか寝巻きの方がすーすーしていて、もっと落ち着かなかった。
部屋から出て、恐らくリビングであろう部屋に出る。
キッチンを見てみるが、冷蔵庫や電子レンジのような家電の類はなく、当然のようにガスコンロもなくて、見たこともない釜?のようなものが並んでいた。
リビングの真ん中にはテーブルがあり、2人分の椅子もあった。
そのテーブルの上には、紙と、布の袋が置かれていた。
「あー、そうか、お買い物なんだっけ。」
起こされたときのお母さん(?)の話を思い出したが、どうやらお使いにいってこいということなんだろうなあと。紙を見ると、買わなければいけないものが書かれていた。
ということは、この布の袋の中にはお金が入っているのか。
縛られていた紐を解き、中から出てきたのは金や銀の硬貨だった。
「…見たことないお金だ…。」
いや、でも、記憶をたどると、どこかで見たことがある、ような気がする。
少なくとも、私が知っている日本のお金ではないのだけれども。
お使い…正直、面倒だなあと思う。夢だとしたら、もう一度寝たら目が覚めるのだろうか?とも思ったが、目が覚めてもデータが消えたゲームが待っているわけで…。
そう思えばもうちょっとこの夢を見ていたくなったが、夢の中でまでお使いなんてしたくないなあとも思った。
…ゲーム?
そこで、ハッと気付く。
金の硬貨をよく見てみると、表には「500」の文字、裏には甲冑を身に纏い剣を掲げた騎士が彫られている。
銀の硬貨も手に取ると、表は「100」の文字、裏には杖を持ってローブを着た魔法使いが彫られている。
「こ、これ、フリワの硬貨だ!」
FREE WORLD。略してフリワ。
つまり昨日まで私が必死に時間を費やしていたゲーム。
その中で使用する硬貨、500マニ硬貨と100マニ硬貨が私の手の中にあった。
ここで少し合点がいった。なるほど、この夢はフリワの記憶もごっちゃになってるんだ、と。
部屋も、生まれを農村に設定したときの初期の部屋の配置にそっくりだったから、どこかで見たことがあったのだ。
なるほど、ゲームのデータが消えたショックで、自分がゲームの中にいる夢を見るとは。
「でも、それなら。」
それならいっそ、この夢を思いっきり楽しもうじゃないか。
目覚めたら、また1からゲームをしよう、何も全部が無くなったわけじゃない。
今までゲームを通じて得た経験が消えたわけじゃないし、こういう夢を見るということは、私は心からゲームを楽しんでいたんだ。
初めてこのゲームと出会ったときの記憶が蘇ったようで、嬉しくなって。
「よし、お使いでもなんでもしようじゃないの!」
1人張り切って、大きな声を出したのだった。
***
家から出て、村を歩いて色々とわかったことがある。
まず、ゲームよろしく村人から私は認知されている。まるでここで生まれ育ったかのように。
もう1つは、やはりここは生まれを農村に設定した時にスタート地点となる、ファム村ということだった。
頭の中の地図と、村の配置が驚くほど同じだったので、確信を得られた。
そこまで大きな村ではない。2時間もあればだいたい1周して、何がどこにあるのかも把握できた。
「じゃあ改めてお買い物といきますか。」
家から持ってきたかごと、メモとお金を持ってお店に行く。
この村には、いわゆる野菜などを扱っているお店は1つしかない。
あとはゲームと同じく、武器屋に防具屋といった、農村にそんなものが必要なのか?というお店もあるのだけれど。
もちろんゲーム内では、自由をウリにしているだけあって、農場や牧場を経営することもできるし、この村からであっても冒険に出ることができる。そういう意味では必要なお店なんだけれども。
「いらっしゃい、ユリエちゃん。今日はお使いかい?」
お店のおじさんが気軽に話しかけてくれる。
正直なところ、コミュニケーションは苦手だ。かれこれ2年以上外に出ていなかったわけで…。
でもゲームの中であれば(厳密に言えば夢の中だけど)、気軽に話もできるものだった。
「うん、そんなところ。たまには外に出ないとと思って。」
思っても無いことも口に出してしまった。しかもなんだか言い訳したように早口になってしまった。
「はっはっは、それはいい心がけだ!今日は天気もいいからね!さっきまでは随分村をうろうろしていたようだったけれど、散歩ってところかな?」
う、見られていたのか。
ゲームだとプレイヤーキャラクター以外のキャラクターがそういう会話をすることはないので、少し面を喰らった。
「そ、そんなところ!あ、それで、ここに書いているものをもらえる?」
ゲーム内で冒険に必要ないアイテムをそこまで重視して見たことがなかったので、食材ともなるとどれがどのものなのかがわからなかったので、おじさんにメモを渡す。
本当に、こうして考えるとゲームの中でも実生活に近いことは避けていたのだなあ、と思った。
「わかった、じゃあかごに詰めるから、待っててもらえるかい?」
「ありがとうございます!」
夢の中だけあって、かなり融通が利く。というか、本当にリアルな夢だなあ…。
村を散策していた時間も、まるで現実世界のように経過しているように感じた。
「はい、揃ったよ。これはおまけでつけておくよ!」
そういって、おじさんはかごに野菜らしきものをいっぱい詰めてくれたのであった。
おまけなんて、ゲーム内ではなかったから新鮮だなあ。
そう思いながらお金を払って、おじさんに手を振って店を出る。