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上層民と下層民

作者: 鈴木美脳

 人間の集団や社会には様々な理由で権力の分布が生じる。

 権力そのものを絶対悪だと考えることはできないだろう。社会全体の生存や対外的な競争のためには、何らかの指揮命令系統が必要で、それはつまり権力の分布の一種だからだ。

 近代経済学はその当初から分業による飛躍的な生産性の向上を指摘している。権力関係を伴わない分業を考えることはできる。また、全体の指揮もまた分業の一つだとするなら、ある種の権力関係は、上下的な分業とも見なせる。

 脳の指揮があってこそ手足もうまく生きられるように、理想的な社会であっても何らかの権力は必要だ。よって権力は悪ではない。

 しかし現実はそう理想的ではない。現実の権力は利己的だからだ。


 しかし私は権力そのものを悪だとは言いたくない。そう言うことは、人間は利己的だと割り切ってしまうことだからだ。

 人間は利己的だと割り切ってしまうこと、それは麻薬だと思っているからだ。


 既存の言論で用いられている概念として「社会階級」という言葉がある。また、上流階級、中流階級、下流階級という言葉がある。

 格差社会ということも言われていて、中流階級というものはなくなってきているともされる。

 しかし中流階級という概念は、少なくとも本来、ボリュームゾーンの多数者を意味するイメージだろう。つまり民衆という概念と同じであり、民衆という自覚ともしばしば同じであった。

 それは、民主主義という、現代のテーゼとも関係がある。


 しかし、中流階級という概念は、権力関係への考察を阻害しはしないだろうか。

 権力というものの作用を考える場合には、上下2つだけ考えることが便利だろう。

 よって、「上層民」と「下層民」という言葉を汎用してみよう。


 人間関係において権力関係がないことはありえない。

 親と子や兄と弟すらも、上層民や下層民と呼んでしまえる。

 犬猫に対する人間や、途上国に対する先進国もまた、下層民に対する上層民だと言える。

 上層民か下層民かは場面によって異なる。運動が得意な子は運動会の日には権力者かもしれない。貧しい若者は裕福な老人よりも、若さという点では権力者かもしれない。

 しかし最も代表的な権力関係は、経済的な労働ではあるだろう。


 日本経済の現状はどうだろうか。勝手な視点から考えたい。


 上層民は下層民のことなど考えない。下層民の幸せなどどうでもいいと思っている。

 下層民は上層民のことなど考えない。上層民の幸せなどどうでもいいと思っている。

 だからもし善良な経営者なんてものがいたとしても、利己的な従業員に滅ぼされる。

 同様にもし善良な従業員なんてものがいたとしても、利己的な経営者に消費される。

 ゆえに、過度なモラルは不毛だと、誰もが知っている。


 それはつまり、仕事に誠意を向けることはナンセンスだと。

 それはつまり、他人に誠意を向けることはナンセンスだと。


 もちろん、誠意に誠意を響かせる善人なんて山ほどいる。

 善意と希望に満ちた若者はいつだって多く生まれてくる。

 しかしその力は、世界を変えられるほど強くはない。

 残念だが仕方のないことだ。


 人間に良心なんてあるだろうか。

 自分さえよければ人がどんなに苦しむことになっても平気な人ばかりではなかろうか。

 少なくとも、そんな人は山ほどいる。

 そして、そんな人々にどこか生きやすい、今の経済社会ではある。

 全ては正しくて、全ては仕方のないことなのだろうか。


 言ってみれば、サイコパスほど偉くなれる現代経済だ。

 人間達を道具として酷使する者ほど資本から重宝がられる。

 そこでは、人間に備わった共感の感性なんて邪魔にしかならない。

 繊細な共感は、現代では非推奨だ。


 共感の感性、本質的には種の保存の本能、それが非推奨だという現代の現実。

 それは何を意味しているのだろう。

 その先に、人類はどこに行こうとしているのだろう。


 他者の気持ちなんて分からないアスペ。

 他者の気持ちは分かるけど共感なんてしないサイコパス。

 サイコパスな上層民がアスペな下層民を消費する社会。

 普通の人から死んで、次にアスペが死んで、サイコパスだけになる。

 それで、めでたしめでたし、と言うべきなのかな。


 もう完全に、金銭が美徳になった。

 もう完全に、共感は美徳ではなくなった。

 selfless、そんな褒め言葉は日本語にありえない。

 selfish、それで何が悪いとみんな言う。

 よかったね、と言うべきなのかな。

 我が子がアスペだったら少し嬉しい、サイコパスだったらもっと嬉しい、そういうことかな。


 従業員を大切にする会社、会社全体の戦略を大切にする従業員。

 そこにより大きな生産性があっておかしくないのに、実情には甚だしい限界がある。

 全体最適性に投資する者は、あまりにもひどい目にあう。

 みんな適応しているから。

 どんな仕事もパターンになっているから。

 あえて身を切ることはもちろんしないし、そんなリスクを冒す発想もない。


 どんな子供も規格化されて、人生を終える。

 この程度のものだったと満足して終える。

 全ての下層民は、与えられたものに過度に納得している。

 selfish という信仰に埋没していく。


 健康な子供をアスペにする。それが現代教育の力じゃないのか。

 健康な子供をサイコパスにする。それがエリート教育の力じゃないのか。


 数千年の歴史を誇る人類において、なぜこうも完全なクズがありふれているのか。

 いくらかは善良に生きたつもりの私が、なぜかえって悲惨な目にあうことが多かったか。

 この国に生まれてくる善良な若者らは、どう生きればひどい思いをせずにすむのか。


 規格化された人々に混ざれば、どんな良心も嘲笑しかされない。

 みな適応の中でしてきた努力を美徳だと信じるから、異物は不幸になれと心から望んでいる。

 不景気、少子化、晩婚化。何もかも奪われてる人が携帯電話のゲームが楽しいと笑ったりして。

 経済単位としてのパターンを自ら肯定して防衛しつづける。

 下層民こそが支配を肯定し、永遠に搾取されることを望むかのように常に振る舞う。


 自分よりもクズが自分よりも権力を持っていることに矛盾を感じないのか。

 感じないのさ。だから怒りもまた感じはしないのだ。

 果てしなく多く奪われてるのにかすかな怒りも感じないから、奪われつづけるのだ。

 いや彼らに、クズなんて概念はないのだ。

 クズである自らを許すことが、キリスト教道徳のテーゼなのだから。


 私は感じることができる。怒りを。

 非道を行って人様を虐げた全てのクズを微笑のままに皆殺しにできる。

 別にそれを共感してほしいとは今や望まない。

 砂場で遊びつづけている子供達は砂場で遊びつづけていればいいと思う。

 世の中を変えたいと望むわずかな人々にのみ、世の中を変える責任はあるのだ。


 hate、憎しみ、それは崇高な感情ではなかろうか。

 いかなる意味でも愛に劣るはずはない。だって愛の対照にすぎないのだもの。

 犯罪者を憎まないと誇る人々は常に、単に被害者を愛していないにすぎない。

 人がいじめられていても他人事だとニヤニヤしているのが現代人の流儀なのさ。

 権威の風向きを嗅ぎ回るだけの猿ども。

 残念ですね。憎しみのない世界を築くことはできませんよ。

 君達が自分を愛さなくとも、我々が君達を愛するから。



 近代経済の成熟に伴って、民主主義という概念は有効性を失いつつある。

 民主主義に背く種類の権力者を抑制すれば民衆の幸福が得られるとは今や考えられない。

 つまり民衆は、経済的な上層民と下層民とに分断されつつある。

 そこにおける上層民は十分に多数派であり、民衆を自覚して市民の顔をしている。

 また、インターネットの発展によって、ジャーナリズムは信用を失いつつある。

 一方では、人々は資本と大国への技術的な依存をどこまでも深くしていて、国際的な暗黙の検閲が行われてもいる。

 世の中は少しずつよくなっているようにも見える。しかし全ては手遅れにも見える。


 そうして明らかになったのは、平等な投票権があったとしても、金銭の分布は不平等になっていくということだ。

 つまり、民衆という概念、さらには民主主義というモデルは十分に有効ではなくなっていて、上層民と下層民の間で非道は行われている。

 日本の成功した社会主義国としての特徴は、技術的劣位のゆえに、失われつつある。

 そして、上層民の経済的な合理性のために、多くの非道は、人権侵害としては実際には定義されない。

 しかしそんな世界を変えることはできない。下層民は、自らの利己性を肯定したいがために既存の経済主義体制を肯定しつづけるからである。

 しかし、世界を実際に変えることはできなくても、いくらかの怒りの感情を心に感じることはできる。

 そんな大局的な怒りを心に秘めて、とりあえず自分一人は生きることができる。


 ゆえに、憎しみは必ずしも否定すべきものではないだろう。

 義憤は博愛に等しく、神仏の属性である。

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― 新着の感想 ―
[一言] 全体的に諭された気分になりました。 >人間は利己的だと割り切ってしまうこと、それは麻薬だと思っているからだ。 とくに諭された気持ちになりました。
2019/03/27 11:47 退会済み
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