綾野家
気になるその子は多重人格だった。
咲と名乗る綾野美咲の別人格から家に来るように言われた翔太は、また彼女の知らない部分に触れることになる。
僕は今、咲さんに連れられて知らない道を歩いている。
咲さんから衝撃の事実を知らされた後、学校を出て綾野家に向かっていた。
僕がいつも乗り降りしている最寄り駅から二駅先で降りた。
近所というほど近くないが、思っていたより近かった。
歩いている間咲さんの話を整理しようと思ったが、最後の責任を取るの意味が気になって仕方なかった。
5分ほど歩いてから思い切って聞いてみた。
「咲さん、さっきの責任って・・・」
「翔太くん、着いたわ」
ちょうど咲さんの言葉と重なってしまった。
「何かしら?」
「いや・・・」
タイミングを崩されて引いてしまった。
「ここが家よ。入って」
「やっぱりまだ心の準備が・・・」
家を前にしてビビったのは認めるが、やはり知り合ってすぐ家に上がるのは・・・
「ただいまー」
僕の声が聞こえなかったのか、咲さんはそのまま家に入っていった。
「・・・美咲!!」
奥から人が慌てて出てきた。家の人が居るということは、僕の思っていた展開とはだいぶ異なりそうだ。
しかし、おそらく母親であろうその人の表情はひどく弱って見えた。
「久しぶりねお母さん」
咲さんの言葉を聞き、美咲さんのお母さんは表情が険しくなった。
「あなた咲ね。どうしてまたあなたが・・・」
どうやら咲という呼び方は前から決まっていたもののようだ。
「彼のおかげよ」
急にこっちに振られても困るが、とりあえずお辞儀だけした。
顔を上げると美咲さんのお母さんは僕をにらみつけて言った。
「あなたなんてことしてくれたのよ!」
「えっ・・・」
あまり歓迎される空気ではないと思っていたが、いきなり怒鳴られるとは思わなかった。
「せっかく落ち着いていたのに、あなたのせいでまた美咲がおかしくなってしまうわ」
「僕は美咲さんに笑顔になってほしいんです」
また一段と美咲さんのお母さんの顔が険しくなる。
「笑顔ですって!?このままじゃ美咲は苦しむだけよ。勝手なことしないで、あなたに私たちの家をめちゃくちゃにする権利なんてないじゃない!」
「でも美咲さんがずっとこのままでいいと、本当に思っているんですか?」
「・・・・・・・っ」
思っているわけないよな・・・
けど解決策がないから、入れ替わりの落ち着いた状態を良しと思ったんだろう。
それに僕の知らない苦労がたくさんあったのだろうと、表情を見ていればわかる。
「そんなの・・・」
美咲さんのお母さんは様々な思いが交わりうまく言葉が続かないようだった。
「僕にはお母さんがどんなに大変な思いをしたのかは分かりません。でも、すべてを押し殺したあの状態の美咲さんが良いとは思えません。僕が話しかけたことで美咲さんは確かに辛そうな表情でしたが、一生懸命話そうとしていました。あの行動が間違いだったとは僕には思えません」
美咲さんのお母さんを責めるつもりはなかったが、僕の言葉を聞きうつむいてしまった。
「それでも、きっとまた美咲の心はめちゃくちゃになるわ。あなたに責任が取れるの?」
責任・・・咲さんが言っていたのはこのことか。
「もちろんです。美咲さんの笑顔を見るまで決して諦めません」
・・・・・・
しばらく沈黙が続いた。
始めに口を開いたのは美咲さんのお母さんだった。
「・・・帰って・・・」
「お母さん!」
美咲さんのお母さんの口から出たのは、変わらず拒否する言葉だった。
「帰ってよ、もう美咲に近づかないで!」
僕は玄関の外に押し出されてしまった。
咲さんもお母さんの行動が予想外だったのか、驚いていた。
咲さんが僕にごめんなさいとだけ言っているのが聞こえたが、綾野家の扉は閉ざされてしまった。
しばらく立ち尽くしていたが、僕は帰ることにした。
自分なら美咲さんをどうにかできるのではないかと自惚れていたが、デリケートな部分の話故、親が認めていないのに僕が勝手をするわけにはいかないのだ。
僕と美咲さんの関係は進展したように見えても、所詮他人なのだと思い知った。
翔太は美咲の母に自身の覚悟を伝えたが、思いは届かず追い返されてしまった。