REV.8
気が付いたら世界の隅で、ボクは機械を弄っていた。
それが当たり前で、いつまでもそれが続くのだと信じていた。
見るべき夢もない薄暗い諦めが渦巻く世界の中で、穏やかに生きて死んでいくのを待つだけの命。 ボクも例外なく、そうなるはずだった。
「お前、機械いじり上手だな」
じいさんは親代わりだった。 じいさんはボクに沢山の事を教えてくれた。
人形みたいに何も見つめない硝子の瞳に、沢山の色を宿してくれた。
毎日毎日同じように機械を弄る日々。 そんなボクの世界を彩ってくれたのは、じいさんだけではなかった。
六歳年上のゼン兄ちゃん。 いつもボロボロの服を着て、傷だらけの姿で。 それでもいつでも、どんな時も笑っていた。
大人相手にも喧嘩して、気に入らない事は無理にでも通してしまう行動力。 ボクはいつもそれが羨ましかった。
「じいさんに教えて貰ったんだろ? あの小難しい話をよく聞いてられるよなあ〜」
明るくて元気が良くて、腕っ節は大人にも負けない。 いつも毅然としていて、くすんだ世界の中で鮮やかさを失わない人。
初めて目にした時、ボクはそのまぶしさに思わず目を背けたくなった。 けれども傍でその暖かさに触れていると、少しずつその色が自分にも流れ込んでくる気がした。
「謙遜する事ないぜ。 俺も小さい時から聞いてるけどさ、全然わかんねーもん。 お前すげえよ。 なあなあ、どうやってんの? 教えてくれよ」
肩を並べて工房の隅、玩具みたいなガラクタを弄った日々。
あの頃は、工房にも沢山の人がいた。 じいさん以外にも技術屋が沢山働いていて、ボクらはその人の隅、許された領土の中で生きていく事に必死だった。
彼の語る夢を信じ、そしてそれを叶えたいと願う頃。 ずっと笑えなかったボクも、自然と一緒に笑顔を浮かべていた。
ゼン兄ちゃん――。
ずっと長い時間、一緒にロケットを打ち上げようって、誓い合った親友。 そしてボクの兄貴分。
かつてボクが自分の手で失ってしまった人。 そして今も、この胸に突き刺さりぬける事もなく痛みを分け与える記憶の破片。
もう一度出会えるのならば、この命を掛けて償うと誓った。 その誓いは決して容易いものなんかじゃない。
それでも、ボクは……。
REV.8
「ねえちょっと、ウラってば」
物思いに耽っていると、隣を歩いていたイクスに肩を小突かれた。
OZ社ビルの地下にも、当然闇の空間は広がっている。 頻繁にそこを利用しているというイクスの案内で、一先ずボクらはOZ社を後にした。
遠くで流れる水の音と靴音だけのBGMの世界に、イクスの声は必要以上に響き渡る。 ボクらより後方、五メートルほどの距離を取り歩くレヴィはそれでも顔を上げず、俯いたままとぼとぼと歩いている。
「あんたたちどうしちゃったわけ? あのレヴィの様子、尋常な落ち込み方じゃないわよ……?」
「……知るかよ! あんな女の事なんて!」
「気になってしょうがない癖にどうしてムキになるのかしらね。 思春期ってホント不思議」
「うるさいなあ……。 悪いけどもうあんたの挑発には一々動じない事にしたの」
「あら、可愛くないわね。 でもまあ、これから行動を共にするんだし意思の疎通は必要だと思うけど?」
これから行動を共にする、か……。 その言葉はボクにしてみれば考えどころだった。
結局ボクは役立たずだったし……それに、レヴィはボクを受け入れない。 あんな怪我をした兄ちゃんの事も気になるし、とにかくこのままじゃいけない。
いつも半歩後ろをくっついて歩いていたレヴィとの距離が遠ざかり、それが自分でそうしたものだと判っていてもやりきれない思いに包まれる。
「ほら、気になってる」
「…………イクスはボクに構いすぎだよ。 ショタコンなの?」
「あら失礼ね。 あたしは両刀よ」
「…………もうなんでもいいよ。 それよりイクス、どうしてボクたちについてくるの?」
「護衛は必要でしょ? それにあたしが居た方が色々と都合がいいのは間違いないわよ。 理由は想像にお任せするけど」
確かにイクスが居てくれた方がいい。 今レヴィと二人きりになったら、気まずいったらありゃしないだろうから。
そうしてボクらは何時間も無言で歩き続け、やがて裏路地のマンホールから地上に出た。 真夜中の街中の汚れた空気の中、息を付いて振り返る。
「イクス。 レヴィを任せてもいいかな」
「ん。 別に構わないわよ? どうせ今日はどっかに隠れるしかないし……。 宿が見つかったら連絡するわ。 それに情報も仕入れておく」
今街はきっと様々な混乱に包まれているだろう。 お互いに敵対しつつも正面衝突だけは絶対にしなかったFRESとOZが今まさに抗争の真っ最中なのだから。
その混乱に乗じて――。 きっとそう考える。 ボクもそうだ。 だから、彼もきっと。
「ま、待ってください……! ウラ一人でなんて、そんな……」
「ガキ扱いするな。 この町の勝手は良く知ってる。 生まれてからずっと生きてきた街だ……。 お前とは、違う」
「はいはい、喧嘩しない喧嘩しない! いいじゃないレヴィ、こいつなら大丈夫よ。 闇商売して生きてきたんだもの。 でもまあ……これ、貸したげる」
イクスに手渡されたのは小さな拳銃だった。 黒く鈍く光沢する、重量感のある銃。 それでも小さく、きっと生身の人間しか殺せないような玩具みたいな銃。 それを手に取り、戸惑う。
「身を守る物は必要よ。 今のあんたにも……これからのあんたにもね」
「……うん。 判った。 借りとく」
ジャケットの内ポケット、工具などを入れるスペースにそれを仕舞い込む。 重く、今も尚存在感を主張する殺人の道具。 出来ればこんなものは、持ちたくないけれど。
レヴィは相変わらず納得が行かないのか、何かを言いかけて口を開いてはその言葉を飲み込み口を紡ぐという動作を何度も繰り返していた。 それを見ないふりをしてボクは背を向ける。
「そんじゃ、頑張りなさいよ……少年」
「……うっさいよ、ばか」
折りたたんだ対戦車ライフルを掲げながら手を振るイクス。 彼女の筋力がどうなっているのか若干気になったが、ボクはそれよりもその後ろで捨てられた子犬みたいな目でボクを見ているレヴィの方が気に成っていた。
勿論気にする素振りなんてしない。 すぐに気持ちを切り替え、足は自然と駆け出していた。 きっとあの場所で待っている、彼の元へ急ぐ為に。
街が大変な事になっているというのに暢気な顔をして歩く人々を避けて走り、辿り着いたのは瓦礫の山。 かつて、ボクらが出会った場所だ。
そこであの日、ボクは山の陰でうずくまっていた。 打ち捨てられた夢の欠片と人が使い古した忘れられた物の向かい側、一人で歯車を手に取っていた。
そして彼はあの日、山の天辺から手を差し伸べ、笑いかけていた。 あの日と変わらないその場所に、ゼン兄ちゃんは座っていた。
「よう兄弟。 四年ぶりか」
「…………うん。 四年ぶり、ゼン兄ちゃん」
あの戦いの後、直接この場所に来て待っていたのだろう。 咥えた煙草は小さくなり、今にも燃え尽きそうに燻っている。
上着のジャケットはレヴィの攻撃でボロボロで、その両腕から金属質が露出していた。
四年前のあの日、ボクらはロケットのエンジンを調節していた。 ボクは完璧に調整したつもりでそれに太鼓判を押したけれど、エンジンの不調にパイロットの彼は気づいていた。
大丈夫だと言って失敗を認めないボクに代わり、彼はエンジンを調整しようとして――そして、一瞬暴発した火柱に巻き込まれた。
爆発と呼んだ方がいいのかもしれない。 その業火を、ボクはすぐ傍で眺めていた。
出力が大きすぎた。 その上、耐久性もアウト。 明らかに失敗だったそれを認められなかったのは、ちっぽけなプライドのせい。
機械弄りが得意じゃないゼン兄ちゃんが工具箱を持ってしぶしぶエンジンに向かうのを、ボクは見ていたはずなのに。
だから、それはきっとボクの所為。 作業の為に前に出していた彼の両腕は燃え尽きて灰になり、命さえ落としたとばかり思っていた。
その両腕は今は金属の義手。 だからあの時、レヴィの一撃を受けて尚彼は生きながらえていた。 ただそれだけの話だった。
「どうして生きてるって教えてくれなかったの? ボク、ずっと兄ちゃんが死んだものだと……」
「両腕吹っ飛んで、他のところも『修理』するのに時間がかかりすぎたからな。 それに……色々と立場も変わっちまった」
「今はFRESの兵士、って事……?」
「…………ああ。 あの事故の後、FRESに拾われてな。 そこで新しい身体と仕事を与えられた。 今は人には言えないような仕事をやってる」
「……それは、ボクもだよ。 胸を張って誰かに言える事なんて、なあんにも……何一つないんだ」
空虚な人生だ。 自分はこうだって叫べる物が一つもないという事は。
顔を隠したトレジャーとしての自分。 影の技術屋として働く、町の隅の冴えない自分。 どんな自分も本当にボクがなりたかったものなんかじゃなくて。 だから、自信なんてあるわけがない。
心から目指した物を諦め、ずるずると惰性で続ける人生に胸を張れという方が無理な話だ。 だからボクは、今もまた瓦礫の山の下に立っている。
「俺は今の仕事に満足してる。 人には言えない事でも、正しいと思う事をやってきた。 それは今だって同じだ」
山の上から飛び降りて、彼はボクの眼前に降り立つ。 あの頃よりもずっと伸びた背が、高い瞳がボクを見下ろしている。
「相変わらず小せえな、ウラ」
「兄ちゃんは無駄にでっかくなったね」
お互いに苦笑を浮かべる。 心の底から感動の再会と言えないのは、きっと今ボクらの立場が擦れ違っているから。
懐かしさを楽しむような空気から、張り詰めるような緊張感へと自然に変化した時、ボクは一種の覚悟を決めた。
「REVから手を引け、ウラ。 あれは危険な兵器だ。 あれに関わっている限り、お前の命だって保障出来ない」
ここに来ればそういわれることは判っていた。 それでは何故ボクはここに足を運んだのか。 たった一人で。
「ボクはね、兄ちゃん」
強く拳を固めた。
「レヴィが……REVが危険な兵器だとは、思えないよ」
矛盾した言葉だった。
あの殺戮と破壊を求める姿を眺め、そして戦慄したボクが。 自分でも理解出来ない程簡単にそんな事を口にする。
それはきっとあの数日間だけの、レヴィと過ごした日々があるから。 得体の知れない相手ではなく、家族として。 ボクの傍で笑ってくれたから。
「兄ちゃんはREVをどうしたいの?」
「……破壊する。 あれがどれだけ恐ろしい兵器か、身を持って味わったからな。 この両腕がイカれそうになるなんてここ数年で初めてだ。 あいつをこのまま野放しにしていたら……また惨劇が起こる」
「……それは違うんだ! レヴィだって本当は……」
あの時、振り返ったレヴィは炎を背に寂しく微笑んでいた。
その表情の、瞳の奥にある彼女の本心は、きっとその燃え盛る炎とは違った温度のはずで。
「彼女も本当は争いを望んでいるわけじゃない」
「なら何故戦う」
「それは……」
「危険な兵器じゃねえなら何だ。 お前はあいつの何だ。 そしてあいつは、お前の何なんだ」
「何? 何……。 何、って……」
空からヘリが落ちてきて。 ついでに女の子も落ちてきて。
流星みたいに舞い降りて、子供みたいに笑う彼女。 マスターとボクを呼び、その少し後ろをちょこんと歩く彼女。
全てを破壊し、壊しつくしそして――人の命さえ容易に奪う彼女。
何と訊ねられ即答は出来ない。 たっぷりの時間と迷いと本心を携え、ボクはきつく目を瞑る。
「――――家族だ」
その答えはきっと本心じゃない。 それでも嘘はついていなかった。
「彼女はボクの家族だ。 傍に居て欲しいんだ。 誰も殺させたくないし、彼女が失われてしまうのも耐えられない」
「自分一人の利己的な感情で他人を巻き添えにするつもりか? 今この世界がどうなろうとしているのか、判らないわけじゃねえだろ」
「判ってる……。 判ってるよそんなの。 でも、失いたくないんだ。 大切な人は何も、誰も! 何一つ、失いたくなんかないんだ!!」
「あいつがもし、殺戮兵器として歯止めが利かなくなったらどうする」
「その時は――」
静かに息を飲み、そして胸に手を当てる。 重く硬い感触がジャケットの裏側から返ってきて、ボクは決意を固めた。
「――ボクが彼女を壊すよ」
こんな拳銃で彼女が破壊出来るはずはないけれど。
それでもその心構えは必要なのだ。 失わない為には、守る為には、壊す覚悟も必要だ。
だからそうならないように、ボクは彼女を従えるだけの強い意思と心を持たなければならない。 ふらふらしてしまうような、子供っぽい感情ではなくて。
それはきっと百点万点には程遠い、現状維持の問題先延ばしの最悪な答えだった。 それでもゼン兄ちゃんは呆れたように微笑み、ボクの頭を大きな手でわしわしと撫でた。
「変わんねぇなあ、お前はよ」
「兄ちゃん……」
「判った、判ったよ! ったく、クソしょうがねえ奴だなお前は。 何とか掛け合ってやるよ、あいつが壊されないようによ。 仕方がねえ……他ならぬダチの頼みだからな」
「ほ、本当っ!? よかった……話が穏便に済めば、REVの事だって――」
その時、訳もわからずボクは背後に倒れていた。
真夜中の空は薄暗く、寒いくらいの気温の中、暖かい物が身体から溢れ出して行く。
「…………え?」
自分の胸に手を当てると、止め処なく溢れ出す真紅の液体。 それがなんなのかを理解した時、ボクは薄ら笑いを浮かべて首を傾げていた。
「ゼン兄ちゃん……?」
「――――っ!! ウラァッ!!!!」
冷や汗を流しながら絶叫した兄ちゃんの声が、その機械仕掛けの冷たい両腕がボクを抱え込む。
右の胸を抑えるボクの手を退かし、兄ちゃんは自分の上着を引き千切ってボクの傷口に巻き付け必死に止血を試みている。 だから、視線は兄ちゃんではなく、彼が元々立っていた山の天辺に向けられていた。
立ち上る白い煙の向こう側、冷たい風を受けて女の人がボクらを見下ろしていた。 とても冷たい眼差しで、射抜くような視線はまるで人間とは思えない。
「ウラ、しっかりしろ……死ぬんじゃねえぞ!! おい、勘弁しろよ……っ!! 何でこうなっちまうんだ、くそったれェッ!!」
ゼン兄ちゃんの叫び声が響き渡ると同時に、周囲に沢山のFRES兵が姿を現した。 ずっと瓦礫の山たちに身を隠していたのだろう。 彼らは同時に駆け寄り、ボクらに銃を向ける。
漆黒の夜空をスポットライトが白く切り裂き、ボクらに降り注ぐ。 ヘリコプターが巻き起こす風を背に受け、シルエットだけで女性は口を開いた。
「それは駄目だよ、ゼン君。 それはいけない。 今更になって和平なんて、そんな夢みたいな事を言わないで」
「……マリーッ!! てめえっ!!」
見詰め合う二人。 まぶしい光の中目を閉じると、意識がボクの意思とは無関係にどんどん遠くなる。
ゼン兄ちゃんが何か叫んでいるのが見えるけど、声が聞こえてこない。 とても眠くて、とても暗くて。
ああ、もしかしてボク、死ぬのかな――。
そんな事を、考えていた。
「何故、ウラはあんなにも不快感を露にしたのでしょうか……」
街には宿泊施設が沢山ある。 それこそ最高級のものから、街の隅、人前に顔を出せないような人間の為のものまで様々な種類が。
そんな中、広さは無いものの比較的衛生的でよくイクスが利用する安宿の硬いベッドの上、レヴィアンクロウは座り込んで虚ろな瞳で呟いた。
疑問を他人に投げかけたつもりはきっとレヴィアンクロウには無かっただろう。 しかし、ここ数日間人間と行動を共にした彼女は自然と誰かに言葉を投げかけるという行為を実行に移していた。
「んー。 それは、お嬢さんの事が大事だからじゃないかしら」
お気に入りの大型拳銃を分解しながらイクスは笑う。 レヴィアンクロウにはその言葉が理解出来なかった。
首を傾げるその様子にイクスは言葉を続ける。
「人はね、本当に大事な物に対してはとても必死になるものなのよ。 時には異常なくらい感情たっぷりで、どうにもならないくらい擦れ違う。 でもそれはお互いの事を大切だと感じているからこそ、深く鋭く互いにナイフを突き刺し合うの」
「大事だから傷つけあう、ですか……?」
「あんたがあんなにムキになって敵をやっつけようとするのはどうしてよ」
「それはっ!! マスターに銃を向ける相手など、この世に存在してはならないんですっ!! 危険な存在は全て排除して――」
「だから、どうしてそうなの?」
「どうして…………?」
戸惑いながら首を傾げ、必死に考え込む。 どうして。 何故。 人は沢山のものに理由を求めたがる。 そこには真実と感情のやり場が存在するから。
レヴィアンクロウはその時まで心を持っているとは言い難い存在だったのかもしれない。 ただ感情という物を秘めてはいるものの、その色を知らなかった。
自分が感情たっぷりの存在であるという事さえ、彼女は理解していない。 救いを求めるような伏目がちな蒼い視線に、イクスは紫煙を吐き出しながら笑う。
「大切なんでしょ、ウラの事が。 あんたにはそれ以外ないから」
「私はウラが大切……。 私にはウラ以外ないから……」
イクスの言葉を何度も繰り返し呟き、自分に問いかけるように目を閉じるレヴィアンクロウ。 その言葉の意味はやはりまだ理解出来ない。 だが――。
「ウラの事を思うと、不思議と胸に暖かい物が湧き上がって来ます。 とても不思議な……非合理的な感覚が」
「ロボットはね、計算ずくで作られているから無駄をしないの。 無駄こそ人間という存在の証なのにね」
「私は無駄なのでしょうか……?」
「それは無駄な感情でしょうね。 でも、あんたがあんたという存在を理解する為に避けては通れない物よ。 それは、あの少年も同じだけれどね」
自分自身の胸に手を当て、レヴィアンクロウは不思議と笑顔を零す。
それはきっと彼女の心と呼べる場所の中、様々な楽しかった記憶が行き交っているから。
暖かく、苦しく、時に見苦しく乱暴で、それでも相手を包み込む……柔らかくて触れ難い感情。
繊細過ぎる心というプログラムを、彼女は少しでも理解しようと努力を始めていた。
「あたしはね、お嬢さん。 喧嘩大賛成よ。 ぶつかり合って泣き合えば、明日はきっと晴れるから」
「ぶつかり合って泣き合えば、明日はきっと晴れる…………はい。 ありがとう、イクス」
その時レヴィアンクロウが浮かべた笑顔が余りにも人間染みていたから。
イクスは苦笑を浮かべ、煙草の灰を灰皿に落としながら深く息を付いた。
端末が音を鳴らしたのはそんな時だった。
その端末に浮かび上がった名前を見てイクスは顔を顰める。 しあし応えないわけにも行かず、端末に送りつけられたメールを開示する。
そこには、血まみれのウラが古びた木製の椅子に縛り付けられている写真が添付されていた。