REV.7
「――――いつかぶち破って、行ってやろうぜ。 くすんだ空を見上げるのには、もう飽きちまった」
そう言って大空に手を伸ばす彼の姿は、子供心にとてもかっこよくボクの瞳に映りこんだ。
勿論、それは今でも変わらない。 世界のどん底、ゴミ山の頂点に立って、作り物の空に手を伸ばす汚らしい外見の子供。 今冷静に考えればそれ以上でも以下でもないはずなのに、今でも思い返すと胸を熱くする色あせない景色。
その傍ら、ボクはただその人が語る世界の理想に惹かれていた。 想像以上に白い歯を見せて笑うまぶしい笑顔が、何よりもボクの背中を押すのだ。
「行こうぜ、ウラ。 デッカイ事やってよ、そして探すんだ。 俺たちの本物の家族って奴を!」
差し伸べられた手を取り、ボクは強く頷いた。 何度も、何度も頷いた。
本物という事場に魅了されていたのかも知れない。 本物の空、本物の家族、本物の友達――。 本当の世界。 真実の世界。 目には見えない向こう側へ。
夢だった。 ここじゃないどこかならどこでも良かったのかも知れない。 それでも掛け替えのない、大切な夢だった。
生きていく目安、そして希望。 何よりもその夢を共有する誰かが居るという事が、自分の存在を肯定していた。
きらきら輝く無邪気な笑顔を浮かべてその夢物語へボクを誘った人が今、ボクの目の前に居る――。
「……ウラ、なのか?」
声を聞いた瞬間心の中から様々な感情が溢れ出し、言葉にならない想いで胸が張り裂けそうになった。
ずっとずっと探していたのだ。 もう一度出会う事がもしも出来たなら、何て声をかけよう? いつも考えていた自分の胸にぽっかりと穴を開けてしまった原因。 そしてあの日、ボクの心のその穴を埋めてくれた人。
「そうだよ……。 ボクだよ、ゼン兄ちゃんっ!!」
バイクを降りた『兄ちゃん』は驚きを表情に浮かべながら近づいてくる。 ボクもあまりの嬉しさに前に飛び出そうと一歩踏み出した。
その二人の間を引き裂くように、兄ちゃんの後ろから飛び出してきた二機のマンイーターがボクの行く手を塞ぐ。 そうしてボクは再び現実とご対面する事になった。
ロビーには沢山の死体が転がっていた。 数え切れないそれらはばらばらに砕け散り、血と肉片――死の匂いが満ちている。
マンイーターの無機質なカメラがボクをじっと見つめている。 白いボディの合間から除く金属が軋む音がして、思わず一歩後ろに下がる。
ようやく止まっていた時を動かそうと踏み出した一歩が引っ込んだ時、燃え盛る炎を背に立つ彼の姿が幻にさえ見えた。 だが、それは紛れも無い現実で。
「どういうこと……? どうなってるの、ゼン兄ちゃん?」
「お前の方こそ……どうしてここにいるんだ!?」
答える間も無い内にマンイーターの口から機銃が飛び出し、銃口がボクに向けられる。
叫ぶ間も無く息絶える――。 そんな予知染みた自分の死の鮮明なイメージが脳裏を過ぎった時、兄ちゃんはボクをかばおうと確かに前に飛び出そうとしていた。
それを見てほっとしたような……ああ、変わらないなあ、なんて思いながら……ゆっくりと死の瞬間から目を逸らさず、ボクは開いた瞳を閉じる事はしなかった。
そうだ。 あの時も確か、こんな風に燃え盛るステージの上で……血と油の匂いの中、吐き気を抑えて見ていたっけ。
死を覚悟した瞬間、脳裏に過ぎったのはレヴィの姿だった。 何故か後姿で、その表情を窺い知る事は出来ない。
最後くらい笑顔を見せてくれたっていいだろうに――。 そんな風に考えるボクは、何故最後に彼女の後姿が見えたのか、その理由を直後理解する。
引き絞られた矢が放たれるように、レヴィは廊下を一瞬で駆け抜けて空を舞っていた。 大きな跳躍と同時に回転しながらマンイーターに迫り、機銃ごと首を刎ね飛ばす。
ぶちぶちと音を立てて引きちぎられるマンイーターの首の人工筋肉からオイルが噴出すその刹那、目には見えずともレヴィの表情を知る事が出来た気がした。
まるで返り血にような真っ赤な熱いオイルを全身に浴びるレヴィは。 ボクの目の前に立つ彼女は。
「――――何をしているのですか、貴方たちは」
大気が軋るような音を聞いた気がした。
握り締めたマンイーターの機銃がべきりと圧し折れ、間抜けな音と共に大地に落ちる。
もう止められない。 ただ、そんな気がしていた。
REV.7
神様はどうしてレヴィを人の形にしたのだろう。
その細い腕は重く硬い金属の塊を易々と捻じ切り、圧し折り、刎ね飛ばす。 武器を持つでもなく、ただの素手だというのに。 時には鋭利な刃のように、時には重みのある鉄槌のように、彼女の腕は敵と認識した物を薙ぎ払う。
命があるか無いかさえ関係なく、有象無象を破壊し尽くす恐ろしい殺戮兵器。 オズワルド・ピースメーカーは、道具は使い様だと言った。 でも、この景色を見てもまだ同じ事が言えるだろうか。
マスターであるボクが尻餅をついている間に、彼女の足は鋭くマンイーターの胴体に突き刺さる。 千切っては投げ、千切っては投げといった様子で沢山あるマンイーターの足を引き千切り、彼女は白いドレスを赤に染め上げながら感情のない瞳で炎の中立ち尽くしていた。
時間が停止したわけではない。 その恐ろしくも美しい情景に、誰も言葉が出なくなっていただけ。 レヴィアンクロウという一つの道具が見せた、道具であるが故に非現実的な美しさは強くボクらを打ちのめす。
「――化け物、か……っ」
その閉ざされた時間を巻き戻したのはゼン兄ちゃんだった。 その唇から零れ落ちた一言がレヴィを再び動かし、その視線が兄ちゃんに向けられる。
きりきりと、レヴィの首が軋む音が聞こえた。 確かに聞こえたのだ。 彼女はボクといる時、とても兵器であるなんて信じられないくらい、『人間そのもの』に見えた。
でも違う。 まざまざと見せ付けられる。 今の彼女は人間ではなかった。 道具――ただの兵器。 首が軋む音なんて本当は聞こえない。 でもボクには確かに聞こえた。
人形の首が回る、きりきりという音が。 確かに聞こえたのだ。
「兄ちゃん、逃げて――っ!!!!」
止められない。 止められるわけがない。
近づく物全て滅ぼすまで満足しない彼女の破壊の両手。 千切ったマンイーターの腕を鈍器のように振り上げ、薙ぎ払うようにゼン兄ちゃんに叩き付ける――!
一瞬の出来事だった。 ゼン兄ちゃんはその攻撃に反応し、腕を十字に構えて衝撃に供える。 でもそんなの意味がない――!
「ぐうっ!?」
巨大な鉄の塊を叩き付けられれば誰だって吹き飛ばされる。 ボクの頭上すれすれを空を切るような音と共に払われた一撃は大の男であるゼン兄ちゃんの身体を易々とビルの外に吹き飛ばし、バイクは木っ端微塵に破壊してしまった。
一撃でそんな事になる。 重機だってそうは行かないのに、小柄な少女一人がそれをやってのけたのだ。 異常であると認識せざるを得ない。 そう、こいつは――おかしいんだ。
「やめろレヴィッ!! 何で兄ちゃんを傷つけるんだよおっ!!」
「ウラ、あれは敵です。 マスターに銃を向けた危険因子です。 排除しなければならないんです」
「何で殺すんだよ!? そんな必要は無いっていってるだろ!? 本当にマスターだって言うなら、ボクのいう事を聞けよォッ!!」
炎の中、レヴィは振り返った。 少しだけ寂しげなその表情は、オイルを浴びながらも美しく、不変的なその可憐さは逆に人間らしくないように感じた。
彼女は何も言わずに飛び出していく。 ビルの向こう側に並ぶ兵士や兵器を駆逐するために。 マスターである、ボクの静止を無視して。
「そうだ……兄ちゃんを助けなきゃ。 ゼン兄ちゃん……二回も死ぬなんて……そんなのないよね……?」
よろめきながら立ち上がる。 でも、これからどうしろって言うんだ? 目の前に広がるのは本物の戦場――。 力を持たないボクに何が出来る?
顔にかかったマンイーターのオイルを拭い、考える。 銃声と悲鳴の中、死屍累々を前に考える。
どう考えたってあそこに突っ込んでもただの自殺行為だ。 流れ弾に当たって死ぬかも知れない。 でも、それでも、やっと会えたんだ。 ゼン兄ちゃんに。
「謝らなくちゃならないのに……っ」
全身が震えていた。 死というものを明確にイメージできたあの一瞬、恐怖と混乱は脳の回路を焼き切ってしまったのかもしれない。
だから正常な思考が出来なくなる。 頭を振り、全速力で駆け出した。 目だけは逸らさず、朽ち果てていく機械同士の乱舞を見据えながら。
そうだ、まずやるんだ。 無茶でも無謀でもまずやる。 それから後で考えればいい。 その無鉄砲さの所為で傷つけてしまった人を、もう一度救い出す為に。
自分の過去から、一歩前に進む為に。
「うわああああああっ!!」
恐怖のあまり声を上げながら一直線にゼン兄ちゃんの下へ。
出入り口の向こう側、長くそして左右に広がる巨大な階段の上、ゼン兄ちゃんは吹き飛ばされていった。 下り階段の為様子は見えなかったが、どの辺りに落ちたのかは推測出来る。
外に出ると無数の機動兵器をレヴィが薙ぎ倒していくのが見えた。 そして飛び出したボクの姿は、彼女にも見えたはずだから。
それを利用する。 罪悪感はない。 彼女はボクが無防備に進みだした事を知れば、理解はせずとも直ぐに追ってくる。
「――――マスターッ!? 何をっ!?」
そう。 ボクを助けに。 ボクの道を切り開きに――。
駆け寄るレヴィへ、それからその視線の先に居るボクへと銃口を向けるマンイーターたち。 火を噴く銃口が耳の直ぐ傍で劈くような轟音を上げる。
悲鳴を上げたかった。 それでもよろけながらボクは進む。 足を止めたら本当に死んでしまう。 足元のコンクリートが爆薬で吹き飛ばされても、ボクは止まらない。
近づく敵はレヴィが駆除する。 振り返らない。 彼女はついてきている。 本当に邪魔な敵を倒してくれる。 そう、信じている。
言う事を聞かないなら、言う事を聞かなくちゃいけない状況を作ってやればいい。 あとで何を言われようが構わない。
ボクに付いて来い、レヴィアンクロウ――!
「ゼン兄ちゃあああああんっ!!」
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。
死にたくない。 でも、死んだような人生をずっと送るよりはずっとずっと、マシなんだ――!
階段を三個飛ばしで駆け下り、一直線に彼の元へ。 周囲に立ちふさがる装甲服を着た兵士たち。 考えるよりも早くボクは振り上げた手を敵に向けていた。
命じるよりも早く、想いに反応するかのようにレヴィは前に飛び出した。 放たれる無数の銃弾を受け尚健在。 敵兵から奪ったアサルトライフルを両手に携え、前線を押し上げる。
盾となり、そして機銃となったレヴィの背後、吐き出される薬莢の雨の中屈んで兄ちゃんの傍に駆け寄る。 血を流す兄ちゃんは気を失っているようで、しかし命に別状はないように思えた。
即死級の衝撃を受け、彼が命を取り留めた理由。 それはその両腕が――。
「マスター、もう持ちません!!」
レヴィの叫び声にはっとする。 周囲はマンイーターに囲まれ、逃げ場もない。 次々と向けられる銃口から、四方八方の死の嵐から、レヴィはもうボクを守りきれないだろう。
やはり無謀だった。 それでも得る物が無かったわけではない。 真っ直ぐにレヴィを見据えると、彼女はおもむろにボクをしっかりと抱きしめた。
直後、跳躍――。 そらに向かって放たれた矢のように、レヴィはボクを抱えたままビルの窓目掛けて突っ込んだ。
同時にどこからか放たれた煙幕弾が敵陣の中で炸裂し、追っ手の声はない。 ボクらはそれを確認し、すぐに研究室を目指した。
研究室の前にはオズワルドが待っていた。 余りにも激しすぎる運動直後の所為で息切れし、心臓が張り裂けそうだった。 オズワルドがボクたちに何か言っていたが、そんなものは耳に届かなかった。
「レヴィアンクロウ……ッ」
目を丸くするレヴィの胸倉を掴み、壁に叩き付ける。 怯えるように揺れる彼女の瞳を至近距離で睨み付けた。
「何で言う事を聞かないんだよ……っ! あの人は敵じゃない。 敵じゃないんだよ……」
「で、ですが……」
「知ったことかよォッ!! 何で殺すんだ!? 何でっ!? それじゃあお前、ただの兵器じゃないか! ただの化け物じゃないかっ!!」
こんな事を言っても仕方がない。 レヴィは以前からこうだ。 ずっとこうだ。
ボクの言葉は意味を成さない。 ボクはマスターで、彼女に命令を下すべき存在のはずなのに。 彼女が自分でそう言ったのに。 彼女は言う事を聞かない。
全て殺して滅ぼして。 そうやって何も無くなるまで馬の耳に念仏だ。 ボクの声は届かない。 届かないんだ。
どうしてお前はボクを否定するんだろう。 人殺しなんかさせたくないのに。 兵器としてなんか働かせたくないのに。 ゼン兄ちゃんを傷つけさせたくないのに。
判ってるさ。 レヴィが来てくれなかったらボクは死んでいた。 それでも。 誰かに罪を背負わせてまで生き延びるくらいなら――死んだ方がましだ。
「もう、ボクを助けるな……お前は」
突き放す。 小さく呟いて。
彼女は打ちひしがれるように肩を震わせていた。 泣いていたのかもしれない。 でも、ボクはそれをよく見ていなかった。
何とも言えない空気の中、壁に背を預けずるずるとその場に座り込む。 ここまで来てしまえばそうそう危険な目に逢うことはないだろう。
下ではまだ戦闘が続いているようだったが、ここは天下のOZ社。 侵入者対策など万全だ。 奇襲故に初動で遅れを取ったものの、すぐに巻き返す。
胸をぎゅっと押さえたまま黙り込むレヴィの指先からぽたりと血が床に落ちて、真っ白の廊下を赤く汚していく。 その手が傷だらけで、ボクを守る為に必死だったという事を強く訴えかけている。
そんなのは判っている。 鉄の塊を壊すような力で殴ったり蹴ったりしているんだ。 特に手は素手……怪我をしない方がおかしいだろう。
それでもボクは目を逸らす。 間違いも戸惑いも、はいそうですかと受け入れられない。
だからまたきっと後悔する。 あの時みたいにずっと、後悔し続ける。
ボクは――――。
「久しぶりね、マリー・コンラッド」
「…………イクス」
遠くから聞こえる銃声は、しかし二人の耳には届かない。
OZ社の研究フロア、その廊下。 二人は相対していた。 ノートパソコンを抱えるマリーと、巨大なライフルを携えたイクス。 二人の様相は対照的だったが、その瞳には同じ物を感じる。
「久しぶりね」
「ええ……。 本当にあなただったなんて……イクス」
数年ぶりの感動の再会――とは行かなかった。 見詰め合う二人の間にあるのは奇妙な緊張感。 睨み合いと呼んでも構わないだろう。
銃を持つイクスが圧倒的に有利なこの状況下、マリーは一歩も引き下がろうとはしなかった。 お互いに問いかけたい言葉が余りにも多すぎた。
「君がREVを奪ったのね、イクス」
「あたしだけじゃないわ。 沢山の人がREVの解き放たれる時を待っている。 REVを個人が所有するのは間違いだわ」
「大衆には使えない、理解出来ない力もあるよ。 道具を正しく使ってくれる人ばかりとは限らないから」
「それでも人は希望があるなら縋らずにはいられないわ。 そのためならばどんな手段だって厭わない……。 あたしだってね」
マンイーターの装甲さえ打ち抜く巨大な対戦車ライフルを構えるイクス。 直線の通路で、そんなものが放たれればマリーの命はない。
しかしマリーは怯える事も無く、堂々とした態度で背を向ける。 それは彼女なりの抵抗だったのかもしれない。
「脅しだと思うの?」
「アースは滅んだのよ、イクス」
「いいえ、滅ばないわ。 『帰るべき場所』は『土地』でも『組織』でも、ましてや『時間』にも支配されない。 その人が望む場所、そこにある物なの。 あたし自信の胸の内にね」
「REVさえ私と君だったら、解き放つ事が出来たでしょう。 何故FRESを……私を否定したの?」
「否定していたのはFRESの方よ、マリー。 私たちは余りにも人を信じなさ過ぎた」
向けた銃を下ろしながら、イクスは首を横に振る。
マリーも……そしてイクスも、本当はこうなるとわかっていた。
殺しあう事は出来ない。 たとえどんなに冷酷になったとしても。 侵せないものは確かにある。
「次に会う時は容赦しないわ」
「……うん。 そうだね。 きっと、お互いに」
そうして二人は別れた。 対戦車ライフルの弾等は煙幕弾――。 レヴィとウラを救い出す為、彼女が銃に込めた弾丸。
マリーはきっとその中身を知らない。 それでもイクスを信じていたのだろう。 例え敵同士になってしまっても。 それでも。
「REVは……世界の希望なのよ。 そうでしょう? 父さん……母さん」
首から提げた金色のロケットを握り締め、イクスは目を閉じた。