REV.6
何故あの時――。
そう考える事がある。
自分の行動や周囲の境遇、それらが巻き起こす偶然に理由や意義を求めてもそれはきっと意味のない事なのに。
それでも何故、どうしてとただ理由を求め、そこに自分の感情を押し付けたいと考える時がある。
例えばじいさんと一緒に暮らした日々の中、遠く見上げた作り物の空や、薄く街にかかる靄。 その向こう側へ行きたいと願った日々。
そしてその為の努力を惜しまず、いつかは必ず越えられるのだと信じていた日々。
何故、どうしてそうしてしまったのかと。 いつ、いつか、それが忘れられるのだろうかと。 ただただ、そこに理由を求めたくなる。
あの日、じいさんの買出しで待ちに出たボクがレヴィと出会ったのは何故?
降り注ぐ残骸と人の死の匂いの向こう、きらきらと輝いて朽ち果てた世界のカケラの上、彼女は立っていた。
美しかった。 見惚れてしまった。 そんな場合ではないのだと、あの時ボクは判っていたのに。
恐ろしい力を持つレヴィ。 それを受け入れたのは何故? 彼女がボクをマスターと呼ぶのは何故?
何故出会い、そしていつ別れるのだろう。 そんな疑問を心に浮かべると痛む胸のその向こう、自分の本心が扉を叩いているような気がした。
「君達が出会ったのは偶然などではないよ」
聞こえた声は胸にすっと染み込んだ。
「これは偶然などではなく、運命だった。 仕組まれた必然と言い換えてもいい。 ともかくこれは起こるべくして起きた出会いだよ」
OZの社長室。 とんでもなく広い空間の向こう側、広がる夜景を背に彼はそう言った。
意味や理由を求める事はそれこそ意味のないことだと判っていても。
それでも、ボクは――。
REV.6
オズワルド・ピースメーカー。
OZ社と言う巨大すぎる組織の頂点に君臨し、あらゆる組織に強い影響力を持つ、事実上この街を牛耳る人間の一人。
年齢は三十二。 容姿端麗という言葉がぴったりに感じられる、美しく整った顔立ちをしている。 細身の長身で、白いタキシードを身に纏った男は客人であるボクらの前に立つと、腕を組んで静かに微笑んだ。
「改めて始めまして、ウラ君。 いや、僕と君は初対面ではあるが全く認識が無いわけでもない……かな?」
にこやかなその対応にどう応えたらいいのかよくわからなかった。
彼はどうやらボクがトレジャーで稼いでいる事を知っているらしい。 というか、OZからも随分色々な仕事を引き受けたのだから、知られていてもおかしくはない。
ただ、まさか社長がそれを知っているとは思って居なかったわけで。 だからボクは曖昧に言葉を濁し、軽く会釈を返した。
この部屋に入った直後、オズワルドはボクとレヴィの出会いのあらましを話すように命じた。 その時は背を向けていたオズワルドから放たれる無言の威圧感に気圧され、ボクは淡々と全てを彼に語った。
勿論、自分にとって不利益な事はある程度伏せたつもりだ。 それでも彼は全てお見通しだったらしい。 だというのに余裕のある態度でボクを見下ろしている様子を見ていると、何となくいい気はしなかった。
何もかもお見通し……。 そんな風に翡翠の瞳が語っている気がして。 大人だと意識すればするほど、何となく目を合わせらなくなる。
「行き成り根掘り葉掘り聞いてしまってすまなかったね。 だが、お互いが状況をどう認識しているのかを理解するのは必要な事だ。 許してくれたまえ」
「……判ってますよ、言われなくたって。 それで、さっきの言葉はどういう意味なんですか?」
彼は先程こう言った。 ボクたちの出会いは偶然などではなく、運命だったのだと。
その言葉の向こうに不吉な物を感じたのは恐らくボクだけではないだろう。 レヴィもまた、警戒するようにボクの傍らに立ちオズワルドを見据える。
「そう怖い顔をしないでくれないかい? 仕方の無い事だ、君達二人はREVという存在について何も理解していないのだから」
「……だったら早く教えてくださいよ。 もったいぶっても意味ないでしょ」
余りにも上から目線の態度にカチンと来る。 けれど彼にとってはこれが普通の態度なのだろう。 当然だ、OZ社の社長オズワルド・ピースメーカーなのだ。 悪気が無い事も判っているが、思わず噛み付かずにはいられなかった。
「ふふ、まあその通りだね。 では単刀直入に言おう。 REVとは――――この世界を変え得る存在だ」
「抽象的過ぎて意味が判らない」
「確かに。 だが、それ以外に適切な言葉は存在しないだろうね。 そうだな……ウラ君、君は包丁で料理をした事があるかい?」
「馬鹿にしないでください。 それくらいありますよ」
「結構。 ではウラ君、包丁とは何だね?」
料理に使う道具。 それは判っている。 ただボクが即答出来なかったのは、恐らく彼の意図に気づいてしまったから。
そしてボクがそれにすぐ気づいた事を彼も理解していた。 薄く微笑みを浮かべながら、彼はレヴィの肩を叩く。
「包丁は調理に使う道具だ。 だが使い方を変えれば凶器にもなる。 包丁でも人は殺せる。 本来の目的とそぐわない効果も、同時に持ちえてしまうものなのだよ。 道具という物はね」
「レヴィがそうだって言いたいんですか」
「彼女はとても強い力を持っている。 それは『兵器』と呼ぶに相応しいだろうね。 巨大な機動兵器ですら蹂躙するその力は、確かに凶器になり得る。 しかし彼女――REVという存在は様々な目的を遂行するために存在する『道具』だ。 兵器としての能力はその一部に過ぎない」
それはボクも薄々気づいていた。 レヴィは兵器というには余りにも無駄が多すぎる。
感情を所持し、人間と変わらない生活を送る事が出来る生体構造。 物を知らず、本当の持ち主さえわからない巨大な力。 それを兵器と呼ぶには余りにも不完全すぎる。
殺戮の力は一歩間違えれば自分にさえ向きかねない。 だから人は常にその力を完璧に、間違いが無いように生み出してきた。 銃に泣き笑う機能なんていらないし、暴発するようには作らない。 当然の事だ。
「彼女はレヴィアンクロウという名の一つの媒体だよ。 本当のREVの力は、彼女に内包されている。 レヴィアンクロウという驚異的戦闘能力を持つボディのその向こう側にこそ、真に驚異的なものが眠っているのだ」
「…………その、眠っている物っていうのは?」
「それはわからない」
堂々と言い切ったオズワルドの言葉に、ボクは一瞬理解が追いつかなかった。
「それを暴く為にウラ君を連れてきたのだろう……と、イクスは説明しなかったのかね?」
ボクとレヴィとオズワルド、三人の視線がイクスに向けられる。 問題の本人は口笛を吹きながら窓の向こうに広がる摩天楼を見下ろしている。
「……ボクら、イクスがレヴィを人間にする方法を知ってるっていうからついてきたんだけど」
「…………そうなのかい? 弱ったな……。 イクス?」
「し、仕方ないでしょっ!! 知らないなんて言ったらあたしは今ここに居ないわよ! 変わりにウラの集合住宅地の前にとっても若くて美人な女の首が一個ごろりと転がってた事でしょうね! あーあーあーあたしは悪くない、悪くないもんねーっ!!」
まぁ、確かに彼女の言い分も一理ある……。 レヴィが怒って彼女に飛び掛るかと思いきや、むしろショックの方が大きいのか俯いて溜息を零していた。 おめでとう、生きながらえたねイクス。
「やれやれ……。 まあ、兎に角そういう事だ。 ウラ君、レヴィアンクロウの中に何があるのか調べてくれないかね?」
「ええっ!? レヴィの中にあるもの……!?」
振り返ってレヴィを見る。 身を隠す為に羽織っていたボロ布を脱ぎ、今は小脇に抱えたその姿をもう一度よく認識する。
とても綺麗な、作り物みたいな顔だった。 いや、作り物だけど。 とにかく無邪気な、何の敵意も感じられない純粋な瞳がボクを見つめ返している。
その、向こう側にある物……って、何だ? レヴィを調べる? 何をどうやって?
何やら色々な想像が脳裏を駆け巡り、それらを振り払うように頭を振る。 とにかく結論は一つだけだ。
「無理っ!! そ、そういうのはあんたたちがやればいいだろ!?」
「何故だい? マスターである君がやるのは当然だと思うが……。 それに君の腕前は重々承知しているしね」
「そういう問題じゃない! もっとこう……モラル的な問題がっ!!」
両手をブンブン振っていると、レヴィは目を真ん丸くしていた。 まるで小動物みたいなその視線はボクを逆に駆り立てる。 ああ、イクスが何か遠くで笑ってるけど気にしない。
「しかし、構わないのかい? レヴィアンクロウの中身を、その全てを、僕たちが覗いてしまっても」
「うぐっ」
ボクの言葉を待つように静まり返る空気。 パニック状態の頭で考えられる事は余りにも少ない。 レヴィに嫌われたくないとか、どうしようもない想像ばかりが頭の裏側を駆け巡って行く。
いや、何を考えているんだボクは。 ただのロボットだぞこいつは。 うん、ロボットだ。 別になんてことないごく普通のデータの閲覧――――?
そこまで考えてボクは冷静さを取り戻した。 レヴィの背後に立ち、失礼ながら全身を指を這わせる。
「う、ウラ?」
「…………あった」
それはレヴィのうなじ、髪の毛の向こう側に隠れていた。
特殊な形式ではあるが間違いない。 レヴィアンクロウ内部のREVデータにアクセスするための情報端子――。 つまり、穴が開いていたのである。
当たり前だ。 ロボットのデータを解析するのだから当然どこかしらにインポート出来るに決まっている。 何を考えて焦っていたんだ、ボクは……。
「レヴィ……こんなところに穴開いてるのなら早めに言おうよ」
「ですがそこは私の大事な穴なので余り人には知られたくないというか……」
「ふーん、結構普通に穴開いてるんだ。 じゃああんたは今からレヴィの大事な穴に接続するわけね」
「大事って言われても接続しないと始まらないだろ。 でも特殊みたいだし、慎重に入れないと危険かな」
「……や、優しくしてくださいね?」
何だこの会話。
REVの解析は別室で行われる事になった。
OZ本社ビルともなればそうした研究施設も非常に充実していて、街の隅っこのおんぼろ工房で仕事をしているボクにしてみれば涙が出そうなくらい素晴らしい空間だった。
人払いを済ませたその場所で、背中を肌蹴たレヴィを椅子に座らせ、ボクは巨大なパソコンの前に座っていた。
指をこきこき鳴らしながらレヴィを見ると、どうにも意識が朦朧としている。 あれからよく確かめてみると、レヴィの背中には合計六個のインポート部分が存在する事が発覚し、今はそこに全て改造したケーブルを接続している状態にある。
オズワルドとイクスはボクの背後にたち、まじまじと画面を見詰めている。 あまりじろじろ見られるのはいい気分ではなかったが、興味があるのも理解できる。
「――それじゃあ始めますよ」
気持ちを切り替え、操作に集中する。
レヴィアンクロウの内部に閉じ込められたデータを閲覧するにはいくつか特殊なプロセスが必要らしい。 幾重にも重ねられた彼女の防護壁は易々と侵入者を内部に入れようとはしない。
「わかるかね、ウラ君?」
「――って言われても……なんですかこれ」
画面にびっしりと現れたのは見た事のない文字だった。
街で使われている文字も言語も共通の物で種類はないし、プログラム言語も一応新旧知り尽くしている積もりのボクがまるで理解出来ない謎の文字。 思わず手が止まり、レヴィを見る。
「これ、FRESが作ったんですかね……」
「既存のデータに該当するものは存在しない。 解読は至難か……」
「いや、ちょっと待ってください」
しばらく画面とにらめっこをしていたボクの手が動き出す。 スラスラとは行かないまでも、ボクにはその文字達の語りかけてくる意図が何故か理解出来た。
つい先程まで『まるで理解出来ない謎の文字』だった物たちは気づけばボクにとって馴染み深い存在になっていた。 まるでずっと昔からそれを知っていたかのように。 そうなれば手は止まらない。
戸惑いはある。 背後の二人はどよめいてすらいた。 ボクだって驚いている、十分すぎる程に。 でもそれよりももっと強く、ボクの心が叫んでいるのだ。
もっと彼女の奥深くへ行かねばならないという本能的な衝動。 それを知ることが自分の義務であるかのように感じた。 驚きと操作の連続の中、ボクは自分以外の存在の事なんてすっかり忘れ、彼女の存在に没頭した。
レヴィアンクロウの内部はまるで海だ。 底の見えない暗闇のようでいて、そこに満たされている物には全て意味がある。 少しずつ壁を潜り抜けていくうちに、その全様が徐々に明らかになる。
「――――データベースだ」
「データベース?」
「うん。 レヴィの中には、REVファイルっていうものがいくつかあって……それら全てが何かを記録した膨大な容量のデータベースになってるんだ」
「……データベースか。 閲覧は出来ないのかね?」
「ちょっと待ってください……。 最後のロックで引っかかってて……」
あと一つ、門を潜ればレヴィの全てを知る事が出来る。
だというのに、彼女はボクを拒絶する。 最後の扉の前に、記された言葉。 ボクはそれを見て思わず躊躇した。
「…………『REVの帰るべき場所を知っているか?』」
文字を読み上げたのはイクスだった。 そう、その文字だけは謎の文字ではなく文字が読めさえすればどんな人間にも理解できる単純なメッセージだったのだ。
だからこそ逆に理解出来なくなる。 まるでそれは誰かがレヴィの中に後付けしたメッセージのような気がしたからだ。 そしてそのロックこそ、あらゆるロックよりも難解であり、レヴィアンクロウという存在の根本を闇の中に落としていた。
答えは当然わからなかった。 無理矢理こじ開けようとするのも気が引けた。 今までのロックも全て、ボクは無理矢理開きはしなかった。
全てが読めない文字で記された『質問』だった。 その『問い』にボクは『答え』るだけ。 だから別にハッキングしたわけではない。 質問に答えただけだ。
判りやすく言えば合言葉だろうか。 それは余計に頭を掻き乱すが、とにかくそうとしか言い様がない。 それはずっと前から約束していたかのように、ボクの記憶の中にあった意味の判らない文字の羅列。
訳がわからずともここまではそれで何とかやってくる事が出来た。 しかしこの、当たり前の言語の当たり前の質問だけは、どうしても答えが閃かない。
「帰るべき、場所……」
彼女が生まれた場所、という意味だろうか。 だとしたらFRESの工場? 考えても答えは見つからない。 ただ焦りだけが積もっていく。
「駄目だ、判らない……。 一度中断して、レヴィに答えを聞きだす必要があるかもしれない」
どうやらREVファイルにアクセスしている間、彼女は意識が飛んでいるらしい。 今も瞳に何も映さないまま、ぼーっと床を眺めている。
ここまで来て引き返すのはかなり癪だが仕方がない。 三十七のプロセスを巻き戻し、レヴィへの接続を解除した。
「レヴィ! 起きてくれ! ちょっと聞きたい事があるんだけどっ!!」
「ちょっと、そんなに慌てる必要はないでしょ? レヴィだって頭の中ごちゃごちゃされて疲れてるかも知れないし」
思わずレヴィの肩を掴んだボクの手をイクスが掴む。 確かにイクスの言うことは正しいかもしれない。 でもボクは……。
「……いや、イクスの言う通りだ。 レヴィ、起きて。 大丈夫?」
「は、い……。 何か、判りましたか……?」
「ごめん、はっきりとしたことは何も……」
「そう、ですか。 お役に立てずに……申し訳ありません」
本当に悪びれた、寂しげな横顔に思わずボクは微笑を零しながら視線を逸らしていた。
「役に立たなかったのは、君じゃないよ……」
「え?」
「少し休憩にしよう。 何か飲み物でも買って来る」
返事を聞かずに研究室の外に出ると深く息を吐き出した。
広く、どこまでも広がるような気がする白い廊下。 その脇にある休憩所のベンチに腰掛け、思わず頭を抱えた。
何故? という思いだけが胸を締め付ける。 何故あの最後の質問だけ答えられなかったのだろうか。 あのたった一つの問いが、心を惑わせる。
それまでのパスはまるで準備されていたかのようにあっさりと解くことが出来た。 その時ボクは驚きながらも……興奮していたのかも知れない。
レヴィアンクロウという特別な存在の事を理解できるという不思議。 理由はわからない、でも……まるでその時ボクは、自分が本当に彼女のマスターであるような気がしていたのだ。
だというのに最後、当たり前すぎる質問に躓いてしまった。 それが判らなかった時、自分自身の存在を彼女に拒まれたような気がして。
寂しさとやりきれない思い、自分でも理解出来ないごちゃごちゃした感情を押し付けてレヴィに当たってしまうところだったと思うと、本当に嫌気が差す。
役に立たなかったのはレヴィじゃない。
役立たずだったのは、ボクの方じゃないか……。
「こら、少年」
「うわあっ!?」
頬に急に冷たい何かが当てられて思わず飛び上がりそうになる。 背後で笑っていたのは、両手に缶ジュースを持ったイクスだった。
「飲み物買いに来たんじゃないの?」
「……うるさいなあ。 ほっといてくれよ」
「そうは行かないわよ。 お嬢さん、あんたの事心配してたわよ? お嬢さんにとってこの世界を判断する目はあんたしかないの。 あんたの感情にとても感化されたやすいお嬢さんが不安になるのも仕方ないわね。 あんたがそんな浮かない顔してるようじゃ」
「うるさいな……。 判ってるよそんなこと」
レヴィはボクを全身全霊で信じている。 信じてくれている。
だからボクの判断に従い、ボクの言葉に従い、ボクの感情に従う。 彼女にとって心を許せる存在がボクしか無いのであれば、当然その責任はボクにある。
マスターという言葉はとても重い。 彼女のように強くて綺麗で、世界をどうこうするような力を持っているらしい存在の主がボクであるという事実は、余りにも重くボクの胸を締め付ける。
責任と重圧から逃れたいのか、それとも彼女の前を歩く自信がないのか。 恐らく両方だろうと思ったところで、考えるのを止めた。
何となくこれ以上考え込んでも好転しない……そんな予感がしていたから。 イクスから渡されたコーヒーを飲み干し、一息つく。
「……REVの帰るべき場所、か……」
「あら、判らないの? あたしは判ったけど」
「えっ!? ほっ、本当にっ!?」
「簡単な答えだけど……『他に選択肢もない』んだし。 でもね少年、あんたはお嬢さんの所有者にでもなったつもり?」
あまりにストレートな質問に顔が熱くなるよりも先に全身の血の気が引いた気がした。
「ちょっとうまく行かないからって自己主張してさ。 口で何だかんだ言っても、お嬢さんを自分の物だってしっかり認識してるんじゃない」
「…………っ」
心に浮かんだのは熱く燃え滾るような物ではなく、自分でも驚くほど静かに燻る怒りだった。
目の前のイクスに対するものも勿論ある。 でも、何よりも憤るべきは……。
「……っ! だったら、あんたがあとはレヴィの面倒をみればいいだろっ! ボクだって好きであんなやつ拾ったんじゃない! マスターだなんだって言われたってピンと来ないし、そんな責任だって取れない……! 死にそうな目にももう二度も逢ってるっ!! でも、仕方なく……皆が言うから仕方なくやってるのに……」
「皆が言うから仕方なく――ね。 だったら確かにあんたはマスターの資格ナシって所かしら。 男ならせめて、自分で選んで行動くらい出来ないの? 自分以外の場所に言い逃れを求めるのは余りにも幼いわ」
「あんたに何が判るんだよっ!!」
「判らないわね。 だってあんたは判って欲しいって口にしないじゃない。 本心隠してうだうだ悩んで自己嫌悪何てね、ガキの発想なのよ」
イクスの切れ長の瞳が強い力を帯びてボクを捉えている。 何か反論したいのに、ぐうの音も出ない。
腹が立つ。 悔しい。 でも、いう事はわかる。 判ってるんだ。 もうずっと前から。 でも性格なんだ。 直しようがないんだ。 そんなの、だって、仕方ないじゃないか。
レヴィが来てくれて楽しかったんだ。 あんな生活でもいいと思えたんだ。 役に立ちたいって、彼女を人間にしてあげたいって思ったんだ。 でも、仕方ないじゃないか。 力がないんだ。 ボクには出来ないんだ。 こんな世界の半分を支配する会社の中で、その究極の研究室の中で、信じられないくらい膨大なデータを宿したレヴィと向き合い、そしてその後起きる全てに責任を取るなんて。
仕方ない、仕方が無いって、何度も自分に言い聞かせている自分がいて、また嫌な気分になる。 胸を張ってボクがレヴィのマスターだって言えないのが本当に悔しくて、不安で堪らない。
都合のいい好意に甘えているだけだって判っている。 理由も所以も意味もない、本当に都合のいい勘違い。 だから、ボクは――。
「別にいくらうじうじしても構わないけどね、お嬢さんの前では毅然としていなさい。 それがあんたを信じている彼女へのせめてもの礼儀……当然のマナーよ」
突然ボクの肩を抱き、イクスは悪戯っぽく笑う。 先程までの鋭く射抜くような視線とは違い、優しく嗜めるような、そんな眼差しだった。
「出来る事と出来ない事があるわ。 でも関係ないの。 それは『やった』人間が論ずるべき事よ。 子供は子供らしく、がむしゃらにやりたい事をやって。 それから大人になって後悔しなさい」
「結局後悔するのかよ……」
「後悔しない人間なんて居ないわ。 誰だって例外じゃない。 勿論あたしだってそうよ。 だから今は後悔しないよう、良いと思った事は全部やる事にしてるの。 多少無茶でも無謀でもね。 それを後で振り返れば笑っちゃうかも知れないけど、少なくとも後悔はしない。 やるだけやったらスッキリする……そういうもんよ」
イクスはボクを励ましているのだろうか? それとも叱っているのだろうか?
多分両方だと思った。
だからボクは黙って頷き、自分の手のひらを見つめる。
「良いと思った事は全部やる、か……」
「納得する必要はないわ。 そのわだかまりを抱えたままでいい。 だからまず、やれる事をやり尽くしなさい。 そうすればまた、やるべき事が見えてくるわ」
腕を放し、背を向け去っていくイクス。 甘い香りが遠ざかり、ヒールの音を高らかに鳴らしながら去っていく。
その背中に聞こえないように、本当に小さな声でボクはお礼の言葉を呟いた。 彼女は足を止めず、軽く手を振り替えしてそれに応えた。
地獄耳だと思った。 でも聞こえないよりは聞こえた方がまし――。 そんな馬鹿げた事を考えていた。
今自分に出来る事を一先ずやる。 それから考える。 当たり前の事だ、そうでなきゃ考えるだけで前に進まないのだから。
「――――よし」
休憩は十分だ。 すぐに続きに取り掛かろう――。 そう考えた時だった。
凄まじい轟音と共に衝撃がビル全体を襲う。 よろけるほどではないものの、びりびりと伝わってくる振動はその衝撃の大きさを物語っていた。
「な、なんだ!?」
慌てて窓辺に近づくと、窓の向こうのすぐ傍をFRESの戦闘ヘリコプターが飛んでいくのが見えた。
見下ろす大地全てを埋め尽くすような機動兵器の数々。 完全にOZ社ビルを取り囲むその大軍隊の先頭、真っ赤なバイクが突っ込んでくる。
OZ社のバリケードを突破して強引にロビーにバイクが突っ込んでくると同時に、再び大きな衝撃がビルを駆け巡った。
「……あれは、まさか」
ボクの足は自然とエレベータに向けられていた。
目指す先はバイクが突っ込んだロビー。 ボクはある一つの確信めいた予感を持ってその場所に向かう。
何故、どうしてと。 ただその意味や理由を問いながら、目の前に迫る奇跡に胸が躍る。
もう何年も前、ボクはロケットを打ち上げたかった。 空に、ロケットを。
エレベータから飛び出し、ボクが目にしたのは燃え盛るロビーとその向こうに光る機動兵器の瞳。
そしてその先陣を切り突入してきた真紅のバイクに跨る一人の男の姿。
タイヤの焦げる匂いと溢れ返る熱の中、ボクはその人に声を掛けた。
「――ゼン兄ちゃんっ!!」
視線が交わる。
そう、ボクは何年も前に、ロケットを打ち上げたかったんだ。
その頃は一人きりじゃなくて。 だから、傍らにはあの人がいた。
無邪気な笑顔と強引さでいつもボクを引っ張ってくれた家族――。
「……ウラ、なのか?」
この出会いも偶然でないというのならば。
では一体、誰に仕組まれた運命なのだろうか――。
燃え盛る炎の中、ボクらは黙ってお互いを見詰め合っていた。
それが、悲しい再会である事も知らずに。