REV.2
「――というわけで、君にはこれからテロリスト共に奪われた我が社の極秘兵器を奪還してもらいたい」
FRES社ビルは摩天楼の中でも最高の巨大さを誇る。 人工の空に手を伸ばせば届きそうなほど巨大なそのビルが『一番』である事はFRESにとって重要な事であった。
この街に存在するあらゆる物の中で最も優れている事。 最高品質であること、常に究極である事を企業理念とするFRESにとって『一番』である事は一つでも多い方がいい。
様々な力を持ちこの街のマーケットを大きく支配し、街そのものの半分近くを自分たちの手中に収めているFRESにとって唯一目障りなのは同業者であるOZ社のみ。 FRESとほぼ同等の力を持つOZ社は究極を自負するFRESにとって唯一のライバルであり、唯一意識するに値する存在だった。
故に二つの企業は常に勢力争いを繰り広げてきた。 トイレットペーパーからミサイルまで、お互いを意識して商品開発を進める。 二つの大企業が負けじと邁進する姿は結果として街の発展に大きく貢献してきたのだが、反して街に負の面をも生み出していた。
所謂『荒事』をも平然と行って罷り通るだけの力を持つ大企業は、警察組織である治安維持局からも暗黙の了解として攻撃的な行為をも許されている。 厳密に言えばFRESやOZそのものは闘争行為を行っていない。
今回のケースで言えばFRES曰く『テロリスト』たちの犯行であり、OZ社そのものは関与していない。 しかし、背後にOZ社の動きがあると言うのは既に誰も言わずもがなわかりきっている事だった。
大企業であり『ルール』であるFRES、OZに喧嘩を売る様なものはお互いの存在かあるいは街のルールを理解出来ていない身の程知らずと相場が決まっている。
FRESもOZも直接闘争はしない。 しかし、それぞれがお抱えの荒事専用の人間を雇っている事が多く、今回の極秘兵器を奪われた事件もOZの差し金の傭兵の仕業だとFRESは判断していた。
かといってOZにそんな命令を下したかどうかは確かめるだけ野暮というもの。 水面下で繰り広げられた戦闘行為には水面下の力で答える。 それがお互いのやり方だった。
今まさに任務を言い渡された若い男も、まさにそんなアウトロー的な役職に付く社員だった。 伸ばしっぱなしの後ろ髪を簡単に括り、着衣はスーツ姿とは程遠い軍用装備。 迷彩柄のジャケットは穴だらけでとてもお洒落とは、ましてや正装という言葉からは程遠い外見。 長身の男はいかにも眠たげに欠伸を浮かべながら手渡された情報ディスクを眺める。
クリアケースの中に保存されたそれを眺め、男は頬を掻きながら目の前の上司に向かって口を開いた。
「そりゃ構わないんスけどねえ。 奪われたモノが何なのかが判らないんじゃ探しようがないっスよ」
本人は敬語のつもりだった。 もちろん敬う心とはかけ離れすぎているが、スーツ姿の上司は何も思う事はない。 こうしたモラルのない連中に何か言ったところで無駄そのものだと判りきっているし、伊達に彼らをまとめる役職に就いているわけではない。
スーツ姿の小太り中年は高級な椅子に深く体重を預け、ため息を漏らす。 苦笑を浮かべるその様子は憤っているわけではなく、呆れているように見える。
男の名前はシャッフル。 勿論本名ではない。 シャッフルの役職はこうした『力任せの問題解決』の統括、そして『アウトロー社員』への指示だった。
シャッフルが目の前の失礼な男の面倒を見始めて既に四年になる。 それだけ上司をやっていれば、その横柄な態度にも慣れが生じるし、元も子もない事を言えばもっとろくでもない人間は多く存在する。
「正直なところ、私にもよくわからん。 だが、奪った組織のアタリはつけておいた。 目的地、武装持ち出し許可、スケジュールなんかはいつも通りディスクにある」
「でも連中、FRESの護送を突破して極秘兵器とやらを奪ったんだろ? この任務オレ一人でやれっていうのはちょっと酷じゃないスか」
「それは大丈夫だ。 上から人材が派遣されてくるらしい。 指定の場所で合流して協力して捜査に当たってくれ」
「まあ、文句言った所でしょうがないか……。 了解了解、行って来ますよ」
FRES社は任務を断るような人間を置いておくような組織ではない。 そもそも、断る事は許されない。
特に荒事専門の人間など掃いて捨てる程いるのだから、これからも会社とうまくやっていきたいのであれば大人しく命令に従っておくのが吉である。
本社ビルを出た男は愛用のバイクに跨り夜の街を走り出す。 ハイウェイを駆け抜けながら、自然と思考はこれからの仕事の事に向けられる。
色々と、納得のいかないことが多かった。 そしてその不可思議な事件が何故自分に回ってきたのか。
「運命の巡り合わせ、か――」
そんなものを信じるわけではないが。
男は苦笑を浮かべ、風に身を任せた。
REV.2
「あんまり何でもかんでも触るなよ……? 散らかっているように見えて実は整理整頓されてるんだから」
勿論そんな事はない。 でもあながち嘘でもない。 工房の中に転がったり山になったりしているガラクタたちは、大体どこにあるのかくらいは察しがつく。
本当ならば当然、きちんと片付けておくのがいいのだろうけれど、ガラクタはガラクタであってガラクタ以上でも以下でもない。 だからガラクタなんて片付ける必要もない……。 自分でも何を言っているのかわからない。
後で山をひっくり返して小さなパーツを探す事になるとわかっていても、それが結局見つからず後で買いに行かなければならなくなるとわかっていても、結局片付けるのはどうにも苦手だった。
そもそもこんな家業をやっているとガラクタは増えていく一方で、しかもどれを捨てていいのかもわからない。 明らかに要らないパーツが、後々必要になったりすることなんてよくあることだから。
まあ、どんなに言い訳をしたところで散らかっている事には変わりないよね。 レヴィはそんなガラクタの山の前に座り込み、ネジを手にとってじっと見つめていた。
じいさんは今、席を外していた。 修理した品をお客の所に届けているらしい。 まあ、ここまで取りに来たくない気持ちはわからないでもない。 何せこれだけ散らかっているのだから。
去り際に強制的に任された修理の代行をこなしながら作業代の向こう側、目を丸くしているレヴィを眺めている。 お陰で作業はちっとも進まなかった。
「……ウラ! ウラ! お訊ねしたいことがありますっ」
「今度は何……?」
「これは何ですか?」
駆け寄ってきたレヴィが作業代の上に置いたのは古びたバッテリーだった。 しかも意外と高出力で、まさかとは思うが中身が入っていたら結構危ない代物だ。
引きつった笑顔を浮かべながらそれを確認してみると、残量が僅かだが残っていた。 これならば突然爆発して工房炎上ということにはならないだろう。 多分。
「バッテリーだよ。 汎用性のあるやつだから、大体のものはこれで動かせる」
今修理している旧式のカメラのバッテリーもこれで充電出来るはず。 直接繋いで動かすのは基本的によろしくない扱い方だったが、元々入っていた小型のカメラ用バッテリーを外し、そこにレヴィの持ってきたバッテリーを接続する。
一瞬火花が散る。 明らかにまずい感じの音だった。 少々焦げ臭くもある。 しかしこのバッテリーは放出量を調整できるので、これでも問題はないはず。
「ほら、動いたよ」
レヴィに目をやると、両手をおそるおそるこちらに伸ばしていた。 目がきらきらと輝いていて、もう彼女の興味は目の前の壊れかけたカメラにしか向けられていないようだった。
さっきからずっとレヴィはこんな調子だった。 ガラクタの山を弄っては何かをボクにもってきて、それをボクが修理する。 そんな事の繰り返しなのに、その度に彼女は目を輝かせては大喜びして遊んでいるのだ。
「……これはお客のだから勝手に弄るなよ。 お前はそうだな……。 ネジでも拾ってれば?」
嫌味のつもりだったのだが、レヴィは無言で頭を縦に何度も振ると、落ちていたネジを拾い始めた。 全く以って何が楽しいのかさっぱりわからなかったが、本人がそれで満足ならそれでいいか……。
「ネジ一つとっても、様々な種類が存在するんですね。 とても不思議です」
「そうかあ? 用途によって違うだけじゃないかなあ……。 って、何勝手にガラクタをくっつけてるんだよ」
「ネジが留まりました!!」
「見りゃわかるよっ!!」
言うまでもなく、平然と床に落ちているようなものは汚い。 よってレヴィは手も顔もとてもばっちくなっていた。
深く溜息をついて立ち上がり、作業用のグローブを外しながらレヴィの隣に座る。 夢中になって鉄板と鉄板を留めようとしているレヴィを横から眺めた。
「手とかドロドロになってるけど……」
「む? どうやらそのようですね」
何そのリアクション。
「それにしてもここは興味深い物の宝庫ですね。 探せば探すだけ不思議な物が出てくる……。 とても素敵です」
そうだろうか? 一般人ならとてもじゃないが汚くて出入りしたくない類の場所だと思うけど。
何にせよ、こうしてうろうろしている間レヴィは大人しい。 そうすると色々とこっちとしてもありがたいので、放っておく事にしていた。
しかしとてもじゃないがレヴィにこの空間は似合っていない。 ドレス姿の美女とゴミの山とでは釣り合う方がおかしいのだけれど。
にしても落ち着かない……。 じいさんかボクしか出入りしないこんな不潔な空間に何故こんなのが居るのか。 何故落ち着かないのだろう。 いや、以前はここにだって人の出入りは結構あったんだ。 そう、四年前までは……。
四年前にボクがあんな事をしなければ、今だってここは賑やかなままだったはずなのに……って、あれ? レヴィの姿が見当たらない。
「レヴィ?」
ちょっと目を離した隙にすぐ隣に居たはずのレヴィの姿は消えてしまっていた。 いや、もしかしたら長い間考え込んでいたのかも知れない。 ボクにそういう自覚がなかっただけで。
「自覚がなければ、許されるってわけじゃないよな……」
一言呟き、歩き出す。 工房は広いとは言え、ボクはここでずっと暮らして来たのだ。 レヴィに行けてボクに行けない場所などあるはずもない。
袖を捲くり、工房内を隈なく歩いて見る。 しかし、二階の部屋まで探し回ってもレヴィの姿は見当たらなかった。
「マジ……?」
少々焦る。 もしかして外に出て行ってしまったのだろうか?
こんな治安の悪い地区であんな外見であんな服装の女が歩いていたらどうなるのかちょっと余り考えたくなかった。
冷や汗を浮かべながら階段を下りて工房に戻ると、ふと目に留まったのは地下へ続く鉄の扉だった。
レヴィが行けてボクが行けない場所。 確かにそこには存在していた。 きっと無意識に、その可能性を排除していたと思うから。
階段を駆け下りて地下への扉に向かうと、扉が少しだけ開いていた。 何年も人の出入りがなくて積もっていたノブの埃も掃われている。
残念な事にそこにレヴィが入った可能性は高いと思えた。 レヴィの事だ、まだ外よりもこの工房内に興味が向いているだろうし。
思わず深く息を付く。 色々と苦い思い出のある場所へ続くその扉に手を伸ばすのには、僅かな躊躇があった。
意を決して扉を開くと、もう長い間目を逸らして来た自分の過去へと続く階段が伸びている。 思わず気分が落ち込みそうになるが、そんな場合ではない。
この地下通路がどこに続いているのかまるで判っていないはずのレヴィは、確実に迷子になっているだろうから。
街の地下は迷宮だ、というのはうちのじいさんが昔のボクらに言った言葉だ。
この街が出来てからどれくらいの年月が経っているのかは、きっと誰にもわからない。 ただ地下には膨大な空間が広がっていて、電気、空気、蒸気、水……エトセトラエトセトラ。 とにかく様々なライフラインが交錯している。
そのライフラインは結局後々の人類が追加したものであって、元々その地下にある空間は何に使っていたのかわからない部分も多い。 今も現在進行形できっといくつかのライフライン系は過去の遺物になり、誰が何のために作った物なのかわからなくなっているところだろう。
地下には沢山の人々の歴史が積層している。 それもやっぱりじいさんの言葉で、ボクはその地下空間に憧れを抱いていた時期があった。
何故か? それは浪漫だと言っていたのはボクの知人で、でもその人は今はもういない。 色々合って今はもう、地下空間に入るような事は基本的にはなかった。
階段を駆け下りると、細い通路が網目のように広がっていた。 こうなるとレヴィを探すのも一苦労だ。 この当たりの地図は頭の中に入っているものの、増築、撤去が無許可に繰り返される地下空間において数年前の知識が通用するかどうか……。
「レヴィ〜〜!! あーもう、本当に手間がかかるなあ、あいつ!」
愚痴りながら駆け出すと、レヴィは意外とあっさりと発見できた。 その理由は単純明快。 彼女が立っている位置からは、地下空間の中でもとても巨大な空洞が一望出来るから。
「レヴィ……! 勝手に出歩くなよ!」
「ウラ、あれは何ですか?」
こっちの話はまるで聞いていない。 肩の力がガクっと抜けたのは、きっとレヴィがとても楽しそうだったからだろう。
全く、こっちの気持ちはお構いなしか……。 心配してたわけじゃないけどさ。 心配してたわけじゃ、ないけどさあっ!
レヴィの隣に立つと懐かしい場所の空気を思い切り吸い込んでみる。 じめじめしていて、鉄くさい。 けど、『帰ってきた』気がするのは何故だろう。
地下には時々、わけもなくとんでもなく広い空洞が発生してしまう事がある。 無計画に誰も彼もが勝手に弄繰り回しているから、そういう無駄スペースが生まれるのだ。 工房の地下すぐ近くにあるこの巨大な空間は、所謂ボクらの秘密基地だった。
その奥には、とても巨大な縦長の機械が鎮座している。 上から継ぎ接ぎだらけの布を被せてあるので余計に訳の判らない物体Xになってしまっていたが、色々と思い出の積もった代物だ。
「スペースシャトルだよ」
「スペースシャトル、ですか?」
「うん。 そうなる予定だった――っていうべきかな」
色々な思い出が残されたまま、時を止めてしまったようにあの頃と変わりない空間。 見上げた不出来な夢の跡に思わずセンチメンタルな気分になってしまう。
そんなボクの顔を隣から覗き込み、レヴィは突然人差し指でボクの頬を突付いた。
「……一応聞いていいかな?」
「はい」
「何をしているのかな」
「いえ、ウラの表情がどうも浮かない様子でしたので、ほぐして差し上げようかと」
余計なお世話だこの野郎。
「ところでウラ。 スペースシャトルとは?」
物を知っているのか知らないのか良くわからない奴だ。 きっと知らない事の方が多いのだろうけど。
「宇宙に行く為の乗り物……らしいよ」
「らしい、とは?」
「判らないんだ。 宇宙に行った事なんてないし、宇宙に行った人の話も聞いた事がない。 この街から出る事が出来るのはね……政府関係者か、FRESやOZみたいな大企業のごく一部だけ。 そうじゃないボクらみたいなどこにでもいるような一般人は、街からは出られないんだ」
この街は広い。 でも、とても閉鎖的で……。 だから、狭いんだ。
勿論、この街という一つの世界は完成されていて、何不自由なく生きていけるけれど。 とても安定しているけれど。 でも、多分楽しくはない。
どうして皆そんな風に何も気にせず生きていけるのだろう? 外の世界は気にならないのか? このままずっとこんな閉ざされた場所で暮らしていけるのか?
様々な不安や疑問がある。 いや、あった。 子供の頃は外の世界に憧れてを持っていた。 いつかこの世界の作り物の空をぶち破って、本当の空へ――。 そんな事を夢見ていた。
だから、作ってみたかった。 作ってみたくなった。 変えてみたかったのかもしれない。 信じていたのか。 夢見ていたのか。 何であれ今となっては馬鹿馬鹿しい話だ。
「二人で見よう見まねでね。 昔から機械弄りだけは得意だったから、なんとなく作ってたんだ。 結局完成しなかったけど」
「何故、完成させないんですか?」
「何故って……馬鹿馬鹿しいだろ? そもそも法律で決まってる。 未許可で外に出たら捕まっちゃうよ。 それに、子供がシャトルなんて作れるわけないだろ? そもそも作ったとしてどこに行くのかもわからないし、無計画にも程があるよ。 子供だったって事」
「でも――ウラはまだ、あれに思い入れがあるのでしょう?」
一瞬、真っ直ぐなその視線に気圧されてしまった気がした。
その視線は当たり前のように、その言葉は当たり前のように、ボクに本心を擽る。
それが堪らなく嫌で、自然と目を逸らしていた。 言われなくても判っている事を、他人にあれこれ言われるのはいい気分じゃなかった。
「冗談言うなよ。 思いだけで現実が変えられるわけないだろ。 今の生活だって気に入ってる。 ボクはこれでいいんだ」
まるで言い訳だった。 いや、きっと言い訳そのものだ。 それもレヴィに対してじゃない。 きっとボクがその言い訳を聞かせているのは――。
思い出に背を向け歩き出すと、レヴィも後ろを付いて歩いていた。 先ほどまで周りが見えずはしゃぎ回っていた子供のような彼女が何故、神妙な面持ちでボクの半歩後ろを付いてくるのか。
それは彼女なりの気遣いのような気がした。 振り返って顔を見るのが怖くて、ボクは結局工房に戻るまでの間、一度たりとも振り返る事はなかった。
「それでもウラは、立派だと思います。 努力をしたのであれば、きっと。 無意味などでは無かったのだと」
レヴィの慰めのような台詞に何故かボクは苛立っていた。
だってそうだろ? やり遂げられなかった努力なんて、何の価値もないのだから――。
「――――で、ここが待ち合わせ場所と」
バイクのエンジンを止め、キーを抜く。 FRES社から依頼を受け、準備を整えているうちに約束の時間はとっくに過ぎてしまっていた。
三十分以上の遅刻をしても、男に悪びれる素振りは皆無だった。 FRES社ビルがある中央オフィス街とは打って変わっていかにも柄の悪い人間が出入りしそうなスラム街のバーに足を踏み入れる。 店の名前は『Weit』。 男にとっては馴染みの店だった。
理由は単純明快。 男の自宅はこのスラム街の一角にある。 FRESビル内にも部屋を与えられてはいるものの、基本的に清潔すぎる空間は男の好みではなかった。
元々スラム街の出身である事、孤児である事、腕っ節だけで今まで生きてきた暴力的な過去を顧みれば、その性格が出来上がる事は特に不自然ではない。
自動ドアを潜り抜けるときついアルコールの匂いが鼻につき、煙草の煙が視界を遮る。 しかし男は慣れたもので、店主の親爺に軽く挨拶をしてカウンター席に座った。
バー『Weit』、そのカウンター席の奥から二番目。 それが待ち合わせ相手が座っているはずの席だった。 しかし男はその場で首を傾げ、目の前の人物と資料とを何度も視線を行き来させる。
「あんた、ちょっといいか?」
「はっ、はいっ!?」
声をかけた相手は女性だった。 いかにも育ちの良さそうな風貌、高級スーツを身に纏い、黒縁の冴えない眼鏡をかけている。 素っ頓狂な声を上げる女性を見て、男は再び資料に目をやる。
「FRES社が送り込んできた、今回オレとチームを組んで行動する社員は一名。 奪われた極秘兵器に詳しい科学者で、所属部署は非公開……。 これ、もしかしてあんたの事?」
「は、はい、恐らく……。 という事は、貴方が……?」
「……オーケエ、ちょっと待ってくれ」
慌てて立ち上がる女性を席に着かせ、男は踵を返す。 店の外に飛び出すと、即座に端末を取り出し、上司であるシャッフルの番号をコールする。
「……おい! オレだ!! 何考えてんスかあんたっ!? 今回の仕事は危険だからチームを組むんでしょうが! 何でよりによってあんな育ちの良さそうなお嬢さんがオレの相棒なんだよ!?」
『……まあそろそろお前から電話が掛かってくるだろうと思っていた頃合だが、その様子だと余程気に入らないようだな』
「こっちは命賭けてるんスよ……。 あんなどう考えても足手纏いになるような奴、絶対に連れて行きたくねえ。 映画とかだと逃げてる途中に転んだりして足引っ張るタイプじゃねえか」
『ムービーの話はともかく、彼女は非常に優秀な科学者だ。 上からも念を押して彼女とお前、二人で仕事に当たるようにと釘を刺されている』
「他に増援は!?」
『ない』
「あの女だけでも帰すのは!?」
『無理だ。 その上、彼女の身に何かあったらお前はクビだそうだ』
「理不尽極まりねえッ!?」
『兎に角そういう事だ。 詳細は彼女に尋ねろ。 せっかく待ち合わせ場所はお前に合わせてくれたんだ、しっかりエスコートする事だ。 以上』
「エスコー……おい!? シャッフル!? きっ……切りやがった……っ」
その場で頭を抱え込み、怒りで沸騰しそうになる頭を何とかクールダウンさせる。 落ち着け、今ここでキレて本社に行っても意味のない事だ。 問題があるようならば、それを口実に抗議すればいい。 何度も繰り返し自分にそう言い聞かせた。
少しだけ落ち着きを取り戻した男はしかし不機嫌そうにずかずかと大股でWeitに戻る。 店内に入って女に視線を向けると、今まさに柄の悪い男たちに囲まれているところだった。
「あ、あのう……! 私これから仕事があるので……そのう……」
歯切れの悪い言葉を口にしながら鞄で顔を隠している女を見て、男は盛大に溜息を漏らした。
背後から男たちに駆け寄り、有無を言わさず蹴り飛ばす。 男の一人が空中を捻りながら飛んで行き、窓ガラスを突き破って外に転がり出た。
「ひゃああっ! 暴力反対! 暴力反対っ!!」
「うるっせえ!! 何ナンパされてんだコラァッ!!」
「ひゃあああっ!! ごめんなさいごめんなさい! もうナンパされないようにするから許してーっ!」
それは自分の意思とは関係ないのでは? と男も思ったがそれは口にしなかった。 周囲の客たちは争い事が日常化しているのか、気にしている者は一人も居なかった。
窓の外に仲間が吹っ飛んで行く様子と男の顔を見て、悪党連中はその場から走り去っていった。 地元だけあり、男は店で顔も利く。 店主の親爺も、多少のトラブルなら自分で何とかするだろうと思い、あえて何も言わないで見ていたくらいで。
「おい女……。 名前は?」
「な、ナンパしないでください!」
「違う!! 仕事のパートナーとして兎に角名称不明じゃお話にならねえだろうが! コミュニケーション取る気あんのか……? イライラするなあもう!」
「あ、えっと……。 宇宙開発特務室所属、マリー・コンラッドです」
「…………なあ、お前所属は極秘なんじゃなかったっけ? オレの気のせいか?」
「あっ!! しょ、所属は極秘なので忘れてください……っ!! そ、そんな事よりも貴方の方は?」
「オレはゼン。 偽名だが、ガキの頃からずっとこの名前だ。 ファミリーネームはないから呼び捨てでいいぜ、コンラッドさん」
無愛想な表情のままゼンが手を差し伸べる。 マリーはそれが何なのか理解出来ないと言った様子でその手のひらをじろじろと見つめていた。
「あの、これは何でしょう?」
「握手だよ、握手っ!! ああもう、イライラするなあっ!!」
「イライラしないでください! よ、宜しくお願いします!」
「はいはいよろしくよろしく」
恐る恐るその手を取ったマリー。 二人はゆっくりと握手を交わし、それから手を離した。
男性の手を握った事が無かったマリーはしばらく自分の手を赤面しながら眺めていたが、ゼンは勝手に酒を注文していた。
「ところでゼン。 割れた窓ガラスの分はツケておくからな」
「うるせえ爺。 嫌なら自分で仲裁しろよ。 いくら治安悪くても酒場でのルールってもんがあんだろが」
「そうだな。 だが、余りにもこう、育ちの良さそうな嬢ちゃんが座っているもんだから、どう接したら良いのかわからなくてな。 ケバい化粧の風俗女の方が俄然落ち着く」
「そりゃ違いねえ。 ……って、お前は手相でも見てるのか? いい加減会話しようぜ、会話」
「はあっ!? そ、そうですね……。 ええと、とにかく何から話しましょうか……」
ちらりと周囲を気にするマリー。 その様子を見てゼンは苦笑する。
「みんなろくでもない話してるから気にするな。 ここじゃみんな『聞かなかった事にする』のが暗黙の了解だ。 それが出来なきゃ恨み報復の大バーゲンだ。 皆よく聞けばイケナイお話してるんだからよ」
「そ、そうですか。 では……」
一拍置き、マリーは胸に手を当て深く息を吸い込む。 そこまでして覚悟を決めるような事でもないだろうと苦笑しながらゼンがグラスを傾けていると、意を決しマリーは口を開いた。
「――――私たちが追っている兵器が悪用されたのなら、この世界は崩壊します」
その一言はゼンが口に含んでいたウォッカを噴出すのに十分至る内容だった。
そしてその直撃を受けた親爺も目を丸くしてマリーを見つめている。 しかし、マリーのその至って真剣な表情が、嘘や冗談の類ではない事を強く物語っていた。
「ゼンさん。 これから私と貴方は、この世界を守る為の戦いを始めなければならないんです。 たった、二人だけで……」
神妙な面持ちで語るマリー。 ゼンは口元を拭うと、眉を潜めて彼女に向き合った。
「……話を聞こうか」
――二人の追跡劇が、今始まろうとしていた。