REV.14
遥か彼方、地球を望むその場所にレヴィアンクロウは磔にされていた。
フロンティアの塔。 その最上階に広がる空間の向こうには巨大な地球が回転し、まるで聖堂のようなその場所でR2はレヴィアンクロウを見上げていた。
「…………R2、と言いましたか。 貴方はマリーをマスターとして認めているのですか? もう一人の私……。 意思もなく、誰かに従って生きるのは楽しいですか?」
無論R2は答えない。 レヴィアンクロウを模造して生み出されたとは言え、そこにレヴィアンクロウのような感情を初めとする無駄な要素は一切存在しない。
微動だにせずただ静かにレヴィアンクロウを見上げる黒い影。 それでもレヴィアンクロウは小さく語りかける。
「貴方が生まれてきたのは……。 そうして誰かの言い成りになって、両手を血で染める事なのですか?」
レヴィアンクロウの言葉を耳にし、R2はゆっくりとした動作で自らの両手を見下ろす。
その白すぎる指先からは絶え間なく鮮血が零れ落ち、白い部屋に赤い血溜まりを作っていく。
振り返るその先には夥しい量の血に染められた死体が転がっていた。 このフロンティアを制御する人間たちを殺戮するように命じられ、政府もFRESという会社さえも破壊し、R2はただマリーの言葉に全て従ってきた。
背後に広がるのは血に染まった悲しい道。 それでもR2は何も感じてはいない。 主が世界の全てを裏切り、破滅を誘う存在であるとしても、彼女には関係がなかった。
再びバイザー越しに触れ合う二人の視線。 レヴィアンクロウはそっと目を細め、涙を流した。
「……悲しいのね、貴方は」
R2には理解出来ないその暖かく頬を伝う何か。 ただそれをじっと見つめ、記録する。
「無駄なことだよ、レヴィ。 その子は感情なんて持っていないし、自分の意思なんて存在しない。 お人形にいくら話しかけたって意味なんかないでしょ?」
扉が開き、光の中から現れたマリーが笑う。 そのマリーを見下ろし、レヴィはR2を見るのと同じく悲しげな色を宿した瞳で言った。
「FRESでも、人類の為でもなく……。 それでは貴方がしようとしている事は……? 何が望みなのですか?」
「知りたいの」
冷たい瞳が地球を見下ろす。
「ただ、知りたかっただけ」
そして見上げた視線は悲しく笑い、レヴィアンクロウを捕らえる。
「貴方ならそれに答えてくれるのでしょう? だから私は、貴方を使って扉を開くの」
両手を広げ、にっこりと微笑むその姿はどこか背徳的で、かつ狂気に満ちている。
「レヴィアンクロウ、貴方は歴史なの。 人の声。 魂。 時の記録。 世界の答え。 それら全てを凝縮した存在。 そして、地球への道を開く鍵になる。 先人が星を閉ざしたのは何故? 先人が貴方を残したのは何故? ねえ、それを知る事が出来たら……またあの蒼い星で生きてもいいよね」
「可哀想な人……」
レヴィの呟きにマリーの表情が固まった。
「貴方はとても可哀想です、マリー……。 何故貴方が、人という生き物全ての責任を背負おうとしているのですか? 貴方一人が背負うべきものではく、それは人類皆で悩み苦しみ考えるべきものでしょう」
「………………」
高く広げていた両手がだらりと落ち、レヴィに背を向けたマリーは首を横に振る。
「誰も、考えないからだよ。 苦しみも悲しみも。 未来も過去も、皆忘れちゃってるから。 だからそれを思い出させなきゃならない。 これからも人が生きていく為に」
「貴方の理由は、それだけですか……?」
思わず唇をかみ締め、拳を振るわせるマリー。 その唇が何かを紡ぎだそうとした瞬間、異変は起こった。
鳴り響く警報。 直ぐに端末に問い合わせると、塔の内部に侵入者が現れた事がわかる。 その見知った三つの顔に思わずマリーは声を震わせる。
「どうして、追って来ちゃうの……っ」
目に溜めた涙を拭う事も泣く、マリーは警戒システムを作動させる。 ありとあらゆる隔壁を封鎖し、何人たりとも立ち入れない。 塔内部のあらゆる警備システムを総動員し、侵入者の排除を行う。
「R2! レヴィアンクロウからのダウンロードを急いで!」
R2がじっとレヴィを見つめたままその場で立ち尽くしていた理由。 それはレヴィアンクロウと直接接続する事により、そのデータを吸い出している所為であった。
つまりその間、僅かな時間と言えどもR2は戦闘を行う事が出来ない。 既に何日も続けられているダウンロードがもう直ぐ終了するという時にやってきた侵入者の間の悪さに上品なマリーでも舌打ちをしたくなる。
そして一生懸命に閉じ続ける隔壁が次々とこじ開けられ、監視カメラが封じられていく事に気づいた時、マリーの指先は止まっていた。
「…………えっ?」
思わず冷や汗が零れ落ちる。 もう一度コントロールシステムにアクセスしようとした瞬間、権利者権限によってそれが封じられている事実を知る。
状況を飲み込めないマリーの視線の先、まだ生きている監視カメラに警備のロボットを破壊して突き進むイクスの姿が見えた。
「どう、して……?」
マリーは知っていた。 かつてこの塔――フロンティアのコントロールルームの警備プログラムを組んだのは他でもないイクスであったことを。
その天才がくみ上げた警備プログラムに、マリーは自分の持てる力全てを注ぎ込み強化を済ませていた。 およそどんな天才でさえ難解なその障壁は、少なくともダウンロードまでの時間を稼ぐには十分すぎるはずだった。
それが目の前で見る見る内に書き換えられていくではないか。 ありえない状況に瞳が揺れ、息が詰まる。
「何が……何が起きているの!?」
改変を阻止しようと必死で立ち向かうマリー。 目には見えないところで何者かが戦いを挑んできている。
その相手の持つ力は恐ろしく強固で、凄まじい勢いを持っている。 目には見えない気迫に圧され、もう一度カメラを見る。
そこには確かに稀代の天才イクスの姿があった。 隣ではゼンがナイフでロボットを切断している。
おかしい。 おかしい。 おかしい。 相手が天才イクスであればまだ話はわかる。 それでもありえないこの状況にある程度の信憑性を持たせる事が出来る。
それでも、相手は違う。 イクスではないのならば誰と。 誰と戦っているというのか。
「止まらない……!? 止められないっ!? 何で!? どうしてっ!?」
絶叫しコンソールに両の拳を叩き付けるマリー。
そうしてたった一人だけ、思い当たる可能性が脳裏を過ぎり、自分で思い浮かべたというのに余りにも馬鹿げた仮定に思わず笑みが零れる。
ありえない。 ありえない。 ありえない。 何度でも心の中で囁くだろうその言葉。 しかし現実は確かに、彼女の中で確信される。
「嘘でしょ……? こんな……こんな天才がいるだなんて――!」
「ゼン! イクス! 右の隔壁を下ろすから、右側の敵は無視して! 正面を突破するよ!! 隔壁封鎖まであと十秒ッ!!」
猛然と突き進む二人の遥か後方。 管理塔の入り口付近に腰掛けインカムを装備したウラがノートパソコンを操作していた。
とても小さなノートパソコン。 そのたった一台だけで、少年は世界を壊そうとする天才に立ち向かっていた。
その両手は人間技からかけ離れたように動き続け、目は超高速で情報を捉え脳はそれを即座に処理する。
尋常ではない気迫だった。 全身汗だくになり、指が攣りそうな状況で少年は戦い続ける。 その戦い方こそ、少年に許された最後の戦場だったから。
彼は強くはない。 決して強くはない。 機械の身体も大きな武器も、技術も持ち合わせないただの子供だ。
そんな少年にも出来る事は確かにあった。 まるでこの瞬間、この時の為に神に与えられたかのような、たった一つの才能と磨き上げた努力。
ただ一つの願いを叶える為、少年は扉を叩く。 懸命に、懸命に。
世界の。 自分の。 仲間の。 未来の。 過去の。 そして何より、彼女の――。
「――――ウラ」
それは種も仕掛けもない、純粋な奇跡。
通じ合った心は確かに届いた。 ケーブルなど引かずとも良い。 本当の思いは、離れていても届く。
嬉しそうに笑うレヴィアンクロウを見上げ、R2の瞳は淡く輝いたように見えた。
REV.13
「…………末恐ろしいわね」
それはイクスの素直な感想だった。
決して容易いはずのないたった三人だけでの戦い。 いかにゼンとイクスが優れた戦闘能力を持つ人間だとしても、無理という言葉が確固たる存在感を示すこの瞬間、不可能を可能に。 空想を現実に。 そんな風に変えてしまうのは、たった一人の少年だった。
残る一生の内、あと何度これだけの奇跡を目にする事が出来るだろうか。 力が無くて。 素直になれなくて。 夢を捨てきれなくて。 自らを諦めていて。 ただただあとは終わっていくだけの人生の少年が、強い瞳で導く未来への道。
ただただ真っ直ぐに。 背後を振り返ることはしない。 イクスもゼンも理解しているのだ。 ウラのサポートは、決して途切れないし間違わないのだと。
多くの天才が集うFRESに居たイクスでさえ冷や汗をかくような天才を超える天才の存在。 神でさえ活目するこの刹那、この世の主人公は間違いなくウラだった。
「ったく、大した奴だよ! あいつはっ!!」
「嬉しそうね、ゼン」
「ああ、嬉しいさ……! あいつがあれだけ頑張って、一生懸命に戦ってるんだ! 負ける気なんかこれっぽっちもしやしねえッ!!」
マリーは警戒システムを作動しているはず。 それが自分の手で生み出された物であることをイクスは記憶している。
もしもこれだけの速さでそれを踏破しているとするのならば。 ウラはイクスさえ越える力を持つ事になる。
その才能と実力を一体何処で拾ったのかは判らなかったが、少なくとも自分の作戦は――見立ては間違っていなかったのだとイクスは知る。
十歳にも満たない子供が、ロケットを設計して作ろうとしたという驚くべき事実。 そしてその子供が作った精巧な設計図を見て、イクスは驚愕した。
一度失敗して、中断してしまった? 当たり前だ、成功するはずがない。 子供に設計できるほど、ロケットは容易いものではないのだ。
だというのに。 それは、たった一点の失敗を除けば完璧だった。 何度見直し荒を探しても文句の点けようのない、奇跡の図面だった。
イクスは天才である。 十歳にして既に大人を凌駕する頭脳を持っていた。 イクスはその後も勉強を怠ることはなく、成長し続けてきた。
しかしそれでも。 成長したイクスがかつて生み出したシステムでさえも。 マリーの直接操作でさえも、ウラを阻む事は出来なかった。
背筋に寒気が走るほど驚愕の事実。 その片鱗にイクスは全てを賭けた。 イクスの設計した防衛システムを解除するには当然イクスがそれに当たるものだろう。 しかしそれでもあえてイクスはウラにそれをやらせた。
才能を見抜いたその判断も見事の一言ではあったが、それでもイクスはウラを賞賛したい気持ちでいっぱいだった。
二人がコントロールルームに辿り着くのにそう時間はかからなかった。 扉を開いたイクスは拳銃を構え、マリーに駆け寄る。
「マリィイイイイイ――――ッッ!!!!」
「イクス……ッ!! 君は、」
乾いた音が響き渡った。
思い切り平手でマリーの顔を打ちつけたイクスは様々な感情を込めた瞳でマリーを見つめ、胸倉を掴み上げる
銃に伸ばされるマリーの手をイクスは押さえつけ、抱きしめるようにマリーを拘束する。 そのイクスの動作にマリーの瞳は見開かれ、そして大きく口が開かれた。
「あぁるつうっ!! あーるつうっ!!!! ダウンロード中断!! 戦闘状態に移行っっっっ!!」
「もう終わりだ、マリー……。 これは時間との勝負だったんだよ」
視線の先、がくがくと全身を震わせながら膝を突き動かなくなるR2の姿があった。
火花を散らすR2の首元。 そこに繋がれていたはずの無数のケーブルはゼンの手によって引き抜かれていた。
情報を解析しダウンロードを行っていたR2のケーブルを強引に引き抜いた事により、R2は一種のショック状態に陥っていた。 まるで動く気配の無いそれを目にし、マリーは必死の抵抗に出る。
「放して!! 放してイクスッ!! 放してェエエエエエッ!!」
「終わったのよマリー、もう終わったの! もう止めて!」
暴れ狂うマリーは銃を手に取り、しかしイクスはそれを拒んで必死に抱きしめ続ける。 ただ只管に抱擁を繰り返すイクスの行動は、マリーの心に大きな動揺を齎した。
本当はずっと前からこうしなければならなかったのかもしれない。 イクスはそんな事を思う。 誰かがこうして、マリーを抱きしめなければならなかった。
「今更止めてよっ!! 判ったような顔しないでよおっ!! いなく、なったくせに……! 私を置いていなくなったくせにぃいいいいいいっ!!」
「マリー……」
「傍で支えてくれるって言ったじゃないっ!! 一生どこにも行かないって言ったじゃないっ!! 約束したじゃない! あたし、イクスの事誰にも話さなかったよ!? REVの事探りに来たって話してくれた事、誰にも言わなかったよ!? アースの事もっ!! イクスが居なくなった日だって私、本当は気づいてた! 気づいてたけど黙ってたっ!! 友達だったからあっ!!」
一人だった。
マリー・コンラッド。 名字を持つという意味。 彼女は生まれた時からFRES勤務の決まっている、由緒ある存在だった。
ただ、そんな誰かに決められた運命を彼女が望んでいたのかどうかは別問題で。 マリーはいつでも、他人を求めていた。
他人に興味が無い人間は彼女の両親も同じ。 天才であれば尚の事プレッシャーも大きくなり、そして周囲との確執は深まっていく。
そんな少女がただ一人だけ出会う事の出来た分かり合える友人。 同じ天才であり、自分より劣悪な環境から実力で未来を掴もうとするイクス。
憧れた。 強烈に。 その背中がいつでも希望だった。 前をイクスが歩いてくれるから、自分も進む事が出来た。
「イクスが居なくなって、私がどれだけ悲しかったかわかる!? 寂しかったかわかる!? 信じてたのにっ!! 信じてたのにいっ!!」
「…………あたしは。 誰かを犠牲にするやり方が気に入らなかった」
「そんなのずっとそうだったじゃない! 沢山犠牲にしてきたじゃない! 私もイクスもそうだよ! 研究の過程で私たちは数え切れない罪を犯したじゃない!! 今更そんな事言われても困るよっ!! イクスがいなくなったら……ねえ、それはだって、私を否定するって事じゃないっ!!」
返す言葉も無い。 イクスも実際、マリーの事を信じていた。 それでも自分の両手を汚す事を恐れ、フロンティア計画から手を引いてしまった。
自分がやらねばならなかった、室長であるイクスがやらねばならなかった沢山の辛い決断をマリーに押し付け、逃げ出してしまった。
だから、返す言葉は無かった。 イクスは涙を流し、抱きしめる腕の力を強める。
「ごめんねマリー……。 本当に、ごめん……」
「――――ッ!?」
銃声が一発。 高らかに響き渡った。
激しく暴れるマリーの指先は引き金にかかっていた。 それが意図した物かどうかは無関係に、銃は他人の命を易々と傷つける。
苦痛に表情を歪め、肩膝をつくイクス。 腹部を弾丸が貫通した直後、ワイシャツを溢れ出る赤色が染め上げていった。
「…………イクス?」
震える声。 拳銃が力なく指先から零れ落ち、マリーはイクスの肩に触れる。
「傍に……居てあげなくちゃならなかったのにね。 あんたの事が、大事だったはずなのに……。 馬鹿ね、だからこそ、あたしの戦いにあんたを巻き込めなかった……」
「イクス……? ねえ、イクス……!?」
崩れ落ち、傷口を抑えて目を閉じるイクス。 マリーの必死の呼びかけを受け、静かに微笑を浮かべる。
「あたしも、あの夜ね……。 あんたの事、想ってたよ……。 一緒に来てって、どうして素直にいえなかったのかな……。 どうして無茶、出来なかったのかな……」
血に塗れた手でマリーの頬を撫で、蒼白な顔でしかし無邪気に笑うイクス。
それがもう、全てだった。 マリーは大声で泣き喚き、イクスを抱きしめた。 目の前で傷つき消えそうになっている命が何よりも大事で、そしてそれが悲しいほどマリーの答えだった。
「うあああああっ! イクス……ッ! イクスぅうううう……っ」
「もういいの……。 もう、こんなのは。 あたしが止めてあげるから……」
決着は悲しい泣き声でつけられたように思えた。 しかしその直後、不気味な物音に三人の視線は釘付けになった。
きりきりと、歯車の軋むような音。 崩れ落ち機能停止したはずのR2がゆっくりと立ち上がり、ゼンを認識する。
直後、何の前触れも無く蹴りを繰り出しそれを受けたゼンが派手に吹き飛んでいく。 身近な敵を排除し、次にR2が視界に捕らえたのはイクスだった。
「ど、どうして…・・・? 命令してないのに!? R2!! 止まって!! 止まりなさいっ!!」
止まらない。 黒いシルエットが揺らぎ、一瞬音速を超えるような速さまで加速し、轟音と風を引き連れマリーに迫る。
「駄目っ!!」
イクスを庇い突き飛ばしたマリーの胸をR2の細い腕が貫いた。
それは衝撃の光景だった。 絶対服従であるはずのマスターを貫くR2の貫き手。 そしてマリーが、イクスを庇ったと言う事実。
「マリー……?」
「…………神様はやっぱり、私を許しては……くれないよ」
悲痛な表情を浮かべるマリーの頬が笑顔を作るよりも早く大量の血を噴出し、鋭く抜かれたR2の腕が鮮血を周囲にぶち撒ける。
マリーの身体はそれでも崩れ落ちなかった。 血まみれになり、胸を貫かれて尚、女は自らの下僕に手を伸ばす。
「止まりなさい……あーる、つー……ぅぐっ!?」
その腕が不用意に圧し折られ、軽々と投げ飛ばされた時、マリーの身体は動かなくなった。
血の跡を濃く引きずりながらマリーの血で描かれた床の絵の上にR2は立ち、頭を抱える。 それは誰の目から見ても明白な、完全な暴走状態だった。
絶望的な状況だった。 既に敵は居なくなったというのに、兵器だけが暴走し状況を悪化させている。 使い方を間違えた道具は、誰にも予想の出来ない様子を浮かべて星に叫んでいた。
「アアアアアアアアアアアアッ!!」
獣のような絶叫に誰もが死を連想する諦めの刹那、閉ざされていた扉が音を立てて開かれた。
小さな、とても小さな影だった。 この場に居る誰よりも小さく、幼く、未熟なその人物は。 鮮血と殺意と狂気が支配するその空間において尚、冷静な口調で。
「レヴィ――」
透き通るような、優しい声で。 胸に突き刺さるような、激しい感情で。 迷いを振り払い、腕を振り下ろし、命じる。
「――――止めるよ」
――――その声をずっと待っていたかのように、蒼の少女は全身を拘束していた屈強な封印を解き放ち、ふわりと風に舞うように大地に降り立つ。
静かに目を閉じ、一呼吸。 誰もが息を呑むような美しいその動作の後、蒼の瞳を開き、主の命に応えた。
「はい、マスター」
ボロボロの身体だった。 傷だらけの少女は本来の力を出し切る事は出来ないだろう。
一度戦い、かつてのその戦いでは圧倒的な敗北と悲しい別れを突きつけられた相手に対し、それでもレヴィアンクロウが迷うことなく立ち向かう事が出来た理由。
それは他でもない。 自らが愛する人が命じた一声に従い、そして彼が見つめるこの蒼い星を背にしたステージで踊る事が出来るから。
それ以上の幸せはなく。 それ以上の喜びはなく。 それ以上の褒美はなく。 それ以上の意義はなく。 それ以上の全ては求めない。
「――――私は貴方を、破壊します」
R2の声にならない声が駆け巡る白いステージの上、少女はふわりと舞い踊る。
再びのぶつかり合い。 だがそうなればレヴィアンクロウが圧倒的に不利である事実は周知の事。 だが――――、
「レヴィ! また蹴りが来る! 掻い潜れっ!!」
頭で理解するよりも早く、少女は声にしたがっていた。
大気を切り裂くような轟音と共に繰り出されたR2のハイキック。 かつては受ける事も避ける事もままならなかったレヴィアンクロウはその足を屈んでやり過ごしていた。
想うより早く、理解するより早く、ただただ早く。 心の底から信じた声と本能に身を任せ、レヴィアンクロウはスペック差を踏破していた。
繰り出された反撃の拳がR2の顔面を直撃し、銀色のバイザーは木っ端微塵に砕け散る。
その向こう、見開かれた真紅の瞳がレヴィアンクロウに確かな憎しみを抱いていた。
「――――かかって来なさい」
低く、冷めたレヴィアンクロウの声。 直後黒と蒼の影は風と共にぶつかり合った。