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2:逃走する斜陽

まだ長いなあ…。


真夏の熱線に汗を滲ませながら、俺は双菜を連れて来た道を引き返していた。

____気のせいか、普段より人の往来が少ないように見える。もしかしてもう避難したのだろうか。


「…ねえ、どこ向かってるの」


未だに狼狽を隠せない面持ちでそう聞く双菜に俺は、


「俺んちだ」


と手短に答えると、「そう…」と呟き心ここにあらずといった表情で顔を俯かせた。

恐らく、家族のことが心配なのだろう。双菜の両親は共働きで、そして二人共勤務地は現在動乱の真っ只中にある東京である。

動画ではまだ奴らは、そこまで多くなかったようだが____今となっては、既に東京が壊滅寸前に瀕していても可笑しくはない。そんな奴らの檻の中から脱出するには、相当な運と勇気がいるだろう。正直に言ってしまえばとても難しい。


しかし、双菜には薄情と思われるかもしれないが、こちらにも俺の予想だとそこまで余裕は無いと思っている。

何せ動画中では奴らが健常者に噛み付くと、5秒もしない間に健常者も奴らへと異常変化していた。つまり、仮にこれをウイルスの仕業だと仮定したら、このウイルスの感染速度は頭が狂っているのだ。

それに奴らは足も速い、動画ではアスリート選手ぐらい足の回る奴もいた。それを考慮すると、感染速度は更に速い可能性もある。


「ね、ねえ、あれってイタズラじゃない…のかな」


「俺もそう思いたいけどな。断定材料が多すぎる。幾ら何でも、非常事態宣言に投稿サイトの暴動動画、それに東京に住む上野の警告の電話。…タイミングがここまで重なってると、到底嘘だと思えない」


「で、でも、もしかしたら…」


「確かに非常事態宣言以外は超低確率で重なった冗談かもしれないけどな、だがもしこれが本当なら俺達は間違いなく死ぬ」


「……っ!」


忽ち双菜の顔が青ざめる。

けれど、このくらい言わないとこいつは動かないだろう。無駄に頑固なところがあるのだ。



緊張感に満ちた空間を保ちつつ、会話も以降なく20分ほど歩き終えると、俺の家へと着いた。ポケットから鍵を取り出し、ガチャンと音が鳴るのを確認して扉を開ける。


すると、玄関で大荷物を纏めている男の姿が目に入ってきた。


「成人か。待っていた…」


「夏樹さん、荷物やってくれてサンキューな」


「まだもう少し掛かるがな、双菜も久しぶりだな…」


「はい、お久しぶりです…」


クールな口ぶりで受け答えするこの男性は、俺の年の離れた従兄の天野夏樹だ。

何でも元外銀マンの超エリートだったのだが、去年何故か自主辞職してからはこの地元にある中小企業で働くサラリーマンである。また夏樹さんは、家が親父が単身赴任、お袋が昼間はOLとして働きに出ているので、俺の面倒を見ることを条件に勤め先から程近い家に居候している。因みに先程メールを送った相手というのも夏樹さんで、避難に必要な物を纏めておいて欲しいと伝えていたのだが…この分だと俺がメールする前からやっていたのだろう。流石夏樹さん、クールガイだ。


「まあ…成人と双菜はリビングで待ってろ。5分で行く」


「じゃあお願いするわ」


「お、お願いします」


俺はそのまま夏樹さんの横を通り過ぎ、双菜は丁寧にペコリと1回お辞儀をしてから通ると、リビングへと入る。


リビングの冷房は付けっぱなしで、外から帰ってきた俺には癒やしの概念の起源はエアコンなんじゃないかと本気で思えてしまう。


俺はコップを三人分出すと、氷を入れて机に置く。それに手慣れた手付きで双菜が冷蔵庫から出したお茶を注ぎ込む。


「…ふはーっ、生き還るわー!」


頭のてっぺんから足の先っちょまで熱せられた身体がヒンヤリとした温度に包まれ、とても心地の良い気分になる。何となく思考も引き締まったようにも感じた。やはり夏の冷えたお茶こそ至高である。


「なあ、本当に大丈夫か?」


冷えたお茶など相手にせず、依然として沈黙を貫く双菜が気になって俺は思わず声をかけた。

双菜は物憂げに表情を曇らせながら、一拍おくと


「…うん、平気だから…」


その言葉は、俺には自分を無理に鼓舞しているように思えた。




数分程すると、夏樹さんが玄関から戻ってきて突然机上に一面の日本地図を広げた。


「どうしたの夏樹さん?」


地図は比較的新しいもののようで、右端には2年前に作られた事を表す記述がある。そのわりには細かな皺が所々にあったり、新たに作っただろう折り目があったりと、かなり使い古された印がある。夏樹さんの私物だろうか。


夏樹さんは手元にある、冷えたお茶の入ったコップで一度喉を潤すと、真剣な眼差しで地図を見据えた。


「成人、双菜。今俺たちはここにいる」


云い、神奈川県の太平洋に面する街____俺達の住む鶴巻市を指差す。

次に夏樹さんは東京都に×印を付け、それに面している神奈川県と埼玉県、千葉県の市町村にも×を付けた。これは、奴らが確認された地域だろうか。


「先程ニュースで、鉄道各線は既に動いていないらしいことを聞いた。それと一緒にもう川崎市でも事の中心である、奴らが暴れているとも聞いた。…恐らく、もうこの市にもいると思う」


「それ、ほ、本当なんですか!?」


「ああ。少なくとも時間が無いのは確かだ」


夏樹さんは黒ペンで地図に線を書き込む、線上を追ってみると現在地から箱根を通りそのまま中国地方へと引かれる線や、ここから茅ヶ崎まで行った後に神奈川を縦断し、山梨、群馬、新潟を通り東北地方まで引かれる線、そこから分岐して北海道まで引かれる線もあった。

_____これは、避難ルートだろうか。流石エリート路線を歩んでいた夏樹さん、頭の回転が早い。

だがそれだけに何で一流企業を自主退職してしまったのか、どうにも引っ掛かりを覚えざるを得ない。これまでも何度か聞こうとして聞かなかったが、夏樹さんはどうして会社を辞めたのだろうか。


_____いや、今はそんな事を考えてる場合じゃないな。

そう考えると、気を取り直して地図を眺める。


改めてよく見ると中国地方まで書かれた線は、鳥取県と島根県にで途切れていた。東北地方への線は、北海道をまで行く線を除けば岩手県で止まっている。


「どうしたんだ成人?」


「…なあ夏樹さん、これ。何で島根県とか岩手県で止まってるんだ?別に国内の離島に避難してもいいだろ?」


それこそ、この付近なら伊豆大島とかもあるしそれでも良いはずだ。

そう告げると、夏樹さんは難しい顔をした。


「確かに一つの手ではある…しかし、色々と問題が多い。移動手段である船や飛行機がまだ動いてるかどうかも懸念材料だが、何よりも避難した先であの暴動が起きたら一気に推理小説であるような、所謂クローズドアイランドになってしまう」


「なるほど…」


もし奴らが暴動を起こしたら俺たちの逃げ場が無くなってしまう、そう夏樹さんは考えているのだろう。

それは逃走経路を重視した考え方で、提案した俺も撤回する事に異議はない。


「あと岩手県と島根県で線を止めてる理由だったな。どうやら説明するまでもなくこの線が避難経路って事は理解してるようだな」


「…私は、分からなかったです」


「いやまあ、今知ってくれたならそれで良い。とにかくだ、これからこの3つの県のどれかに避難しようと思っているの一番最善だと俺は思う」


「因みにその判断基準は何なんだ夏樹さん」


「人口密度、それに土地に対しての道路整備率の少ない県だ。この三県はどれもその数値が少ない、つまり奴らが来るとしてもかなり時間が稼げると言える」


人口密度が少なければ奴らの数も少ないのは当然として、道路が整備されてなければ奴らが来るのも難しくなる。


それに双菜が疑問の声を上げた。


「…夏樹さん、なるべく遠くに逃げるんじゃ駄目なんですか?今確認されてる暴動が東京を中心としたものだけなら、九州の、それこそ鹿児島とかに避難しちゃえば何とかなるんじゃ…」


「いや、距離をとっても無駄だろう。まだ暴動がニュースになって2時間も経っていないのに拘らず東京はもう落ちかけている。少しくらい奴らから逃げることは出来ても、直ぐに追いつかれる」


「じゃあここに篭るのはどうなんですか…?」


「選択肢のうちの一つではあるが…無謀だ。奴らの生態も分からない、収束する目処も建っていない。加えて食糧も心許なく、インフラだっていつ落ちるか分からない」


淡々と、双菜の疑問に答える夏樹さん。言葉尽きたのか、双菜はそのまま下を向いた。

____やっぱり両親のことが心配なのだろう。だけど今は脱出できたことを祈ることくらいしか出来ない。俺たちの置かれたこの現状も、峻厳、そう表現しなくてはならないくらい危険だからだ。


良く見れば双菜はプルプルと全身を震わせていた。

____もしかして、泣いている…のだろうか。


「………大丈夫だ…きっと、何とかなる…」


俺はそう、自分にも言い聞かせるように双菜の肩に手を置き、夏樹さんの方を見据える。

夏樹さんは不安感情と言うものがまるで欠落してるみたいに冷静で、毅然と地図を見ていた。しかしそれが不気味という訳ではなく、寧ろその姿は普段以上にとても頼りになるもので____


「夏樹さん。岩手県を、目指そう」


「…そうだな。俺も今そう考えてた」


正直東京を通らないと言っても、神奈川県でも大きな町である藤沢や町田近郊を通らなくてはならない。が、中国地方まで苦心して逃げるよりは岩手の方が遥かに距離は近い。それに岩手が無理だったとしても更にセーフティエリアのありそうな北海道へどうにか逃げる、と言う選択肢だって取れなくはない。最善かどうかは明言できないが、次善くらいの選択肢ではあるはずだ。


すると夏樹さんは手早く地図を折り畳み始める。そして、上着を脱ぐと黒いT-シャツに翠玉の埋め込まれた銀色の十字架のみの、ラフな格好になった。これだけ見ると原宿で歩いてそうな少しチャラく話しやすそうなイケメンなのだが…これで常時能面で無口なのだから何と言うか、勿体無いというか。


「成人、双菜、荷物は纏まってる。準備が出来たら出るぞ」


「…は、はい」


「了解、夏樹さん」


俺は自分の身の回りの大事な物だけでも取ってこようと部屋に戻ろうとして、


「そういや双菜、何か自分の家から取ってきたい大事なものとかあるか?」


「…ううん、大丈夫」


「…そうか。なら良いんだけどな」











未だ肌を全て焼き尽くさんとばかりに勢いづく真夏の斜光に、何ともウンザリとした気持ちになるのは仕方のないことだろう。外気に触れた瞬間頭が茹で上がりそうだ、帽子でも持ってくれば良かった…そんな下らない後悔すら頭に浮き上がる。


20分と少し経ったあと、俺は家の前で自分の家に鍵を掛けていた。後ろには大荷物のリュックを背負った夏樹さん、同じく登山用リュックを背負いそして傘を持った双菜がいた。


「…行くぞ」


そう夏樹さんに言われ、俺と双菜はなるべく音を立てないよう静かに道を歩き始める。




出発する直前、夏樹さんから双菜と共に注意を受けた。


「…これから、岩手を目指すために俺の車のある月極駐車場まで行く。そこで気を付けることが数点ある」


まず、と夏樹さんは口を開く。


「奴らが何に反応しているのか分からない以上、生き残る為には音を慎み臭いも控え目に、奴らの視覚内にも入らない方が良い。注意散漫にだけはなるな」


普段口数が少なく、誰かに指示をすることもない夏樹さんが告げたことは合理的で最もなことだった。汗で臭いの染み付いていた俺と双菜は出発前の準備時にどちらも短時間でシャワーを浴び、服まで着替えている。


「次に基本的に接敵は避けろ。倒すことは考えるな。どうやら奴らの身体能力は、個体差はあるが基本的に極めて高い。しかも噛まれたら奴らの仲間になる、本当にどうなってんだか…」


そう言って険しい顔で唇を噛み締める。

____見たことの無い顔だ。1年近く暮らしてきて、初めて見た感情の湧き出た夏樹さんの表情。それ程に状況は差し迫って緊迫しているのだろう。


「そしてもう一つ」


「えっ…?」


夏樹さんは持っていた長柄の、先が尖った金属製の傘を双菜に渡した。それを双菜は戸惑いながら受け取る。


「もし、どうしても避けられないシチュエーションになった時、それでゾンビを押し退けて逃げろ。…本当は刺又があれば良いんだが、取り敢えずそれで代用するしかない」


その傘はスーパーで見掛けるような、何の変哲もない普通のものだった。

…確かに包丁を振り回しても奴らを倒す事が出来るとは思えないし、他に家に奴らを致命傷に出来そうな凶器も無い。移動するときに嵩張らず、更に効果が多少でも見込めそうな武器なんて殆どないだろう。

…ゾンビゲームみたいに大量に銃とか落ちてれば楽なのにな。カラニコフとか、交番に落ちてれば世話ないのになあ。


そして、夏樹さんが最後に言おうとしたことを思い出していると、





「_____奴だ。道を迂回する」


唐突に、夏樹さんは静かに俺たちにそう云った。その言葉を合図に俺たちは電柱柱の裏に隠れる。


視線の先には、緑のエプロンを着た主婦姿の女が蹌踉めくように立っている。

しかし一番に目が行くのは胸の辺りの生々しい傷跡だ。そこだけ服が破れ、肉の表面がごっそり削られたように骨まで見えている。それに血もドクドクと流れ出していて。

…遠目で見ただけでもグロいことこの上ない。それにあの大怪我に対し何の声もなくふらつきながら、前に進んでいる以上健常な人間では無いだろう。

_____奴らの、仲間だ。


「でも、あの人…大怪我してるだけなんじゃ…」


瞬間、双菜の口を手で塞ぐと同時に背後からバイクの駆け抜けるような重厚な音が鳴り響く。それに気付いたのか、鈍重にフラついていたのが嘘のような速度で振り向くと、全速力でこちらへと向かって来た。その速さは女では考えられないくらいの速度で、アスリート選手並みにはあるんじゃないだろうか。


…おい嘘だろ…、こっちに走ってくるぞ…!


「…き…!」


「キャー」と叫ぼうとしたのだろう、それを俺は右手で更に強く双菜の口元を抑えることで何とか悲鳴を上げさせないことに成功する。しかし、微かに息の漏れる声は出てしまった…万事休すか…!


死ぬかもしれないという恐怖に硬直した身体で身構えていると、その女は俺たちの隠れる電柱には目もくれず一目散にバイクの音のする方へ走り去った。


「…どうやら、音には反応するが目は退化しているようだな…」


夏樹さんは「もうすぐそこだ」と言い、リュックを背負い直すと再び先導し始めた。


「…な、成人…離してよ」


「…あっ。わ、悪い」


どうやら俺は双菜の口を塞ぐ際に無意識にその身体を背後から抱き締めていたようだ。右手は口に、左手は胸にあったそれらを慌てて離すと、双菜は顔を林檎みたいに赤くしてこちらに見向きせず夏樹さんの後を歩き始める。


…双菜の胸、案外大きかったな…。




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