鏡の中にいたもの
鏡の中の自分が、まるで別人に見えた経験はあるだろうか?
大した話ではないが、私はつい先日、それを体験したので、暇潰し程度に聞いて欲しい。
インフルエンザに掛かってから、四日目の夜のことだ。熱はほとんどなく、身体もまったくだるくなかったので、私はいつもと同じように風呂に入ることにした。シャワーで身体を軽く流し、湯船で十分温まってから、鏡の前で頭を洗う。頭を洗いながら、ふと、あることを思い出した。
以前、某バラエティー番組で、舌の裏側の血管が黒く見える人は、血流が悪くホルモンバランスも乱れやすいという話をしていた。何故そのタイミングだったのかわからないが、私は急にそれを思い出し、目の前の鏡に自分の舌の裏側を映してみた。
案の定、血管は真っ黒だった。
ーーうわぁ。やっぱり血流が悪いのかぁ。
そんなことを思いながら、私は舌を引っ込めた。猛烈な違和感に襲われたのは、その時である。
舌を引っ込めた瞬間、鏡の中の自分と目が合った。いや、視線に捕まったと言った方が適切かもしれない。鏡の中の自分の目が、私の意識をがっちり捕らえたのだ。
一瞬だが、金縛りのように身体が動かなくなった。その時私は、鏡の中の自分の目を見たのだが、どうもそれは自分自身のものとは違って見えた。目の中に光はなく、虹彩は暗く濁って見えた。顔色もいつもと違う気がした。もはや別人というか、生きているという感じすらしないのだ。
ーーこれ、誰だ?
そう思った時、ぞわっと背筋が凍りついた。まるで、鏡の中に自分が引きずり込まれるような感覚に陥ったのだ。「やばい。乗っ取られる」大袈裟だが、そんな気さえした。
「うわっ……!」
小さな悲鳴と共に、思わず反射的に身を引いた。身体は問題なく動くようになっていた。
改めて鏡を見ると、もうさっきの違和感は消えており、いつもの冴えない自分が映っている。
それから、私は急いで風呂から上がった。
あの時、鏡の中でにいたのは誰だったのだろうか。病気の自分が見せた、幻覚だったのだろうか。