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【短編】 『味わうべきは人の想い』 シリーズ

味わうこそは人の想い

作者: Tomokazu

 日もどっぷり暮れたころ。山上に店を構えるバー『おつう』。店主のお通が看板を出していると、店に向かって歩いてくるひとりの男を見つけた。


「いらっしゃい。あら、また来てくださったの?」


 男はこの店の常連であった。



 お通は男を店内へと招き入れる。男はカウンターの中央の席に座った。ここは男の定位置といえる席だった。この場所にいると、壁際に陳列されている酒瓶をくまなく眺めることができる。酒を飲みながら、自分のまだ知らないラベルを見つけるのが、彼の楽しみであった。


「何にします。 やっぱりいつもの?」


「もちろんだ。今日はロックにしてくれ」


「はい」


 お通は金属製のシェーカーの中に、ジンをジガーほど目分量で入れ、ライムをカットして搾った。さらにバースプーンを手に取り、シロップを1tsp計って入れ、氷を数個落とす。そして、とても小気味のよい手際でシェイクし、トップタブを開けてやや緑がかった白濁液をロックグラスに流し込んだ。さらにシェーカーをばらして、中に残った氷をグラスに滑り込ませる。


 お通は上品な手つきで、「愛しの武蔵さま」という文句の入ったコースターをテーブルに置き、そこにロックグラスを乗せて男の前に差し出す。


「はい、ギムレットのロックスタイル、お待ちどうさま」


 ギムレットは本来ショートカクテルであるが、ロックスタイルで頼むのがこの男の趣向だった。男は無言でグラスを手に取り、ひとくち口に含んだ。


「ちょうどいい味だ」


「ありがとうございます」


 お通は慎ましやかにおじぎをしてみせた。その様相は育ちの良さをうかがわせる。


「ひとりで飲んでいるのは寂しい。君も何か飲みなよ」


「ありがとうございます」


「何を飲む?」


「じゃあ、私はウイスキーを」


 お通が手にとったのは、宮城峡12年のボトルだった。彼女は慣れた手つきで水割りを作り、舐めるようにそれを嗜んだ。


 まるで、想い出に浸っているように……。


「宮城峡とは。乙なもんだな」


「そうですか?」


「それに、その飲み方。まるで愛する人に想いを馳せているようだ」


 すると、お通は憂いのある瞳を宙へと落とした。


「実はこのお酒、私の想い人が今いらっしゃるところの近くで作られているお酒なんです。これを飲んでいると、まるであの人のおそばにいるようで、心が安らぐんです」


「君の恋人か。名前は…何と云ったっけ?」


 男はグラスを口もとにやりながら、ふとコースターに目を落とした。


「そうだ、ここに書いてあるのか。武蔵だ」


「そうです、武蔵さま。あの方は己の剣の道を志して各地を旅し、今は仙台に……」


 お通の瞳が輝き、いちだんと美しさが増す。男はその瞳に吸い込まれそうになった。


「一途なんだな。君ぐらいの美しさと器量ならば、もっといい男を見つけられそうなものなのに」


「いいえ、私にとってあのお方ほど素敵な方はおりません。私はいつの日かあのお方と再会できる日を心待ちにしております。どんなに時が経とうとも、きっといつか……」


「よっぽど彼を慕っているのだな。君みたいな人にそんなに想ってもらえるなんて、その武蔵という男が羨ましいよ」


 男は俯き加減に笑って、ギムレットをまたひとくち飲んだ。


「……あなたは? 素敵な方はいらっしゃらないの」


「ないね。気ままな一人旅さ」


「こちらにはいつまで?」


「いられるまで。或いは、自分の気の済むまで。でもまあ、この場所とお通さんがとても気に入ったから、もう少しはいようかなと思ってるけどね」


「あなたも旅の途中なのね」


「その通りさ。おそらく武蔵さんと一緒だよ。男は己の道や理想を求めて旅をするものさ」


「あなたの求めるものがいつか見つかるといいですね」


「そうだね。君もはやく想い人を一緒に暮らせる日がくるといいな」


「ありがとうございます。でも、まだまだ先は長そうですね」


 お通はそう云って遠い目をした。男は置いてきぼりをくらったような気がしたが、まあそれもいいさと思い、ひとり酒を煽った。



「もう一杯何か飲まれます?」


 男のギムレットが空になったので、お通は訊いた。


「そうだな……。宮城峡をロックで欲しい」


「かしこまりました」


 お通は慣れた手つきで宮城峡のロックを作り、男の前に差し出した。


 男はそれをひと口飲んだ。重厚な味わいの直後に華やかな香りが感じられる。何だか、武蔵を想うお通の気持ちになったような気がした。もちろんそれは気がしただけであろう。だが、錯覚であったとしても、人と人の気持ちを重ね合える、それが酒なのだ。


 男はグラスの中にたっぷりと注がれた、人の想いを味わっていた。





【愛しの武蔵さま】


(べんべん!)


ああ わが愛しの武蔵さま

こうして逢える日を 心より待ち望んでおりました


逢えない夜は 心は抜け殻のようで

青虫のように丸くなり 枕を濡らしておりました


剣は二刀流でも 心は一刀流のあなたさま


そんなあなたをお慕いするのですから

恋に苦しむ覚悟はできております



ただ せめて今だけは

あなたのおそばにいさせて……



(べべんべん!)


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