第9話【使者】
初陣から数日が経った。
クラスタの人口は当初の倍以上になり、復興も進んでいる。
しかし、人口の増加がもたらすのは利益ばかりではない。
「やはり、食料が足りなくなります」
補修され、何とか住めるようになった領主館の一室。
アレインが報告書を見ながら言った。
エリシアは額に手を当てる。
難民を受け入れると決めた時から、わかっていたことだった。
わかっていながら、受け入れを決めた。
「配給を減らすしかありません」
苦渋の選択。
アレインは何も言わない。
畑の収穫はまだ先。
現状では、ほかに選択肢がない。
領民と難民の間に生まれる軋轢も、想像に難くない。
その時、部屋のドアがノックされた。
「使者の方がいらしています」
「通してください」
言いながら、エリシアは姿勢を正す。
ドアを開けて通されてきたのは、ひとりの女性だった。
旅装だが、品の良い男装。
眼鏡の奥の眼光は鋭く、それでいて整った顔立ちと仕草は知性を感じさせる。
「バルツ領主の名代としてまいりました、カルラと申します」
静かな口調で告げる。
次にエリシアに視線を移し、うやうやしく礼をした。
「エリシアさまにおかれましては、ご機嫌麗しゅう。領主さまへのお目通りを願います」
「お久しぶりです。クラスタの現領主は私です」
エリシアも形式ばった礼を返す。
カルラは一瞬沈黙し、眉を上げた。
「……失礼ですが、ご息女ではなく?」
「父は先の魔物襲撃で亡くなりました」
エリシアは落ち着いた様子で答える。
カルラの表情が曇り、頭を下げる。
「これは……知らぬこととはいえ、無礼をお許しください」
「構いません」
エリシアはカルラの頭を上げさせた。
頭を上げたカルラは、窓から見える広場に視線を移す。
「難民を受け入れているようですね。人が以前の倍ほどに増えています」
「ええ。どこも魔物の脅威にさらされていますから」
「食糧品などの蓄えは?」
エリシアは答えに詰まる。
カルラはそれだけで納得したようだった。
「本題に移りましょう」
「現在、我が領の村に魔物の群れが接近しているとの情報があります」
言いながら、アレインに視線を移す。
「バルツでは対処できません」
勇者がいなければ魔物に対処することはできない。
カルラの話は、この世界では常識だった。
「そこで、バルツに勇者を貸していただきたくお願いに参りました」
それほど珍しい要求ではない。
戦えるのが勇者だけとなれば、魔物に対処するには勇者を借りるしかない。
カルラはアレインを見た。
「勇者アレイン殿。お噂はかねがね」
その言葉に含まれる意味を、アレインは理解していた。
最弱の勇者の評判が良いはずもない。
それでも、頼らざるを得ないのが現実だった。
エリシアはすぐに答えない。
傍らのアレインを見る。
「ぜひ、お力添えを」
カルラもアレインに頭を下げた。
「この件について、自分は発言する立場にありません」
この言葉に、エリシアだけでなく、カルラも驚いたような表情をする。
「勇者では?」
「現在、自分は中央評議会の命により、クラスタ防衛の任に就いております」
アレインは淡々と告げる。
「形式上、自分はエリシアさまの所有となります」
そう言って、アレインはエリシアを見る。
決めるのは領主。
クラスタの現状を鑑みれば、余裕があるわけではない。
勇者を貸し渋るのも、おかしくはない。
カルラは、値踏みをするような視線をエリシアに向ける。
エリシアはゆっくりと息を吸った。
「勇者をお貸しすることはできません」
きっぱりと告げる。
カルラが目を細めた。
「それは……」
バルツを見捨てるということ。
しかし、妥当な判断だということもカルラは理解していた。
領主には、自分の領土を守る義務がある。
「妥当でしょう。バルツも同じ判断をすると思います」
「もちろん、見捨てるつもりもありません」
エリシアが続ける。
カルラの眉が動いた。
「兵を派遣します」
カルラが沈黙し、困惑した表情を浮かべる。
「失礼ですが、お言葉の意味が……」
勇者を貸さない。
しかし、見捨てない。
この世界の常識に、そんな選択肢は存在しない。
だが、クラスタは違う。
エリシアは窓の外を手で示す。
広場には、訓練している民兵たちがいた。
「クラスタには、戦う集団――兵がいます」
「……兵?」
カルラも窓の外を見る。
粗末な武器。
農民と変わらない姿。
隊列を組み、整然と動く様子。
紛れもなく、領民と難民たち。
カルラは眉を寄せる。
「彼らは、勇者ではありませんね」
「もちろんです」
エリシアはうなずく。
「人が戦う。人は、戦えるのです」
カルラは眉根を細い指先で揉む。
まだ理解できない。
だが、何かが起こっていることは確実だった。
それも、カルラの理解の外側で。
「アレイン殿」
「はい」
「これが、あなたの戦い方ですか」
「はい」
迷いのない返事。
「……なるほど」
小さくつぶやく。
窓の外の人々を見る。
確かに武装している。
統制の取れた動きをしている。
魔物に対抗しうるかもしれない。
『しかし……』
カルラは考える。
恐れはないのか。
カルラにとっても、魔物は恐ろしい存在だった。
自分がその前に立つことなど想像もできない。
民は守られるもの。逃げるもの。
カルラは長く息を吐く。
「エリシアさま、彼らを派遣するのですか」
「はい」
迷いのない返事。
カルラはふたたび、値踏みするような視線をエリシアに投げかける。
「自らの領民に、魔物の前に立てと。その身を危険にさらせと命じるのですか」
領主とは、民を安んじるもの。
領主が率先して民を危険にさらすことなど、あってはならない。
それでも、エリシアはしっかりとうなずいた。
「必要とあらば」
エリシアの言葉を聞き、カルラは目を閉じた。
「遠征には自分も同行します」
アレインが付け加える。
「戦うのは兵ですが。必要があれば、戦います」
勇者が不要な戦いがある。
それ自体がカルラの理解を超えていた。
しかし、状況がそれを肯定している。
「率直に申し上げて、理解に苦しみます」
カルラの言葉に、エリシアも苦笑を浮かべる。
「ですよね。私もそうでした」
屈託のない朗らかな口調で言う。
驚くカルラに、エリシアは続ける。
「しかし、勇者でなくとも人は戦えます。戦う意思と、方法があれば」
「なるほど」
カルラはアレインに向き直る。
「アレイン殿。これは勇者の戦い方ではない」
非難の言葉ではない。
言葉の意味を、アレインは少しだけ考え、
「かもしれません」
とだけ、短く答えた。
カルラは初めて、少しだけ笑みを浮かべる。
「面白い」
小さくつぶやき、エリシアに向かって深々と頭を下げる。
「クラスタ領主、エリシアさまのご厚情まことに痛み入ります。
バルツ領主名代として、謹んでお借り受けます」
カルラには予感があった。
クラスタやバルツを擁するヴァルダ地方。
勢力図の片隅に小さく名が記されただけのこの場所で。
何かが変わろうとしている。
それを目撃しようとしている。
それが世界の変革であることを、
この時のカルラはまだ知らない。




