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第5話【勝たない戦い】

 潰走後の夜。


 避難区域の広場には重苦しい空気が漂っていた。


 負傷者たちがあちこちに横たわり、手当てを受けている。


 血のにおい、うめき声。


 先の戦闘の傷痕は、身体的なものばかりではない。


 グラヴィスを退けたことでわずかに灯った、反撃の意志が萎えかけていた。


 完膚なきまでの敗北。


 その意味は重い。


「やっぱり、俺たちじゃ無理だったんだ……」


 誰ともなしのつぶやきを誰も否定しない。


 沈黙が落ちる。


 その時だった。


「顔を上げなさい」


 凛とした声が響く。


 領民たちが顔を上げる。


 エリシアが立ち上がり、領民たちを見つめていた。


 エリシアも無傷ではない。それでも、その顔に諦めは浮かんでいない。


「確かに、私たちは敗れました」


 それは、誰にも否定できない事実だった。


 領民たちがうなだれる。


「しかし」


 エリシアの口調が強くなる。


「私たちは生きている。あの状況を切り抜けた。なぜか」


 領民たちがハッとしたように顔を上げる。


 エリシアはうなずいた。


「勇者さまがいたからです」


 逃げ惑う領民たちの背中を、アレインは最後まで戦場に立ち、守った。


 その様子を、領民たちははっきりと覚えている。


「勇者さまは逃げたのではありません。私たちを生かすため、退いたのです」


 ゆっくりと、言い聞かせるように、エリシアが言葉を繋げる。


「戦いを続けるために」


 領民たちの表情が、少しずつ変わっていく。


 それはまるで、エリシアの意志が伝播するように。


 エリシアは胸に手を当てる。


「私は誓いました。勇者さまと共に戦い抜くと。勇者さまが諦めない限り、私は最後まで信じます」


 その視線に、言葉に、迷いはない。


「あなたたちを。そして、勝利を」


 静寂。


 しかし、それは先ほどまでの重い沈黙ではない。


「そうだ、やるしかねぇんだ」


 誰かがつぶやく。


「逃げても、結局死ぬんだもんな……」


 伝播する。


「まだ生きてる。まだやれるんだ」


 小さな。


 とても小さな。


 今にも消え入りそうな、それでいて確かな、恐れを乗り越える意思。


 それが広がっていく。


 エリシアがその手を高く掲げる。


 領民たちも、一斉にその手を掲げた。


「聞かせてください、勇者さま」


 エリシアは振り返る。


 背後には、アレインが立っていた。


「私たちは、ここで終わるのですか」


「いいや」


 アレインが首を振る。


「まだ、手はある」


 先ほどの戦場で、アレインは敵の指揮官について考えていた。


 かなり慎重で、あらかじめ指示した内容を徹底させている。


 正直、指揮官としての能力だけならばアレインより上だろう。


 だが、付け入るスキがないわけではない。


 その慎重さだ。


 ◆ ◆ ◆


 翌朝、アレインたちは再び戦列を整える。


 アレインたちの動きに合わせて、魔物たちも前進してくる。


 やはり、小型と中型の足並みがそろっていない。


 そこがアレインの狙いだった。


「各隊、配置に着け」


 3列横隊ではなく、2列の広い隊列。


「前進」


 部隊の距離が詰まる。


 小型魔物たちが突撃を開始した。


 昨日と同じように衝突する寸前、アレインの号令が飛ぶ。


「今だ、左右前進!」


 列の左右が前に出て、小型魔物たちを中心に集める。


 瞬間的に、包囲する形になった。


 3方向を囲まれ、小型魔物たちが一瞬狼狽する。


 そのスキに、武器が突き出された。


 魔物たちの悲鳴が上がる。


「よし、よくやった。後退!」


 アレインの号令で、領民たちが退いていく。


 中型が合流するよりも早く、数体の小型を倒しただけの戦い。


 魔物たちはしばらく追ってきたが、前日の潰走と違い、統制の取れた撤退を追い詰めることができない。


 やがて、撤退していった。


 戦場には数体の魔物の死体が転がり、領民たちは完全に無傷だった。


「……おい、本当にやったぞ」


 ひとりがつぶやく。


「勇者さまじゃない、俺たちが」


 震える声。


 しかし、それは怯えではない。


 この戦場で、アレインは手を出さなかった。指示を出しただけだ。


「我々の勝利だ!」


 エリシアが高々と武器を掲げる。


 領民たちもそれに続く。


 歓声が上がる。


『それで良い』


 アレインはうなずく。


 小型魔物を数体倒しだけ。双方の戦力的には価値のない勝利。


 しかし、無価値ではない。


 それは領民たちの心境の変化だった。


 まだくすぶっている、恐怖と戦う意思。


 その小さな種火に、勝利という風を吹き込む。


「さて、どう出る?」


 アレインは、遠く、敵のはるか後方を見据えた。


 ◆ ◆ ◆


 セレスは感心を覚えると同時に、窮地に立たされていた。敵の意図を理解したからだ。


「まさか、ここまで」


 敵は、セレスと自分の違いを徹底的に利用している。


 セレスは、直接前線で指揮をとるつもりはなかった。


 グラヴィスを討ち取るほどの力量の持ち主に姿を晒すのは、まったくもって得策ではない。


 それを見透かしたように、敵はこちらの戦力を少しずつ、だが、確実に削りに来ている。


 しかも、それによって兵の士気が高まっている。練兵まで同時に行っていた。


「撤収します」


 セレスの決断は早かった。


「よろしいのですか?」


 副官の言葉に、セレスは長い髪をかき上げる。


「今の手勢であの勇者を攻略するためには、私が直接指揮をとる必要がある。それとて確実ではない」


「ならば、本隊に援軍を……」


「無駄です」


 セレスはため息を吐いた。


 それが可能ならとっくにやっている。


「何かと理由をつけて、連中は援軍を渋るでしょう。戦争に勝つことより、私怨を優先するのは目に見えています」


 副官も黙り込む。


 それが事実であることは、今までのセレスへの扱いが物語っている。


「あの新型は戦争を理解している。ならば、戦場はここだけではありません」


 セレスの判断は冷静だった。


 このまま戦闘を続けても、損耗が増える一方だろう。


 撤収の準備を進めながら、セレスは避難区域を見つめる。


「勇者が戦争を始めてしまった……急がなければ」


 軍議室にうごめく幹部たちを説得しなければならない。


 それには時間がかかるだろう。


 ならば、一刻も早く取り掛からなければ手遅れになる。


 絶対に勝てる戦争だった。


 そこに、かすかだが敗北の可能性が生まれた。


 何としてでも、排除しなければならない。


 そのためにも、ここでは死ねない。


「厄介な……」


 そのつぶやきが何に向けられたものなのかは、定かではない。




 ――こうして、アレインとセレスの初戦は終わった。


 それは、勝利と呼ぶにはあまりにも小さな戦果。


 しかし、戦争とはその小さな成果の積み重ねで決まる。

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