第3話【勇者と領主】
体が動かない。
いや、正確には動く。
動かそうとすると全身が悲鳴を上げる。
『まだ回復しないか』
目を覚ましたアレインは息を吐き、天幕を見上げる。
ベッドに寝かされているようだ。
隣に気配を感じる。
「お目覚めですか?」
柔らかな声。
視線を向けると、エリシアが椅子に腰かけていた。
赤い髪は簡素に束ねられ、ドレスの袖から伸びる指先には包帯が巻かれている。
「どれほど眠っていました?」
「半日ほどです」
「そうですか」
アレインは答え、エリシアの指先に視線を移す。
視線に気付いたのか、エリシアはそっと指先を隠した。
「申し訳ございません」
「謝らないでください」
エリシアがすかさず首を振る。
「民も、傷付きました。俺でなければ、こんなことには……」
「いいえ」
先ほどよりも強く、エリシアは否定する。
「あなたは、私たちを守ってくださいました」
「危険な戦場に立たせてしまった。俺が弱いから」
アレインの言葉を遮るように、エリシアがアレインの手を握る。
「聞いてください」
そう言って外を指さす。
テントの外からは、木を打つ音や、領民たちのにぎやかな声が聞こえる。
アレインが到着した時のような、暗く沈んだ雰囲気は感じられない。
「あなたが守ったものです」
アレインは、静かに目を閉じた。
「そう、ですか」
しばらくの静寂。
先に口を開いたのはエリシアだった。
「あの日、私は父を捨て、故郷を捨て、逃げました」
アレインは黙って聞いている。
勇者の数は限られている。
すべてを守れるわけではない。
エリシアの体験は、この世界では珍しくない。
「捨てられるものはすべて捨て、逃げ続けました。私は、民にそう命じることしかできなかった」
エリシアの声が震える。
「ご立派です」
気休めではない。
アレインは本心からそう思った。
「あなたはご自身を最弱だとおっしゃいましたね」
「……事実ですから。守るべき民を傷つけ、ひとりでは戦えない。あの場で勇者と呼ばれるのにふさわしかったのは、むしろあなたたちだ」
エリシアの求心力は見事なものだった。
戦うすべを持たない民が、彼女の号令で列をなし、抵抗する力を得た。
「いいえ、私はあなたを信じただけです」
信じるという言葉に、アレインはしばらく言葉を失った。
その言葉の意味を、噛みしめていた。
「何を根拠に」
「あなたの背中です」
エリシアは即座に答えた。
「背中?」
エリシアがうなずく。
「あの場にいた全員が、見捨てられたのだと諦めていた。でも、あなたは見捨てないとおっしゃり、敵の前に立った」
エリシアはじっとアレインを見つめる。
「その背中を見て、私はあなたを信じようと思った。勇気が湧いてきた」
勇気とは、恐れを知らないことではない。
恐れを知り、それでもなお進む意思。
「そして、あなたは私たちの大切なものを守ってくれた。命ではなく、人として生きる上で、大切なものを」
エリシアは、意を決したように強くこぶしを固める。
「だから、私も戦います。あなたが守ってくれたものを、私たち自身の手で守るために」
「民に傷つけと命じるのですか」
アレインの問いかけに、エリシアは静かにうなずく。その目に、迷いは見られない。
「私たちの勇者さまが、私たちの前に立つ限り。その背中に続きます」
アレインは体を起こそうとして、ふらつく。
とっさにエリシアがその体を支えた。
「まだ無理をなさってはいけません」
「……情けない」
アレインの脳裏に、昨日の光景がよみがえる。
傷付いた民。
悲鳴。
そして今、自分を支えるエリシアの傷だらけの手。
守るべき民を傷つけ、支えられている。
「いいえ」
エリシアが柔らかく否定する。
「確かに、無傷ではない。しかし、それは私の意志で命じたこと。あなたが負うべき責ではありません」
アレインは答えない。
「あなたに責務があるように、私にも領主としての責務があります」
ひとつひとつの言葉に、確かな意志が込められていた。
民は傷ついた。
エリシアの民が。
「そこから逃げないことを教えてくれたのは、あなたですから」
アレインはしばらく黙りこみ、やがて絞り出すようにつぶやく。
「……すまない」
「謝らないでください」
今度の否定は少しだけ強い口調だった。
「あなたは最弱の勇者ではない。クラスタに勇気を与えた、本物の勇者です」
テントの外から笑い声が聞こえる。
傷つきながらも、生きている。
アレインは目を閉じる。
「これからも戦いは続く。もっと厳しくなる」
「はい」
「今度は人が死ぬかもしれない」
「はい」
「それでも、俺を信じて、戦場に立つのか」
その問いに、エリシアは一歩も引かない。
「はい。あなたが私たちの前に立つ限り」
アレインは深いため息をついた。
どちらが守られているのかわからない。
アレインは目を開け、ベッドから起き上がる。
手を貸そうとするエリシアを制し、その前に片膝をついた。
その様子を見て、エリシアが目を見開く。
「勇者さま?」
「クラスタ領主エリシア殿。勇者アレイン、御身と民草のために戦い抜くことを誓う」
アレインの宣誓を受け、エリシアはその肩にそっと手を乗せる。
領主として宣誓を受け取ったという仕草だった。
そして、エリシアが続ける。
「クラスタ領主の名において、クラスタはその誇りを胸に勇者アレイン殿と共に戦う」
ふたりの視線が交わる。
正式の誓いとは、少しだけ異なる。
本来は勇者が領主に誓いを立てる。
しかし、エリシアも誓いを立てた。
共に歩む。
共に背負う。
共闘の誓い。
エリシアが、少しだけ照れたような笑顔を浮かべる。
アレインもつられて笑みを浮かべた。
ひとりでは戦えない。守れない。
しかし、ひとりでなければ戦える。
敵は強大で、今は辺境の、小さな力に過ぎない。
しかし、確実に、何かが変わり始めた。
次回更新は3月6日の19時です。
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