第2話【最弱の戦い方】
グラヴィスは退屈していた。
辺境の、さして重要でもない戦場。
勇者もいない。ただ、逃げ惑う住民を蹂躙し、踏みつぶすだけの戦。
こんな退屈な戦場は部下に任せても良かったが、
気晴らしに運動でもと前線に出てみても、まるで気は晴れない。
「あぁん?」
ひとりだけ、逃げない人間がいる。
この世界で、魔物相手に逃げない人間など1種類しかいない。
「そうか、来たか。わざわざ出向いたかいがあったな」
グラヴィスは口元に凶悪な笑みを浮かべ、歓喜の雄たけびを上げた。
大気を震わせるその咆哮に、領民たちは震えあがる。
生き物としての格が違う。
そう思い知らせるには十分すぎた。
「エリシア、領民を集めてくれ。端材でも何でも良い、身を守れる板をかき集めろ」
「え……?」
言葉の意味が分からず、エリシアは凍り付く。
「男はそれを持って、小型魔物を押し返せ。倒す必要はない、とにかく時間を稼げればそれで良い。その間に俺がグラヴィスを倒す」
領民たちがざわめく。
「ふ、ふざけるな! 俺たちに化け物と戦えっていうのか!」
「そうだ! 戦うのは勇者だろ!」
怒号が飛び交う。
当然の怒りだった。
この世界において、戦うのは勇者。民は守られるもの。それが常識だった。
「俺ひとりであの数の魔物を捌くのは無理だ。少なくとも、あんたたちを守り切れない。俺の能力は多数を相手取るのに向いてないんだ」
アレインが淡々と言う。
「やっぱり最弱の勇者じゃ無理なんだ!」
「逃げよう! もしかしたらまだ間に合うかもしれ――」
「いつまで続けるのですか」
静かな声が響いた。
領民たちが、ハッとしたようにエリシアを見る。
エリシアは震えそうになる両手を握り締め、まっすぐにアレインを見る。
「それで、勝てるのですか」
アレインはうなずく。
「グラヴィスを倒せば奴らは引く。少なくとも、この戦いには勝てる」
虚勢ではない。
エリシアは強く目をつぶる。
しばらくして、目を開いたエリシアは、もう震えていなかった。
「板をかき集めてください」
「エリシアさま!?」
領民たちが動揺の声を上げる。
「私は、勇者さまを信じます。クラスタを守るために!」
そう言って、エリシアは傍らに落ちていた板材を拾い上げた。
「クラスタ領主として命じる。逃げたい者は今すぐ逃げなさい。引き止めはしません。しかし――」
エリシアの目に光がともる。言葉に意思がこもる。
「この地を、誇りを、愛すべき友を、守り抜く志ある者は我に続け!」
男たちは顔を見合わせ、互いにうなずき合う。
「エリシアさまだけ、戦わせるわけには」
「そうだ、もう領主さまを残して逃げるのはごめんだ」
「逃げたっておんなじだ。なら、やってやる」
伝播する。
男たちは急いで板材をかき集めに走る。
その様子を見たアレインは、エリシアに視線を移した。
「あとはお任せします、勇者さま」
アレインがうなずく。
ほどなくして、端材の盾を持った男たちが集まってきた。
単純な頭数なら、小型魔物よりも多い。
「横2列に並べ。魔物を後ろに通さなければ良い。無理だと思ったら後と交代しろ。とにかく、横を抜かせるな」
アレインの指示で、不格好ながらも領民が列を組む。
その様子を、グラヴィスは遠巻きに眺めていた。
逃げるでもなく、何やら始めるようなので、それを待っていた。
「良いぞ、立ち向かって来い。少しは楽しませてくれ」
その視線がアレインと交わる。
それが開戦の合図だった。
グラヴィスは担いでいた斧を下ろす。
「薙ぎ払え!」
グラヴィスの号令で、小型魔物たちが一斉に突撃を開始した。
甲高い叫び声を上げながら、小型魔物が押し寄せてくる。
アレインが駆け出す。
行く手を遮る小型魔物を一閃。
迫りくる爪をかわし、身を翻し、グラヴィスに向かって最短距離を突き進む。
そして、抜けた。
小型魔物たちはアレインを追わず、前方の領民たちに襲い掛かる。
衝突。
悲鳴があちこちで上がり、盾がきしむ。
しかし、崩れない。
「踏み止まれ!」
エリシアの檄が飛ぶ。
盾の隙間から小型魔物が手を伸ばし、男の腕を引き裂く。
悲鳴を上げ、倒れた男の隙間を、すかさず後列の男がふさぐ。
あちこちで悲鳴と血しぶきが上がる。
しかし、崩れない。
アレインはそれを聞きながら、まっすぐ前だけを見ていた。
「来い!」
グラヴィスが斧を振り上げる。
『今だ!』
アレインの両目が充血する。全身の血液が沸騰するような感覚。
音が、世界が、遠のく。
振り下ろされた一撃が大地を砕く。
直撃すれば勇者といえども即死は免れない。
「うん?」
手ごたえのなさに、グラヴィスがいぶかしむ。
「消えた? いや!」
アレインの鋭く切り上げた剣先を、のけぞってかわす。
かわしながら、グラヴィスは斧を振り上げた。
小枝を振るような動作が、必殺の威力を秘めている。
アレインは紙一重で身を翻し、かわす。
風圧がかすめた肩口から血が噴き出した。
アレインはすぐさまグラヴィスの後ろに回り込み、剣を走らせる。
踵。
膝裏に光が走り、一瞬遅れてから血しぶきが舞う。
「ぐおぉぉぉぉ!」
たまらず、グラヴィスが膝をつく。
振り向きざまに斧を横薙ぎにする。
しかし、今のアレインにとっては遅い。
アレインは地面を蹴って飛び上がり、その下で斧が空を切る。
見上げたグラヴィスの目に最期に映ったのは、剣を振りかぶるアレインの姿。
一閃。
グラヴィスの首が大きな音を立てて地面に落ちた。
少し遅れて、その巨体が崩れ落ちる。
アレインの充血が治まり、急激に世界が時間を取り戻していく。
「やった」
エリシアが声を上げる。
小型魔物たちも振り返り、その光景に呆然としていた。
アレインはグラヴィスの首を拾い上げ高々と掲げる。
小型魔物たちはグラヴィスを失ったことにより、潮が引くように逃げて行った。
アレインはそのさまを見てから、領民たちに向き直る。
全身から力が抜ける。膝が折れかける。
しかし、アレインは何とかこらえた。
「……終わった」
終戦宣言。
領民たちは抱き合い、歓声を上げた。
アレインの視界が暗くなり、ついに倒れる。
「勇者さま!」
エリシアは盾を放り出し、アレインを抱き上げる。
「死者は?」
アレインがかすれた声でたずねる。
「いません。ひとりも」
エリシアの声が涙で震える。
負傷者は数えきれない。
血は流れた。
だが、全員生きている。
戦うすべを持たない民にとって、それがどれほどの奇跡か。
「そうか」
アレインはやっと目を閉じる。
「ありがとうございます。本当に、私たちを救ってくださって……」
「……俺だけじゃない」
それだけ言い残し、アレインは意識を手放した。
◆ ◆ ◆
日が落ちて、キャンプのあちこちで傷付いた者が手当てを受けている。
大きな焚火の横で、エリシアは眠るアレインの横顔を見ていた。
最弱の勇者。
ひとりで戦うことができないアレインは、そう呼ばれていた。
辺境にいるエリシアの耳にも、その噂は届いていた。
しかし、アレインはクラスタを守った。
誰もが絶望的だと諦め、見捨てられていたエリシアたちを。
――見捨ててなどいない。少なくとも、俺は。
アレインの言葉が思い出される。
「本当だったのですね……」
エリシアはつぶやき、アレインの顔にかかった髪を細い指先で払う。
その手には血が滲み、ボロボロに傷ついていた。
エリシアはその手を撫でる。
領主の娘だったころは、傷ひとつついたことのない手。
しかし、その傷付いた手が、今日の勝利の証。
「……すまない」
アレインがうわごとのようにつぶやく。
目覚めたのかと思ったが、すぐにまた寝息を立てた。
勇者とは民を守り、戦う者。
アレインは守るべき民を戦場に立たせ、傷つけた。それは紛れもない事実だった。
エリシアは目を細める。
「謝らないでください。あなたこそ、私たちの勇者さまです」
この日、人類が初めて【戦争】を始めた。




