第13話【取引】
「伺いましょう」
リディアの静かな声で、応接室の空気が張り詰める。
指を組み、エリシアを見るリディア。
その視線は穏やかだが、
同時に、領主としての鋭さも備えている。
エリシアは静かに息を整える。
「クラスタへの継続的な食料提供が、こちらの要求です」
「それは、我がウェルンの備蓄を削ることになります」
リディアは静かに答える。
当然の話だった。
食料は民の命そのもの。
さらには、ウェルンの存在意義でもある。
軽々しく差し出せるものではない。
「取引とおっしゃいましたね」
リディアは静かに続ける。
「では、お聞かせ願いますわ。ウェルンは何を得るのかを」
「安全です」
エリシアは迷わず答えた。
「まあ?」
「現在、クラスタは魔物と交戦状態にあります」
「存じております」
「クラスタとバルツが崩れれば、次はここです」
エリシアは窓の外を示す。
小麦色の畑。
クラスタでは失われてしまったもの。
リディアは黙って考え込む。
言葉の意味は理解できる。
しかし、
「勇者さまがいるのに、わざわざ人が戦うのですか?」
「勇者だけでは足りません」
リディアの言葉に、アレインが答えた。
リディアはアレインに視線を移す。
「勇者さまでかなわぬものを、どうして非力な民が覆せるのです?」
「勇者にかなわぬ魔物も、戦うからです」
アレインは目を伏せる。
「恥ずかしながら、勇者だけでこの戦いを切り抜けることは不可能です」
それは、勇者の責任放棄とも取れる言葉だった。
だが、アレインは続ける。
「勇者だけでは足りない。だから、人が戦う必要がある」
アレインの言葉を聞き、リディアは静かにカップに口をつけた。
「民を守るはずの勇者が、民を危険に晒す」
「にわかには信じられません」
非難ではない。
ただ、理解できない。
「申し訳ございません」
アレインは素直に頭を下げた。
できるなら、民を戦場に立たせたくない。
しかし、状況がそれを許さない。
だから、アレインは守るべき民を戦場に駆り出す。
「人が戦えば、死者も出るでしょう」
「はい」
「人が戦い、数を減らす」
リディアは窓の外を見る。
「働き手が減れば、畑も死ぬ」
「そして、畑が死ねば、国も死ぬ」
口調は優しい。
その言葉は、農業領主としての現実だった。
「おっしゃる通りです」
エリシアもうなずく。
「だからこそ、私たちは戦います」
リディアは首をかしげる。
「矛盾していませんか」
「いいえ」
エリシアは首を振る。
「私たちは、勇者に守られ、与えられた平和を享受してきた」
「しかし、平和とは、与えられるものではない。勝ち取り、守るべきものです」
「勇者だけではなく。我々、人類の手で」
民は守られていた。
しかし、その平和は、勇者が流した血の上に成り立っている。
血の流れない平和など、存在しない。
応接室に沈黙が流れた。
リディアは窓の外をじっと見つめる。
豊かな大地。
平和な民の暮らし。
戦いによって失われた、クラスタ。
今も失われている人々の命。
「この戦いは、勝てるのでしょうか」
「はい」
アレインはしっかりとした口調で断言した。
「長い戦いになるでしょう。しかし、終わります。勝ちます」
「人類が団結することさえできれば」
確信に満ちた言葉。
リディアはアレインを見る。
客観的な根拠に乏しい。
だが、信じるに足る。そう思わせる力がある。
「アレインさまは、人を信じるのですね」
「はい」
「バルツも人の未来のため、協力は惜しまないつもりです」
カルラも賛同する。
リディアは、3人の顔を順番に見た。
「困りました」
リディアが立ち上がり、3人がそれを見る。
「わたくし、争いごとは嫌いです」
「畑を踏み荒らし、人が死ぬ」
「踏み荒らされた作物も、人も、失われたものは2度と戻らない」
「争いは何も生まず、失うばかり。だから、嫌いです」
窓際に立ち、「でも」と、続ける。
「この世界は、誰かが戦い、傷付き、守っている」
「わたくしはそのことから目を逸らしていました」
エリシアは黙って言葉を聞いていた。
実際にクラスタが襲われるまでは、似たようなものだった。
「お言葉の通りです。だから、終わらせなければならない」
アレインが静かに言う。
「逃げ続けるだけでは、戦争は終わりません」
アレインの言葉に、リディアもうなずいた。
「条件は、ウェルンの安全。そう、おっしゃいましたね」
「はい」
エリシアは答える。
「食料を提供していただけるならば、ウェルンの安全はクラスタが保証します」
「我々の代わりに、血を流すと」
「はい」
エリシアの言葉に、リディアは窓の外をじっと見つめる。
しばらくの沈黙。
そして、息を吐く。
「……取引をお受けいたします」
エリシアは顔を上げる。
リディアは柔らかな笑みを浮かべた。
「どうか、我らの力をお役立てください」
「はいっ!」
エリシアは立ち上がり、リディアの手を取った。
ふたりの領主は、固く手を握り合う。
「どうやら、取引は成立したようですね」
その様子を見て、カルラもひそかに緊張を緩めた。
うまくいった。
簡単な交渉ではなかった。
実際に脅威に晒されたバルツやクラスタとは違う。
平和を当然のものとして受け取っている価値観を崩すのは難しい。
リディアが取引に応じなかった場合、最後の手段も辞さない。
カルラは、そう考えていた。
リディアの心を動かしたのは、エリシアのひたむきな覚悟。
そして、
『やはり、あなたは本当の勇者です』
カルラは隣に座るアレインを見る。
アレインは、すっかり冷めてしまった茶を啜っていた。
『どこまで理解しているのか』
カルラはじっと考える。
勇者が戦う世界で、民を戦わせる。
それは遠からず、現行の制度を否定する。
アレインがどこまで意図しているかはともかく、
アレインは世界を変えようとしている。
そして、実際に変わり始めている。
『危険、かもしれない』
勇者は国家の所有物。
アレインの影響力は、勇者の範疇を超えている。
ひとりの人間の能力を超えつつある。
『でも、見届けたい。この男が変える、世界の行く末を』
湧き上がる好奇心を抑えきれない。
自身の純粋な欲求を自覚して、
カルラは、人知れず自嘲じみた苦笑を浮かべた。




