第1話【見捨てられた辺境】
クラスタの領主館は、たった一振りで粉砕された。
巨大な斧の一振りで、瓦礫が、人が、宙を舞う。
それはまさしく蹂躙だった。
戦いは勇者がするもの。そういうことになっている。
【勇者】と呼ばれる超越者による代理戦争で、国家間の紛争も解決する。
民は血を流さない。
それがこの世界の秩序であり、平和だった。
――魔王軍の侵略が始まるまでは。
「クラスタより再び救援要請です」
伝令の報告で、石造りの会議室に緊張が走る。
「私が出ます」
凛とした声が響き、白銀の鎧を身にまとった女性が立ち上がった。
長く伸びた白銀の髪と、強い意志を感じさせる澄んだ空色の瞳。
見る者を圧倒するそのいでたちは、まさに勇者の称号にふさわしい。
「落ち着け、イーディス。戦力の要であるお前を辺境に送るわけにはいかん」
「しかし……」
上座の老人に制されながら、イーディスと呼ばれた女性はなおも食い下がった。
老人はそれすらも手で制し、円卓に広げられた地図を指さす。
その地図の片隅に【クラスタ】と書かれた小さな領地がある。
「我々が守るべきはもっと大きなものだ。辺境にお前を送るのは、割に合わん」
場が静まり返った。
「民の命は、割に合いませんか」
沈黙を破った男に、その場の全員が注目する。
くすんだ黒い鎧に身を包み、黒髪と黒い瞳の男が老人をにらんでいた。
「ならばお前が行け。アレイン」
老人は声の主をにらみ、苦々しげに吐き捨てる。
「議長、彼に大群の相手は無理です。もっと他にふさわしい戦場が――」
「かもしれんな。しかし、勇者を派遣したという体面くらいは保てるだろう」
老人の冷たい言葉に、イーディスは絶句した。
アレインは平静の表情を保ったまま、卓の下で静かにこぶしを固める。
体面を守る。つまり、民を守るつもりなどない。
「勇者アレイン。クラスタ救援の任、謹んでお受けいたします」
アレインは立ち上がり、静かに礼をすると、振り返ることなく会議室から出て行った。
◆ ◆ ◆
――数日後。
クラスタの郊外にある避難キャンプの入り口で、若い女性が落ち着かない様子で行ったり来たりしている。
ゆるくウエーブのかかった豊かな赤髪と、避難キャンプにそぐわない、簡素だが品の良いドレスが目を引く。
彼女のほかにも、避難してきた領民たちが期待と不安の入り混じった視線を外に向けていた。
「エリシアさま、落ち着いてください」
そばに控えていた侍女が、見かねたように声をかける。
「だって、本当に救援が来るのよ。ああ、きっとお父さまが守ってくださったに違いないわ」
エリシアの父は、領民たちが逃げる時間を稼ぐために町に残った。
そして、娘のエリシアが領主を継ぐことになり、一縷の望みをかけて2度目の救援を要請した。
要請が受け入れられ、派遣される勇者の到着予定日が今日だった。
エリシアが落ち着かないのも無理はない。
「来た!」
領民が声を上げた。
エリシアもそちらを見る。
森を抜け、こちらに駆けてくる早馬が見える。
領民たちから歓声が上がった。
ついに、待ち望んだ勇者が現れた。
これで助かる。
しかし、その領民たちの歓声は、馬上の人影がはっきりするにつれて小さくなる。
エリシアの顔に浮かんだ笑顔も、凍り付いた。
馬から降りたアレインは、静まり返った雰囲気を気にする様子もなく、エリシアの前に片膝をつく。
「勇者アレイン。中央評議会の命により、救援に参りました」
エリシアの中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
それは、希望とでも呼ぶべきものだろう。
絶望という暗闇に、やっと一筋の光明が差した。
それが失われた落差は、彼女にとってあまりにも大きかった。
気が遠くなりかけるのを、エリシアは必死につなぎとめる。
「ようこそおいでくださいました。クラスタの領民を代表し、心より歓迎を申し上げます。勇者さま」
スカートの端をつまみ上げ、うやうやしく礼をする。
まだ未熟ながらも、領主としての矜持だけが、今にも崩れ落ちそうな儚い笑顔を浮かべさせた。
◆ ◆ ◆
キャンプの中でもひときわ大きいテントに通され、アレインは荷物を下ろした。
領主が住むには、あまりにも粗末な住居だ。
天幕の外には人だかりができ、ひそひそと話す声が途切れ途切れに聞こえてくる。
――アレインって……【最弱の勇者】だよな?
――ああ、おしまいだよ。
「失礼ですよ!」
両手で顔を覆っていたエリシアが一喝する。
人だかりは静まり返り、恨みがましい視線をアレインに投げかけながら散っていった。
「申し訳ございません、勇者さま。せっかくおいでくださったのに……」
「仕方ありません。事実ですから」
エリシアにすすめられ、アレインはテーブルを挟んで腰を下ろす。
「状況をお聞かせ願えますか」
アレインがたずねると、侍女がテーブルの上に地図を広げる。
クラスタの全域が記された地図の上に、2つ駒を置いた。
1つは首都の上。
もう1つは少し離れた現在地に。
「現在、侵略者たちは首都に滞在しています。私たちのいる場所はここ。何とか今日までは逃げ延びてきましたが、ここもいつまで無事で済むか」
エリシアの言葉を聞きながら、アレインは考え込む。
「敵の姿は見ましたか?」
「はい」
答えてから、エレインは身震いした。
見る間に表情は青ざめ、その震えを押さえるように自身を強く抱き締める。
「私たちの倍はあろうかという巨大な魔物が……そのひと振りで、建物も、人も、たやすく……」
その特徴を聞いたアレインには、即座に思い当たる敵がいた。
「グラヴィスか……なるほど、大物だ」
中央でも名の知られた魔物だった。何度か交戦記録も残っている。
「クラスタは……見捨てられたのですね」
生気を失ったエリシアがつぶやく。
領民の前では気丈にふるまえても、人目がなければ目の前の現実には耐えられない。
その時、外からけたたましい鐘の音が響いた。
「敵襲! 敵襲!」
エリシアは笑顔を張り付け、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、勇者さま。このまま、どうかお帰りください。勇者さまを失うわけにはいきません」
アレインは静かに立ち上がると、エリシアたちに背を向けた。
侍女が泣き崩れ、エリシアがその背中をやさしくなでる。
「見捨ててなどいない」
静かだが、強い意志のこもった言葉。
「え?」
「少なくとも、俺は」
アレインは勇者として、この地を守るために来たのだから。
外に出ると、地平には小型魔物の軍勢。
その中に、ひときわ大きい巨躯が見える。
成人の倍はあろうかという体躯と、同じくらいの斧を肩に担ぎ、悠然と歩くその姿。
「間違いない。グラヴィスだ」
アレインの声に、エリシアは口元に手を当てて小さな悲鳴を上げる。
領民からも絶望交じりのため息が聞こえる。
アレインが歩み出て、剣を抜く。
その背中はあまりにも小さい。
しかし、その背中は、まぎれもなく勇者だった。
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