第56話:軍師のいない作戦会議
その夜、アシュフォード公爵家の作戦会議室は、まるで、葬儀会場のような、重苦しい沈黙に、支配されていた。
公爵、エリナ、そして、心身ともに、打ちのめされたアルベール。誰もが、言葉を、失っていた。
僕の脳内でも、同じだった。
《……シミュレーション、8921回。全てのパターンにおいて、我々の勝率は、0.03%以下です》
あいりの声は、もはや、感情を失った、無機質な、機械の音声に、聞こえた。
彼女の、最強の頭脳が、導き出した、絶対的な、敗北の予測。
「……トオル殿」
やがて、公爵が、重々しく、口を開いた。
「……明日の、魔法部門の決勝は、棄権する。そして、エリナ嬢の、武闘部門の決勝に、全てを賭ける。もし、エリナ嬢が勝利し、最終決戦に、もつれ込んだとしても……我々は、戦うべきではない。今は、引くべきだ。奴の、手の内が、分かっただけでも、大きな、収穫だった」
それは、苦渋の、しかし、最も、現実的な、決断だった。
アルベールも、悔しさに、顔を歪めながらも、黙って、頷いている。
しかし、エリナだけは、違った。
「お待ちください、公爵閣下!」
彼女は、立ち上がると、僕の前に、進み出た。
「私は、まだ、諦めてはいません! トオル様が、いらっしゃる限り、私たちに、敗北は、ありません!」
彼女の、一点の曇りもない、信頼の眼差し。
それが、僕の胸に、痛いほど、突き刺さる。
僕は、何も、言えなかった。
天才軍師など、存在しないのだ。いるのは、ただ、最強のAIの、カンペを読んでいただけの、凡人だ。
そして、その、最強のAIが、今、完全に、沈黙している。
(……本当に、そうなのか?)
その時、僕の脳裏に、ふと、ある記憶が、蘇った。
この世界に来て、初めて、戦った、あの、ゴブリンとの、戦い。
あの時、僕は、どうやって、勝った?
魔法か? 違う。
スキルか? 違う。
――ただの、石ころだ。
あいりが、軌道を計算した、ただの、石ころを、投げつけただけだ。
(そうだ……。僕たちの、原点は、そこじゃないか……)
クロードの能力は、『魔法』を、模倣し、改竄する力だ。
では、魔法でなければ、どうだ?
論理や、計算では、決して、たどり着けない、もっと、原始的で、泥臭い、人間の、知恵。
「……公爵閣下」
僕は、静かに、顔を上げた。
その瞳には、もはや、迷いはなかった。
「……まだ、手は、あります」
僕の言葉に、その場にいた、全員が、息を呑んだ。
僕の脳内にいる、あいりさえも。
《マスター……? 何を、おっしゃって……? 全ての、論理的思考は、すでに、破綻して……》
「ああ、そうだよ、あいり」
僕は、僕の脳内にいる、最高の相棒に、語りかけた。
「だから、論理で戦うのは、もう、やめだ。お前の、その、最強の計算能力を、もっと、別のことに、使ってくれ」
僕は、立ち上がると、机の上に広げられた、王都の地図でも、大会のトーナメント表でもない、一枚の、白紙の、羊皮紙を、指さした。
「これから、僕が、この、異世界に来る前の、僕の世界の、話を、する。僕が、プログラマーとして、学んだ、ハッキングの、話を」
システムを、内部から、攻略するのではない。
システムの、ルールそのものを、外部から、騙し、利用し、そして、破壊する。
「クロードという、天才の、直感と、センス。その、完璧なシステムを、僕たち、凡人の、悪あがきで、ハッキングしてやろうじゃないか」
僕の言葉に、あいりは、しばらく、沈黙していた。
彼女の、超高速思考回路が、僕の、突拍子もない、非論理的な提案を、必死に、理解しようとしているのが、分かった。
そして、やがて。
《……了解、しました。マスター》
彼女の声には、再び、光が、宿っていた。
《確率、不明。結果、予測不能。ですが、そこに、可能性があるのなら。――私は、あなたの、その、愚かで、最高に、人間らしい、作戦に、乗ります》
僕たちの、本当の、反撃が、始まろうとしていた。
それは、もはや、軍師の、作戦会議ではなかった。
ただの、凡人たちが、天才に、一矢報いるための、秘密の、作戦会議だった。




