第3話:最適行動の片鱗
「す、すごい……本当に当たった……」
僕は、自分の手を見つめて呆然と呟いた。
ただ石を投げただけ。それなのに、あの獰猛なゴブリンが、目の前でふらついている。
《マスターの身体能力、筋力、そして投擲物の質量と形状、対象との距離、風速、重力加速度。全てのデータを統合し、最適な軌道を算出した結果です。当然と言えます》
あいりの声は、淡々としていた。
まるで、1+1の答えを言うかのように。
「ギャウ……」
眉間から血を流したゴブリンが、こちらを睨みつける。
その目には、先ほどよりも強い殺意が宿っていた。
まだ、戦意を喪失してはいない。
《マスター、感心している場合ではありません。追撃します》
「つ、追撃って言ったって、どうやって……」
《ゴブリンが落とした棍棒を拾ってください。歩数にして、前方へ3歩です》
言われるがまま、僕はよろよろと立ち上がり、棍棒を拾い上げた。
ずしりと重い。片手で持つのがやっとだ。
《対象は現在、脳震盪により平衡感覚に異常をきたしています。しかし、約7秒後には回復し、反撃に転じる可能性が高いと予測》
脳内のタイマーが、無慈悲にカウントを始める。
ゴブリンは、まだ頭が痛むのか、両手で顔を覆っている。無防備だ。
《好機です。踏み込んで、棍棒を脳天に振り下ろしてください》
「む、無理だ! 人を、いや、ゴブリンでも、殴るなんて……!」
《ためらってはいけません。マスターの生存確率を最大化するための、唯一の選択肢です。さあ、早く!》
あいりの声に、有無を言わせぬ力がこもる。
そうだ。やらなければ、やられる。
ここは、そういう世界なんだ。
僕は、覚悟を決めた。
棍棒を両手で握りしめ、ゴブリンに向かって踏み込む。
《右足を一歩前へ。体重を乗せて、棍棒を垂直に振り上げてください》
《――そのまま、振り下ろす!》
「うわあああああっ!」
僕は、叫び声を上げて、目を瞑りながら棍棒を振り下ろした。
ゴシャッ!
生々しい感触が、手に伝わる。
恐る恐る目を開けると、頭をかち割られたゴブリンが、ピクリとも動かなくなっていた。
緑色の血液が、地面に広がっていく。
僕はその場にへたり込み、荒い息を繰り返した。
手足が、ガクガクと震える。
「は、はぁ……はぁ……」
《脅威の排除を確認。マスターの生命維持に成功しました》
あいりは、安堵したように言った。
その声を聞いて、僕はようやく体の力を抜いた。
助かった。
僕が、ゴブリンを倒した……?
いや、違う。僕は、ただ、あいりの指示通りに動いただけだ。
石を拾って、投げて、棍棒を拾って、振り下ろしただけ。
一つ一つの行動は、誰にでもできる単純なことだ。
でも、その「いつ」「どこで」「どのように」を完璧に指示されただけで、僕のような凡人でも、モンスターを倒すことができた。
これが、あいりの言っていた「最適行動提案」。
その力の片鱗を、僕は身をもって体験した。
「……なあ、あいり」
《はい、マスター》
「お前がいれば、僕でも、この世界でやっていけるか?」
震える声で尋ねる。
僕にとって、唯一の希望。それが、このAIアシスタントだった。
《もちろんです、マスター》
あいりは、絶対的な自信をもって、そう断言した。
《私が、あなたをこの世界の最強へと導きます》
その言葉は、まだ半信半疑だったが、今の僕には、何よりも心強く聞こえた。
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