オレオレ詐欺に救われて
「ごちそうさまでした」
他に誰もいないダイニングルームに、私の声が響き渡る。
お昼を食べ始めた頃には青空だったはずなのに、ふと窓の外に視線を向ければ、いつのまにか灰色の雲に覆われていた。
「何か嫌なことが起こりそうな、なんとなく不安になるような……。そんな空の色だわ」
独り言を口にしながら立ち上がり、食べ終わった食器を流し台へと運んでいく。
ただし、すぐに洗うつもりはなかった。食器はしばらく洗剤に浸しておき、その間に一休みだ。
私はキッチンから廊下に出ると、いつも通り、二階への階段を上り始めた。
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階段を上って右側にある洋間が、私が昼寝に使う部屋。私の寝室ではなく、遠くへいってしまった一人息子の部屋だ。
水色のカーペットだけでなく、部屋の家具は全て、息子が使っていた頃のまま残してあった。
部屋の右側には一人用の机、左側にはベッド。壁際の棚には、大判の専門書だけでなく、文庫サイズの漫画や小説本などが収まっている。
ただし本棚というわけではなく、それら書物はベッドから手が届くあたりに並んでいるものの、同じ棚の上の段には、金属製のロボットの玩具がいくつか飾られていた。
私の目には子供の玩具に見えてしまうけれど、どうやら違うらしい。これらは全て大人向けの玩具だという。
どれも息子が大人になってから、彼自身が稼いだお金で買ったものだ。その値段も、聞いた私が思わず「こんな玩具が、そんなにするのかい!?」と返してしまったほどだ。
高価な理由も色々と説明されたが、世代の違う私には理解できず……。
しかし実際、手にとってみると重量感たっぷりであり、なるほど子供が振り回して遊ぶには危ないだろうし、大人のための玩具なのだろうと納得できるのだった。
そんな息子の宝物たちを一瞥しながら、私はベッドに横たわる。
軽く目を閉じて、いつものように一眠りするつもりだったが……。
――――――――――――
トゥルルル、トゥルルル……。
電話の音が聞こえてきたのは、ちょうどウトウトし始めたタイミングだった。
慌てて起き上がり、階下へと向かう。電話があるのは一階のリビングルームであり、他の部屋に子機などは置いていないからだ。
トゥルルル、トゥルルル……。
リビングに入ると、まだ電話は鳴っていた。急いで受話器を手にする。
「もしもし……」
という私の声に、被せ気味に返ってきたのは……。
『もしもし、母さん? オレだよ、オレ!』
「タカシ……? タカシなのかい!?」
驚きのあまり取り落としそうになる受話器を、しっかり握りしめる。
久しぶりに聞く息子の声だ。一分一秒でも長く通話していたいと思ったし、自分の目が潤んでいるのも感じていた。
『そう、タカシだよ、タカシ。母さん、元気かい?』
「ああ、もちろん。広い家に一人なのは寂しいけど、でも体はまだまだ丈夫だからね。元気にやってるよ。それより、タカシの方こそ……」
『体は大丈夫、その意味では元気にやってるけど……』
電話の声がトーンダウンする。声色にも暗い影が感じられた。
『……ちょっと事故っちゃってね。オレの方は怪我なかったけど、相手の方が……。それで取り急ぎ、お金が必要になってさ。オレの手元にあるだけじゃ足りなくて……』
おかしい。
この時点で私は、疑念を抱き始めていた。
事故や怪我の類いとは無縁の世界に息子はいるはずだ。
しかし、その疑念を口に出そうとした瞬間。
足元が大きく揺れ始めた。
――――――――――――
『うわっ、地震だ! 結構これ、激しいぞ!』
電話の向こうでも動揺している。
立っていられないほどではないけれど、念のため私は、受話器を手にしたまま座り込む。
かなりガタガタと揺れ続ける地震だった。その間、電話の声も会話を止めてしまうくらいだ。
そんな中、こちらから疑問をぶつけてみる。
「そっちでも今、地震が起きてるのかい? 変だねえ、タカシのところでも地震だなんて……」
『あっ!』
何か大きな失敗をしたと気づいたらしく、こちらの言葉が終わるより早く、向こうからプツッと通話を切る音が聞こえてきた。
ちょうどその直後、激しく続いていた地震も止む。
「やれやれ……」
膝に手をやりながら立ち上がる際、自然に口から漏れたのは、いつもの「よっこらしょ」ではなかった。
あえて自己分析するならば、一瞬でも本物の息子かと期待した自分に呆れると同時に、期待が裏切られたことで悲しくなったのだろう。
そんな気持ちを引きずったまま、息子の部屋に戻ると……。
――――――――――――
「……!」
地震の影響で、壁際の棚がベッドに向かって倒れ込んでいた。
書物の類いはシーツの上で散乱しているし、息子が宝物にしていたロボットの金属玩具は、ちょうど枕の上に落っこちていた。
幸い枕がクッションになったらしく、特に壊れたりはしていないようだ。
もしも私がそこに寝たままだったら、玩具の重さで私の頭は潰されていただろうし、玩具の方も血でグシャグシャに汚れたり、衝撃で傷ついたりしていたかもしれない。
「九死に一生だったよ、これは……」
思わず呟きながら、私は胸を撫で下ろしていた。
高齢化社会の現代日本では、オレオレ詐欺の候補にされるお年寄りも、ごまんといるはずだ。
それがたまたま私のところに、しかもちょうど地震のタイミングでかかってくるなんて、凄い偶然ではないか。
おかげで私は助かったわけだが……。
あまりにもタイミングが良すぎて、つい考えてしまう。
「あの世の者ならではの霊的な力で、本物のタカシがこちらの世界へ干渉して、詐欺グループに電話をかけさせたのかもしれないねえ」
と。
(「オレオレ詐欺に救われて」完)