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若頭補佐 異世界にて跳ねる

 鋭峰なる剣の如くに、一閃が店内の薄闇を切り裂いた。


 短く、けれど紛れもなく痛烈な一撃であったことは、大丈夫が床に付し、それきり動かなくなったことが如実に物語っている。



(……すごい。やっぱりこの人は化け物だ)


 信じがたい光景を前に、ルティアは唖然とする。

その青い双眸は、極限まで見開かれている。

 我知らず、胸の前で祈るように指を組み合わせる。


 まるで今までの常識が、粉々に砕けてしまったかのように思えてならない。


 今しがた倒れた男の仲間も、成り行きを見守っていた酒場の夫婦も、信じられないという様子で固まっている。

 普段は気風の良い女将も、不安げに夫の袖を所在なさげに掴んでいる。夫婦の目は定まりなく周囲を行き来していた。



「さァて、次は誰だ?」


 低く、獰猛な獣じみた声が舞い上がった塵埃の向こうから聞こえる。腹の底に響くような、深い声。決して脅すような声音ではないのが、かえって恐ろしい。 



 平らげられた皿と、無法者たちが遊んでいたカード。生ぬるいエール。それらが平等に空に浮き、当然のように落下する。


 カツンと、硬質な音が高く、重く響く。


 黒いダブルモンクの靴底で、床を踏み鳴らした。


 それだけで、全身が総毛立つ。粟立つ。期待と恐怖、静かな興奮がないまぜになって、駆け巡った。寂れた酒場に熱情が胎動していくのを感じずにはいられない。


 この辺りでは見ることのない、消炭色(チャコールグレイ)の装束を気負いなく着こなしている。腰にはこれも見たことのない剣を提げている。いずれも一見して誂えものと知れる上等の造りであった。



「よう。何人いるんだっけな。20……19、いや18か?」


 さして威圧する風でもなく、どこか楽しげで、それが恐ろしくも頼もしい。


「ば、馬鹿な⁉︎」

「正気か、こいつ!」


 口々に男たちは言い募る。常套句めいた罵声や脅迫も今は空々しい。

 唖然と呟いた独白が、周囲の胸中を全て表していた。


 煙る埃の向こうで一人の黒髪の男が現れた。


 この辺りでは見かけない、新月の夜空で染めたような黒色だった。

 光を吸収したような、重い黒。


「倒れたやつで、エェと……やっぱ18か?」


 ぐるぐると腕を回す。宣戦布告に等しい行為の後でも何事もなかったように軽やかだった。



(嘘でしょう! 本当にやる気なの?)


 ルティアは驚愕に目を見張った。

「ちょ……っと、あなた」


 倒れた者も勘定に入れたら1対20。数の脅威もさることながらこの街の闇を支配するフェルス・ファミリーの男たちを相手にしているのだ。


 ルティアも無謀を通り越した蛮勇に、名も知らぬ黒髪の男の正気を疑った。


 小柄なルティアの頭ひとつ上くらいか、少なくとも頭ふたつ分ほどには離れていない。街の男たちと比べても、背丈では劣るだろう。衣服の上からでは判ぜられないが、筋骨隆々には程遠い。



 それでも––



「ほら、来いよ」


 眼だけは炯々爛々と危ういほどに煌めきたっていた。

(っ! 完全にいかれてる)

 ルティアは視線だけで圧迫されそうになった。

息が詰まりそうな狂気を感じた。




 そこからの出来事は、まるでおとぎ話のようだった。



 ある者はナイフを、あるものは残骸と化した家具を。


 さもなければ拳で以って挑みかかり、悉くが倒れた。


「……すごい」


 呼吸も忘れ、ぽつりと漏れ出た。


 的確に急所を捉え、最小限の体捌きで拳を穿つ。その見事さは舞踏の極地を見ているかのようだ。


 ひとり、またひとりと倒すたびにルティアの瞳に驚愕と憧憬が入り混じった。



「シッ!」


 短く、鋭く、拳を突き出す。


「ぐっ……!」


 鼻っ柱を打たれた男は、もんどり打って仰向けに倒れた。


 なおも鋭く。倒す都度に研がれるように。


 繰り出される拳は、名工の手になる槍の穂先の如くを思わせた。



 やがて、最後のひとりが倒され、もはや言葉がなかった。


 ルティアも、酒場の夫婦も、鬼神の如き戦いを目の当たりにして忘我に至っていた。



「あァ、いってェなァ」


 頬からは血が流れ、上等と思われる消炭色(チャコールグレイ)の衣服は酒とも返り血とも判ぜられぬほどに汚れていた。その衣服の下もおそらくは無数の打撃を受けているに相違なかった。


 肩で息をし、血を流し、満身創痍と言って差し支えない。だが最後まで立っていたのはルティアとさほども変わらぬ黒髪の男であった。


 膝に手を置き、痛みをやり過ごすように前傾の姿勢になる。



「––なんの騒ぎだ」


「っ!」


 怜悧な声が、切り裂くように響いた。


 威圧するでもない声に、ルティアも酒場の夫婦も驚きすくみあがった。先程までの熱が一瞬にして霧散していく。



 フェルス・ファミリー。アンダーボス。


 シンセロ・ウェナティクスが戸口に立っていた。



 壮年の長身痩躯。隙なく周囲を見渡す目は冬の湖のように冷たい。


「なんの騒ぎだ。これは」


 冷淡な口調で、再度問う。


 視線は床に沈む部下に向けられている。



「お前がやったのか?」


 半ば確信を抱きながら、問いかけた。


 黒髪の男はこともなげに、あァと短く肯定してみせた。


「大したものだな」


 周囲の状況からどうやら自分の部下は、この男一人にやられたらしい。そう察したシンセロは素直に称賛した。



(化け物だな……)


 胸中を悟らせないよう、平静を装ってはいるが内心では驚嘆していた。準構成員も混ざっているが大半が構成員である。シンセロ自身、この人数相手では到底勝ち目がない。



 流れ者か、異国の者か。


 さもなくばこんな出鱈目な男が自分の耳に聞こえてこないはずがない。



 シンセロ自身、若い時分は狩狼官として狼を狩りたてていた古強者である。興味が惹かれないわけはなかった。


(まるで手負いの狼だな。それも餓狼の類だ)


 罠で怪我をし、複数の狩人に囲まれた時の狼を想起させた。


 下手に手を出せば、こちらがやられかねない。



 手負いの狼は狩人の喉笛を食いちぎり、包囲を脱するものもいる。黒髪の男の持つ気配はまさにそれだった。



「やるかィ?」


 黒髪の男がスッと構えを作る。傷だらけだろうに、そうと感じさせない滑らかな動きだった。あまりに自然な動作は明らかに古強者のそれだ。



「ほぅ」


 素直に感嘆が漏れた。

 シンセロはしばし、沈思黙考する。

 この餓狼の誘いに浮き立つ己がいるのを感じ、口の端が笑み作るのを意識して抑えた。


「……いや、やめておこう。君一人にこれだけの人数がやられたのだ。これ以上は恥の上塗りになるだけだろう」


 私もアンダーボスとしての立場もある、と付け加える。


「なんだ、やらねェのか」


 未だ拳を解かず、男はぼやいた。


 闘争心の塊のような男だと、シンセロは苦笑した。


 暴力の世界に身を置くものとして、骨のありそうな若者と競いたい気持ちはあるが、シンセロはファミリーの顔でもある。



 どんな経緯があったかは知らないが、部下と大立ち回りを繰り広げ、消耗したところでシンセロが叩くのはあまりに格好が悪い。


 アンダーボスとしての矜持がシンセロを自制した。



 幸い、この場には1組の夫婦と少女だけ。


 これ以上衆目が集まる前に、収拾をつけたい。1人を相手に20人が叩きのめされたなどと知られたら、それこそ面子が丸潰れである。



「ここでやめるってェならいいけどよ、二度とこいつらにちょっかい出すんじゃねェぞ」


 怒気を孕んだ声で、黒髪の男は告げる。


 その双眸の先には夫婦がいた。


 シンセロは夫婦を一瞥し、ついで部下たちに目をやる。


 痛みに顔を顰めていた部下が、恐怖に竦み上がった。


(どうやら非はこちらにあるらしい) 


「わかった。何があったかはこいつらの話を聞くとして、その二人には手を出さないと誓おう」


「……なら、イイや。邪魔したな」


 興味を失ったと、背を向け出口に向かう。




 捨て台詞もないその潔さに、シンセロは好感を抱いた。


「待て、私はフェルスファミリーアンダーボス」


 ピタリと、黒髪の男が止まる。踵を返しシンセロに向き直る。

「シンセロ・ウェナティクスだ」


 意表をつかれたと、大きく目が見開かれる。

 黒髪の男の口の端が軽く釣り上がり、笑みを形作る。 


 コツコツと革靴を鳴らしてシンセロの前に立つ。


(……なんて眼をしていやがる)


 シンセロをして怖気を覚えるほど、眼光が向けられる。視線が直にぶつけられる。


 スッと腰を落とし、右の手のひらを向けられる。


「む……ッ?」


 シンセロは戸惑い、不審そうに眉をひそめた。それを無視して朗々と、張りのある声が響き渡る。



「誠に恐れ入りャすがお控えくだせェ。


 生来の粗忽者にて前後間違えたる段、ご寛恕賜りたくお願い申し上げます。


 手前、生国不詳なれど縁をもちまして、日ノ本は安芸の国に構えもちます安芸国組々長、安芸国 龍蔵に付き従う若い者にございます。若輩にて甚だ恐縮至極ではございますが、若者頭補佐を勤めてございます。



 姓を赤城、名を昇鯉。



 稼業、いまだ円熟ならざる未熟者なれど


 向後万端よろしくお頼み申し上げます」


 一息に、まるで祝詞の如くつらつらと言い切った。


 唖然としているシンセロの前に、滑らかに直立し、一礼をして出て行った。


 黒髪の男。赤城 昇鯉の僅かな衣擦れの音だけを残して。





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