閑話
第1部最終話
「…何ですか、その下品な姿は」
目の前に現れた女性を見て、彼は顔を顰めた。だが彼女はそんなことどうでもいいように、それどころかその反応を期待していたかのようにニンマリと笑った。
「これならわたくしと思われなくて丁度良い、でしょう?」
「わざとですね」
溜息を吐く彼に、彼女は返答をせずに目の前の椅子に座り優雅な仕草で足を組んだ。
彼女は赤みがかった金髪を緩く結い上げ項には後れ毛が流れ、少しばかり胸元の広く開いたドレスを纏っている。ともすれば彼の言うように下品になりかねない要素なのだが、彼女自身から発せられる気品によって少しも崩れた風には思わせない。しかし彼の目からすれば、常に完璧な淑女として凛とした姿しか見せたことのない彼女のこの装いは、ひどく品がないように映るのだろう。
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ここは、王都の貴族の屋敷。
爵位こそ最高位ではないが、財力と権勢は引けを取らない。その屋敷も豪奢を極めているのだが、必要以上に華美にしてはいない。かつてこの屋敷の実権を握っていた者が素材や質に徹底的に拘って作り上げた、芸術品と呼んでもおかしくない屋敷だ。目端の利かない者が見れば爵位なりの地味な屋敷と見るだろうが、本物を知る者は立ち入った瞬間に顔色が変わる。そうやって人を篩に掛ける恐ろしい場所でもある。
「侯爵家からはまだ何も来ていませんが」
「貴方から連絡が来てから『先日流行病で』とでも言うつもりじゃないかしら。便利な言葉ね」
「仕事が遅いのか早いのか分かりませんね」
「弟が遅くて、義妹が早いだけよ。まあ、それでバランスが取れているのではなくて?」
彼女の意見に、彼は大きく溜息を吐いた。
「幽閉したその日の夜に毒杯を届けるなど、早いというより愚かなだけでしょう」
「それはわたくしにも予想外でしたわ。まだまだわたくしも甘いものね」
彼女は、かつてグレッグ伯爵夫人と呼ばれた人物であり、今はもう秘密裏に墓の下に入れられている存在でもある。
彼女が引き起こした騒動により、夫のグレッグ伯爵は嫡男に後を譲り領地に隠居、妻の彼女は離縁して実家の侯爵家に戻されていた。既に弟夫妻が後を継いでいた侯爵家は、騒動を起こした彼女を遠い領地の端に隠居と言う名の幽閉という沙汰を下した。だが、その領地に行く前に軟禁されていた王都の屋敷で、彼女は秘密裏に毒を盛られて死亡していた。
しかしそれは表沙汰にはされず、遺体を乗せた馬車が領地の端、手が回らぬまま廃墟と化した別荘へと向かった。そこで打ち捨てられたのか一応埋葬されたのかは定かではないが、その場所へ送り届けたという事実を以て、彼女はそこで隠居することとなった。
「防毒の魔道具を付けていましたから良かったものの、刺客でしたら危ないところでしたわ」
「ご謙遜を。短剣を扱わせれば私よりもお強いではありませんか、母上」
彼女は、侯爵家を継いだ弟ともさほど交流はなかった。ただ社交好きで華やかな場所が好きな弟は、貧乏侯爵家なのだから身の程を弁えろと何度か忠告した彼女を苦手としてはいたようだった。そしてその妻の義妹は、呆れる程の野心家だった。下位貴族出身で教育不足は否めないが、地頭は悪くないのだからもう少し隠して立ち回ることを覚えればいいのに、と彼女は少々残念に思っていたが、決して嫌っていた訳ではなかった。だが、向こうはそうは思っていなかったようで、離縁して侯爵家に戻ったその日の夜に躊躇なく毒入りワインを送りつけて来たのだった。あまりにも分かりやすい澱んだ色味の不味いワインを飲み干しながら、彼女は高位貴族のやり口を義妹にもう少し教えておくべきだったかと考えていた。
彼女はこうして亡くなったことにはなっているが、実際は代わりの遺体を置いてとっくにグレッグ伯爵家に戻って来ていた。そしてこうして後を継いだばかりの新当主と向き合っている。
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彼女は、かつては侯爵家の跡取として充分すぎる程の知識と教養を身に付けた才媛としてその名を知られていた。その才は王家にすら嘱望されていたこともあった。
彼女をそのまま朽ちさせるのはあまりにも惜しいと、王家直属の「影」と呼ばれる諜報組織が手を回した。近いうちに侯爵家で隠居の後に「病死」として消されるであろう彼女に、別人としてその才を役立てないか、と持ちかけたのだ。そしてその協力者として、彼女の息子のグレッグ伯爵新当主が名乗りを上げた。もともとその取り引きを持ちかけたのは彼で、協力する見返りとして幾つかの切り札を王家に差し出していた。
「これからどうなさるおつもりですか?」
「少しゆっくりと…と思っていたのですけれどね。あまり立ち止まっているのは性に合わないみたい。2日後には国を出る予定よ」
「国外に出た後は…教えてはいただけないのでしょうね」
「そうね。でももしかしたら、国賓を招いて開催される夜会で偶然会うかもしれないわね」
「……お待ちしております」
彼女は全くの別人として国外へ赴き、どこかの要人と会うことになっているとは知らされていた。その後どう振る舞うべきかは追々分かると言われている。その未知の場所へ踏み込むことが不安ではないと言えば嘘になる。しかし彼女はそれと同じだけ心が躍るのも感じていた。婚家や実家と言うしがらみから解放されることが、これほど心を軽くさせるのかと驚いていた。
「楽しそうですね」
「そうね。わたくしはずっと、重たい『家』から逃れたかったのかもしれないわ。それを貴方に押し付けてしまう人間が言うことではないのでしょうけれど」
「いいえ。私はこの重さを求めていました。この重さを抱えながら、どこまで飛ぶことが出来るか…ようやく試すことが出来る。まずは手始めに母上と同じ高みを目指しますよ」
「あら、それは楽しみね」
「母上にはその目撃者となって貰う為に色々使いましたからね。遠くで悠々と眺めていてください」
彼女は自分の持つ全てを託すように育てて来た頼もしい後継者に、心から嬉しそうに微笑んだ。
一瞬、彼が不自然に固まった。
「何か?」
「…いえ…その。…やはりあの愚弟とは血の繋がりがあるのだな、と。今更」
「どういうことかしら」
「気付いておられないのでしょうが、そうやって同じ色を纏っていると、笑った顔がよく似ている」
彼女は今までの自分を捨てて別人として生きる為に、髪の色も目の色も別のものに変えていた。その時に希望を聞かれ、いっそ妹のようになってしまうのも一興だろうと、赤みがかった金髪と翡翠色の瞳になっていたのだ。初めて鏡で自分の変貌した姿を見た時は、あまりの気味の悪さに鳥肌が立った。しかし、それでもそのまま変える気にはならなかったのは我ながら不思議でもあった。
「学園で、魔法科で上位成績者でありながら愚かにも最終学年で騎士科に行った愚弟が…騎士科の連中に囲まれて馬鹿みたいに笑っていた顔と、似ていますよ」
「それはわたくしの笑い方が馬鹿のように見えるということ?」
「…かもしれません」
彼の物言いに彼女は気を悪くした様子はなく、扇を広げていつものように顔を隠しかけたが、そのまま閉じて顔を隠さずにそのまま微笑んだ。
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「ところで、貴方、あれはどうするつもり?貴方までもう毒杯を渡しているとは思わないけれど」
「本当はもう数ヶ月は騒がせておいて、私の評価を上げる手駒にするつもりだったのですが、思ったより使えませんでしたね。もうさっさと領地に送る手筈を整えています」
「当主としてはそこまで無能ではなかったのですけどねえ。ああ、物語などによくある『恋は人を狂わせる』というものかしらね」
「どうでしょうね」
彼は少し皮肉げな笑みを浮かべた。彼女はその表情を見て、彼の方が余程自分に似ていると思えたのだが、彼の目には違って映るらしい。それとも色に惑わされるだけで、皆が実は似ているのかもしれない。
2人の言う「あれ」とは、先代のグレッグ伯爵だった。かつての夫であり父親でもあるのだが、長年の軋轢によりその情はすっかり擦り切れて消失していた。
「少なくとも、私はあれに毒杯を渡すつもりはありませんよ。どうせ逃げる気も、当主の座を奪い返そうとする野心も砕けているでしょうからね」
「もう貴方が当主なのですから、罪人の処断はお好きになさい」
「念の為言っておきますが、親子の情など欠片もありませんよ」
彼は何か不快なものを見た時のように、眉間に深い皺を刻んだ。
「あれがかつて愚弟を飾る為に準備していた別邸があったでしょう?あれを押し込めて置くには丁度良いと思って調べさせたのですが…地下に人形があったそうですよ」
「人形?」
「ええ…確認した者の話では、愚弟を女にしてもっと成長させたような美しい人形が、水晶の棺の中に入れて飾ってあったと」
「……ああ、人形、ね。きっとあの伝手で作らせたのね」
かつて、領地の別邸に閉じ込められていた異母弟。母親に生き写しだったばかりに、美しいまま永遠に手元に置いて、掌中の珠のように慈しもうとした先代のおぞましい計画があった。きっとそこの地下に眠っているのは、一番最初に成功してしまった夢の計画の成れの果て。
「あれには生涯、人形の墓守でもさせておけばいいと思います」
「そう。思うようになさいな」
「そうします」
半分苦笑のような笑みであったが、2人は顔を見合わせて笑いあった。その笑顔は、男女の差はあれどまるで合わせ鏡のようによく似ていたのだった。
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数年後、とある国の老大公が突然20歳以上も年若い後妻を迎えて各国を騒がせた。
老大公とは言えその国のまだ幼い皇帝の強力な後ろ盾で、実質国の最高権力者と同義であった。その権力に与ろうと、今までに多数の女性が近付いたが、それこそ彼を籠絡できる者はこれまで存在していなかったのだ。
若い女に惑わされて老大公もいよいよこれまでか、と目されたが、蓋を開けてみれば彼の隣に立つ女性は誰よりも気品があり、教養知識共に老大公に一歩も引けを取らない程であった。老大公は心強い伴侶を得てますます皇帝の為に尽くし、後に皇帝を建国以来の賢帝と歴史書にも名を連ねるようになるまで導いたとされている。
老大公は、生涯その妻を殊に大切にしていたと伝えられる。妻の瞳に似た翡翠を贈ろうとして、巨大な翡翠の鉱脈を持つ鉱山丸ごとを贈り、やり過ぎだと彼女に怒られたという話は、微笑ましくも老大公の妻への愛情を示すエピソードとして有名である。
老大公の死後、その妻の行方は分かっていない。彼女の出自を示すものは何一つ残っておらず、歴史家の間でも彼女の存在は今なお熱く議論されているという。
グレッグ(元)伯爵は、誰にも邪魔されることなく永遠に変わらない愛する人の傍で暮らせるので、ある意味ハッピーエンドなのかもしれません。
パトリックは後に伯母上の死後にギルドで大泣きしていますが、実はしっかり生きていました。期間は被らなかったけれど、ある意味同僚でもありました。
彼女は当初、老大公へのハニトラ要員として派遣されたのですが、才女ではあるけれどそういった駆け引き経験は皆無だったので見事に大失敗しました。ですが、それが却って百戦錬磨な老大公のツボに入ったようで、逆に彼女に付けられていた紐を引きちぎられて攫われてしまいました。国としてはそれなりに痛手ではありましたが、彼女の故郷ということでその後の国交にもそれなりに手心を加えてくれたり、グレッグ領へもちょっとばかり優遇してくれたりで、結果的にはそこそこ作戦成功となりました。
彼女は教育に才能を発揮するタイプだったので、皇帝の教育係としてその後に大分影響を与えています。
これまであまり愛情を受けて来た経験がないので、結構重めの老大公の愛情も割と普通に受け止めて(鉱山はさすがに無駄遣いが過ぎると説教した)満更でもない様子でその後人生を送りました。




