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パトリシア・グレッグの窮屈な人生、或いはパトリック・ミスリルの優雅な生活  作者: すずき あい
パトリシア・グレッグの窮屈な人生

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7/16

7 過去(4)

戦闘、怪我の表現あります。ご注意ください。


それからの2年半の間。


パトリシアにとって、これまでの人生で最も楽しいと思えた時間だった。

学園で学んでいた時も楽しいとは思っていたが、卒業すれば再び家に縛り付けられる人生が待っている。先の決まった期間より、全ての縁を切ったとしてもその先の自由を望めることが初めての経験だったのだ。



魔法科では男女比率が同じくらいだったせいか、パトリシアの外見もあって望まずとも色々な厄介ごとに巻き込まれたりもしたのだが、ほぼ男性ばかりの騎士科は新鮮だった。パトリシアに近寄って来る相手の考えていることが、思春期の少年らしい下心で大変分かりやすかったので、笑いながら部屋に連れ込んで脱いでやると皆揃って同じような反応を示すのが面白かった。

やがてパトリシアのことが騎士科に万遍なく広まると、扱いが雑になって行くのもまた楽しかったのだ。これまでは実際の性別が分かると腫れ物のような扱いをされることが多かったのだが、騎士科の彼らは見た目よりも実力があることが分かると他の男子生徒と変わらぬ扱いをして来た。意中の女子に悶々としている同級生にアドバイスを求められたりするのも、面倒と言いながらどこか心が躍るものがあった。



「覚悟は決めたか」



学園を卒業してから研修が残り半年になった頃、最後の研修先に決められたグレッグ領に旅立つ前、レナードから直接確認された。短い期間であったが親友とも呼べる存在にも出会い、楽しい日々だった。それを全て手放さなくてはならないことに僅かに胸の奥が疼いたが、パトリシアは迷わず頷いた。


これはもう譲れない。譲ってはいけないものだ。



----------------------------------------------------------------------------------



パトリシアに知らされていた作戦は、グレッグ領で研修中に大規模な盗賊団が侵入し、その捕縛作戦中に盗賊に瀕死の重傷を負わされ治癒院に運ばれたものの治療の甲斐無く亡くなった、という筋書きだった。



勿論これは怪我をした振りなどではない。彼が死亡したことを疑われないように本当に瀕死の重傷を負わせる。仮にも国内でも有数の財力を持ち権勢を誇るグレッグ伯爵家だ。生半可な怪我では高位神官を手配して完治させかねない。どこにも疑わしいところがないように、正式な負傷の記録と治療の痕跡を残し、手を尽くしたものの残念な結果になったと納得させねばならないのだ。一歩間違えればそのまま死ぬ危険性もあった。だが、その覚悟も含めての「第五騎士団」入りなのだ。

とは言え、貴重な素質を持った人材をむざむざ無駄にすることがないように、怪我を負わせる担当に腕利きの諜報部員を盗賊団に潜ませて、作戦は慎重に慎重を重ねて計画されていた。



----------------------------------------------------------------------------------



「…嘘…」


地面に倒れたパトリシアは、愕然とした顔のまま呟いた。




当初の予定通り、グレッグ領を襲った盗賊団の残党を指導官の指示で追った。



共に残党を追う為に組んでいたのは、騎士科で同じクラスだったアレクサンダー・ノマリスだった。

グレッグ領に来る直前の研修先でも一緒で、羨ましいほど背が高く体格に恵まれた男だ。幼い頃からずっと一直線に騎士を目指し、気性も真っ直ぐで剣の腕も立つ。更に初恋の女性と婚約しているという、パトリシアから見ると眩しいほど恵まれた人間。その真っ直ぐさが自分には眩し過ぎて最初は距離を置いていたが、気が付くと彼の人柄に絆されて、近くで他愛の無い話で笑い合っている間柄になっていた。まだ性別を明かしていなかった頃からパトリシアには目もくれずに、婚約者のことを蕩けるような顔で語るのを見ては他の同期と揶揄ったりしていたが、パトリシアはそれを見るのが好きだった。



この残党狩りの為に指導官にパトリシアが呼び出された時、何か違和感を覚えていた。いくら慎重に立てられた計画と言っても人の関わることであるので、多少の変更はつきものだ。それも想定はしていたが、どこか得体の知れない気味の悪さを感じていた。



本来なら、上手く他の者から引き離して孤立したパトリシアを斬る手筈になっていた。しかし、追っている残党達の様子がどうにもおかしかった。身に付けている装備などからどう見ても下っ端であるのに、妙に腕が立った。しかも数名で連携が取れていて、パトリシアだけでなく共にいるアレクサンダーも本気で殺そうとしているように見えた。パトリシアを斬る役は一人だった筈だ。


何かが違うと思い、ひとまず目の前の敵に集中することにした。アレクサンダーと連携して、半数近くを行動不能にした。そろそろ応援の騎士が来る筈だと後方に一瞬目が向いた。


「パット!」


アレクサンダーの声に振り返ると、顔の脇を何かが掠めた。その声のおかげでそれを避けられたものの、長い髪を留めていた紐に絡み付いた。半分髪が解けて、一瞬だが視界を塞ぐ。


次の瞬間、両足と右の肘の辺りに微かな痛みが走った。


「ぐっ!ああああぁぁぁ!!」


微かな痛みと思ったのはほんの一瞬で、すぐに脳天を突き抜けるような痛みが駆け巡った。もう痛みというより衝撃に近かった。


「パット!毒か!?」


何かを放った敵を昏倒させ、アレクサンダーが駆け寄って来た。


「…嘘…」


痛みの中、最初に傷を受けたであろう箇所を見ると、服の裂け目から見る間に自分の皮膚がどす黒く変色し、明らかに溶け始めている。


(これは、おかしい。こんな毒、使う筈、がない)


パトリシアを斬るための諜報員も当然ながら、ただの盗賊団が持っているのはおかしいものだ。彼らはただの盗賊団ではなかったのだろうかと思ったが、それ以上は激しい痛みに思考が散る。



まだ動ける残党から逃れるように、アレクサンダーが即座にパトリシアを抱えてその場から離れた。


「パット!」


他の騎士と合流できれば良かったのだが、最悪にも残党との戦闘で大きく引き離されていたらしい。辛うじて残党達をまき、細く水が流れる場所に身を潜めた。

アレクサンダーは纏っていた防護のマントを手早く広げると、そこにパトリシアを横たわらせる。体の大きな彼のマントは、パトリシアが3人横たわってもまだ余裕がありそうだった。アレクサンダーが身に着けていたベルトを外して、毒を受けた右肩の付け根と両足の膝の上を締め上げる。


「くそっ!回復薬が足りない!!近くに誰か!治癒師は!!」


「い…嫌、だ。死ぬ…の?これから、まだ…」


痛みが広がって行く。手足の付け根を固く縛っているのに、ドクドクと脈を打つごとに腐敗が広がって行くのが、痛みで朦朧とした頭でも分かった。

これまでは死ぬことばかり考えていた。けれど死なずに新しい人生が始められるかもしれないと僅かに希望の光が見えた瞬間、目の前でそれが塗り潰されて行く絶望。かつて味わったどんな絶望よりも深く昏い闇が迫っている。

ひどく手足が冷たく感じた。その冷たさが全身に広がって行く。


「すまん、パット。生きてくれ」


口の中にグイ、と布が押し込まれる。吐き出さないように長い布を上から更に噛まされ、猿轡のように首の後ろで縛られる。そしてアレクサンダーは淡々と迷うことなく、パトリシアの全身の装備や服を外し、代わりに装備に付いていたベルトや革紐などで次々と拘束して行く。力の強い彼の拘束は、パトリシアではビクとも動かなかった。


パトリシアは、彼が何をしようとしているのか理解した。


騎士科の講義で習ったことで、それが今は最善であることは分かった。だが頭で理解するのと感情は別で、パトリシアは思わずもがいていた。死の恐怖に塗り潰されそうになりながら、その中で活路を選択しようとしているアレクサンダーから反射的に逃げようとする体を止められなかった。彼が正しいと思っていても、必死に身を捩ってしまう。叫びを封じられた喉の奥でくぐもった声が漏れる。


アレクサンダーが腰に下げた水筒から、盗賊を斬って血に塗れた剣に水を振り掛けた。そしてなるべく綺麗な布で血を拭う。彼の良く手入れされた大剣が、僅かな星明かりで鈍く反射する。


末端で毒を受けてしまった場合、体の基幹部に毒が回る前にその部分を切り落して命を救う。それが今の最善の手段。


ユラリ、とアレクサンダーが剣を振り上げる。分かっていても、パトリシアの喉の奥から恐怖の悲鳴が上がるのを止められなかった。体の震えも止まらずみっともなくもがいてしまい、打ち上げられた魚のように全身が跳ね上がってしまう。涙なのか鼻水なのか汗なのか、自分の顔がグチャグチャに濡れている。きっと布を噛まされていなかったら泣き喚いてしまっていただろう。頭では止めなくては、と思うのに全く体と感情の制御が利かない。

手元が狂うと判断したのか、アレクサンダーの大きな足がグイ、とパトリシアの足の付け根を踏んで動きを封じる。そして恐怖心をこれ以上煽らないようにと、すぐさま彼の手にした剣が鈍く光りながら視界を通過した。



パトリシアは、少し垂れた彼の優しかった目が、婚約者のことを語る時に蕩けるように甘さを含む金茶の瞳が、ひどく暗い色を宿していたことをはっきりと覚えていた。そしてその彼の顔に血が飛んだ瞬間までで、それきりパトリシアの記憶は途絶えた。



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しばらくは、何だかユラユラとしたぬるま湯の中にいるような感覚だった。

遠くから聞こえる声に、ゆるゆると返答する。頭も全く回っていなくて、答えも滅裂で、要領を得なかった気がする。そんなことが何度も繰り返された。


そんな朦朧とした中で、右腕がひどく痛んだのを覚えている。最初に毒を受けた肘の辺りが特にジクジクとした痛みを伴っていた。誰かが顔を覗き込む度に、痛み止めが欲しいと頼んでいたような気がする。



どのくらい時間が経ったのかは分からなかった。ただ少しずつ意識がハッキリして来てから、ようやく自分の状態を認識できた。

毒を受けたのは右の肘と右足首、左の脛だった。その為右腕は肩から、両足は膝下から失われていた。毒が広がり過ぎる前に切り落すことを判断されたおかげで、もっとも最小限で済むように処置されていた。幸いにも毒の後遺症は体には一切残されていなかった。

治癒院に担ぎ込まれて最初に診てくれた医師の所見では、落とした手足の切り口が見事で、その後の処置も的確だったと伝えられた。



そして支えがありながらもどうにか体を起こせる状態になったのは、意識を失ってから約2ヶ月が経過していた頃だった。



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「話は出来そうか?」


先触れも無く、唐突にレナードが病室を訪れた。

相変わらずどこにいても泰然としていて、パトリシアの病室でさえ主のような振る舞いで上着を脱いで勝手に部屋にあるハンガーにかけている。それがパトリシアには何故か安堵感を与えた。今日は珍しく眼鏡をかけている。整った顔立ちに細い銀縁の眼鏡のせいで、より怜悧な印象になっていた。


「はい。問題ありません」

「そうか」

「気にしている様子だと聞いたのでな。一応大方の状況も判明したので報告に来た」


出血が多かった為に回復が遅く、そろそろリハビリを始めるべきかと医師達が様子を伺っている状態だった為に気を遣われていたのかもしれない。あまりにもその後の情報が入って来ないので、やきもきしていたところだった。


「わざわざ団長に来ていただいて、申し訳ありません。ご足労お掛けします」

「不測の事態だったとは言え、こちらの手落ちだ。(トップ)が謝罪と説明に来るくらいはせんとな」



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パトリシアを一度死んだことにして「第五騎士団」に別人として入団させる為の作戦は、きちんと進行していた。だが、思いもよらない方向で別の思惑が割り込んで来たのだ。


それが、パトリシアの父でもあるグレッグ伯爵だった。



同い年だった嫡男の異母兄も学園を卒業したのだが、伯母が直々に後継教育に携わっていた筈なのだがその成績は凡庸なものだった。反対にパトリシアは、騎士団のトップから推薦を貰うほどの優秀な成績を修めた。もともと政略として義務的な婚姻だった正妻の嫡男と、修道院から攫ってまで真実の愛を貫いた最愛の女性の子供であるパトリシア。正妻の子を後継にすると約束はしていたが、母親達は同じ侯爵家の姉妹であったし、生まれもたった1週間の差。それに出生届を大金を積んでごまかしたことで、戸籍上パトリシアは正妻の産んだ双子の弟だ。


それが、グレッグ伯爵の欲を目覚めさせた。


パトリシアが自領で研修中に盗賊団を壊滅させるという手柄を上げさせて、正妻の言いなりのような凡庸な嫡男よりも後継に相応しいと世間に知らしめる計画を立てた。子飼いの部下を盗賊団に紛れさせて、自領を襲うように仕向けたのだった。


しかし、現在王都の屋敷で伯爵家の実権を手にしているのは正妻である。夫の計画などとうに把握済みで、それを逆手に取って盗賊団にパトリシアを襲わせて後継など務まらないように怪我をさせてしまおうと、襲撃者を雇っていたのだった。


そのおかげで、グレッグ領には同時期に大規模な盗賊団が2組も襲来することになったのだった。



「正妻殿は、お前を亡き者にする気はなかったと言ってはいたがな。顔に大きな傷でも付けば上等、だとかな」

「ああ、伯母上なら言いそうですね」



当初の計画の襲撃者を装った諜報員は勿論、パトリシアに手柄を立てさせようとグレッグ伯爵が目論んだのなら、あれほどの猛毒を持った襲撃者は必要なかった筈だ。しかしそれならば彼女の言い分もおかしい。あの襲撃者は明らかにパトリシアの命を狙っていた。一番パトリシアの命を狙っていてもおかしくないのは正妻の彼女ではあるが、パトリシアは何故か彼女の言い分は信じられる気がしたのだ。



「お前やその場に居たアレクサンダーの話を聞く限り、使用された毒は暗殺を専門に請け負う組織で扱われているものだろうと予測される。ただ、残念ながら証拠になるようなものは残されていなかった。そのことから、グレッグ領内部に内通者がいると当たりが付けられたのだがな」



調査の結果、パトリシアに残党を追うように指示を出した指導官が内通者の一人だと判明はした。

彼はアレクサンダーが研修中の新人だと分かって敢えてパトリシアと組ませて残党を追うように指示を出し、アレクサンダー諸共始末してしまおうと考えたらしい。新人であれば、実力不足や命令違反を言い訳にしても通用すると思ったようだ。誤算だったのは、パトリシアとアレクサンダーはグレッグ領に来る前から同じ研修場所で組んでいたことが功を奏して、新人とは思えぬ程に連携が取れていた。当初は盗賊の残党の仕業に見せかける予定が、想定外に手こずった為に暗殺者も正体が分かってしまう毒を使用せざるを得なくなったらしい。


それでも内通者は、現場の混乱に乗じて暗殺者や毒の痕跡を消し、目撃者がいないのをいいことに、アレクサンダーが指導官の命令を無視した挙句、同期の新人、しかもグレッグ伯爵令息に瀕死の重傷を負わせたのだと証言した。


「アレクは…アレクサンダーはどうなります。彼は、僕を助けようとしただけで…」

「落ち着け。命令違反だと証言したのがそいつだけだったから、正式な調査が終わるまではどうすることも無い。すぐに王都に取れ戻して現在は謹慎中だ。謹慎中と言っても騎士団の訓練には参加させているし、家族との連絡も取らせている」



実はパトリシアに重傷を負わせたという証言を聞いて激怒したグレッグ伯爵が、アレクサンダーを拘束して即日処刑しようとしていた。そこを作戦に携わっていた諜報員が機転を利かせて間一髪で救出して事無きを得たのだが、そのことはアレクサンダー自身も気付いていないので、敢えてパトリシアに教えて傷を深くする必要もないとレナードは黙することにした。



「婚約者とはどうなりました?まさか解消になったりしてないですよね?」

「そうなったらあいつ今頃死んでるだろう」

「…ですね」


アレクサンダーの婚約者の溺愛っぷりは騎士団トップも知るところらしい。


「さすがに謹慎中に会わせてやることは出来ないが…早く会わせてやりたいのだがな」

「会いたがってるでしょうね」

「…これ以上会わせないと、何かが産まれそうで怖い」


一応中を検閲する条件で、婚約者の手紙を受け取ることも許可されていた。アレクサンダー側から返信を出すことは出来ないが、彼女は律儀にも毎日手紙を送ってくれているらしい。内容は些細な日常のことと彼の体を気遣うものだそうだが、アレクサンダーはその手紙を大切に読み耽った後に部屋の棚に並べて日々祈りを捧げているとか。そして訓練場の隅に咲いている野花やら、ちょっと光る石やら、しまいには出て来る食事までまず捧げているとかで、まるで祭壇のようになっていると報告が来ていた。

その報告を聞いたレナードは大分引いたのだが、報告者の方もかなり顔が引きつっていた。



「内通者だった男は、もともと指導官などではなかった。長く王都の屋敷に仕えていた者で、盗賊団襲撃の前に何故か領地に来ていた。奴に暗殺者を仕向けるように命じた者が誰かと訊問してはみたが…何かを言う前に自ら命を絶った」

「命を…」

「まあ正確には、何も言えなかったんだろうな。いくら薬や魔法を使っても自分の意志だと言い張っていたからな。とは言え、奴の力ではそこまで実行できるとは思えない。おそらく奴も知らないところで全てをお膳立てしておいて、まるで自分の意志で実行したと思わせた…と言ったところだろう」



男は、自白の際に自分の仕えていた正妻に対する並々ならぬ執着を示していた。その想いは、恋愛感情というよりも崇拝のようだった。

夫であるグレッグ伯爵が彼女を蔑ろにすることを以前より腹に据えかねていた男は、嫡男までも貶めようとする卑劣な手段を利用して、反対にグレッグ伯爵の大切にしているパトリシアを亡き者にしてしまおうとした。それが男の語った今回の顛末だった。

確かに理由の筋は通っているように思える。しかしグレッグ伯爵の目論見を知ったきっかけや、暗殺者を手配するルートが全く不明のままだったのだ。男の立場や身分ではそこまで計画することは不可能だろう。


「その男が死ぬ間際に語ったことを正妻殿にぶつけたところ、少し考えた後に急に証言を翻し『全て自分が仕向けた』と言い出した」

「そんな筈ないですよ」

「そうだろうな」


彼女は、最初はパトリシアへの殺意は否認していたが、その証言の後は一転して全て自分の仕組んだことと主張し始めた。



その突然の翻意に周囲は戸惑ったが、彼女は実に優雅な笑みを浮かべながら続きを口にした。


『可愛がっていた長男より、折り合いの悪かった次男を取り立てようとしていた夫に腹を立て、次男に怪我を負わせてやろうと腹心の部下に命じましたの。それが間違って伝わったのか、必要以上にわたくしの気持ちを慮ってなのかは分かりかねますが、それを盗賊団に依頼してしまったのでしょう。全てはわたくしの嫉妬から出た愚かな行為…()()()()()()()()()()()()()?』



現当主が、大きな瑕疵のない嫡男を廃する為に自領に盗賊団を引き入れたという行為は、それこそ国に対する反逆行為だ。国内一ともいえる豊かな穀倉地帯のグレッグ領を、自己の欲の為に荒らすことはあってはならない。間違いなく領地没収の上に爵位剥奪されるだろう。最悪、一族処刑の可能性もある。

当然その妻がしてもいいことでもないが、動機が嫉妬であり、意図が間違って伝わってしまった、ということで罪の所在を自死した男と自身にあるということにして、領地没収とお家取り潰しという最悪の選択を避けられないか、という取り引きだった。



「上層部でも、お前を引き入れることと盗賊団をけしかけてついでに一網打尽にしようという策を計画していただけに、どうにも耳に痛い話になって来てな」

「やってること、ほぼ同じですからねえ」

「そういった感情もあったのか、後はさすがにグレッグ領を潰すと後始末が大変なことになるというのもあったのか、表向きはただの盗賊団襲撃ってことに収める方向になった」

「それ…いいんですか」

「あくまでも表向きは、だ。そして裏の記録では、正妻殿が嫉妬から次男の暗殺計画をお膳立てした、と残されるだろう」



表向きは、健康不安を感じたグレッグ伯爵が3年以内に嫡男に爵位を譲り隠居となり、正妻は共に隠居するか離縁して実家に戻るか、ということになった。共に隠居を選んだ場合は処遇は嫡男に、正妻が離縁した場合は彼女は実家の侯爵家に委ねられる。どちらも隠居して数年後に、それぞれ病死扱いとして毒杯を受けることになる確率は高そうだった。


そして当人に罪はないものの元凶となってしまったパトリシアについては、予てからの希望もあったと言うことで、完全にグレッグ伯爵家から縁を切り、不幸な事故に見舞われた一介の騎士扱いとされることとなった。



「縁を切れるのは…願ったり叶ったりですが…アレクの処遇はどうなるのです?」

「命令違反ではなく、指導官のミスということにはなるからそちらは無効になるが…同期の騎士に重傷を負わせた未熟者、という不名誉は避けられないだろうな」

「そんな…!アレクは僕の事情に巻き込まれただけでしょう!的確な判断で僕の命を救ってくれたのは、功績として讃えられる筈なのに!」

「そうなると何故お前が毒を喰らったのか、その経緯を公表しなければならなくなるぞ。それで芋蔓式に伯爵家は取り潰し、お前も連座で罪人だ」

「それは……」


レナードの眼鏡の奥の灰色の瞳が冷たい光を帯びる。しかし、パトリシアはその視線を受け止めて睨み返した。


「それでも構いません。僕は…僕は伯爵家から縁を切る手段として騎士を選んだ半可者です。でもアレクは違う!あいつは、ずっと、ずっと騎士になる為に努力して来たんだ。僕のせいで名誉と将来に傷を付けるくらいなら、願いなんて叶わなくてもいいです…!」

「あまり興奮するな。さすがに体に障る」


大きな声を出しただけで、まだ体力の戻っていないパトリシアは肩でゼイゼイと息をした。体を支え切れなくなって、グラリと傾く。危うくベッドから滑り落ちる前にすかさず椅子から立ち上がったレナードがそれを支えて、そっとベッドに横たえた。


「お前の意志はアレクサンダーに伝えよう。その上で暗殺事件として公表するか、不幸な事故として扱うかはあいつに委ねる」

「…そんなの、卑怯ですよ。アレクの答えなんて決まってるじゃないですか」


真っ直ぐな気性の彼のことだ。公表してパトリシアが罪人になるのならそのまま騎士として不名誉な未熟者の誹りを受けることを選ぶだろう。


興奮しすぎて熱が出て来たのだろうか。パトリシアの頬が赤くなり、翡翠色の目が潤んで来ている。それだけ見れば、悩ましい美少女が横たわっているようにしか見えない。


「この話をする時、アレクの婚約者を、同席させることはできますか…?」

「難しいが…不可能ではないな」

「そうして下さい。もしかしたら、彼女なら、アレクがすすんで不名誉を受けようとするのを止めてくれるかもしれない。それにアレクも彼女に苦労を掛けるくらいなら、思い留まるでしょう」

「お前より婚約者殿を取るか」

「当然ですよ。だってアレクですよ?」

「違いない」


微かに笑い声を漏らして、レナードはフワリと毛布をパトリックの上に被せた。


「その上でなら、アレクがどちらを選んでも従います。あ、あと治療費も見舞金も要らないと言っておいてくださいね」

「承知した」


レナードがチラリと壁にかかっている時計に目をやった。いつの間にか面会時間も終了に近付いている。


「もしこの件を公表するのなら、お前は罪人として毒杯を受けた後に()()として『第五騎士団』に迎える」

「…え?」

「事故として済ませるのなら、ただの()()()()()として『第五騎士団』に行くことになるだろう」

「それって…僕には、都合が良過ぎやしませんか…?」


戸惑うパトリシアに、レナードはポンと頭に手を乗せる。態度や所作は貴族のものなのに、その手は剣を持つ為に固く節くれ立っていた。まさしく騎士の手だった。


「お前は生きて夢を叶えた。おめでとう、頑張ったな」

「…団長…!」


一度だけサラリとパトリシアの頭を撫でてその手が離れる。彼の潤んだ目から、遂に涙が零れてこめかみを伝った。


「後は無駄に長生きしている年寄りに任せておけ。悪いようにはせんよ」

「はい…」


立ったままのレナードは、そのまま椅子には戻らず帰り支度を始めた。


「団長」

「ん?何だ」

「アレクに、伝えてください。アレクのおかげで夢が叶った。アレクのおかげで生きていられる、と」

「伝えておく」


軽く笑って、レナードが病室を出て行った。




一人残ったパトリシアは、次から次へと溢れて来る涙を抑えることなく流し続けた。残った左手の袖で頻りに拭っていたので、ようやく涙が止まった頃にはすっかり瞼が真っ赤になって、袖は絞れるかと思うくらいにぐっしょりになっていたのだった。




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