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パトリシア・グレッグの窮屈な人生、或いはパトリック・ミスリルの優雅な生活  作者: すずき あい
パトリシア・グレッグの窮屈な人生

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2/16

2 過去(1)

※本日2話目


虐待を思わせる表現があります。ご注意ください。


パトリシア・グレッグは、グレッグ伯爵の庶子として生を受けた。しかし、伯爵家ではそれを知るものは殆どいない。パトリシアは正妻の産んだ双子の、病弱な妹として領地で育てられたのだ。領地から出られない程に病弱である故にどこかに嫁ぐことも出来ず、将来的には修道院に入って神に生涯を捧げて生きねばならない悲劇の令嬢として。



月足らずで誕生したため、正妻の産んだ長男とわずか1週間遅いだけだった。伯爵の愛人だった母は難産であったが故にそのまま儚くなったのだが、そのせいで隠していた愛人の存在が明るみに出てしまった。


産まれたばかりのパトリシアにはその時のことは分からない。ただ何らかの取り決めが交わされて、世俗から切り離された領地の更に奥の別邸で物心ついた頃から暮らしていた。


母の乳母はそのまま自分の乳母になった。赤みがかった金髪に翡翠色の瞳で母に生き写しだったパトリシアは、かつての母と同じように乳母に溺愛された。蝶よ花よと大切にされ、生まれ持った病を他の人に知られないように、と直接の世話は乳母以外は許されなかった。特に他者に病の姿を見せてはいけないと、湯浴みや着替えは徹底して隠された。


父の伯爵は、時折訪ねて来た。いつも何台もの馬車一杯の贈り物を携えて、別邸に滞在する時は片時も手放さない程だった。機会こそ少なかったものの、溢れんばかりの愛情を惜しみなく注いで行った。


それが、幼い頃のパトリシアの全てだった。



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「何てみっともない子なのかしら。ああ嫌だ」


そのうちに父と共に一人の女性が来るようになった。その女性が父の妻と知ったのはメイド達の囀りだった。母とは違う、妻。その頃は何が違うのかは分からなかったが、全くの別物だということは理解していた。


父の贈ってくれるドレスや靴は窮屈だったが、とても可愛らしいものだった。着ると父が喜んでくれるのも嬉しくて、体中を締め付けるのは苦しかったがすすんで着て見せた。

だが、彼女が来るとそのドレスはすぐに取り上げられた。クローゼットに入っているドレスも靴も全て。その代わりにレースの一つも付いていない地味な色の古着や乗馬服を押し付けられた。会ったこともないが兄のお下がりだと、蔑む口調で教えられた。どれも緩くて、着ているのが不安になる程だった。


その姿を見て、乳母や別邸のメイド達は可哀想にと嘆いたが、雇われている身分では彼女の前では黙るしかなった。


そのうち彼女は、引きこもってばかりいるから病が治らないのだと乗馬や剣術の教師も連れて来るようになった。彼らは容赦なく厳しく、病の影響か華奢で体力もない身にはひどく堪えるものばかりで、更に気まぐれに彼女自ら手ほどきをしてくる護身術は殊の外厳しかった。幾度となく打ち据えられて、何度気を失ったかも覚えていない。それでも教育は止められることはなく、彼らが帰るまで青痣だらけになって耐えなければならなかった。


極めつけは、食後に飲まされる薬湯と称する緑の液体だった。それはひどく苦くて、一口でも飲み下すのに苦労した。だが彼女は、なみなみと注がれたカップいっぱいを飲み干すまで絶対に目を離そうとしなかった。残したりわざとこぼしたりすると、容赦なく手にした扇で叩かれた。そしてやっと飲み終えた頃、必ず激しい腹痛に襲われた。その反応にさすがに乳母はひどく狼狽し、薬湯を止めるようにシェフに申し入れたようだが、全く取り合っては貰えなかった。


ある夜に、彼女に直接願い出て来ると、わざわざ取り寄せたという高価な茶葉と特別な茶器をワゴンに乗せて部屋を去った後、乳母は別邸から姿を消してしまった。乳母の姿はそれ以降一度も見ていない。


乳母の代わりに来た侍女は妻の息のかかった者で、それこそ毎日薬湯を飲まされるようになった。しばらくすれば体が慣れたのか、激しい腹痛を起こすことは減ったが、それでも苦しいことには変わりはない。


メイド達は頻りに可哀想と囁くけれど、それだけだった。


こっそりと父の土産の砂糖菓子や宝石の付いた櫛を持って来る者もいたが、それが見つかってひどく叱られ、時にはパトリシアが侍女に鞭で打たれて罰を受けたとしても遠くで見ているだけで庇ってくれもしなかった。メイド達はパトリシアを可愛らしい人形かペットと同じ扱いをしているのだとやがて嫌でも理解した。好きな時に好きなように愛でる為に構うだけで、誰一人頼りにはならない。



侍女や教師達によって体の見えないところに付けられた傷は、いなくなってしまった乳母の言いつけ通り誰にも頼らず自分で薬を塗った。その薬が染みるからなのか、それとも乳母の少し乾いた温かな手を懐かしく思ったのか、涙が止まらなかった。



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いつのことだったか、夜に父が珍しく一人で訪ねて来て「お前の病を治療してくれる良い医師が見つかった。手術が必要になるが、必ず良くなる。そうしたらここを出て一緒に暮らそう」と抱き締めてくれた。


恐ろしい妻、その息がかかった侍女。ただ無責任に気まぐれに世話を焼くだけで、何かあると遠巻きに眺めるだけのメイド達。


自覚のない病の為に手術を受けるのは不安ではあったが、この地獄のような場所から逃げ出して優しい父と暮らせるのは希望のように思えた。



その日は、まるで幼い子供だった頃のように父と同じベッドで眠った。



深夜だったのか明け方だったのか、誰かが争うような声で目が覚めた。暗い中、誰かが怒鳴り合っている。

恐ろしくて身を竦めていると、誰かが強く手を引いた。そのまま部屋から引きずり出され助けを求めて手を伸ばすと、追いかけて来た父の姿が見えた。これで助かる、と安堵した瞬間、世界がグルリと反転した。



その時は分からなかったが、今思うとあの時は階段から突き落とされたのだろう。衝撃と痛みの中意識が途切れる寸前、視界の端であの女が鬼のような形相で見下ろしているのが見えた。



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