7 幸福
キュプレウス王国のことを聞き出そうと、その後もアワノと色々と話していたら、気が付くと夜が明けていた。お礼に持って来た筈の菓子はほぼアワノが食べ尽くしてしまい「また改めて…」とペコペコしながら部屋に引き返して行った。
「……さすがに疲れた」
「有意義な話…ではあったけどね」
「後で僕が受付で部屋の清掃は断って来るよ。今日は一日寝てよう」
「…そうね」
2人とも脱力してベッドにゴロリと転がった。
「…ねえ、あのアワノって子、無事に王国に帰れるのかしらね」
「危なっかしいけど、何とか…なる…かなあ?」
いつもは配達してもらっている魔道具の眼鏡を、突然何を思ったのか彼女の上司にあたる大神官に「色々体験して来るのも大事です」と直接取りに行くよう送り出されたそうだ。アワノは国外に出るのは初めてだったそうだが、よくまあここまで無事に行き着いたものだとしみじみ思わずにはいられなかった。
眼鏡を受け取るために工房に辿り着くまでの話を聞いていただけで、一体何の伝説の冒険譚かと思いたくなるような波瀾万丈すぎるエピソードが満載だった。因みに眼鏡は予備で10個も作ってもらったのに、既に3つ破損または紛失しているらしい。
「……ここから王国まで3日くらいだし、一緒に行ってあげない?」
「それは…ターニャがいいなら」
パトリックは少し手を伸ばして、シーツの上に広がっている彼女の髪を指に絡めた。
「ターニャ、最初はあの子に対して対応が厳しかったから、気が合わないのかと思った」
「…それは…」
ターニャは横になったままパトリックに少し視線を向けて、それからクルリと背を向けてしまった。その弾みで、彼女の黒髪が絡めた指から逃げる。
「…警戒、してたの」
「まあ出会った時から挙動不審だったしなあ」
「………」
「?ターニャ?」
彼女が何か小さく呟いたのだが、聞き取れずにパトリックがモゾモゾとベッドの上を移動してターニャの背中に張り付くように体を寄せる。
「年、あまり変わらないかと思ったし、黒髪だったから」
「うん?」
「パット、黒髪の年上、好みじゃない」
呟くように言って、ターニャはパトリックに背を向けたまま目を閉じた。背中越しに覗き込むように眺めた彼女は、いつもの小麦色の肌が普段よりもうっすら赤みを帯びているように見えた。
「嫉妬、してくれてたってことで、いいのかな」
「…そうね」
閉じたままの彼女の長い睫毛が微かに揺れる。その様子を見て、パトリックはゆっくりと蕩けるような笑みを浮かべて、ターニャの体に腕を回して抱き締めた。
「黒い髪も年上も好きだけどさ、その上最高に可愛いターニャ以外に僕の目が向く筈ないでしょ」
パトリックはそう耳元で小さく告げて、いつもよりも赤く熱を帯びている彼女の耳にそっとキスを落とした。
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「スタン様、何か良いことがありましたの?」
スタンリーは学園のカフェで、コーヒーにたっぷりのミルクを注いだものを楽しみながら少し葉が色づき始めた庭園を眺めていた。不意に少し離れたところで、彼を呼ぶ可愛らしい声がした。
「リリ嬢」
小柄で黒髪の愛らしい少女がテーブルの側まで来ると、スタンリーはサッと立ち上がって、側にいる護衛を制して自ら彼女の為に椅子を引いた。彼女は小さく礼を言いながら美しい所作で席に着く。
彼女に同行していた護衛は、心得たと言わんばかりにテーブルから少し離れ、先程から離れたテーブルからしつこくスタンリーに秋波を送って来る令嬢が彼女の視界に入らない絶妙の位置で待機する。スタンリーの視界に入るのは不快だが、彼は座っていた椅子の位置を少し変えて彼女しか目に入らない向きに座り直した。あからさまに彼に背を向けられた令嬢の形相は大体想像がつくが、そんなものはさっさと頭の中から追い出して、目の前の可愛らしい彼女だけを見つめる。
「母から手紙が来たのですよ」
「まあ、キュプレウス王国のお義母様から?お元気でいらっしゃいますの?」
「ええ。私に妹が出来ると報告をいただきました」
スタンリーは、今年学園の最終学年に進級していた。成長期を迎えて彼の色香は更に磨きがかかり、目が合っただけで倒れる令嬢が出る魔性の男とさえ言われていた。しかしその外見とは違い、性格は明るく気さくで話しやすいせいか、高位貴族だけに留まらず下位貴族や商人、そして平民にも幅広く友人がいて、その人脈の豊かさが彼の自慢の一つだった。その為スタンリーの側には常に優秀な者が集うと言われている。
その彼と向かい合わせに座っているのは、リリレウム・シーシュ第4王女であった。スタンリーより1学年下の彼女は、シーシュ王国からこの学園に留学して来た。彼女が入学して来た時に一目惚れしたスタンリーが全力で彼女を口説き落とし高速で外堀を埋め、今は正式な婚約者としてシーシュ国王からも認められている。
「妹様が?それではお祝いを贈らないといけませんね」
「いえ、まだ産まれていないのですが」
「?ですが妹様と…」
「私の希望ですが、絶対妹であると確信しています」
「まあお気が早いですわ」
リリレウムは鈴を転がすような声で楽しそうに笑った。
「母の再婚相手もどちらかと言うと可愛らしい方でしたので、妹ならばどちらに似ても絶対に愛らしい美人になると思うのです」
「スタン様はお母様似なのでしょう?それでしたら弟様も素敵になると思いますわ」
「それは駄目です。リリ嬢が私以外の男を褒めてはいけませんから」
「弟様でも?」
「それでもです」
スタンリーは断言して、リリレウムの手を取って指先に軽く唇を落とした。背後で何か騒がしい音がするが、知ったことではない。彼女がほんのりと頬を染めて、少し恥ずかし気に目を軽く伏せる姿しかスタンリーの目に入っていない。
「リリ嬢、少し先のことになりますが、もしよろしければ貴女の卒業後にキュプレウス王国へ行きませんか?」
「あの国は入国が難しいと伺いましたが、大丈夫なのでしょうか?もし行くことが叶うのでしたら、あの黒騎士様の物語のモデルになったという水晶宮を一度でいいから見てみたいですわ。物語にあった、建物の中にいながら星空を眺めることが出来たら素敵でしょうね」
「母が新婚旅行で来ると良いことがあると手紙に書いておりました。母も義父も王国で暮らしておりますし、何か伝手があるのでしょう」
「新婚旅行…」
リリレウムがポツリと呟いてますます顔を赤くする。彼女が学園を卒業してこの国の成人を迎えると同時に、サンターナ家に降嫁することが決まっている。もう既に昨年からシーシュ王国とサンターナ侯爵家では婚礼の準備が始まっている。
「その際、シーシュ王国にも参りましょう」
「シーシュ王国へ…」
「義母上殿にも貴女の婚礼衣装をお見せしたいでしょう?」
「…ありがとうございます」
リリレウムの義母は、かつて異国の王の恋物語として話題になった側妃であった。彼女は噂では国王と運命的な出会いをしたと言われているが、実は長らく王宮に仕えて王子王女の世話を担当していた侍女の一人だったのだ。
正妃が亡くなった後、国王は心優しい彼女に密かに思いを寄せていたらしいのだが、未亡人だった彼女に思いを明かせずにいた。それを知っていた王子王女達が後押しをする形で、反対派の妨害を一丸となって撥ね除け漸く思いが通じ、正式な妻として迎えることが出来たのだった。一度他の貴族に嫁いでいる為に側妃という身分ではあるが、実質今の王に取っては正妻も同様だった。
幼い頃に亡くなった実の母の記憶がない彼女は、侍女であった頃から側妃に特に良く懐いていた。しかし、身分などの理由によりリリレウムの婚礼には参加することが出来ないのだ。新婚旅行で非公式であれば、実際の花嫁衣装を見せることも可能だろう。
「他にも行きたい国があればどこでもお連れしますよ。リリ嬢の望む場所なら、世界の果てでも」
「ふふ…考えておきますわ。わたくしの黒騎士様」
世界中で愛されている児童書「黒騎士の冒険譚」シリーズの最終巻で、黒騎士は妻と共に「世界の果て」と呼ばれる楽園へと旅立つ場面で終わっている。そのラストシーンは明るく希望に満ち溢れた絵と文章で締めくくられていて、子供達は少しの寂しさと未知なる土地でまだ続くであろう彼の活躍を予感しながら本を閉じるのだ。
リリレウムも幼い頃からの愛読書だと言っていたので、それに掛けて言ってみたのだが、すぐに分かってもらえたようだ。しかも「わたくしの黒騎士様」というのは、作中で彼の妻が婚礼の儀の際に一度だけ言った台詞だ。スタンリーも熱心な愛読者だけあって、その言葉につい頬を赤くした。
その彼の顔を遠目に見た令嬢が数名卒倒したのだが、2人だけの世界に入っていた彼らには周囲の喧騒は一切届いていなかったのだった。
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「ドルイク師匠!」
「おー!パット、元気そうじゃねえか」
キュプレウス王国の魔道具師ギルドに昨日待ち人が入国手続きを終えて到着したとの連絡を貰って、パトリックは翌日朝早くからギルドに訪れていた。何度も足を運んですっかり顔見知りになった職員に挨拶をすると、その向こうに懐かしい見知った顔を見かけてパトリックは手を振った。
「師匠本人が来て良かったの?」
「一番出来るヤツが来ねえと下に教えるのも出来ねえだろうが」
「一番教えるのが下手な人が何言ってるんだか。どうせ主任が来るところを強引に割り込んだんでしょうが」
パトリックがキュプレウス王国に入国して3年近くが経とうとしていた。
彼が魔動義肢とその中に使用されている合成魔石をアワノの紹介で魔道具師ギルドに持ち込んだところ、自国とは違う理論で構築された魔道具や合成魔石に大いに興味を示された。それを足がかりに、ギルドと年月を掛けて交渉を重ね祖国との技術者交換の実現に漕ぎ着けたのだ。国同士の契約をすることはさすがに無理だったが、ギルドレベルであればどうにか可能だった。
まずは1名からではあるが、それなりに国家機密を扱う立場にいるレベルの魔道具師を互いの国に送り合って、それぞれの持つ技術を教え合い学び合い更なる魔道具の発展を目指すことを目的にする。最初の一歩ではあるが、これが上手く行けば人数を増やすことも出来るようになるだろう。
長い時が掛かるかもしれないが、パトリックの目標は魔道具師だけではなくもっと広い分野での交換留学生の制度を確立するところまでは辿り着きたいと考えていた。
「まあ無事に入国できて良かったよ。師匠なら大丈夫だと思ってたけど」
「おう!何せオレは魔道具にしか興味がねえからな!」
「そこ威張るとこじゃない…」
「細けえこたあ気にすんな!お、そうだ、こいつを親父さんから預かって来たぜ」
「誰だよ、親父さんて…」
懐から無造作に出した小さな布袋を渡されて、パトリックは苦笑しながら受け取る。
予めレナードから遅い結婚祝いと早い出産祝いをドルイクに託したと連絡を貰っていた。そのまま配達にすればいいのにと思ったのだが、布袋の中を見てドルイクに託した意味が分かった。そこには驚く程深い青を内包した透明感のある魔石をトップにし、赤みがかった金色の鎖で繋いだペンダントが入っていた。これほど透明感のある魔石では高価過ぎておいそれとは配達には出来ないだろう。
「これ…」
「お前さんの親友夫妻がくれたんだと。ほれ、いつぞや合成魔石で作った指輪の礼だとさ。そんであの指輪並に団長殿がガッチガチに付与入れてたぜ」
更に布袋の中には、青い色の花が刺繍されているハンカチも入っていた。花に添うように入っている緑の蔦模様は、健康と安全の祈願の意匠が施されている。美しく丁寧な縫い目は、贈ってくれた人の温かさと優しさを伝えてくれているようだった。きっと魔石のペンダントはアレクサンダーが、このハンカチと刺繍は彼の妻が用意し、贈ってくれたのだろう。
もう何年も会っていないし、もしかしたらこの先二度と会うこともないかもしれない。それでもこんなにも彼らの存在を近くに、温かく感じることが出来た。
「ありがとうごさいます。付与付きの指輪はあるけど、追加で付与付きの装身具を探してるところだったからすごくありがたいな」
「最初は指輪の予定だったんだがな、お前さんが贈ってない筈がねえ、ってオレが変更させたんだ」
「あはは、読まれてた」
かつて共に騎士であったアレクサンダー。彼はそのまま騎士を続け、近いうちに団長に昇進すると聞いていた。そして彼の愛妻家ぶりは、今や騎士団では知らぬ者はいないと言われているらしい。
彼はパトリックが今は髪色も瞳の色も変わっていることは知らない。だからこそこの赤みがかった金の鎖を選んだのだろう。その色はかつて自分が纏っていた色によく似ていた。それを見て少々複雑な気分ではあったが、これを身に着けてくれるターニャの肌の色にはよく映えるだろう。そう考えると、却って良かったのかもしれないと思えた。
「近いうちに奥方も紹介してくれよ。一応それの鎖の長さも見て調整してやるから」
「今日はウチにも案内するつもりだけど?」
「いや、今日は一人であちこち見て回りてえ。色々珍しくって走り回りたくてウズウズしてるんだ」
「師匠らしいや。でもあんまり知らない人に着いて行かないでよ」
「ガキじゃねえぞ、安心しろ」
「どうだか」
パトリックはひとまず自分の連絡先を渡して、ウキウキと弾むような足取りで街中に消えて行ったドルイクを見送った。パトリックも今回の技術者交換に関わっているので、頻繁に魔道具師ギルドには顔を出している。ドルイクとはここでいつでも顔を合わせることは出来るだろう。
今日は一日街を案内しようと思ってはいたのだが、すっかり予定が空いてしまった。それならば早く自宅に戻って渡されたペンダントを着けたターニャを見たかった。パトリックは急ぎ足で帰路についたのだった。
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「へえ、パットってこんな髪色してたんだ」
帰宅してすぐにターニャに着けてもらったペンダントは、やはり彼女の肌によく似合っていた。そして一体どう伝えたのか、青い魔石の色は彼女の瞳の色そのものだった。
「団長様はあたしのことも知ってるだろ。それに目はスタンリーと同じ色だから、それで合わせたんじゃないのかい」
「そうなのかなあ」
「妬かないの」
何となく解せない、といった顔をしているパトリックに、ターニャは軽く唇に触れるだけのキスを落とす。
刺繍入りのハンカチは、一旦既に準備してある揺り籠の中に置いておく。健康と安全の祈りが込められているので、子供が産まれたらどこか近くに飾ろうと考えていた。
「そうだ、スタンリーからの返事が来たんだよ。是非新婚旅行でこっちに来たいってさ」
「再来年だっけ?もう結婚するのかあ。貴族は大体早いけど、学園入学前に会った子供の顔しか知らないから全然そんな気がしないなあ」
パトリックの中では、一度だけ会ったスタンリーの美しいがまだ少年の面差しだった彼の顔のままで時が止まっている。きっと今頃は周囲が見惚れるような魅惑の青年になっていることだろう。
「次期侯爵家当主と降嫁した王女様の新婚旅行かあ…当人達はいいけど、従者とか護衛とかが全員入れるかは微妙だね」
この国は「悪意」を持つ人間は入国できない。噂ではスタンリーの婚約者である王女は、おっとりとして大変気立てが良いと聞いている。末姫だった為に王族教育というよりも他国への降嫁を見越した教育を受けていて、あらゆる国の文化や芸術に特に造詣が深いそうだ。きっとこの国の美術館や博物館などには、彼女の興味を引くものが沢山あるだろう。噂の通りであればおそらくスタンリーと共に問題なく入国できるだろうが、身分的に多くの従者や護衛が付く筈だ。その中に問題のある人間がいないとは限らない。
「そこが狙いだよ」
「え?」
「侯爵様情報だと、ちょっと王女様側に色々野心の強すぎる従者や侍女が紛れてるらしくてね。目星はついてるんだけどなかなか向こうに送り返す切っ掛けがないみたいで、一度こっちに呼んで一掃して欲しいってさ」
「ああ…相変わらず侯爵様と仲が良いねえ」
「スタンリーもこっちの思惑に気付いているといいけどねえ。どうも可愛い婚約者に骨抜きになってて気付いてなさそうだよ」
年を重ねた分、衰えるどころが老獪さが冴え渡るターニャの義父にあたる現侯爵家当主は、まだまだスタンリーが及ぶところではないようだ。パトリックは内心またかつてのように「次期侯爵、頑張れよ」とスタンリーを応援せずにはいられなかった。
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「ねえターニャ」
パトリックはゆるりと椅子に掛けたターニャを、後ろから背もたれごとそっと抱き締めた。産み月間近で大きくせり出した彼女の腹部に左手が触れる。服越しに伝わる自分よりも高い体温が堪らなく愛しく感じた。
「やっぱりこの国に永住の件、受けようと思う」
「うん」
パトリックは、今回の技術者交換を成功に導いた立役者として、キュプレウス王国から正式に国民にならないかと打診を受けていた。勿論配偶者であるターニャと、これから産まれて来る子供も共にだ。今は一時的に出張して来ている商人というような扱いになっていて、その身分では最長5年までしか国内に留まることは出来ない。パトリックの目標の交換留学生制度を確立させるには到底足りない。
祖国の方は、これまでに一切国交がなかったところから、まずは1名とは言え技術者交換を実現したパトリックを手放したくはないだろうが、褒賞として永住を認めさせて恩を売り、今後もキュプレウス王国との友好的な架け橋的な関係でいる方向も悪くないといった反応だった。
この決断は、ターニャがパトリックの子を産むまでに決めなければならなかった。キュプレウス王国で産まれた子は、たとえ両親が他国の者であっても神の寵愛「ギフト」が付くことがある。もし「ギフト」があると判明したならば、稀少な「加護」持ちとして祖国は絶対に手放さないだろうし、祖国では自由を奪われ他国からも狙われる危険性の中で生きることになるだろう。それならばこの国で生きて行く方がずっと安全で自由に暮らすことが出来る。
子供のことが、迷っていたパトリックの背を押した。
「ごめん。スタンリーとはもう次の機会以降は会えなくなると思う」
「うん、分かってるよ。次期侯爵がホイホイと国外に出ることは出来ないのは承知してる。それにあの子はもうすぐ成人だし、大切な伴侶も見つけた。あの子はあの子の、あたしはあたしの人生でいいんだ。あたしはパットと一緒にいることを選んだ。どんなところでも、一緒にいられればいい」
「ごめ…ムグッ」
謝罪を口にしかけたパトリックの顔を、不意にターニャが掴んだ。背後にいるので当たりを付けて手を伸ばしたのだろう。結構な勢いで鷲掴みにされて思わず息が詰まった。
「パット」
「ひゃい…」
「似たようなやり取り、昔したような気がするんだけど」
少し怒ったような声色になったターニャが、掴んだ手に更に力を込めた。確かあの時はキスを貰った筈なのだが、今回は随分違う。わざわざ手に身体強化を掛けているのか、パトリックの顎の骨がミシミシと軋むような感覚がした。その痛みでパトリックはやや涙目になっている。
「一緒にいられるの、嬉しいよ」
パッとターニャが手を離す。やっと息が吐けるようになったパトリックを、ターニャが振り返って見上げる。その深い青の目は、ほんの少し潤んでいるように見えた。
「まだ信じられない?」
「ごめ…いや、ありがとうターニャ。僕も嬉しい」
パトリックはもう一度彼女を抱き締めて、首元に顔を埋める。
「あー、もうターニャが好き過ぎて一生手放せる気がしない」
「気だけ?」
「手放せない。絶対無理。……だから覚悟して?」
「そっちこそ、覚悟しなさいな」
「うん」
パトリックは笑って、彼女を抱き締めたまま首元にそっと口付ける。
それは甘くて花の香りのする、優しく蕩けるような幸福の味がした。
<了>
お読みいただきありがとうございました!
繋がりのある他作品も読んでいただけているようなので嬉しいです。
評価、ブクマ、いいね、誤字報告、ありがとうございます!
そろそろ一番最初に考えていたお話に取りかかりたいところですが、長くなりそうなのと、また派生を思い付いて横道に入るかもしれないのでボチボチと。
またお目にかかれたら幸いです。




