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パトリシア・グレッグの窮屈な人生、或いはパトリック・ミスリルの優雅な生活  作者: すずき あい
パトリック・ミスリルの優雅な生活

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3 確認


「そういえば、その魔動義肢、だっけ?水に濡れても平気なんだ。やっぱりすごいね」


脱衣所で体を拭いていて、スタンリーは初めてパトリックがそのまま魔道義肢を装着していたままだったことに気付いた。あまりにも自然だったので、先程外したところを見ていた筈なのに全く意識していなかったのだ。


「防水の魔道回路はそんなに難しくないよ。まあ効能の高い温泉とかはあまり推奨されないけど」

「異国では水質が変わるって聞いたことあるけど、それは大丈夫なの?」

「ああ、その可能性もあったっけ。師匠に確認してみる。ありがとう、助かったよ」

「いえ…」


思いもかけず褒められて、スタンリーは少し照れたように自分の髪を拭いてごまかす。彼の緩やかな癖のある髪は、濡れたことで更にうねりが強くなる質のようだ。


「ターニャと同じ黒髪と思ってたけど、ちょっと違うね」

「髪質は父に似たって。もっとも、俺が産まれる前に死んだらしいから、そう言っているのは身内だけなんだけど」

「いいね。その髪も綺麗だ。僕は昔から黒髪に弱くて」

「貴方も黒髪じゃないか」


丁寧にタオルで拭っているパトリックの髪も、真っ直ぐで艶やかな黒髪だった。しかし、彼は少しだけ苦笑したような何ともいえない表情をスタンリーに向けた。


「昔は違ったんだ。色々あって変えたんでね」

「それは…俺が聞いていいこと?」

「うん、いいよ。僕は君のことターニャから聞いて色々と知ってるからね」

「うわ、こっわ!俺、何知られてるんだろ」


悪そうな顔でニヤリと笑ってみせたパトリックに、スタンリーもわざと大仰に震えてみせる。


「でもどうかなあ…貴族的に教えない方がいいことなんじゃないの?」

「何でそう思った?」

「いや、最初に会った時にパトリックさん『子爵』って言ってたでしょ。でも母さんには侯爵家といても見劣りしない作法を教えたってことは、もともと高位貴族だったってことなんじゃない?それに髪の色変えたって…」


歴史のある高位貴族には、その血筋の証として髪や瞳に特徴的な色が出ることがある。何らかの事情があって勘当や除籍された者がその色を有していた場合、強制的に変更させられる場合もある。


「なかなか鋭いね」

「だってパトリックさん、所作がそこらの侯爵家のご令嬢より綺麗だもん」

「ああ〜久々に令嬢やるから朝から気合い入れてたのがバレてたかぁ。普段はもうちょっと平民寄りの所作を心掛けてるんだけどな」


笑いながらパトリックは手招きして、スタンリーを鏡の前に座らせた。そして両手を頭の脇に翳すと、ブワリと風を起こした。


「わっ!もう乾いた」

「風魔法得意だからね。これくらいならまとまりも良いと思うよ」

「屋敷では魔道具を使ってるからそれなりに時間がかかるんだよね。便利でいいなあ。俺は大きな上位魔法ばっかり得意で、こういう繊細なのは全然駄目だ」

「学園でキッチリ学ぶから多少は制御が出来るようになるよ」

「だといいけどな。父も同じタイプだったらしいけど、学園には通えてないからな。あ、母さんから聞いてる?」

「うん、聞いてる」



----------------------------------------------------------------------------------



ターニャのかつての夫でスタンリーの父親は、サンターナ侯爵家の一人息子であったが、生まれつき持っていた病の為に幾重にも結界を張られた部屋でしか過ごすことが出来ず、成人まで生きられないと言われていた。

侯爵はあらゆる伝手と資産を使って治そうとしたが、聖女の力を以てしても彼の病を治すことは出来なかった。やがて侯爵は藁にも縋る思いで、国内外を問わず色々な手段を試した。その中に、西の国では高名な祈祷師だったターニャの父がいた。母親を早くに亡くしていたので、この国に招致された父親と共にターニャも侯爵家を訪れた。

ずっと屋敷から出られない彼には、太陽のように明るく奔放なターニャが眩しく映ったのだろう。祈祷の成果は得られなかったが、彼はターニャと共にいることを強く望んだのだった。そこで侯爵は一人息子の望みを叶えようと、強引にターニャを屋敷に留めた。


やがてターニャの懐妊が判明した時には、彼はもう命の灯火が消える寸前であった。


しかし、この国では成人前の婚姻は受理されない。そして婚姻前に産まれた子供は、たとえその後婚姻をしたとしても後継とは認められないと法で定められていた。彼はまだ僅かに成人の年齢には届いておらず、それまで彼の体が保つか保証はなかった。ターニャは西の国では成人を超える年齢であったが、この国ではその年齢に達していない。この国で、子供が産まれる前に婚姻を認められることは不可能だった。


そこで侯爵がターニャの父に頼んで、成人の年齢がこの国よりも低い西の国に息子を書面上留学したことにして、成人の手続きとターニャと婚姻を結んだことにして欲しいと依頼をした。強引な方法であったが、それならば西の国で婚姻が認められる。他国で婚姻が成立しているのであれば、辛うじてこれから産まれて来る孫を正式な後継として指名することも可能だった。


依頼を受けたターニャの父親が単身西の国に帰国し、ターニャの出産前に西の国で彼の成人の手続きと、娘との婚姻の手続きを済ませたと書面が届いた。そしてその連絡が来た後、父親は姿を消した。もともと祈祷師は一つの場に留まることを良しとしない。

最初からそのつもりだったのか、それとも道中で何かあったのかは分からないままだった。


程なくして彼は亡くなり、祖父の侯爵の祈りが通じたのか、その後ターニャは健康な男の子を出産した。彼の病を受け継ぐのではないかと案じられていたが、どうやら杞憂で終わったようだった。


だがその分ターニャの血を強く受け継いだのか、肌の色や顔立ちなどは西の国の人間の特徴が強く出ていた。高位貴族でありながら下賎な者の血を入れたとあからさまに抗議する者もいたが、侯爵が全て黙らせ早々に次期侯爵として国に認めさせた。


その頃になるとターニャの体も回復していて、後は任せるとばかりに侯爵邸から姿を消した。後継の母親と言えど正式に侯爵家の一員として迎えることが難しく、ターニャ自身も望まなかった。その為、故郷に帰るにしろどこか別の場所で暮らすにしろ不自由しない十分な金銭を既に渡していたのだが、彼女が消えた後は数日分の安宿代程度しか減っていなかった。ただ年に1度遠目から息子の姿を見せて欲しい、という書き置きだけが残されていたのだった。


その後、侯爵家の力を使ってターニャを探し出したが、無理に連れ戻すことも金銭を渡すこともせず、遠目からではなくきちんと会って話すようにと頼み込み、今もそれは続いていた。



----------------------------------------------------------------------------------



「何か優し過ぎてメソメソした可愛い人だったって言ってたけど、本当?」

「…いや、父のことはあんまり…って、メソメソなんだ」

「んー、ターニャの言い分だからなー。まあ良く言えば涙もろい、とか?」

「へー、そうなんだ」

「お前なあ!自分の父親なんだからもう少し聞いとけよ!」

「あいたたたたた」


スタンリーの髪を梳いて纏めようとしていたパトリックが、思わず手にしたブラシでスタンリーの頭をサックリ叩いた。少し固めのワイルドボアの毛を使ったブラシなので、そこそこ痛かったようだ。


「いやあ、やっぱ聞くの気まずくてさあ。ほら、死んだ人間のことって聞いても大体良いことしか言わないし。おじい様にしてみれば、大切な一人息子だった訳だし?仮に本当に良い人だったとしても、聞いてる俺の方が『あ、俺に気を遣ってる?』とかって思っちゃうのも嫌だしさ」

「あー…何か分かった」

「は?何が?」

「ターニャが、君のこと旦那さんに似てるって言ったこと」


パトリックの手がスルスルと動いて、しっとりと重めのスタンリーの髪を梳る。


「人のこと気を遣って気を遣って身動き取れなくなって、そっと部屋の隅でメソメソするんだってさ。それを抱き締めるのがターニャの日課だったらしいよ」

「父の日課はメソメソかよ…」


屋敷に飾られている父の肖像画はどれも澄ましているものばかりで、線の細い神経質そうな人という印象しかなかった。そんな話を聞いてしまうと、これから肖像画を見る度に部屋の隅で膝を抱えてメソメソしている姿を思い浮かべてしまいそうだった。


「ターニャには聞かなかったの?」

「…うん。一番聞きにくい」

「ターニャなら本当のコト言ってくれそうなのに?」

「だからコワイ。状況で考えたら、わざわざ異国から来てもらったのに侯爵家の都合で閉じ込めて…跡継ぎの為に子供産ませたみたいじゃないか」

「恨まれてるかもしれない?」

「……うん。今はそうじゃないことは分かるけど、そういう気持ちが絶対になかったとは言い切れない…」

「そっか…」


パトリックが準備されていたヘアオイルを手の平の上で温めて、スタンリーの髪を指に絡めるように指を通した。自分と違う細い指の感触に慣れていないのか、スタンリーの肩が僅かに強張る。


「僕はターニャが旦那さんのことも侯爵閣下のことも悪く言ってるの、聞いたことはないよ。どっちも可愛い人だったってさ」

「それは…」

「僕とベッドにいる時に耳元で言うんだよ。わざわざ嘘言う必要ないでしょ」

「そういう詳細は要らないから」

「君のことは…」


パトリックの言葉に、ピクリとスタンリーの瞼が反応する。鏡越しに見る彼は涼しい顔を保とうとしているが、次の言葉に集中しているのが丸分かりだった。


「良い男になった、ってさ」

「……良い、男」

「妬けるよねえ。ターニャがそういう風に言うの、君だけだもん。僕のことは世界一可愛いって言うけど」


ヘアオイルで更に艶が出て、濡れ羽色という風情になったスタンリーの髪を、パトリックは敢えて緩めに襟足の辺りだけを束ねる。そこから零れ落ちた顔の横の髪が頬の辺りでサラリと揺れるのが、何とも妖艶な空気を作り出している。



「ターニャはさ、侯爵閣下に君が良い男に育ってなかったら即自分が攫う、って言ってたらしいよ?それで自分の手で徹底的に鍛え直すって」

「侯爵家相手にそんなことを!?」

「ターニャならやるでしょ。もし僕が一緒にいたなら絶対手伝うし。でも侯爵閣下は子育てが上手いから、余計な手出しはしなかったってさ」

「俺、別におじい様に直接育てられた訳じゃないと思うけど」

「そりゃ貴族だもの。でもさ、乳母とか、家庭教師とかを選んで決定するのは当主でしょ。それだって重要な子育てだよ」


パトリックは鏡の下の引き出しを開けた。そこには幾つものリボンと装飾品が並んでいた。男性用のスッキリとしたデザインで、どれも彼の瞳に合わせた青系のもので揃えられている。侯爵家がスタンリーの為に用意しておいたものなのはすぐに分かる。その品揃えに侯爵家の愛情が垣間見えるようで、パトリックは微笑む。



「そう考えると、僕の両親は子育てが絶望的に下手クソだったな」

「パトリックさんの?」

「…僕の両親は、君のお察しの通り高位貴族だったよ。それで、僕は次男。それも双子の次男、だよ」


それだけで貴族世界の面倒さを知るスタンリーは、色々と察するところがあったのだろう。少し困ったような表情で眉根を寄せて鏡越しにパトリックを見た。


パトリックは気にも留めない様子で、引き出しの中のリボンをいくつか取り出してスタンリーの顔の脇に寄せる。


「子供の頃は()()でね、成長が遅かったんだよ。学園に入学する年になってもせいぜい10歳程度にしか育ってなくてさ。だからとっくに成人を越えてもこんな見た目な訳。こう見えてもターニャよりちょっと下なだけだからね」

「マジか…それでよく騎士になろうと…」

「体を鍛えれば健康になるんじゃないか、って母に特別厳しい教師付けられたんだよ。まあ体力も腕力もそこまで付かなかったけど、そこそこ才能はあったみたいで、剣術の腕は結構すごいよ、僕」


並べたリボンの中から納得の行くものが見つかったのか、パトリックは軽く頷いてスタンリーの髪に丁寧に巻き付ける。


「父はねえ…どこかの異国の『体の弱い子は神様のお気に入りだから連れ行かれないように性別を逆に育てる』って迷信を信じたらしくて、ドレスばっかり買い与えててさ。しかも僕、良く似合ってたもんだから周囲もあんまり疑問に思わなかったんだ。正直10年以上自分のこと本当に令嬢だと思ってたんだよ」


結び目を綺麗に整えて満足したのか、パトリックは少し離れたところで眺めてから「よし!」と満足そうに手を叩いた。


「学園に入ってからは実家のゴタゴタが面倒になって、卒業後は騎士になって一人立ちするつもりだったけど事故に巻き込まれて、コレ、でね。随分あちこちに迷惑かけた」


髪を整えてもらっても、スタンリーは動かないまま鏡越しにじっとパトリックを見つめていた。その真剣な眼差しに、パトリックは少々照れたように自分の右腕をポンポンと軽く叩いた。


「それで実家から縁を切られて…ね。まあ、却ってスッキリしたから良かったよ。その時に上官だったミスリル団長に拾ってもらえたし、その縁でターニャにも会えたし」

「…そっか」

「うん。僕の人生、昇り調子で怖いくらい」


そう言って破顔したパトリックの顔は、皮肉でも自嘲でもなく、一切曇りを感じられなかった。その顔を見て、思わずスタンリーも笑顔になる。


「さて、っと。後は自分で準備してね。僕はターニャと一緒に戦闘準備して来るから」


軽く手を振りながら、パトリックは部屋を出て行った。



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それから約2時間後。


誰の手も借りずに女性の身支度にしては破格の短時間で一体どんな魔法を使ったのか、見違えるように気品溢れる淑女に変貌したターニャとパトリックを見て、スタンリーは暫し本当に口を開けたまま固まってしまった。


髪を高い位置に巻いて、ほとんど肌の露出のないドレスと控え目な化粧でいつもの派手さは抑えられているにもかかわらず、滲み出る色香はいつもより過剰になっているターニャ。宝飾品もシンプルで最低限のものであるのに、彼女自身の魅力を最大限に引き出しているようだった。

対するパトリックは真っ直ぐな髪を下ろして清楚さを出し、上半身はスッキリとしたデザインで細い腰を強調しつつスカート部分はパニエを重ねてたっぷりとフリルを使用して華奢な印象と庇護欲をかさ増ししている。未成年という設定を出す為に宝石は控え目にして、リボンやレースなどを多めに使っているが、潤んだような大きな瞳と艶やかな唇には蠱惑的な光が宿るようなメイクに仕上げられている。


タイプが正反対であるだけに、この2人が夜会に立っていたら会場中の男性の視線は確実にどちらかに釘付けになるだろう。


「どうだい?パットはあたし好みで固めたんだけど、ちゃんと高位貴族のご令嬢に見えてるかい?」

「俺…まさか母さんと好み一緒だったのか…」


分かっていても可憐な貴族令嬢にしか見えないパトリックを目の当たりにして、スタンリーは耳まで真っ赤にしながらそう呟いてガクリと項垂れたのだった。



この国は、建国時に医療に特化した転生者、転移者がいた為に、低年齢の出産の危険性を説いて成人年齢を18歳に制定しました。成人未満の婚姻の不認可や、非嫡子として扱う法は、形骸化しない為の抑止力の一環。貴族の通う学園についても、卒業と成人年齢を同じに設定したのは、学園卒業を貴族のステータス化させて早すぎる婚姻を避けさせるため。特に女性を学園中退させて早めにどこかに強引に嫁がせても、社交界では問題のある夫人としてヒソヒソされてしまうので、キチンと女性にも学ばせる機会を守るためです。

それも完璧ではなく、パトリシアが伯母の子として届けられていたり、ターニャとスタンリー父のような抜け穴は幾つも存在はしますが、無いよりはいいということで。

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