気になるあの子のとなりはまさし
一本の乾いた土の道。
人が並んで二人歩ける程しかなく、道の両端には膝丈くらいの可愛らしい白い柵が並んでいる。
更にその柵の外側には見渡す限りの花畑。青や黄色、紫にオレンジと言った色とりどりな……と言う訳ではなく、真紅の薔薇が地面を這うように生えている。
僕はそんな景色に目を奪われる事などなく、左斜め前を歩く一人の女性に釘付けだった。
僕はその女性を知っている。
勿論さ! だって彼女は僕の好だった女性なのだから。
自慢になってしまうが彼女はとても綺麗だ。
腰まで伸ばした黒髪は彼女の歩みに合わせて楽しく跳ねる。
身長も僕と同じで一七二センチと女性にしては高いが気にしない。と言うより目線が同じで視線がよく絡むと今でもドキっとしてしまう。
しかし今日の彼女はご機嫌斜めだ。
一度もこちらに振り返ってはくれないまま、この花畑をすたすたと歩いていく。
何か怒らせてしまったかな? 誠に恥ずかしながら身に覚えが無いのだ。世の男性諸君にもこのような体験がある筈だ。
そんな時は「俺なにかした? ごめん謝るよ」等、自分が何をしたかわかっていないのに謝るのはお勧め出来ない。
それじゃあ何をすればいいかって?
それはとても簡単で、ただ黙ってしっかりと手を握ればいい。ただそれだけで彼女の機嫌が良くなることを僕は知っている。
右手をゆっくり伸ばして彼女の左手を摑もうとした瞬間そいつは現れた。
「誰だ!」
つい声が大きくなる。
言葉通り一瞬にして僕と彼女の間に現れた男性に向けて声を放つが二人共聴こえていないのか並んで歩みを止めない。
仕方がなく僕は二人の後ろをとぼとぼとついて行く事しかできなかった。だって彼女がとても幸せそうな雰囲気だったから……
どのくらい歩いただろうか。
いつの間にか季節は冬へと変わり、辿り着いた湖は一面凍っていて氷の木が何本も生えている。わかれた枝にはいくつか赤い氷柱がなっていた。その氷柱が落ちると氷が割れ、小さい赤い実がついた木が生える。
その幻想的な景色を眺めている彼女と隣をずっと無言で居座る男。さらにその直ぐ後ろをついて行く僕。
その時ずっと前を向いていた男がこちらに振り向いた。
「さ○まさし」
見間違える筈が無い。
「さ○まさし」
もう一度確認する様に呟く。
それに満足したのかまさしはまた前を向く。彼女の横にただ立ちながら。
そこで僕は違和感に気づく。この二人が視線を合わせることも、会話もしていない事に。
「なる程」
僕は一つの仮説を点てた。
彼は守護霊的な何かなのだと。
そう自分に言い聞かせた瞬間場面は切り替わった。
そこは花畑でも氷の湖でもなくただのカラオケ店の一室だった。特に代わり映えのない普通のカラオケボックスの一室。
四人も座れば満席になってしまう小さい部屋。
勿論彼女と彼は隣同士で座っているが会話はない。
先程は彼が彼女の守護霊的な何かかと考えたが本当にそうだろうか? 実は目の前の彼は実在する人物で何かの事情で彼女とは他人の様に接しているのではないかと……
そんな考え頭の中を巡っている時にも、視線の先の男性は身じろぎ一つしない。今まさに隣で彼女が歌っているのに関わらずにだ。まあ何を歌っているかはわからないんだけど。
だって声が聴こえないから。
思い返せば初めからこの世界には音が無かったなあと考えながら手元の機械を操作する。
さあ、あなたの正体はどっちだ?
選んだ曲は目の前の男性の代表曲。画面には歌詞が流れ消えていく。体感で一分程だろうか? ついに動きがあった。
その人物は目の前のマイクを掴むと勢いよく立ち上がり自分の曲を熱唱している。
やっぱり守護霊的な何かなんかじゃなかったか。
変な敗北感を感じながら横に視線を移すとそこには……マラカスを両手で勢いよく降る彼女がいた。
その光景を見た瞬間カラダの力がふっと抜ける感覚に襲わた。
「霊的な何かは僕だったのか……さて今日も仕事かあ」