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終焉の先のレヴェランス

「カスパルツァ=ドゥ=コルキス。貴公の罪を公表しよう! 貴公は多くの賄賂を企業に配り、我が愛しきアマミヤ=チヒロに危害を加えようとした! これは我が王家を侮辱する行為並びに、予言を破壊する国家転覆にも等しい罪である!」


 華やかな王宮。多くの令嬢たちが集う豪華なパーティーの中、突然現れた王子殿下は宣言した。彼の側には貴族とは異なる不思議な黒髪の女性、アマミヤ=チヒロが王子殿下の背中から、カスパルツァを見ている。その目は……信じられないと暗に伝えているようだった。

 カスパルツァ=ドゥ=コルキス。誇り高き貴族の地位が今、失われようとしている。だが、これは運命なのだ。だから、カスパルツァは予定調和で進めて行く。


「ええ! バレてしまっては仕方がありませんわね!」


 カスパルツァはセンスを掲げ、これでもかと悪役を演じる。己の感情を殺し、全てを投げ捨ててまで、与えられた役割ロールを進めて行く。


――王子殿下との打ち合わせ通り。殿下の期待を裏切らぬよう、演じなければ。


「認めるか。貴公が犯した罪は、我が妃となるチヒロを殺そうとした……この罪、断じて許さぬ! なぜ、このような卑劣な策を呈した!」

「オーッホッホッホ! 以前から何度も申し上げている通り! 王族の妃に相応しきは王族か、貴族のみ! そこにいるアマミヤ=チヒロは貴族でも何でもない平民ですわ!」

「だがチヒロは素晴らしい女性だ!」

「素晴らしい? 素晴らしければ貴族になれますの? 貴族には貴族に相応しい品位がございますの。それにそこにいるチヒロは平民の中でもドラネコ中のドラネコ。ニホンジンなる異分子。そのような方が王族の血族に入るなど。あってはならぬことですわ!」


 ニホンジン。どこかにある異世界の一つで、彼女はそこからやってきたのだと言う。黒い髪に、黒い瞳。この世界に生きる人々とは全く異なる不思議な女性だ。そんな異邦の客人に対して、ドラネコや異分子などと……。


――誇り高きわたくしが、平民を蔑む言葉を吐くなど。


 忌々しくて、自らの唇を噛みしめる。その行動をチヒロは睨まれたと勘違いしたのだろう、彼女はより一層、怯えてしまった。


「貴様……! 彼女は私の愛する人だ。そんな彼女を侮辱するのは許さん!」

「愛する? 愛などで血筋や伝統。何よりも“予言”を蔑ろにするのですか? 王子ともあろう方が」


 予言。それこそが国民に与えられた特権にして、絶対的な未来と、安心と安寧を保証してくれるもの。この国において、皆が予言を尊重しながら暮らしていた。予言は生活の基盤の全て。予言こそが、絶対的に信じられるもの。ゆえに、予言から外れる行動は出来ないし、予言に沿って生活をしなければらない。そして、予言を破り、蔑ろにすることは……死罪にも値する重罪なのである。


――だから、わたくしにはその予言に従って生きていたのに。


 カスパルツァに与えられた予言は、王子と結婚し、生涯をかけて国民たちを導くこと。そんな未来は……。


「その予言は過去のものだ。今は彼女との未来が、この国を。世界を希望の光で彩ってくれている!」

「オーッホッホッホ! 何を言っているのか分かりかねますわ。予言が過去のもの? 予言を間違えるなど、我が国の占術師たちの実力も落ちたことですわね」

「カスパルツァ! 貴公には知らぬことを伝えなければいけないようだな」

「…………」

「予言は二つあったのだ」


――知っていましたとも。聞かされたのが、一ヶ月前でしたもの。


 カスパルツァは努めて、初めて聞かされたフリを演じる。


「愚かな。そんなことがあっては、“世界の役目”が混乱してしまうではありませんか!」

「ああ、そうだとも。予言が二つあっては、どちらが正しいのか分からない。しかし、占術師たちは、間違いなく二つの占いはあっていて、どちらかは失効する未来だと答えた。……両方はあり得ないと」


 王子殿下は両手で二つの占いの内容を表現する。


「二つの予言の内一つは、カスパルツァ。貴公との婚約をする未来」

「…………」

「そして、もう一つが、異世界からのエトランゼが現れた時に、有効になるもう一つの未来だ」

「有効になる……予言!? そんなもの、予言とは言いがたいですわ!」


 カスパルツァは、我ながら素晴らしい演技だと思った。これほどまでに初めて聞かされた演技を出来たのだから。

 震える。怖い。様々な感情が襲いかかってくるのだから。あるいは……未だに事実を信じられないのだ。


――ロベルト。わたくしの親友、ロベルト。今だけはわたくしの心を支えて。


 カスパルツァはこの場にいない人間の名前を呼んだ。


「現にチヒロはこの世界にやってきた異邦の人間。彼女が現れたことで、貴公の予言は全て無効になったのだ」

「では、わたくしの予言は……!? 占術師たちはなんと……!?」

「ない。どれほど占っても、未来が視れない。それがどういう意味か分かるか?」


 そんなもの知っている。

 誰かの約束された予言を潰しうる未知の存在。この国において、予言を持たぬは非国民も同じ。占術師に占いを受けなかった人間は、他者の未来に悪影響を及ぼすと、迫害されるのだ。

 それなのに。未来が分からないカスパルツァは、それらとなんら変わりない。


「貴公は世界で唯一、予言から外れた存在になった。決して未来が分からぬ、無の存在! そんな人間は、果たして王族に相応しいものか!? 答えろ、カスパルツァ=ドゥ=コルキス!」

「……っ! わたくしは貴族で……」

「黙れ。貴公を賄賂の罪と、我が妃となるチヒロを傷つけようと画策した罪。なによりも、予言のない危険な存在として追放処分とする!」


 それは、異端である異世界人よりも、さらに異端の存在。世界でただ一人、予言を持たない人間だったと。カスパルツァの動揺は演技だったのか、本当に抱いた感情によるものなのだか。

 衛兵達につれて行かれる彼女には分からない。



☆★★★★



 王子との一件から三日ほど経った。

 揺れる馬車に乗ったカスパルツァは窓の外を見ていた。雄大に広がる草原の匂いと闇夜の静寂で心を落ち着かせる。目の前に座る男……フードを被った王子殿下との会話は弾まない。


――かける言葉もない、ですか。


 この男も随分と勝手だ。予言があったにせよ、本来の婚約者であるカスパルツァとは疎遠となり、異邦の存在であるチヒロと心を通わし、結婚すると決めてしまったのだから。

 両者共に沈黙が流れる中、耐えかねたのか、王子殿下は重く口を開く。


「カスパルツァ」

「なんでしょう、殿下」

「なぜ、君は恨み言の一つも言わないんだ?」


 カスパルツァはふっと笑った。今さら何を聞くのだ。


「わたくしは誇り高きコルキス家の令嬢。最も民の望む選択を行い、最もこの国のためになる行動をし、最も予言を守るよう努める。それが貴族ですわ」


 王子は、ただ一言、「そうか」と呟いた。


「……この馬車はどこに向かっているのでしょう? わたくし、これでも箱入り貴族でして。コルキス家も失い、貴族でもなくなった以上、下手な場所に連れて行かれるとすぐに死んでしまいますわ」

「君が命乞いとは珍しい」


 何を勘違いしているのだ。この王子は。


「わたくしは貴族。産まれた時から貴族としての教育を受け、平民たちの声を聞き、より良き政治を進めるのが務め。命が一日でも長ければ長いほど、民への貢献が出来ますわ」

「口を開けば貴族貴族。君はもう貴族ではないのだぞ」

「ええ。王子殿下がわたくしを恐れて、このような仕打ちをしましたから」


 カスパルツァから家を奪い、貴族の地位を奪い、金銭を奪い、持ち物を全て奪い、家族を奪い、さらには国民であれば誰もが持つ予言すらも奪われた。

 それもこれも、全て王子が恐れたからだ。予言が失効したカスパルツァは、やがて何をしでかす人間かが分からない。だから……全てを奪い去ったのだ。もう、この国にはいられないほど執拗に。

 婚約など、“間違いでした”と一言で済む話を、わざわざ国民たちに公表までして、ありもしない罪まででっち上げて。取り返しのつかないところまでレッテルを貼ったのだから、よっぽど怖いと見える。


「もう君には何もできまい」


 ふと王子が漏らした。


「左様ですわ」


 カスパルツァも答える。


「君は立派だ。君はこんな理不尽にも答えてくれるなんて。君を婚約者に持てて良かった」

「何を仰いますか、殿下。わたくしは、あなた様が死ねと言われましたら喜んで死にますわ。民意がわたくしの死を望み、合理的であれば死を選びます。わたくしの死で、輝ける未来があるならば、予言に従いますわ」

「立派な自己犠牲の精神だ」


 王子は顔を下げた。だが、カスパルツァは見逃さない。彼が口の端を上げたことを。

 王子はカスパルツァのことを知っている。だから、利用したに過ぎないのだろう。カスパルツァならば、望みを言えば必ずや聞いてくれるだろうと。


――ただ、自分が欲するものを確実に手に入れるために手段を選ばない。ますますと王に相応しい非情さを手になされましたわね。


「さて、そろそろ到着だ」


 夜間に走る馬車の列は、道の真ん中で止まってしまう。扉を開けると、舗装されていない道がカスパルツァを出迎えた。


「またいつか会おう、カスパルツァ」


 彼は一言馬車の中から見下ろすように呟くと、そのまま扉を閉めた。


――エスコートもなし。紳士ですらなくなりましたわね。


 馬車はそのまま隊列をまっすぐ整えて走りだす。危うく轢かれそうになったカスパルツァは、避ける際に転んでしまう。

 高価なドレスは、土がつき、高級さよりも汚い布きれのように見えてしまう。


「っ。全く、もう少し安全に運転出来ないのかしら」


 カスパルツァは土を払い、当てもなく歩き始めた。ここがどこなのか分からない。王都から遠く離れた地なのは分かるが、ここまで田舎だと地平線の先に民家すら見当たらない。


「あの子は大丈夫でしょうか。アマミヤ=チヒロ」


 彼女は確かに新たな予言で、妃になることを予言されている。だが、予言は精度が異なる。彼女が授けられた予言では、妃となって生涯までこの国のために生きる、と出た。だが、その“過程”の詳細までは分からない。


「妃となって、王子殿下と婚約する……妃になっても決して幸せかどうかまでは分からない、ですか」


 王子殿下は優しい人間だ。甘い言葉と、他者を気遣う発言の出来る人間ではある。だが、同時に目的のためならば手段を選ばない王としての素質がある。時に非情になれるのは、政治を進めていくのに有効だ。誰か一人の命を捨てることで、皆の命を救えるのは合理的である。その決断を迷わず選択出来る人間は強い。

 優しさと非情さ。一見すると矛盾しているようで、合理的。


「ですが、同時に。その非情さは、人間であることを忘れさせる、ですわ」


 カスパルツァは、懐から数枚のカードを取り出した。子供の頃から使っている占い用のカードである。


――わたくしの切り札。いざという時に使いなさいな、アマミヤ。


 彼女に渡したたった一枚のカードは、きっといつか、彼女の助けになるだろう。それは……かなり未来のことになるだろう。いや、未来永劫、使われることがないように祈るばかりだ。


――これで、アマミヤを傷つけようとした演技が……許されるとは思いませんけれども。


 平民こそが至上。平民があってこその貴族。国が最も宝としているものは、金や農作物、土地なのではなく、国民である。

 民は働き、民は税を納め、民は勉学に励み、民は国の基礎を形作ることが出来る。民があっての国なのだと、毎日毎日復唱し、毎日毎日公言しているカスパルツァにとって、異邦人であろうとも平民であるアマミヤを傷つける行為は恥ずべき行為だ。


――少しでも贖罪、になればよろしいのですが。


 カスパルツァは歩き疲れて、土がつくことも構わずその場に座り込んだ。上品に座り込み、センスであおる。整備されていない道は歩くだけでも足に負担が掛かるというのに、踵の高い靴を履いていては、余計に痛むというもの。足枷を嵌めて市中を歩く行為にも等しい。


――貴族でなくなっても、貴族の誇りは。コルキス家の令嬢である、このカスパルツァが捨ててはいけませんわ!


 立ち上がる。靴は捨てない。たとえ血反吐を吐こうが、薄汚れようが貴族の誇りや生き様は決して捨てない。それがカスパルツァ=ドゥ=コルキスの理想の貴族。


――ロベルト、わたくしは……。あなたが騎士を目指しているように、決して貴族であることを……。


――ロベルト。どうしてわたくしは心細く……。


――ロベルト。あなたは今……どこに……。



★☆★★★



 カスパルツァ=ドゥ=コルキスにはかつて、一人の友人がいた。名をロベルト。使用人の息子で、騎士志願だと夢を語る少年だった。

 黒の混じった茶色い髪と、女の子のように柔和な顔立ちをよく覚えている。

 そんな彼が十歳になる頃、コルキス家の当主である父が騎士学校に推薦し、彼は士官することとなった。それは同時に友人であるカスパルツァとの別れを意味する。


『シャル! ボクは絶対に強くなって、君のことを守るからね!』


 タダ一人。彼だけがカスパルツァをシャルという愛称で呼んでくれていた。カスパルツァもまた、彼のことを親友だと思っていた。


『期待していますわ。あなたはいずれ、コルキスの誇りある騎士になると共に、妃を守る名誉ある騎士となるのです!』


 その当時は、信じていたのだ。いずれは王子殿下と結ばれて妃になる未来を。そして、その傍らにはロベルトの姿があることを。予言では、そう言われていたのだから。


『そうだ、ロベルト。あなたの未来を占ってあげますわ』

『シャルが占いを?』

『ええ。貴族の品位を上げるためには教養が必要というもの。占術も出来てこそ、貴族ですわ』


 もちろん、子供の占いなど、本職の占術師には劣る。カスパルツァは懐から数枚のカードを取り出すと地面に並べる。


『……出ましたわ。ロベルト、あなたはいずれ、ある人のために戦う者になると出ておりますわ』

『ある人の戦う……? それって、もしかしてボクはシャルを守る騎士になるってこと?』

『わたくしの占いだと精度は足りませんが、きっとそうでしょう。あなたはわたくしの側で仕える騎士となるのです!』


 なら、とロベルトはカスパルツァの両手を握る。強く、固く。


『ボクは必ずシャルを守るよ。世界から見放されても、絶対に!』

『わたくしが見放されるわけがありませんわ! 予言に出ていますもの。わたくしは王子殿下と結ばれると』

『それでもボクは。君が苦しんでいる時も、悲しんでいる時も。必ず側にいるって誓うよ!』


 ロベルト少年の勇ましい宣言の後……彼は馬車に乗って旅立つ。

 それからというもの……二人は音信不通となり、二度と会うことがなかった。



★★☆★★



 ……どれほどの時間を寝ていただろう。カスパルツァは目を覚ました。

 まだ陽が昇り始める少し手前くらいだろうか。空腹で気が滅入る。人気ひとけのない馬車の駅の裏側に置いてある藁の上で、座るように眠ったために体調はすこぶる悪く、身体のあちこちが痛む。暖かい天蓋付きのベットの生活から一転して、家のない生活をしている。着ているドレスもいずれ着替えなければ、汚れて本来の価値も失うことだろう。


――ここは……田園、でしょうか。


 昨晩は人里を求めて歩き続けたため、途中から記憶にない。足がズキズキと痛み、たとえ、ドレスの裾をめくらなくても酷く腫れているのは容易に想像がつく。


 カスパルツァはドレスについた藁を払うと、痛みをこらえて立ち上がる。


「さて、田園にしても、どこか分からない……と。困りましたわね」


 耕された土から立派な農作物が育っているのは喜ばしい限りだ。彼ら農民のお陰で、国民たちは食事をとることが出来るのだから。

 しかし、収穫された作物がどうしても気になる。片方のコンテナには綺麗で見目麗しい野菜の数々が入れられており、もう片方のぎっしりと詰められた野菜のコンテナには、虫食いの痕や、形の整っていない野菜ばかりだ。


「なるほど、食の興和に関しては議論されていましたわね」


 食料の供給は確かに、年々良くなっていた。市場に出回る野菜は虫区の痕一つない物ばかり。だが、それは見た目の悪い野菜を廃棄していたからだ。


――どう見ても、食べられますのに。


 それに、虫食いのある野菜は、虫からしても“美味い物”である証拠。それをわざわざ捨てるなど、もったいないにもほどがある。


――これら、廃棄野菜を格安で市場で回す。あるいは配布、提供、事業展開……色々考えられますのに。


 と考えたところで、カスパルツァは考えるのはやめた。


「ふっ。我ながら何を考えているのやら。そんなことを考えたところで、聞いてくれる相手などいませんのに」


 今のカスパルツァにとって、議論など不要の長物。

 それよりも野菜類を見ていると、空腹で胃が刺激されてしまう。やがて耐えかねた腹がくぅーと鳴り、カスパルツァは腹部に手を添える。


「貴族たるわたくしが、食において不便をするとは……。ですが、廃棄される野菜とて、平民の血肉。盗んで良いわけがありませんわ」


 たった一つの捨てられた野菜ですら、カスパルツァは触れもしない。それがたとえ、いらない物だと言われても、道ばたに落ちていようが、野に生えていようが、貴族の食べるものでない物は口に入れてはならない。


――貴族は舌を肥やし、高い美意識を常に残す。たとえ、空腹ゆえに餓死しようとも。


「そこで何をしているだ!」


 カスパルツァがその場を後にしようとしたとき――複数人の防止を被った小汚い男たちが現れた。

 彼らはクワなどの農作物を持ち、これから田畑を耕そうとしていたところなのだろう。


「いえ、わたくしは……」

「なんでぇ。随分と泥だらけのべっぴんさんじゃねえか……ん?」


 男はカスパルツァに顔を近づけてくる。あまりにもジロジロと見てくるため、カスパルツァは顔を逸らした。


「おめえ。コルキス家の令嬢だろう」

「ええ。それが何か?」

「コルキスの令嬢と言えば、王子殿下と結婚するために、賄賂を使って姫さんを陥れようとした悪人だろ。なんでこんな田舎ぁいるんだべ?」

「貴族たるもの、平民たちの生活を知ることこそ、貴族の勤め。生活を知り、求めているものやインフラを知る! それこそが――」

「ごちゃごちゃうるせえ。犯罪者が!」


 男の内の誰かが、石を拾うと――まっすぐ、投げてきた。


「痛っ!」


 空を切る音まで聞こえてきた石は、カスパルツァの顔に当たり、額からどくどくと血が流れ始めた。頭部に強い衝撃を受けたことで、頭がくらくらする。血が止まらず、土が赤い液体で湿っていく。


「おめえみたいな犯罪者がこんなところに歩いていて許されると思っているんだべ!」

「そうだそうだ! 予言すら持ってない奴が現れるなっぺか!」

「また汚い手で脱獄したんだべ」


 土に膝をつけたカスパルツァ。彼らは取り囲み、クワで逃げ場を完全に塞いでしまう。


「……まさか。わたくしのことが知れ渡るのがこんなにも早いとは」


 投獄され、ここまで連れてこられてから三日。かなりの速度で喧伝されたようだ。


「国を転覆させた犯罪者だっぺ。捕まえれば賞金が出るんじゃねえでか?」

「いんや! こいつはお妃様ぁ殺そうとしたんだっぺ。殺さないとダメだ! また悪事を行うに決まってるね!」

「そいもそうか。脱獄して、ここにいるだ」

「予言のない人間がいると、おらたちの予言も壊されるべ!」


「「「殺せ、殺せ、殺せ!」」」


 男たちは何度も何度も殺せと繰り返した。カスパルツァは懐にあるカードに手を伸ばそうとして……やめた。


――貴族が平民に手を挙げるなど、許されぬことですわ。


 抵抗する手段なら、ある。だが、それをすることはカスパルツァにとって何もかもを否定することになる。


――貴族は平民たちを傷つけてはいけない。予言を歪めるようなことはあってはならない。貴族は民意あってこその貴族。


 なによりも、


――王が、民が、世界が。わたくしの死を望むのであれば、わたくしはそれに従いましょう。


 彼らが、カスパルツァの死を望んでいるのであれば、それに従うまで。だから……ここで死ぬことは貴族としての当然の選択。


――だと言うのに。死ぬのが怖いだなんて。


 どれほどの痛みが襲うだろう。想像もできないことは怖い。傷つくのが恐ろしい。死を選択しなければいけないのに、殺されるのが怖くてたまらない。


 農民の一人が、地面に座り込んだカスパルツァにクワを振り上げる。


「……わたくしは誇り高き」


 カスパルツァはクワを眺めることしか出来なかった。その視界が、どんどん歪んでいく。

 それがなぜか分からない。分からないけれども、不明瞭になる。


 瞳を閉じて、最期の瞬間を待ち続ける。


――さようなら、ロベルト。


 最期に浮かんだのは少年であった彼の顔だった。



★★★☆★



「な、なんだべ……!」


 いつまで経っても。クワが振り下ろされない。ゆっくりと瞳を開けていくと……黒いコートを着た男が農民との間に立っていた。

 軽々と剣を持つ男は、いくらクワで押し込まれようがビクともしない。鍔迫り合いと表現してもいいのかすら怪しいほど、力の差が歴然だった。


「……あ、あなたは?」


 カスパルツァの一言で、その男は振り向いた。顔に傷のある黒の混じった茶色の髪の男だ。


「……約束を守りにきた」


 彼は背丈ほどある剣を押して、農民を押し倒した。そのまま流れるようにカスパルツァを抱えると、


「きゃっ!」


 そのまま跳躍し、きりもみ回転しながら農民の男たちを軽々と飛び越えてしまった。


「シャル。怪我をさせてしまった……すまん」

「そのあだ名……あなたは、まさか」

「……ようやく、約束を果たせる」


――ああ、ロベルト。まさかあなたに生きているうちに会えるなんて……。


 彼は……ロベルトは剣を構える。


「あんたらは……決して許さん!」

「き、騎士様がなんでこんなところに……! なんでそんな奴を庇うべ!?」

「たとえ、世界の全てが、シャルの敵になろうとも、俺は彼女の側で守り続ける」


 剣を構えたロベルト。

 彼は、そのまま――駆け始めた!


「ぬあぁああああっ!?」


 それはすれ違った一瞬の出来事だった。男達の持つクワやら農具が次々と真っ二つとなる。疾風の如き、剣閃。その疾きこと、流麗なる草原の風の如し。

 ロベルトは剣のきっさきを農民たちに向ける。


「あんたら全員、皆殺しだ」

「ひ、ひいぃいいいいいっ!? 許してけろ! おらたちはタダ、正義に則って!」

「あんたの言う正義は。無抵抗の女一人を集団で攻撃することか?」


 その瞳は、かつての少年のものではない。怒りの色に染まった恐ろしいものへと変貌していた。

 カスパルツァのために怒ってくれているのだろう、彼女を傷つけた人々を決して許すまじと立ち上がってくれるのは嬉しい。

 だが、それはカスパルツァの望むことではない!


「おやめなさい! 殺してはなりません!」

「……あんたは顔を傷つけられたのだぞ」

「だからなんですか。わたくしを傷つけたのは民意。この国では民意と予言こそが最も合理的で絶対的なものですわ!」

「……民意だと?」

「最も多きが正しきこと。それこそが民意。わたくしを殺そうとするのが民意であるというのであれば、それを反対することこそ邪道ではなくて!?」

「……ふん」


 ロベルトは鼻で笑った。かつての笑顔が霞むほど、冷酷な態度。

 一体、彼になにがあったのか。連絡を取れなかった騎士学校時代になにが。


「邪道でも何でも構わん。次、こいつに手を出してみろ。俺はあんたらを容赦なく殺す」


 宣言とともに、農民たちは「ひいっ!?」と叫びながら蜘蛛の子散らしたように逃げていく。

 彼は剣を背負うと、腕を組んで笑った。口の端を釣り上げて笑うその姿はとても邪悪に見える。


「くだらん」

「ロベルト。随分と物騒な性格になりましたわね。昔は泣いてばかりだったのに」

「その頃のオレは。もういない」

「一体、あなたは何があったのですか?」

「強くなるために、努力した。それだけだ」


 人はここまで変わるものか。かつての面影を全く感じられない。

 ただ、一つを除いては。


「シャル。あんたが命じてくれれば、オレはこの世界に復讐したって構わない。くだらん予言も。アマミヤも、王子も。皆殺しにする」


 狂気に歪もうとも。彼はカスパルツァの……いや、シャルのためを想って行動してくれる。世界に味方などいなくなったシャルのために。

 シャルは首を振る。


「おやめなさい!」

「…………」

「予言は世界の理。予言があってこそ、人は生活の基盤を整えられる。その予言が、わたくしに与えられた役目をこなせと申しているのですわ」

「……あんたの予言は、もう」


 シャルは心強かった。全てを失い、全てを奪われた世界の片隅で、たった一人の味方がいることに。

 だから、彼女は高笑いをした。


「オーッホッホッホ! もう存在しませんわ。ですが、わたくしにはまだ、誇り高きコルキス家の血が流れている。その血が流れ続ける限り、わたくしは世界に与えられた役割をこなすのみ!」

「その世界が、あんたを裏切ったとしても、か」

「わたくしは貴族ですもの! 貴族である限り、わたくしは命を世界に差し出す所存ですわ!」


 その覚悟でここにいるのだ。自らの意志で。

 だのに、なぜだか、また視界が歪んだ。


「もうやめろ。今のあんたは、見ていて痛々しい」

「なにを仰っているの?」

「鏡でも見ろ」

「……これは、涙?」

「なぜ、苦しいなら苦しいと言わん。なぜ、怒ってもいいことをガマンする。あんた一人が苦しむ世界に、どうして怒りを露わにせん」


 自らの瞳から流れ落ちるものを否定するように頭を振る。冷静に振る舞え、貴族らしくあれと、心に銘じる。


「わたくしは貴族。与えられた役目をこなすことこそ、産まれた時の使命! わたくしの命で幾万の人間が救われ、幾億の未来を守る予言が守られるのであれば、喜んで命を差し出す所存!

 だから、わたくしは不合理なことは全て捨て……全て、捨て…………っ…………捨ててみせ………………」


 言葉が出ない。何かがひっかかり、喋ることがままならない。真っ直ぐ立つことも出来ず、その場に座り込んでしまう。

 代わりに涙が溢れた。血と涙で地面を濡らしていく。こんなものではなく、言葉を使わないといけないのに、言葉は涙に変換された。


「……泣きたいときには泣けばいい」

「……う…………っ…………泣いている暇な、ど……貴族の…………っ……………」

「そんなにボロボロになっても、まだあんたは貴族だと語るか。世界のために。国民のために。あんただけ犠牲になってくれと言われても、まだ」

「役目を…………役目をこなして…………民を、予言を、世界を、王を……」

「もういい。強がるな。本心で語れ」


 もう、分からない。掻き乱された思考は。何を言おうとしているのか、己すら分からなくさせた。


「わたくしは……っ! わたくしはただ、国民のことを第一に考えて努力してきましたのに……! 王子と結婚すると知ったからこそ、王の側に相応しき人間になろうと勉学に励みましたのに……っ! どうしてわたくしが、こんな目に遭わないといけないのですっ!」

「…………」

「どうしてわたくしは予言を失わなければならなかったのですか……! どうして王子殿下は民のために行動するわたくしではなく、アマミヤを選んだのですか……! 世界は……わたくしになぜこんなに冷たくするのです……!?」


 涙と同時に次々へと飛び出す呪詛の言葉。こんな言葉を吐いてはならないと固く誓ったのに、ロベルトとの再会が、シャルが抱いた痛みの感情が次々へと飛び出していく。もっと強くあらねば、もっと貴族としての責任を負わねば、民を導く責任者は弱音を決して吐いてはならないと固く強く誓っていたのに。

 気丈に立ち上がろうとするシャルを……ロベルトは抱き寄せた。


「な、にを……!?」

「辛い時に。俺は側に居てやれなかった」

「…………」

「俺は騎士として戦場に出ていたから……強くなるために、あんたとの連絡を絶っていたから……。強くなった姿をあんたに見せようとして……傷つけてしまった。すまない」


 彼は強く、そして優しく抱きしめてくる。


「大丈夫だ。オレはシャルの側にいる。シャルがひとりぼっちになることはない。だから、安心して泣いていろ」

「っ…………………っ………………!」


 彼女はこれでもかと、大きな声で泣いた。


★★★★☆


 しばらく、彼の腕の中で泣き続け、ようやく涙が枯れた。

 深呼吸をして、彼から離れる。


「落ち着き、ましたわ」

「シャル。もういいのか?」

「わたくしは誇り高きコルキス家の長女、カスパルツァ。そんなことをしている時間は一切ありませんわ!」


 分かっている。自分でも強がっていると。


「……シャルは……。いや、なんでもない」


 彼もまた、気付いているのだろうか。何も言わずにいる。


「これから、どうするんだ、シャル?」

「流浪の旅を。たとえ、予言を失ったとしても、貴族でなくなったとしても。民のために生きる方法を模索しますわ」

「……俺も共に行こう」

「あなた、騎士はどうしましたの?」

「退団してきた。シャルが投獄されてからすぐに」


 シャルは痛む足を堪えながら歩き出す。ロベルトはそんな彼女に手を差し伸べてきた。

 さながら、騎士と姫のように。互いにその身分を失っても。


「行きましょう、ロベルト。わたくしどもの役割を果たしに」

「ああ。シャルが終焉の先にどんな結末へと向かおうが。オレは共にいる」


 まだ、二人の物語は終わっていない。終焉を迎えても、まだ、その先に物語が続いている。本当に来たる終わりまで、舞台終了挨拶レヴェランスはない。最期の瞬間が訪れる、その時まで。



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