覆面舞踏会
A
覆面舞踏会の帰りに、サボテンを拾った。
マグカップサイズの鉢に植えられた小さいもので、公共のゴミ箱の下に置かれていた。捨てられていたのか、誰かの忘れ物だったのかはわからない。落ちていたものを自宅に持って帰るなんて、あの夜は、酔狂なふるまいに満ちていた。
非日常の終わりに、小さなサボテンをリビングに飾った。
それ以来、朝になるとなくなっている。
六枚切りの食パンが一枚、なくなっている。
二日、三日とつづけば、さすがに勘違いではすまされない。
ネズミやイタチといった小動物が侵入している可能性を考えたものの、フンや足跡といった形跡は見つけられなかった。
つぎに疑ったのは夢遊病。夜中に起き出して、無自覚に食パンを食べているのかもしれない。口のなかにそれらしき違和感はないが、安心はできない。
サボテンから、妙に甘い香りが漂っていることに気づかなければ、監視カメラの設置を検討していただろう。馬鹿らしいとは思いつつも、カメラを設置する手間を考えると、サボテンを観察するほうが楽におもえた。
とりあえず、毎朝サボテンを観察するようになった。
その日の買い物では、五枚切りの食パンを買ってみた。
朝になると、ちゃんと一枚なくなっていた。
B
常連となった喫茶店のマスターは、いつも山猫の覆面を被っている。
覆面を被った人間が集まり、お酒や食事を楽しんで、踊りをおどる。非日常の世界を体験することで、理性が揺らぎ、無意識の奥底から、気力が湧いてくる。
マスターの静かな語り口と紹介状により、初めて参加した覆面舞踏会。
エレベーターを降りた地下深く、別世界のような会場と、手渡されたジャガーの覆面は、ずいぶんと人を大胆にさせた。
酔わせて、狂わせて、解き放つ。
自分ではない自分が、ほんとうの自分なのかもしれない。
余韻がのこる帰り道で、サボテンを拾った。バス停のベンチに置かれていた、小さなサボテンで、誰かの忘れ物かもしれないのに、持って帰って飾ってある。
朝、サボテンの近くによると、いい匂いがすることに気づいた。
ハニートーストが食べたくなる不思議な匂いで、その日は蜂蜜入りの紅茶をいれたものの満足できず、喫茶店でトーストを注文して、蜂蜜をかけて食べた。
最近、妙に蜂蜜の減りがはやい。
A
街中でクマの覆面を被った変な男がいたが、高校時代の同級生だった。
笑化器官が弱っているとかなんとか、意味の分からないことをいわれたあげく、元気になれる場所があると、ビルのなかへ連れ込まれた。
ウサギの覆面をスタッフから手渡され、エレベーターを降りた。
薄暗い照明、楽団がつむぐ旋律、覆面を被った人々の息づかい。
覆面舞踏会の会場に入ると、クマの覆面を被りつづけるまでになった元同級生は、度数の高そうなアルコールを飲み、ホールに突入した。
踊る珍獣の群れをながめながら、運ばれてきたカクテルを飲む。
熱狂が伝染したのだろう。
甘い香りのカクテルに、ジャガーの覆面を被った女の、甘い誘い。
腕を取って、身体を寄せて。
強気な女と臆病な男。愚かなウサギは連れだされ、カーニバルの贄となる。
踊り方など知らなかった。周囲の熱狂に焦らされて、感じるまま、情熱的に、激しさを増して、意味もなくターンを決めたりした。
甘ったるい夜は、いつしか二人を、それぞれトイレに向かわせた。
彼女とは、通じ合うなにかがあった。
秘めた悲しみが、似ているとおもった。
彼女もまた、別れた人を好きなまま、忘れられずにいるような気がした。
最後に彼女をみたのは、トイレにかけこむとき。
離れても、それでもどこかで感じていた。
彼女とのつながりを。
サボテンをながめているいまも、どこかで彼女を感じている。
B
わたしたちも踊りませんか?
覆面舞踏会で、ウサギの覆面を被った人を自分から誘った。
惹かれるなにかがあったのだとおもう。ホールの真ん中で狂ったように踊りながら、この人も悲しみを抱えている、わたしたちはどこか似ているのだと、深いところで感じていた。
きっとあの人も、FXで大損をしたのだろう。
為替が急変動して、あっという間にロストカットしたのかもしれない。
あるいは株式で、相当な含み損を抱えているのかもしれない。
女性用のトイレに駆け込んだあとも、冷たい壁の向こうにいたあの人とは、どこかでつながっている感覚があった。
部屋でサボテンをながめているいまも、つながりを感じている。
植物が成長するみたいに、時が経つほどに、伝わってくる。
あの人がいま、四枚切りの食パンを求めていることまで、なんとなくわかる。