第6章 「日本兵は時を越えて・後編」
「それと、和歌浦マリナ少佐。少佐の指摘された危惧は、今回に関しては杞憂である可能性が高い物と推測されます。」
至って事務的な口調だね、清山医官。
まあ、変に気を遣わない方が良いのかも知れないね、この場合は。
「園里香准将補と思わしき少女の血液を検査した所、特殊能力『サイフォース』に覚醒こそしているものの、生体強化ナノマシンによる改造措置が施術された形跡が確認されませんでした。」
これは妙な話だよね。
いくらサイフォースに覚醒出来ても、ナノマシンで強化されていなかったら、私達に勝てる訳がないじゃないの。
仮に人類防衛機構仕様のナノマシンが入手できなかったとしても、サイボーグ手術やドーピング薬などといった、生体強化改造の手段はいくらでもあるんだ。
にも関わらず、クローン培養した京花ちゃんの御先祖様に、それらの措置を一切施さないだなんて、随分と杜撰なテロリストもあった物だよね。
「代わりに、珪素戦争初期の兵士に投与された、アンチシリコンワクチンの投与の痕跡が発見されました。テロ組織によってクローン培養された蘇生体ならば、旧式のアンチシリコンワクチンを投与する必然性はありません。」
珪素生命体の放出する猛毒物質を長時間吸引すると、炭素生物の身体は致命的なダメージを受けてしまうんだ。
珪素戦争初期の国連軍兵士はそれを防ぐために、アンチシリコンワクチンを摂取していたらしいの。
人類防衛機構の母体となった日本軍女子特務戦隊だって、当然ながら、その例外じゃないよ。
でも、アンチシリコンワクチンはすぐに、男性兵士専用の強化措置になっていって、防人の乙女には使用されなくなったんだ。
その理由は、生体強化ナノマシンが開発された事に尽きるの。
何故なら、生体強化ナノマシンによる改造措置のもたらす恩恵には、珪素生命体の毒素への耐性も含まれていたからね。
要するに生体強化ナノマシンは、アンチシリコンワクチンの上位互換って事。
「こんな古めかしいワクチンを投与するとしたら、そのテロリストは余程の酔狂者でしょうね。そもそも、連中には珪素生命体と戦う気など更々無いのですから、無意味としか言い様がありません。」
マリナちゃんの冷静な現状分析に、清山医官も我が意を得たりとばかりに、満足そうに頷いたんだ。
「し、しかし…!それでは、京花さんに瓜二つの御姿と、京花さんの曾御祖母様と同じ遺伝子を御持ちのあの方は、果たして何者なのでしょうか?!」
相次ぐ予想外の事態に、オロオロと狼狽え始めた英里奈ちゃんが漏らした呟きは、この場に居合わせた防人の乙女の総意でもあったんだよね。
「落ち着いて!取り敢えずは問題を整理してみようよ、英里奈ちゃん。まず、『アムール戦争』で戦死した京花ちゃんの曾御祖母ちゃんが、若い時の姿で現れた。オマケに、珪素戦争時代の日本軍の軍装に身を固めて、珪素戦争初期にのみ用いられていた、アンチシリコンワクチンを投与されていた…」
そんな英里奈ちゃんを宥める為に、現在ハッキリしている情報を、私は箇条書きに整理してみようと試みたの。
「要するに、こういう事でしょ。ん…?」
ところが私の頭の中に、1つの仮説が形成されつつあったんだ。
それも、とびきりブッ飛んだバカバカしいのが。
京花ちゃんの曾祖母である園里香上級大将と全く同じ遺伝子を持つ女の子がいて、その子はテロリストが複製したクローン人間ではない。
そして珪素戦争初期の軍装に身を固め、珪素戦争初期のみに用いられたワクチンを投与されている。
これらの状況証拠を複合すると、もしかして…
いや、まさかね。
そんなバカげた事、あるはずがないよね。
「あくまでも仮説でありますし、余りにも途方もない内容ですので、正式な通達があるまでは口外を控えて頂きたく存じます。」
言葉を切った美貌の医官は、こじんまりした研修室をぐるりと見回した。
研修室に集まった防人乙女3人の顔と反応を、見定めるつもりらしい。
「勿論でございます、清山医官。特命遊撃士である我々が誇る鉄の規律は、清山医官も良く御存知の物とお見受けしております。」
マリナちゃんの宣言に、私と英里奈ちゃんも力強く頷いたんだ。
「ありがとうございます。それでは、心してお聞き下さい。」
本人としても、余りに途方もない仮説を述べるのには抵抗があったのか、軽い深呼吸を挟んでから、医官の清山先生は一息に言い切ったんだ。
「あの少女は正真正銘、若き日の園里香准将補です!彼女は何らかの方法で、偶然タイムスリップして現れた…珪素戦争の時代から、この現代へ!」
清山医官が口にした仮説は、保証していた以上に衝撃的だったの。
「な…!」
「まあ…!」
マリナちゃんも英里奈ちゃんも、二の句が告げないみたいだね。
意味を成さない呻き声を上げるのが、関の山だよ。
「…!」
もっとも、私に至っては衝撃が大き過ぎて、言葉も出せなかったよ。
まるで、失語症になったみたい。
まあ、これも仕方ないよね。
だって清山医官の出した仮説は、さっきまで私が考えていたのと、全く同じ内容だったんだよ。
そんな時だったね、清山先生の軍用スマホに着信が入ったのは。
「何ですって、例の患者が…!承知しました、直ちに向かいます!」
スマホを通話モードに切り替えた清山先生の表情が、みるみるうちに緊迫感を帯びた物に変わっていく。
どうやら通話相手は医務室の衛生隊員で、要件は日本軍の軍装に身を固めた女の子の事みたいだね。
「清山先生…!あの方の身に、もしもの事が…!」
清山先生に問い掛ける英里奈ちゃんの強張った顔は、蒼白だった。
-あの方に万一の事があれば、失踪した京花さんの手掛かりが、今度こそ永遠に失われる。
そうとでも言わんばかりの焦り振りだね。
英里奈ちゃんの心中に広がる不安をキッパリと否定するかのように、清山医官は首を左右に激しく振るう事で応じたんだ。
「その反対ですよ、生駒英里奈少佐。例の少女が覚醒したそうです!」