第30章 「時空を越えた親友、リッカよ永久に」
「あっ、あの…マリナさん…」
私と里香ちゃんが固い握手を交わしている傍らで、レーザーランスを携えた茶髪の令嬢は、同僚である拳銃使いの特命遊撃士に、静かに呼び掛けたんだ。
「ん…?どうかしたのかい、英里?」
長い前髪で右目を覆い隠した少女が応じる声は、クールなアルトソプラノだ。
氷のカミソリを彷彿とさせる鋭利で沈着冷静な響きは普段と変わらず、同性である私にまで熱い胸の疼きを抱かせる程に、官能的で美しい。
されども今日に限っては、そのクールでセクシーなアルトソプラノに、ほんの僅かだけれども不協和音が混ざっていたんだ。
「差し出がましい事を申し上げているのは、重々承知なのですが…思い残された事が御座いませんか、マリナさん…?」
どうやら英里奈ちゃんも、私と同じ事を考えていたみたいだね。
研究棟に入館してからのマリナちゃんったら、どうも様子が変だったもん。
一言も口を利かないし、そのくせ里香ちゃんの事をチラチラ見ているし。
「その心残りは恐らく、私に由来する事でございますね、和歌浦マリナ少佐?遠慮なさらず、おっしゃって下さい。」
自分を真っ正面から見つめてくる、日本軍女子特務戦隊少尉の青く澄んだ瞳。
「コイツは別に、園里香少尉に問題があるんじゃなくて、単なる私の心の持ち様なんだけどね…」
その誠実で真っ直ぐな眼差しに根負けしたのか、マリナちゃんは先の一言を前置きにして、ゆっくりと口を開いたんだ。
「私が仲の良い友達の事をニックネームで呼んでいる事は、園里香少尉もよく知ってるよね。」
「おっしゃる通りです、和歌浦マリナ少佐。生駒英里奈少佐が『英里』で、吹田千里准佐が『ちさ』。私も、『おキョウ』と親しく呼んで頂きました。」
私と英里奈ちゃんを一瞥しながら、里香ちゃんはマリナちゃんに応じて頷く。
-これで、見納めとなるかも知れない。
そんな思いが念頭にあるのか、私達の姿を脳裏に焼き付けようとするような、力強い一瞥だった。
「まあね。しかし、『おキョウ』ってのは園里香少尉に由来するニックネームじゃないからね、厳密に言ったら。」
確かに、里香ちゃんは今日まで、「枚方京花少佐」という体裁で過ごしていた訳だからね。
「だけど今日、園里香少尉は修文4年に帰還する。本来の自分に戻ってね。」
ここでマリナちゃんは言葉を切ると、里香ちゃんの全身をサッと目視で確認したんだ。
オリーブドラブ色の大正五十年式軍衣に、修壱式歩兵銃。
何から何まで、珪素戦争時代の大日本帝国陸軍女子特務戦隊に所属する、少女兵士の装いだった。
「それは、つまり…私自身に渾名を賜るという事なのでしょうか、和歌浦マリナ少佐?」
園里香少尉の予測は正しかったらしく、マリナちゃんは黒いサイドテールを軽く揺らして頷いたんだ。
「まあ、そういう事。物分かりが良くて助かるよ。そうする事で私は、園里香少尉と本当の意味で友達になれる気がするんだ。お京の身代わりとしてじゃなく、1人の女の子としての園里香少尉とね。」
そんなマリナちゃんの話を聞き終えた里香ちゃんの童顔に、パッと満面の笑みが広がったんだ。
「そういう事でしたか、和歌浦マリナ少佐。それでは是非に、渾名を賜りたく申し上げます。この不肖、園里香少尉!和歌浦マリナ少佐による友情の餞別として、故国に持ち帰る所存であります!」
実に美しい敬礼だよ、園里香少尉。
その凛々しい美しさ、まさに防人乙女の先達だね。
しかし、「友情の餞別として故国に持ち帰る所存」だなんて、ちょっぴり買い被り過ぎじゃないかな。
とどのつまりはニックネームだよ、所詮。
マリナちゃんのプレッシャーにならなければ良いんだけどなあ…
「達者でな、リッカ!」
おやおや…
どうやら私の心配は、杞憂だったみたいだね。
こうも自然と口に出せる様子を見るに、里香ちゃんのニックネームを予め準備してきたね、マリナちゃんったら。
「このニックネーム、リッカが来た日に考えたんだけど、あれから使う機会がなくて…私、リッカの事を絶対に忘れないよ!」
ああ、やっぱりか。
にしても、マリナちゃんったら隅に置けないね。
多少おかしなニックネームだとしても、この送別のタイミングで拒否出来る訳がないじゃない。
「うん!ありがとう、マリナちゃん!」
いずれにせよ、里香ちゃんのお気に召したようで何よりだよ。
まあ、私だって「ちさ」だからね。
ニックネームは変に奇をてらうよりも、本名を捩った直球ストレートな物の方が、分かりやすくて良いんだよ。
「私も忘れないよ、マリナちゃん!英里奈ちゃん!千里ちゃん!」
里香ちゃんの口調が、さっきまでとガラッと一変している事に気付いたよね。
帝国軍人に相応しい厳格な口調から、竹馬の友へと向けるような、砕けた親しげな口調へとね。
京花ちゃんの振りをしていた時の口調にも似ているんだけど、どこか違う。
これはきっと、素の里香ちゃんとしての喋り方だろうね。
「優しくしてくれたみんなの事…そして、この時代の事…私、絶対に忘れないよ!」
今この瞬間、私達は里香ちゃんと、本当の意味で友達になれたのだろう。
珪素戦争の時代からやって来た、大日本帝国陸軍女子特務戦隊の少女兵士としてでもなければ、「枚方京花少佐」の替え玉としてでもない。
単なる1人の少女としての、園里香ちゃんとね。
「ずっと…ずっと友達だからね、私達…」
里香ちゃんの声が、涙の湿り気を帯びつつあるね。
大正五十年式軍衣の肩もまた、その声に合わせて微かに震えているよ。
「よしなよ、リッカ…『涙は帰還した時の嬉し泣きまで取り置きしろ。』って言ったの、リッカだろ?」
そういうマリナちゃんだって、切れ長の赤い目の端に、光る水玉を浮かばせてるじゃない。
「良いじゃない、マリナちゃん…そんな時は素直に泣いちゃえば良いと思うよ、泣きたい時は…」
そんな私の涙腺も、そろそろ危ないかな。
「り…里香さん…」
英里奈ちゃんに至っては、とっくの昔に涙腺を決壊させちゃってたね。
エメラルドグリーンの瞳からは大粒の涙が溢れ、大理石の彫像を思わせる白皙の頬を伝っている。
せっかく私と里香ちゃんが、ハンカチで拭いてあげたのに。




