第28章 「迫る別れの時」
「思えば、長かったようで短かったような、複雑な気分です…」
純白の遊撃服を身に纏った童顔の少女は、私の背中を追って特捜車を降りると、何とも複雑そうな表情を浮かべながら、サイドテールに結った美しい青髪を軽くかき上げた。
彼女の名前は園里香。
私と同じ遊撃服を着ているけど、その正体は、70年以上昔のケイ素戦争の時代からやって来た大日本帝国陸軍女子特務戦隊の少尉にして、私達の同期生である枚方京花ちゃんの曾祖母なんだ。
突然変異を起こした珪素獣のタイムスリップに巻き込まれ、入れ替わってしまった曾祖母と曾孫。
それぞれが暮らしていた本来の時代に戻す為の「時空漂流者救出作戦」が、人類防衛機構と堺県立大学の協力のもとで、これから決行されるんだ。
この作戦が成功すれば、京花ちゃんは私達のもとに帰って来れる。
そして里香ちゃんも、日本軍女子特務戦隊の戦友達が待っている、修文4年の時代に帰還出来る。
それは確かに、私達も里香ちゃんも待ち望んでいた事だった。
しかしそれは同時に、私達と里香ちゃんにとっては、別れの時間が差し迫っている事でもあったんだ。
私が柄にもなくセンチな気分になっていたのも、里香ちゃんが複雑な表情を浮かべていたのも、これが原因なんだよね。
出会いがあれば、別れもある。
仏教でも、仲の良い人との別れは「愛別離苦」と言い、人生における大きな苦しみである「四苦八苦」の1つに数えられている。
頭では、そうして分かっているんだけどね…
「そんな辛気臭い顔をするもんじゃないよ、ちさ。せめて、笑って見送ってやらないとさ。」
そんな私を窘めながら降車したマリナちゃんの肩には、ゴルフクラブでも収納出来そうな、黒革製のショルダーケースが掛けられていたの。
個人兵装である大型拳銃はショルダーホルスターに収めているため、普段は至って身軽なマリナちゃんだけど、今日に限っては私や英里奈ちゃんに勝るとも劣らない大荷物だね。
「ありがとうございます、和歌浦マリナ少佐。私の歩兵銃をお持ち下さるなんて…」
こうして面目なさそうに頭を下げる里香ちゃんの手にも、運動部の合宿かサラリーマンの出張かと見紛うようなスーツケースが抱えられていたんだ。
ショルダーケースの中に修壱式歩兵銃が収納されているように、スーツケースの中では大正五十年式軍衣が、持ち主である年若き少尉に袖を通される時を、今か今かと待ちわびている。
要するに、修文4年における日本軍女子特務戦隊の軍装だね。
里香ちゃんには、タキオン粒子加速器の設置された研究棟に入館してから、日本軍の軍装へと着替えて貰う手はずになっているの。
徒に人目を引かないようにね。
「気が早いね、おキョウ…気持ちの上では、もう園里香少尉に戻ったのか。」
京花ちゃんを模したフランクな素振りから一転、尉官としての恭しい口調に変じた里香ちゃんに、マリナちゃんも驚きを隠せないみたいだ。
「いや、そういうつもりでは無いので…無いんだけどね。」
取り繕うような言い直しはむしろ、マリナちゃんの指摘を肯定するような物だったの。
とは言うものの、里香ちゃんの事を責める訳にはいかないよね。
何しろ里香ちゃんの帰還先は、修文4年の大日本帝国陸軍女子特務戦隊。
そこでは「枚方京花少佐」ではなく、「園里香少尉」として振る舞わなくてはいけないんだから。
うっかり少佐にタメ口でも叩こう物なら、上官に対する不敬行為でしょっぴかれて厳罰だもんね。
「里香さん…貴女が何時の時代の何者であろうと、貴女と過ごさせて頂いた日々は楽しかったですよ…」
ミニバン仕様の武装特捜車の奥から、か細くも上品な声が静かに響いてくる。
「私達にとって、貴女は確かに親友です…京花さんの身代わりとしてではなく、『園里香さん』という1人の人間として、私達は貴女に友情を抱かせて頂きました…」
レーザーランスを携え、武装特捜車から降車した英里奈ちゃんの声は、随分と震えていたんだ。
「この友情は、たとえ…!たとえ時を隔てたとしても…っ!」
特捜車の車内でも相当怪しかった英里奈ちゃんの涙腺は、車外で里香ちゃんを直視した瞬間、ついに決壊した。
緑色の大きな瞳から溢れ落ちる雫を抑えるべく、左手で目元を覆うんだけど、白い指の隙間から漏れた水滴は、駐車場のアスファルトにポタポタと水玉模様を描いている。
それでも、レーザーランスを握る右手には変化がないんだから、本当に大したもんだよ。
「えっ!ちょっと…大丈夫なの?英里奈ちゃん…」
英里奈ちゃんに駆け寄った私は、気付けばポケットからハンカチを取り出し、幼くも気品ある美貌を濡らす涙を拭き取っていたの。
空いている左手で、癖の無い茶髪の生え際をソッと撫でながらね。
これではまるで、遊園地で家族とはぐれた迷子をあやしているみたいだよ。
それにしても…
私のハンカチだけじゃ、英里奈ちゃんの涙を拭いきれないなあ…
特捜車を運転してくれた上牧みなせ曹長か、或いはマリナちゃんあたりに、替えのハンカチを所望しようとした、その矢先だった。
「涙がもったいのうございます、生駒英里奈少佐。御気持ちは有り難いのですが、その涙は枚方京花少佐が御帰還された時の嬉し涙として、今は取り置き願えますでしょうか。」
見事な気配りだよね、里香ちゃんったら。
私のハンカチだけじゃ拭いきれないと察するや、直ちに自分のハンカチも差し出すんだから。
オマケに、「その涙は、親友を迎える嬉し涙に取っておけ。」なんて、実に聞かせるセリフじゃないの。
「は、はい…ありがとうございます、里香さん…」
どうにか泣き止んでくれた英里奈ちゃんだけど、エメラルドのように美しい緑色だったその両目は、泣き腫らして真っ赤になってしまっていたんだ。
こうなっちゃったらルビーだね。
「それに、私は本来の時代に帰還するだけであって、別に死地へと向かう訳ではないのですから。何もそんな…」
年若き日本兵は苦笑を浮かべながらも、内気で気弱な防人の乙女を諭すように言葉を紡ぐ。
ところが里香ちゃんは、最後に言いかけた一言を飲み込んじゃったんだ。
本人が飲み込んだ一言を、私が無理に聞き出すのは良くないな。
だけど、現代国語の定期テストだと、「下線部『何もそんな…』を補う内容の文を、園里香少尉の気持ちを想像して30文字以内で書きなさい。」という問題が出るんだろうね。
私だったら、「今生の別れのような、悲しげな態度を取られなくとも…」という具合にでも補おうかな。




