第20章 「命名、君の名はキョウカちゃん!」
宿直室を後にした私は、マリナちゃんや英里奈ちゃんとの合流ついでにルームキーも返却してしまおうと、エレベーターに歩を進めていたんだ。
そんな私を、3歩後ろに下がった距離感を保ちながら追って来ているのは、日本軍女子特務戦隊に所属する園里香少尉だ。
「失礼を致します、吹田千里准佐!」
エレベーターの籠に乗り込んだ里香ちゃんが、旧日本軍式の美しい敬礼の姿勢を決める。
ローファー型戦闘シューズの踵が鳴る音を確認した私は、小さく軽い溜め息をつきながら、エントランスのある1階のボタンに力を加えた。
「里香ちゃん…普通にしてくれて良いんだよ。」
エレベーターの扉が閉まるのを確認してから、私は里香ちゃんに向き直った。
「はっ、吹田千里准佐!しかし…不躾ながら御伺い致しますが、『普通』とおっしゃりますと…?」
「私に敬意を払ってくれるのは、本当に有り難いんだけど、里香ちゃんは今、京花ちゃんって体になっているからね。要するに、『枚方京花少佐』にね。」
ここで言葉を切った私は、私に相対している里香ちゃんの全身を、改めて確認したんだ。
背筋の伸びた直立不動の姿勢で、里香ちゃんは私に相対している。
スタイルの良い肢体を包むのは、宿直室備え付けの浴衣でもなければ、里香ちゃんが元々身に付けていた日本軍女子特務戦隊の軍服でもない。
上半身を覆うのは、目映い金糸の縁取りと金ボタンで飾られ、黒いセーラーカラーを備えた純白のジャケットだ。
細い腰は黒いベルトでジャケットの上から締め上げられ、セーラーカラーには深紅のネクタイがキュッと結ばれている。
腰から下をガードするのは、黒いミニスカにニーハイソックス、そしてダークブラウンのローファー型戦闘シューズ。
これこそ特命遊撃士の制服にして戦闘服、言わずと知れた遊撃服だ。
そうやって遊撃服を着ていると、京花ちゃんが戻って来たと錯覚しちゃうね。
何せ、肩には京花ちゃんと同じように、少佐の階級章と金色の飾緒が、誇らしげに輝いているんだから。
まあ、京花ちゃんの御実家から理由を付けて持ち出してきた、洗い替え用の予備だから、そっくりなのは当然なんだけど。
「私が准佐で京花ちゃんが少佐だから、京花ちゃんの方が偉いのは分かるよね?それで、今は書類上、里香ちゃんは京花ちゃんって事になっているの。だから、里香ちゃんは私に敬語を使わなくて構わないの。むしろ、里香ちゃんは私に対して、もっと堂々と振る舞って良いんだよ。」
少し前まで少尉だった子に、「少佐として振る舞え!」と言うのが、どれだけ酷な事かは、自分でも分かっている。
私だって、昏睡状態から目覚めた直後は戸惑ったんだから
とはいえ、このままにしておくのも良くないし…
「あの、准佐殿?恐れながら申し上げますが…」
私と目線を合わせようとしてなのか、それとも単に恐縮してなのかは定かじゃないけど、里香ちゃんはスタイルの良い肢体を少し屈めながら話しかけてきた。
「この際ですので、私の事を『里香ちゃん』と御呼びになるのを改めて頂き、枚方京花少佐としての呼称を御使い頂くというのはいかがでしょうか?その…公の場以外でも…」
「あっ…!」
私ったら、本当に迂闊だったね。
いくら書類上は京花ちゃんという事にしても、私達が口頭で「里香ちゃん」って呼んでいたら、里香ちゃんだって「園里香少尉」としてのアイデンティティーに戻っちゃうよね。
「准佐殿を始めとする皆様が私個人を尊重される御気持ち、心より感謝致します。ですが、この場は心を鬼にして頂き、『園里香』という1個人の事はお忘れになって頂ければ、幸いでございます。」
本当に出来た子だよね、里香ちゃんは。
私の考えの浅さから生じた不手際を責めず、持ち上げてくれるんだから。
それでいて、言うべき事はオブラートに包んで正しく伝えるんだから、抜かりはないね。
「うん、分かったよ…本当にそれで良いんだね、里香ちゃん?」
返事はなかった。
-元の時代に帰還するまで、自分は「大日本帝国陸軍女子特務戦隊の園里香少尉」ではない。
そんな固い意志が、無言で私を見つめる視線には、確かに込められていた。
「じゃあ…キョウカちゃん!」
注意深く聞けば、すぐ気付いちゃうだろうね。
普段の私が「京花ちゃん」って呼ぶ時とは、微妙にアクセントの置き方が違っている事に。
京花ちゃんの代替品ではなく、あくまでも京花ちゃんに良く似た女の子につける、「キョウカちゃん」というニックネーム。
里香ちゃんには申し訳ないけど、これが私の見つけたギリギリの妥協点だよ。
「うん、千里ちゃん!」
屈託のない朗らかな笑顔は、私の知る京花ちゃんその物だった。
私達からの伝聞や記録映像、後はスマホ越しの本人とのやり取り位しか情報源がないのに、見事な再現性だよ。
「凄いよ、キョウカちゃん!私のイメージする京花ちゃんその物!」
私の無邪気な感想に、里香ちゃんは照れ臭そうに笑ったんだ。
「付け焼き刃だよ、千里ちゃん…私が中野学校出身だったら、もっと上手く似せられるんだけどね…」
今のジョークも、いかにも戦中派が言いそうなジョークって感じだよね。
何しろ陸軍中野学校と言えば、大正時代の2度の世界大戦で活躍した密偵達の養成機関じゃない。
もっとも、人類全体が珪素生命体からの防衛戦争に突入したため、国家間のスパイ戦を想定した中野学校は、その存在意味を失ってしまうんだけど。
そうしている間に、私達を乗せたエレベーターは、エントランスのある1階に到着したんだ。




