届かぬ声
Feelingでの勤務を終え、ロッカールームを開ける。
台湾への転勤日が近づいていたけど、いざ会社での荷物整理をしようと思ってもそんなにすることはなかった。
「おつかれ。だんだん迫ってきたね、台湾」
先輩女性があたしの隣にやってきて髪留めを外しだした。
「はい。さみしい気持ちと不安でいっぱいです」
「そうだよね。いきなりだもんね。戻って来れない訳じゃないから」
「そうなんですけどね」
あたしはロッカーを閉め、先輩はロッカーを開けた。
「とりあえずこっちでやり残したことはない? 大丈夫?」
「はい。大丈夫です。ありがとうございます」
「それならよかった」
そう言って先輩はバッグからなにかを取り出し、一度広がった髪をまた直しはじめた。
「そのブローチ、かわいいですね」
「ん? ああ。これね」
先輩は笑って答えた。
「単身赴任の旦那がね。これあったら俺がいつもいる感じするだろなんて言っちゃって。バカでしょ。まあ付けてるわたしもバカなんだけどね」
きれいな白いお花のブローチだった。
明日はお休みだし、帰りにあたしは駅周辺をぶらぶらして、むこうでの下着やメイク用品、そして台湾語のハンドブックを買った。どこもかしこもクリスマス一色といった感じだった。
実家のお風呂に浸かり考える。最近いろいろと考えることがおおくなった気がする。
先輩の言った「やり残したこと」という言葉。やっぱりかろりのことが気になった。実家のお風呂場はタイルが剥がれている箇所があったし、蛇口の水の出加減も悪くなっていた。
ゲームの中でのかろりと会話した民宿トピーのお風呂を思い出す。本当にもうこのままで終わっちゃうのかな。
髪を乾かし部屋に戻る。スマホを確認すると、また元カレからroinがあったのでブロックした。かろりからのroinだったらなと思う。それならむこうでも連絡が取れる。トラあなは日本だけのサービスだから。
なにを考えているんだろ。かろりはもうあたしのことは気にしていないんだ。かろりは他の人たちと楽しくプレイしているんだ。会いたいと思っているのはあたしだけなんだ。3日間なにもなかった。邪魔しちゃいけない。
一瞬トラあなのアプリをアンインストールしようかとも思った。そうすればきっぱり吹っ切れる気がしたから。でもできなかった。あたしはログインした。
ブレメの村では今日も畑仕事が行われていた。天気も良く、犬は走り回っていたし、猫が馬の背中に乗っていた。かろりはログインしていなかった。あれから一度も言葉をかわしていないのに、期待している自分がいる。
あたしは知らない人とパーティーを組んでレベル上げをした。実際もうレベル上げをしても意味はない。もうじきあたしはプレイできなくなるんだから。
村を出て『深闇の森』で『リスパッド』を倒す。あたしの武闘家も板についてきた。パーティーメンバーも楽しい人たちだった。トラあなでなんの食べ物が美味しかったかの話になって、あたしは『ラーンドーナツ』と『香り筍ご飯』と答えた。『ブレメの焼きイモ』はまだ食べていないけど話を聞いているとおいしそうだなと思った。
「よし、もうひとがんばりしますか」
パーティーリーダーが言うと同時だった。
「こんにちは」
かろりだった。あたしは体が固まった。え。え……。
「この前はすみませんでした。具合が悪いって言ったのはうそなんです」
なにか言わなきゃと思っても声が出ない。
「2人でプレイしていきたいなと思っていたんです」
あたしも。あたしもそう思ってたんだよ。
「カクテルさんいい人そうだし、かっこいいし大人だし。メロンさんとカクテルさんが話しているのが楽しそうに見えて」
ごめんね。何も説明しなくてごめんね。
「僕、実は高校生なんです。だからカクテルさんにはかなわないなって思って」
そうなの? 高校生だったの? でもそんなの関係ない。
「だから、その場にいたくなくて……」
あたしが悪いの……。かろりは悪くない。
「また一緒に冒険したいです。……すみませんでした」
あたしはその場で泣き崩れた。そして何も言えなかった。一緒に冒険したい。あたしもかろりと一緒に冒険したい。でも……もうすぐあたしは。
「いつかのおにぎりありがとうございました。とても美味しかったです」
「今日、モテナスの隣のそば屋に行ったんです。あ、モテナス知らないですよね、すみません」
「そこでそばとおにぎり食べてたら、思い出しちゃって。ありがとうって言っとこうと思って」
そうだ。
フレンドリストを開く。かろりはブレメの村にいる。今から走ればかろりに会える。
「冒険、がんばりましょう」
言わなきゃ。言わなきゃ。
「待って! かろり、ごめんね! ごめんね! 本当にごめんね!」
あ……。
かろりのアイコンが薄く表示されていた。




