第7話 「良きに計らえ」
「いってらっしゃい! バイバーイ♡」
「いってくるにゃす。ニャエガシはゆっくり休むにゃおよ」
一人と一匹が街に戻る頃にはすっかり夜も深くなっていた。
あたりは昨夜と変わらず静寂。灯りも無い。
もの哀しい雰囲気の中、ここ、馬小屋のある屋敷だけは特異な様相を見せている。
「さて……、二日ぶりに魔王さまとご対面にゃ。気を引き締めて行くにゃ」
フッと短く鼻息をし、都の中心にある小蘭城、いや魔王城に向かって颯爽と駆け出す。
軽快な足音が住宅地に吸い込まれてゆく。
本日の戦果は上々。
しかしこの三日間の戦いを総括すると、初日に侵攻した場所まで再度進んだのみ。
魔王さまには不服と思われても仕方ないだろう。
下手に言い繕おうとすれば殺されてしまうかもしれない。
他の四天王の戦果はどうなのか。大きく遅れを取っているなら用済みとされる可能性だってある。
宵闇がネガティブな思考を連れてきてしまうのだろうか。
緊張から、少し鼻の頭が濡れてくる。
せっかく手に入れた希望。まだ死にたくはない。
せっかく手に入れた居場所、白虎隊。大事にしたい。
程なくして、とある神社の参道入口に到着する。
石造りの控えめな鳥居とその先にある急な階段。
木々に囲まれたこの道は、丘の頂上付近の魔王城へ至る。
元々は小蘭国の君主、小蘭家が鎮座し、国民を治め守護していたこの場所。
自らを神のごとく扱う城の立地には傲慢さのような念を覚える。
しかし、深い山々に囲まれ林業や果樹栽培が主要産業であるこの国、つまり自然環境の良し悪しで国の盛衰が左右されてしまうこの国においては、国民を正しく導くには君主は神に近い場所から統治すべき、という信条が根付いていた。
国民がこの神社を参拝することは、同時に小蘭国に対して忠誠心を捧げることを意味する。
階段を上ると、綺麗に切りそろえられた大きな石が続く道が見える。
これらの大石を丘の上まで運ぶのは並大抵の労力ではない。
国内物資の輸送のために馬と牛を多く育てている国であるため、石の輸送にも家畜の力を使ったのだろう。
言うまでもなくこれは城の石垣。
急な勾配でそそり立つ壁は人間の力でよじ登ることは不可能。
城を落とすには三倍以上の兵力が必要、と言われるが、堅牢な造りはこの格言をまさに体現しているようだ。
石垣が途切れると石碑、そして長い石段の向こうに立派な櫓が見える。
ここが小蘭城の唯一にして最大の、小蘭門だ。
松が生い茂る広場は、都と同じ静寂であるはずなのに、なんだか息がつまるほどの威圧感だ。
胸を上から押さえつけられているような、ひれ伏すことを強要されているような、そんな思いにさえさせられる。
重々しい足取りに苦慮しながら門をくぐり、さらに土塀や石垣をぐるぐると進み、ビャッコは魔王さまの待つ天守閣を目指す。
「ま……魔王さまっ! ビャッコ……参上しにゃした!」
城内の階段を上へ上へ。ここは城の最上層、天守閣。
襖の前でちょこんとお座りをする大きな虎。
襖は広く開かれており、奥の間に薄っすらとロウソクの火が灯っているのが見える。
魔王さまの姿は暗さで見えないが、間違いなく、いる。
しかし無音。
返答どころか雑音もない。
無言のプレッシャーがビャッコの緊張を最高潮にさせ、鼻と肉球から水滴がダラダラと流れ出す。
「せっ……戦況報告にゃっ! 入りにゃす!」
堪えられずビャッコは言葉を繋げ、ペタペタと奥へ歩む。
柔らかな肉球は普段足音を立てないのだが、汗のせいで可愛いらしい音が響いてしまっている。
尻尾はダラリ下がり恐怖心。元気よく声を上げても体は正直だ。
魔王さまの前で再びお座りするビャッコ。
深々と頭を下げる。
「二日ぶりにゃす……。魔王さま……、魔王、キリンさま……」
ゆっくりと、不安いっぱいの様子で、顔を上げてみる。
――麒麟。
ビャッコを遥かに超える恐ろしい巨躯を成し、龍の顔、馬の蹄、牛の尻尾、二本のツノを持っている。
身体の節々に鱗の鎧を纏い、金色に輝く体毛をたくわえる。
大陸の神話に現れる伝説上の霊獣である。
「おじゃっ? おぉ、おぉ、ビャッコではないか! 昨日おぬしの顔が見れなくて、まろは寂しかったでおじゃるぞ」
しかしこのキリンは、伝説の麒麟ではない。
長〜い首の、黄色い体毛に茶色い斑紋を持つ、アフリカのサバンナにいるような偶蹄目キリン科キリン属のキリンである。
加えて長いまつ毛につぶらな瞳。時代が時代なら子供たちの人気者になれる風貌だ。
「おっほっほ、すまぬすまぬ。四天王の誰もおらなんだゆえ、退屈で退屈で居眠りしておったわ。許してくれたもれ」
先ほどまでの緊張は何だったのかと思ってしまうほどのゆる~い空気感。
ビャッコは拍子抜けして力が抜けてしまった。
「んん~。今日はあまり傷ついておらぬようじゃな。身体は大事にしなければならぬぞ、ビャッコや」
「にゃごっ! も……勿体ないお言葉にゃす」
「んん~。して、まろに良い報せを聞かせてくれるのじゃろう? どうじゃ? ん? 西の具合は、どうじゃ?」
「にゃす! 恐れにゃがら、一時的にキリンさまの在わす街の近くまで攻め返されたんにゃすが、にゃんとか国境まで攻め出すことができにゃした」
「おじゃ? 国境とは、なんぞな?」
「み……三日前、初日の昼ごろに到達した、大きな河のことにゃす。人間たちは国という名のナワバリを持っているみたいで、その国の境界線を国境というらしいにゃ。そこは強い人間が固まってるから苦戦するのにゃす……」
「ほほ~、千年以上前にはそんな大それたものはなかったがのぉ〜。そしておぬし、賢いのぉ、ほっほっほ」
「明日は国境を越えて、毛萩国という隣の国の侵略を始めるにゃす! キリンさまの期待に沿えるように、精一杯頑張りにゃす!」
「おじゃっ。良きに計らえ、ビャッコや。まろは期待しておるぞ」
これまでの失態を咎められることもなく、ビャッコは心の底から安堵していた。
今日の戦いを振り返りながら、八重樫の存在を匂わせることなく、どのように戦い勝っていったかを細かく報告する。
「おぉ~う、おぉ~う、相性の悪い中よくぞ戦い抜いてくれたのぉ。明日の勝利は約束されたようなものじゃの、ほっほっほ」
一通り話が終わることには震えは止まっていた。
和やかな雰囲気の中、キリンに対する親近感まで湧いていたほどだ。
「時にビャッコや」
――しかし、
「草薙剣の足取りは、何か掴めたかえ?」
唐突に、絶海の崖に立たされたような、絶望を覚えるほどの畏怖を感じた。
ビャッコの全身の毛が逆立ち、命令されるでもなくこれ以上ないほど整ったお座りをした。
高ぶりつつも凍りつく心臓が、一つでも言葉を誤れば殺されることを確信している。
何も言葉を発したくない。
だが話さなければきっと……。
「にゃ……にゃにも、まだ掴めておりにゃせん……。オラの仲間たちにも異常や変化は無く、キリンさまに頂いた力は変わらずに使えておりにゃす」
顔を背けたまま、ガクガクと震えている。
「手掛かりが掴め次第! すぐに報告しにゃす!」
また沈黙。
先ほどとは比較にならないほどの威圧感だ。
ビャッコは小便をちびりそうなほど追い詰められていた。
「おじゃっ。 ではヨロシク頼むぞ、ビャッコや」
明るい口調、軽い空気。
助かった!
ビャッコはようやく顔を上げる。その顔は涙ぐみ、若干の笑みがこぼれている。
ご苦労であった。下がって良いぞ。と続けるキリンも優しい表情だ。
「今晩はゆっくり休息してくれたもれ」
「にゃす! にゃす! ありがとうございにゃす!」
ビャッコは深々とお辞儀をし、キリンの間を後にする。
階段を下ろうとするところ、遠くからキリンが声をかけてきた。
「おお、言い忘れておった。ビャッコや」
ビャッコは後ろを振り返る。
「次は、あの娘も連れてきてくれたもれ」
「――ッッ⁉⁉」
ビャッコは何も言わずに全速力で逃げ去った。
恐怖のあまり、神社の参道に出るまで一呼吸もできなかった。




