第4話「え、にゃんで?」
「あはははっ! 速い速い! 早馬よりも、ずっと速いじゃん!」
大きな虎の背中の上で跳ねている無邪気な少女の姿。
戦地に赴いているとは誰が想像できようか。
「あんまりはしゃいでると落ちちゃうにゃおよニャエガシ! それと——」
「あがぅぐっ!」
「——それと、ベロを噛んじゃうにゃおよ……」
「いぅぃ~……いった~」
口を手のひらで覆いながら、涙で潤んだ目を上空に向ける八重樫。
その視界には両脇を滑る森林と、間を青く染め尽くす雲ひとつない晴天。
一粒の涙は暖かな陽気に包まれ、人肌の温度で頬を横へと流れていく。
天の大河を思わせる景観の下、動物の群れが山道を走っている。
一際大きな体の虎が先頭となり、続いてウマ、シカ、イヌ、ウシ……。テンやイタチ、ウサギやネコなど足の速い動物から順に縦に長く並ぶ。
持久力の無い小型動物は、ビャッコの命令で大型動物に乗せることで、集団移動を可能としている。
その一方で周りの山々からサルやヤマネなども続々と合流してきている。
八重樫の髪が大きく靡くくらいの速度で走るビャッコの背中の上は、しなやかな筋肉と柔らかい体毛のおかげで、騎乗による体力の消耗は無さそうだ。
駆ける足音も異様に軽い。雄牛の三倍ほどの巨躯であるが、体重は離乳時期の仔馬ほどしか無いのかも知れない。
風圧を避けるような体勢さえ維持できれば、快適な乗り心地と言えるだろう。
「昨日戦った場所までは三十分ほどで着くにゃ。それまでじっとしてるにゃお」
「ううん、乗りながら喋るのに慣れておかないと戦いにならないもん。だから着くまでの間に今までの戦いのおさらいをさせて」
「慣れておく? おさらい? 構わにゃいが、またベロ噛まんように気をつけるにゃお」
「ありがと。じゃあまず……ビャッコちゃんの独り言から察するに、ビャッコちゃんは魔王さまに街から西の方角を攻めるように命令されたんだよね?」
「うむにゃ。さっきオラたちが出発した場所から出て、今まさにオラたちが走ってる道を進んだのにゃ。三日前のことにゃ。」
「最初は順調に勝ってた。道中の村々を制圧しながら、西へ西へと快進撃を続けた」
「うむにゃ! 村の家畜や周りの山の動物たちも次々と手下にして、全速力で侵攻したのにゃ。陽が昇り始める頃に街を出発して、陽が昇りきる頃にゃあ大きな河まで進んだのにゃ!」
ビャッコはフフンと鼻息を鳴らし得意げになった。
「大きな河……。そこが、国境よ。国と国の境界線のこと。深くて流れも早くってね、商人たちが使うための橋以外に河を渡る手段が無い場所なの。あたしはその河の向こうの国から逃げて来たんだよ」
「にゃお、国境……。ニャエガシの国……」
「あたしのいた国は毛萩国、ここの国は小蘭国っていうの。毛萩国と小蘭国はあたしが生まれる前からずっと戦争しているんだ」
「仲悪いんにゃね」
「いろいろあったんだろうね、たぶん」
八重樫はおさらいを続ける。
「河まで順調に進んだビャッコちゃんの侵攻も小蘭国まででお終い。橋を渡り、毛萩国の人間たちにも勢いのままに襲いかかった。だけど全く歯が立たなくてボロボロに負けてしまった」
「そうにゃ! アイツらオラたち手の届かにゃい、ずっと遠くから攻撃してくるのにゃ! 攻撃が脚に刺さると動けにゃくにゃるし、頭に刺さると死んじゃうのにゃ! 橋の途中でほとんどやられちゃったのにゃ!」
「うん、きっとそうだろうね。それは矢って呼ばれててね、弓っていう武器を使って遠くの敵へ攻撃できるの。弓足軽って呼ばれる兵が使うんだよ」
「ゆみあしがる……。矢と弓かにゃ……。にゃけど途中でやっつけた村にゃあそんにゃ武器は見かけんかったにゃご?」
「ううん、ビャッコちゃんが滅ぼした村にも弓足軽がいたはずよ。小蘭国は本拠地の小蘭城が近くにあるとはいえ、敵国の国境近くの村だから駐屯兵を配置するのが普通なの。でも兵隊たちは弓矢を使う間も無くビャッコちゃんたちにやられちゃった。奇襲されたからね。小蘭国の兵隊たちは毛萩国からの侵略、つまり西側からの攻撃には常に備えていたけれど、味方のいる東側からの攻撃は全く想定してなかったと思う。背後から急に襲われたら、誰だって簡単にやられちゃうでしょ?」
「にゃるほど……。ニャエガシの国のヤツらは東にいる敵からの攻撃に備えていたから、すぐオラたちに対抗することができたんにゃね」
「うん、その通り。そのうち詳しく教えてあげるけど、近年の戦いは馬に乗った騎馬武者による突撃に対抗するために改良発達してきたものなの。だからビャッコちゃんみたいなおっきな動物が真っ向から勝負しても相性は最悪。勝ち目なんて全く無いんだよ」
「にゃごっ、そうだったのか……」
一矢報いることすらできず連敗した理由がわかり、連日続いていた諦めたような気持ちが少し和らいだ。
「国境の河を越えた先で一度目の敗走。それで次の日になると隣国の連中は国境を越えて、小蘭国へ侵攻していた。さらに村に陣まで敷いていた」
「陣を敷く? それはわかんにゃいけど、オラがせっかく手に入れた村までどんどん入り込んで来たのにゃ。追い返そうと頑張っても、その弓矢とか長い棒とかでオラたちはやられちゃったのにゃ」
「小蘭城から国境の河までは山ばかりで街道が細いからね。陣を敷く、ようは臨戦態勢の相手に正面突撃を繰り返してもそりゃ勝てっこないさ」
「そんにゃあ……」
「そして敵は小蘭城に向かってどんどん侵攻する。道中の村々はビャッコちゃんがやっつけて駐屯兵もいないから、どんどんどんどん。それで昨日、三度目に負けた後にはもう後がないくらいまで侵攻された。――、これが今までの戦いなんだよね」
「そうにゃ。手下も随分減っちゃったし、また周りの山から集めようったってもういにゃいみたいでオラ……」
唐突に言いかけた言葉を止め、走る速度を緩める。
不思議に思う八重樫だったが、その理由を把握するのに三秒とかからなかった。
まだ走り始めて十分と経過していないこの場所、都から西に最も近い位置にある村にまで、毛萩国が侵攻し陣を敷いていたのだ。
緩やかな上り坂の先にかろうじて目視できる程度の距離ではあるが、敵の兵隊たちもこちらに気付き慌ただしく陣形を整え始めている様子がわかる。
「そんにゃ……、もうこんにゃところまで……」
明らかにビャッコは萎縮している。
お尻に感じるビャッコの体温が急激に下がっていくようだ。
わずかな振動。武者震いでないことは明らかだった。
見るに見かねた八重樫は、白く大きな背中をパンパンと強く叩く。
「しっかりしなさいビャッコ! 勝てるよ、大丈夫!」
ビクッと肩をすくませ、おずおずと八重樫の方を見るビャッコ。
「でも……、アイツらもう弓矢の準備しちゃってるみたいにゃ……」
「うん。それに槍足軽も続々と集まってきてる。道には突進妨害用の馬防柵もたくさん……。大型動物への対策はバッチリね。今から馬や牛たちだけで攻撃仕掛けても返り討ちだわ」
「ええぇ……、それじゃあ……」
泣き出し方な声のビャッコ。
対照的に八重樫の声は自信たっぷりだ。
「うん、それじゃあ走ってきてる動物たちがみんな追いついてきたら、まずは全員に交尾をさせましょ!」
「え? 今にゃんて?」
「交尾よこ、う、び! それも種族を越えた乱交よ! 本能的な行為だから指示できるでしょ、こうび!」
「できるけど交尾? え、にゃんで? こうび? にゃおん?」
なんともマヌケな顔でビャッコは困惑した。
動物だらけの空間で、八重樫の作戦を理解できるものなどいるはずもなかった。




