第13話「やはりお前か、八重樫の三番目」
鎧すら脱ぎ去って、ネズミのように逃げ果せる兵たち。
おっ母、おっ母、と泣きわめく農民上がりの新兵には、戦意のカケラも感じない。
混乱の震源地に佇むのは八重樫とビャッコ。
「さすがにこれだけの数を仕留めきるのは無理そうね。ビャッコちゃん、オオカミやキツネたち、それと小動物たちにヤツらの脚を狙わせて。広い平野だ、歩けなくさせれれば破傷風で勝手に死ぬさ」
わかったにゃ、と元気のない返事で、弱々しく吠える。
「……ビャッコちゃん、まだ戦える?」
「ゼハッ、ゼハッ、ゼハッ……」
呼吸が荒く、返答はない。
満身創痍とはまさにこのこと。
八重樫は心を痛ませながら、あたりの白虎隊のコンディションを確認する。
激しい持久走をやり遂げた仲間たちは、そこら彼処に座り込んでしまっている。
疲労困憊。傷ついた体。
唯一元気なのは仲間にしたばかりの敵の馬たちだけで、残りはそのまま寝てしまいそうな様相だ。
「……ビャッコちゃん、奥に進もう。最奥の陣営を倒せばこの戦いは勝利だよ」
「ハッ……、ハッ……。ニャエガシ……、みんにゃ……、疲れて……。休ませて……」
「奥まで息を整えながら向かえば少しは回復できる。さあ、進むよ」
「にゃ……にゃごっ……」
「……みんなツライのは本当によくわかってる。休ませてあげたい気持ちはあたしも同じ。ビャッコちゃんの傷の手当てだってしてあげたい……」
八重樫の声は微かに震えている。
「でもね、勝機は今しかないんだ。朝日が昇る前の、あたしたちに有利な暗さの今しか。それにね、昨日の夕方に敵が入れ替わる時、小荷駄、食料とかを運ぶ人たちが奥の陣営から出てくるのが見えたでしょ? さっきの戦いの最中に助っ人の兵が出てこなかったことも考えると、あの奥に何百人ていう戦力は残してないはずだよ。たぶん、小荷駄、土木作業員としての工兵、足止め役や連絡役の兵たち、それに総大将の、たぶん柿ノ葉って人くらい。せいぜい百人程度じゃないかな。小荷駄の使ってた馬があるし、逃走用の馬だってあるはずだから、仲間にできちゃえばきっと勝てる。ひょっとしたら、敵たちはもう逃げちゃってるかもしれないしね。うん、そうだといいな」
「にゃ……、オラもそれを……、望むにゃ」
二キロほど離れた陣営に向かって白虎隊はゾロゾロ千鳥足で歩き続ける。
酩酊状態のような足取りだが、十分と経たないうちに敵の間合いまで入れるだろう。
途中、相手が急に攻め出てくるかもしれないし、大量の矢が飛んでくるかもしれない。
八重樫は緊張の糸を切らすことなく、暗闇の先に目を見張り続けた。
しばらくして。
ここは小高い山々の入り口。広い平野の終点。
ここより先は、さほど広くもない長い林道が続く。
林道の両脇は小さい崖となっているため、大昔は小川が流れていたとも考えられている。
山の高さこそ異なるものの、小蘭国から国境の河までに似ている。
言い換えれば、白虎隊に有利な地形が続くことになる。
歩きながら休息した白虎隊は、幾分か呼吸が整っているようだ。
だが残念ながら、深い傷を負っていたために途中で力尽きてしまった仲間がいることも事実だ。
先頭を歩くビャッコと八重樫には、それを気遣う余裕など無かった。
「にゃぐっ……。ふぅ、ふぅ……。結局……、にゃんも……、出てこにゃかった……にゃ……?」
「……うん。奇襲もなにもなかったね」
強張った顔のまま続ける。
「……だけど見て、照明の灯りが揺らめいて見える。灯りも消さずに逃げ出したのか、それとも息を潜めて待ち構えているのか……」
陣営は家紋の入った白い幕で覆われており奥の様子は窺い知れない。
幕は周りの木の高い場所に縛り付けられている。
分厚い布の奥で、火の光がユラユラとボヤけているのみ。
夜明け前の冷ややかな風が植物の油のような香りを運んで来る。辺りの山林が繁殖の準備をしているのだろうか。
「ビャッコちゃん、ここが正念場だ。ここを抑えてこの先の山道も陣取っちゃえば、もう小蘭国を攻める手段は無くなるよ。逆に今ここを叩けないと、一両日中にはきっと……」
「……きっとにゃん?」
八重樫が勝負を急ぐ理由はビャッコは解らない。
しかし、焦燥感だけは僅かに感じ取ることができていた。
「……ううん。ビャッコちゃん、仲間になるよう敵の馬に呼びかけてみてくれる?」
わかったにゃ、というビャッコの声はますます苦しそうだ。
「ッグァォォオオ!」
……沈黙。
再度吠えてみたが何も起こらない。
「……? もう、逃げた……? 柿ノ葉さんなら、ケモノ相手にはここが大事な拠点だと考えそうだけど。……退いた方がいい理由が何かあるのかな……?」
「ハフッ……、ニャエガシ……。カキノハって、……ブフッ……、知り合い……にゃお?」
「う、うん。この最前線の総指揮を任されてる人で、すごく思慮深くて慎重な人なんだ。父様の古い友人でもあって、あたしは幼い頃からよく面倒を見てもらってて……」
「……ニャエガシ? 戦いたく……にゃい人間にゃお?」
八重樫は少し間を置き、首を横にふる。
「……。ビャッコちゃん、このままじゃ埒があかない。日が昇る前に仕掛けるよ」
幕を睨みつけながら指示を出す。
「二割の数を待機させて、残る八割で一気に突撃する。元気な馬は中央に。外に向かって牛、鹿、イノシシたち……、突進力のある仲間を並べよう。あの幕を突き破る勢いで畳みかける。ビャッコちゃんは——」
ビャッコの体温は酷く低下している。
「ビャッコちゃんとあたしは、ここで様子見。相手の出方を注視しよう」
「……やってみるにゃ」
白虎隊を指示通りに並べる。
ここで敵の馬を奪えなかった以上、疲弊し傷ついた仲間だけでなんとかするしかない。
頼みの綱は仲間になりたての名馬たちだ。
ザッザッ、と脚で地面をかく白虎隊の面々。
やる気は十分。
八重樫はおもむろに手を挙げ——。
「いけっ! 白虎隊!」
その手で風を切ると、一斉に白虎隊が走り出した。
ドコドコドコ! と周囲の空気が大きく振動する。
やはり中央の馬が早い。
負けじと、イノシシたちも離されない距離で突っ込む。
人間が正面からぶつかれば、内臓破裂。当たりどころが悪ければ即死だろう。
突撃組は幕を被りながら、そのまま敵の懐に殴り込む。
木に固定されていた幕はその勢いに引き千切られ、覆われていた陣営が露わになる。
「——⁉︎ みんなを止めて! ビャッコ!」
「クヲーンッ! ……ニャエガシ、これ……」
「……うん」
火を灯したままの照明はそのまま。パチパチと木が焼ける音を立てている。
他には、何も残っていなかった。
「……なんとまあ……すでに退いてたみたいだね」
「よ……よかったにゃん! 戦わにゃくて……、ゴフッ、済んだにゃ!」
「そうだね! 柿ノ葉さん、ここで勝負するよりも、退いて本隊と合流することを選んだんだ!」
八重樫もようやく緊張の糸を緩めることができたのか、ペタリとビャッコの背中にお尻をつける。
ビャッコもそれにつられるように地面にお腹をつける。
「ふぃ〜。緊張した〜。ビャッコちゃんお疲れさま!」
「ニャエガシこそ……、ハッハッ、昨日から……ずーっと……たいしたもんにゃ」
「お互いゆっくりしようね。まずは傷の手当しよ!」
新しい朝を迎える直前の和やかなムード。
ビャッコと八重樫の心には一足早く朝が来たようだ。
その気持ちを感じ取ったのか、手元に残した二割の白虎隊もそれぞれ休息の態勢に入る。
八割の突撃組はというと、可哀想にも白い幕を覆いかぶさったままモゾモゾと動いている。
「あははっ、あの子たち幕がまとわりついて焦ってるみたい。見た目以上に重たいのかな、あの布。ビャッコちゃん、サル軍団にあの幕を取ってもらってよ」
「そうにゃね。ほにゃら……」
最後の指示を出そうとするビャッコは、深く息を吸い込んだ。
そのまま大きな声を発する瞬間、まさにその瞬間、八重樫の脳裏をあるシナリオが掠めた。
植物の油のような香り?
見た目以上に重たい布?
誰もいない敵陣?
まさか。
まさかまさかまさか!
「ビャッコちゃん! 急いでみんなを逃げ——」
「やれ」
冷酷な一声と共に、両脇の山林から赤橙色の光が線を描く。
小さな光は幕に止まると——、
ブオォォォォォォ!
——光源の正体は火矢。瞬く間に火の手が布全体に広がった。
幕に覆い被さられていた白虎隊の突撃組は炎に包まれ、悲痛な断末魔をあげている。
呼吸をしても酸素は取り込まれず肺が焼け、暴れ回るほどに布が身体にまとわりつき、涙を流す赤い瞳は沸騰して炭になっていく。
清涼な植物油の香りは動物の毛髪が焼ける不快な臭いに変わり、上昇気流とともに空へと舞い上がる。
八重樫とビャッコの白い外装は、鮮やかなオレンジ色になった。
両者の目には悶え苦しむ仲間たちの姿が映るのみ。
何かをすることもできず、小さく震えたままその様子を見ていることしかできなかった。
待機していた残り二割の白虎隊も、見たこともない大火に恐れをなし逃げ出してしまった。
「——ほう、なにやら聞き覚えのある声がすると思ったら、やはりお前か、八重樫の三番目」
先ほどの冷酷な声。
ハッとした八重樫は小さい崖を見上げる。
山林の中から現れたのは、長い刀を肩に担いだ長身長髪の男。
八重樫のように不敵な笑みを浮かべている男だが、八重樫とは異なる卑しさを感じさせる。
燃え盛る業火を、八重樫を、ビャッコを、まるで生ゴミでも見るような目で見下している。
「……あんた……、大薊! なんでここに!」
相対する八重樫の目には別の火が灯る。
これまでのような希望の火ではなく、もっとドス黒い感情を秘めているような別の火が。




