第12話 「陽が昇るまでにケリをつけてやる!」
「キャイン!」
「ビャッコちゃん! しっかり!」
後ろ左足の関節まで突き刺さっていた忌々しい矢が、力強く引っこ抜かれた。
サルの手は器用なもので、八重樫ではビクともしなかった矢を容易に抜いてみせる。
サルに道具や武器を作らせることはできないが、このように手足を使った単純作業ならば指示することが可能なようだ。
ビャッコの背中に刺さった矢を取り除いていくサルたちは、何が楽しいのか矢を掲げて陽気に笑っている。
「きっ、傷口から血がいっぱい出てるじゃん! ホントに抜いても良かったの⁉︎」
「大丈夫にゃ、ごごごっ……。痛い痛いにゃが、勝つためにゃオラも走って戦わにゃあ」
「でも……」
「ニャエガシ、オラはニャエガシに出会う前から……いっぱい怪我をしてきたにゃ。だけど、……いたたっ。だけど、魔王さまから与えられた力のおかげで傷の治りがでら早いのにゃ。毎日戦えるくらいにゃんよ。全力で走るにゃあちと無理にゃけど、仲間たちと同じスピードで走るにゃあ、問題にゃいにゃ!」
まだ戦えることを力強い目でアピールするビャッコに八重樫は納得するしかなかった。
プルプル震える口元とビッショリ濡れる鼻に、隠しきれないやせ我慢を感じながら。
「ん……わかった……。痛すぎて途中で泣いても知らないんだからね」
「大丈夫にゃ!」
「死なないでよね」
「任せろにゃ!」
ビャッコは身体を起こし軽く足踏みをしてみせると、酸化した血で茶色く染まった小石が、胸元からパラパラと落ちた。
真っ白だった体毛からは古い鉄のような匂いが発せられ、明らかに汗ではない液体で湿っている。
瞼をギュッと閉じながら、ズズッと息を吸いハアーッと吐き出す。
傷口から命の水がずるりと滴った。
「乗れにゃ! ニャエガシ!」
涙目でニカリと笑ってみせる。
立派なキバがギラリと輝く。
「上等! 陽が昇るまでにケリをつけてやる!」
ヒラリと少女が跨ると、赤く染まった絨毯に真紅の紫陽花が美しく咲いた。
「まずは左右二手に分けて広く平野を疾走! 私たちは右へ! 全員大きく迂回しながら、奥にいる本陣を目指して!」
「了解にゃ! グルルルアアァァ!」
見張組や敗走者を襲っていた獣たちが攻撃の手を止め、右へ左へと一斉に駆け出した。
周囲の闇は未だ深く、八重樫の目には白虎隊の動きはほとんど見えない。
しかし今の彼女は確信している。仲間たちが勝利に向かって走っていることを。
先頭を行くのはウマ、続いてオオカミ、イノシシ、ヤマイヌ、シカ……。
ビャッコはそれらより後ろ、ウシやサルと並んでいる。
ウマやシカが持久力があり、徐々にキツネたち小型動物との距離が開いていく。
敵の本陣に近づく頃には、白虎隊は長い列を形成し始めていた。
対する人間たちは前方を撓ませた魚鱗の陣。
千人を超える軍勢は横広い三角形のように並び、ビャッコたちを包むように大きな弧を平野に形成している。
端から端までは二百メートル近い長さ。
先頭に槍足軽を三列に並べ、槍衾の体制をとる。
その後ろには弓足軽。遠距離攻撃するとともに、槍足軽を援護する。
槍足軽と弓足軽は各六隊に分かれており、それぞれの指揮官を騎馬武者が担当している。合計十二人を、隊長という。
さらにその隊長を束ねる騎馬武者が少将。この大軍の最高指揮官だ。
弓足軽の背後には大きな馬に乗った騎馬武者が十三人点在し、人一倍高い場所から指示を出す。
この本陣からさらに奥、平野の最奥に待ち構えるのはまだ見ぬ兵たち。
天蓋が使用されている陣営には、おそらくこの戦の大将が控えているのだろう。
どれほどの兵がいるのかは山の上からでさえ確認できなかった。
ビャッコたちからは三キロ以上離れているものの、こちらに向かってくる気配は感じられない。
「……うん。さっきの法螺貝の音で起きてるはずだけど、まだこっちに攻めてくる様子じゃない……。となればあそこが最終関門で、突破できれば敵の城まで一直線ってわけだ」
「ハッ……ハッ……、ニャエガシ! これからどうするにゃ⁉︎」
「千人以上なんて相手にしてらんないから、無視して最奥まで一気に進む!」
「にゃんと!」
「ただの見せかけさ。このまま突っ込んでも千人以上の本陣と奥の陣営に挟撃されるよ。そうなったら間違いなく全滅だ。だからまず敵の目にはそうやって見せかけて、あの厄介な魚鱗の陣を崩す! どんどん指示出すから頼むぜ、ビャッコちゃん!」
「にゃおよ! ニャエガシもベロ噛まにゃいように気をつけろにゃ!」
敵を大きく挟む格好になるまで駆け抜けた白虎隊は、なおも走る速度を緩めない。
敵との距離は三百メートル以上。
暗さも相まって明らかな射程距離外。矢が飛んでくる様子はない。
一方で本陣の最高指揮官、少将は大声で命令を出し、陣の中央を支点に兵たちをぐるりと移動させる。
二等辺三角の形をした陣形は徐々に、中心に少将及び十二人の隊長から成る騎馬武者隊、外周に第一から第六槍足軽隊、その間に第一から第六弓足軽隊を並べた、楕円のような形に変わっていく。
獣の群れが挟撃してこようと撃退できるし、背後から攻められても再び魚鱗の陣を形成できる体勢だ。
もしくは、もし奥の陣営に向かわれても再び魚鱗の陣に変えて追うことができる陣形だ。
「ふん、どうやらちゃんと戦術を応用できる指揮官みたいね。判断も早い……」
それなら、と八重樫は冷静に次の指示を出す。
「ビャッコちゃん、白虎隊を方向転換! 左右に分かれた隊を合流させる形で走らせて!」
白虎隊の右を走っていた群れは大きな弧を描くように左へ、左の群れは同じく右へと旋回する。
それに合わせて敵の陣形は、魚鱗の陣になるべく動き出す。
少将の指示は、背後からの強襲に対抗するためのものだろう。
外側の槍足軽たちは移動距離が長く、とりわけ忙しなく走り回っているようだ。
「合流しても足を止めないで! そのまますれ違って!」
白虎隊がちょうど敵の陣の裏側に回り込んだ頃、魚鱗の陣もまたひっくり返したような形に--。
「よし、よし! うまくいってる! 頑張って、ビャッコちゃん!」
--なっていなかった。
人間たちよりも移動距離が長いとはいえ、白虎隊の方が機動力は優位。
重い武器や防具を身につけ、ましてや寝起きで身体の温まりきらない兵たちには、白虎隊の動きに合わせて陣形を反転させることは容易ではなかった。
足が速く配置につけた者がいる傍ら、まだ半数以上はいそいそと走っている。
離合した左右の白虎隊は、立ち止まらず敵の周りを走り続けた。
「皆の者止まれ止まれーい! またケモノどもが後ろに回り込もうとしているぞ! 再度、我ら騎馬武者隊を中心とし、槍足軽隊は再度外周に、弓足軽隊は内周に並べぇい!」
魚鱗の陣を作ろうと走っていた足軽たちが反転。今度は逆方向にいそいそと走り出す。
またもや陣形が楕円のような形に変化していく。
ガチャガチャという金属がぶつかり合う音が、重く重く鳴り響く。
「はあっ! はあっ! くそっ、騎馬武者様はいいよな! 真ん中だからほとんどうごかねぇでやがる!」
「はあ……はあ……、お偉い様だからな。納得してないがよ!」
「はあっ、ふぅっ……。あれ、おい、ケモノども……、さっきより近づいて来てないか……?」
宵闇の中で距離感が掴みづらいとはいえ、走りながらにして獣との距離が変わっていると感じる兵がちらほら。
それもそのはず。八重樫の指示でさっきよりも百メートルほど近くを旋回しているのだから。
弓矢の射程圏内に入るリスクがあるものの、慌ただしく動く今のタイミングで、この距離からは射ってこないと八重樫は読んでいた。
「ふふっ、下手すると走ってる槍足軽に当たっちゃうもんね。……うん、また白虎隊のみんなが見えてきたぞ。ビャッコちゃん、もう一回すれ違って! それからもっと小さく旋回して!」
「はふっ! はふっ! い……痛い痛いにゃけど……、がんばるにゃ! ガーオォオォォー!」
二度目の離合。
白虎隊の機動力は一様でなく、さらにウマなどの同種間でも体力の差がある。
一度目の離合よりもずいぶん列が長くなっていた。
この時点で、白虎隊の走行距離は三キロを超える。
「またそう来るか! ……読めたぞ、ヤツらの狙いは我々を囲い込むことか。浅はかなり。所詮はケモノの浅知恵よ、囲い込んでもその先はないぞ!」
大軍の少将はニヤリとほくそ笑み、総員! と叫んだ。
「走るのをやめい! 魚鱗の陣をやめ、騎馬武者隊を中心とした方円の陣に変更する! 第一から第六槍足軽隊、外周を固め三列になり、槍衾を形成せよ! 第一から第六弓足軽隊、槍足軽隊の後ろで内周を形成し、各隊長の合図に従い、周りを旋回するケモノを射ち殺せ! 各隊長、騎馬武者隊は中心から戦況を見渡し、特に大型のケモノに警戒せよ!」
「「「了解!」」」
これ以上走らなくてもいいのか、という安堵もあってか、疲れを感じさせない素早さで陣形を整えていく兵たち。
半端に崩れた魚鱗の陣形がプラスに働き、方円の陣になるまでほとんど時間はかからなかった。
千人を超える円は、直径で七十メートルを超えるほどの大きさになった。
「槍足軽隊、槍を突き立てたまま中腰になれ! 弓足軽隊、槍足軽の頭上からケモノを射貫いてみせよ!」
少将の一声で一斉に動きだす大軍。
攻撃が始まった。
対する白虎隊は三度目の離合を終え、なおも走りを続ける。
詰め続けた敵との距離は、すでに百メートルを切っている。
走行距離は約五キロ。長距離走ることを得意としない獣の速度は、ピークの三〜四割程度まで落ち込んでいた。
伸びに伸びた白虎隊の列は、敵の円陣をすっぽり囲えるまでの長さになった。
「んにゃああ! 矢が飛んできたのにゃ!」
「ここは耐えてビャッコちゃん! 慌てて攻めても絶対に槍衾は崩せない! 河の近くよりも篝火が少ないから、この距離でもそうやすやすとは当たらないはず!」
「ハッ……、ハッ……。でもどうするにゃ? 最初の陣形は崩したけど……、ハッ……、今の陣形も厄介にゃ……」
「……このまま周りを走り続けながらもっと距離を詰めて……。もう少しだから……みんなお願い、辛抱して……」
円の内側から放たれる無数の矢。
暗く狙いが定まらずとも下手な鉄砲数打ちゃ当たる。
スピードの下がった仲間たちが次々と餌食になっていく。
悲痛な鳴き声。
倒れる音。
飛ぶ血潮。
ビャッコに操られた仲間の赤い目は、死の直前に正常な色へと戻る。
そして間も無く、光を失う。
強制的に傀儡とした獣たちを、仲間、と呼ぶのはエゴなのだろうか。
逡巡する想いを振り払い、八重樫は全体を見渡す。
こちらが劣勢である状況は最初から変わっていない。
ミスを犯せばたちまち全滅する危険すらある。さっきのような失態は二度と許されない。
自分の読みから少しでも外れれば、すかさず作戦を組み直す構えだ。
耳元を矢が通り過ぎようと、仲間が次々倒れようと、雑念が心を過ぎろうと、八重樫は冷静であり続ける。今度は取り乱したりしない。
ビャッコの体温が徐々に下がっているのを、背中の出血が止まっていないのを気づいていながら、人間的な感情を圧し殺し、ただただ戦況を見続ける。
息を潜め機会を伺うその姿は、まさに狩りをする獣そのものだった。
「……いまだっ!」
永い永い、数分間が過ぎた時のことだった。
八重樫は声を上げる。
「ウサギ軍団、リス軍団、ヤマネ軍団、ネズミ軍団、それとイタチ軍団! 槍足軽をすり抜けて奥の弓足軽を攻撃!」
「了解にゃ、グガァァァア!」
旋回する群れから小動物が分離し、地球に降り注ぐ小隕石のように円陣に突っ込んだ。
「ふん、小さくとも見えておるわ。総員! 小型のケモノが向かって来るぞ! 槍足軽隊、槍を片手で構え直し、空いた手でケモノを捕まえ縊り殺せ!」
八重樫の指示も虚しく、小隕石の群れは弓足軽の攻撃を殆ど緩められることなく、流れ星のように命を散らしていく。
小動物の数はケタ違いに多い。単純な数だけなら相手の数を上回るほどだった。
しかし次々に捕まえられていく仲間たちは、瞬く間に半分以下まで数を減らしていた。
槍足軽たちはグルグル回るビャッコたちを無視して、害獣退治に夢中の様子。
小動物なぞ片手があれば事足りる。ウサギは捕まえ首を一捻り、リスやネズミは叩き潰せばよい。
離合を繰り返すビャッコたちとの距離は、既に五十メートルを切っている。
だがそんな状況でも危機を感じていない。馬に跨った騎馬武者様たちが、高く見渡せる場所から最適解を導いてくれるのだから。
「ビャッコ! おねがい!」
そんな思考すら読み切って、八重樫は流れ星たちが作った道から活路を開く。
ガオオオオオッ! と吼えるビャッコの声を聴き--
「「「ブルルヒヒーン!」」」
--騎馬武者隊の乗る馬たちの目が真紅に染まり、一斉に反旗を翻した!
「二つだけ突け入れそうな隙を見つけたよ。一つは賭けでもあるけれど、もう一つは確実に突ける隙」
これは半日以上前の八重樫の言葉。
山の上から見えた騎馬武者は、哺乳類を仲間にできるビャッコの力がバレていないことを意味する。
この時から八重樫は、今の状況を想定していたのだ。
全方位からの敵の奇襲に対処できる、完全防御の陣形。それが方円の陣。
この万全な円陣が、まさか内側から瓦解させられようとは誰が予想できるだろうか。
全ての者にとって背後からの奇襲という形。さらに暴走するのは鍛え抜かれた肉体を誇る名馬たち。防ぐ術はない。
十を超える馬の群れは、弓足軽の攻撃を阻害する。
さらに、片手で槍を持っていた槍足軽は、押し合いへし合いの中で次々と槍を落としていく。
これも計算通り。攻撃が弱まる瞬間を八重樫が見逃すはずもない。
「ビャッコ! あそことあそことあそこ、三点突破! 集中攻撃で円の中央まで入り、縦横無尽に掻き乱せ!」
飼いならされ、忠誠心の強い敵の名馬たちを調略できるギリギリの距離。
そして敵の攻撃が弱まるこの一瞬で、一気に詰め寄ることのできる距離。
この距離は、多くの犠牲を払いながら必死に辿り着いたもの。
今までの鬱憤を晴らすように、白虎隊の勇士たちは猛威を振るう。
暴走するウシ、カモシカ、ウマ。敵の陣形は無残に崩れ去る。
跳ね回るシカ、ヤギ、イノシシ。人間は薙ぎ倒され立つことすらままならない。
夜闇に飛び交うヤマネコ、テン、イタチ、イイズナ。篝火の少ない暗闇では目視することは不可能、
必殺の爪と牙を持つオオカミ、オナガザル、キツネ。武器を手放しては太刀打ちできる手段がなく。
防具の隙間を攻め立てるネズミ、ヤマネ、タヌキ、ウサギ。身を屈める者にも追い討ちをかける。
指揮系統はとうに崩壊。
あたりに蔓延する死の薫りに正気を保てる者はいない。
千人以上の数も仇となり、混乱が混乱を呼ぶ。
攻勢はわずか一分で逆転。
あれよあれよと言う間に大軍の戦意は喪失した。
勝負あり。
ケリがついたこの時分、陽が昇る前のことである。




