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第11話 「ウッホホー!」

 深い夜を通り過ぎ、だんだんと新しい朝に向かっていく時間帯。午前二半時ごろ。

 気温とともに体温も下がり、辺りの暗さも相まって眠気に襲われる時間帯でもある。

 昨日よりも風が強く、照明の火も獣避けの煙もパタパタと南方へ流されている。

 見張り組の雑談が聞こえていたのも二時間ほど前のこと。

 今ではすっかり腹を減らせた様子で、ムニャムニャと交代の時間を待ち望んでいるようだ。


 朝日が昇るまでまだ二時間はかかるだろうか、はたまた二時間半はかかるだろうか。

 河の向こうの山中へ消えていったケモノたちは全く姿を見せねぇし、揺れる灯りをボンヤリ眺めてるのも退屈だ。

 せっかく徴兵のお誘いを受けたのに、敵が害獣(がいじゅう)じゃあ出世の機会もありゃしねぇ。

 ケモノ退治なんざこちとら日常なんだよ。

 そんなに警戒しなくたってヤツら相手に命落とすのは、お天道様(てんとうさま)への感謝も忘れた不届き者だけよ。

 ヤツらの目当ては、俺たちが丹精(たんせい)込めて育てた農作物さ。

 ケモノなんざ相手にしてないで、早く小蘭(しょうらん)国の喉元まで攻め込もうぜ……。


 そんな考えを巡らせているのは若者は一人ではないだろう。

 彼らは毛萩(けはぎ)国東部の農村から徴兵されて来た、働き盛りの青年たち。

 ようやく立身出世(りっしんしゅっせ)をのチャンスを得たと思えば初陣(ういじん)が獣退治。しかも夜の見張り番だなんて馬鹿げてる。

 厳しく年貢を取り立てる士族(しぞく)には、立てる義理忠誠などあるはずもなく、かといって歯向かう度胸もなく、与えられた命令に渋々従うのみ。

 イマイチ緊張感を持てないのも無理はない。



「きっとそんな感じでしょ! さあ行って、隠密部隊!」


 密かに戦いの狼煙(のろし)を上げる八重樫とビャッコ。

 白虎隊に加わったばかりの新しい仲間たちは、夜風にフワリと揺れる草花と同化し行動する。

 先頭を進むのはヤマネコ、次いでテン、タヌキ、ムササビ……。

 平野の端の山の中から駆け出して、誰にも気づかれることなく一キロ以上離れた標的に忍び寄る。

 足元を滑り行く闇の獣たちは、さながら地上の星に舞う流星群。

 輝くことのない流星は、星に集う敵の手元に牙を剥く。


 びゅうっと春風が吹き抜ける。


 その風の音よりも静かに、弓足軽たちの手の肉が、骨が、何の前触れもなく血飛沫(ちしぶき)をあげた。


「つあっ!」

「痛っ! いたたっ!」

「どわっ! なんだ⁉︎」


 照明の火の光に一瞬だけ重なる影。

 その影すら置き去りにするほどのスピードで、橋の近くに並ぶ弓兵に次々と襲いかかっていく。

 腕に(まと)わりつくモコフカした柔らかな感触に気づく瞬間、対称的な鋭い痛みがグサリと突き刺さる。

 この隠密部隊にとっては指や腱を喰い破り、敵を戦闘不能状態に陥らせることができたのなら大金星である。

 遠距離攻撃を封じた隙に、白虎隊を一気に渡河(とか)させたい。


 しかし、現実は希望通りに進むほど甘くなかった。


 重傷化させられた弓足軽はわずか一割程度。

 残りの大半には弓籠手(ごて)といった防具で(はば)まれてしまい、軽傷を負わせる程度に留まっていた。

 多くの者は弓を引くことに支障はない。

 声を出せなくなるほどの激痛でもなく、河沿いに待機する遠くの弓足軽隊に警告をできるほどクリアな思考を保てている。


「くそっ! おいケモノだ! ケモノが出たぞ!」

「そっち! 南の方角にも向かってる! 気をつけろ!」


 明らかな攻撃力不足。

 それも当然のこと、隠密部隊の身体は小さく、その総数は二百匹にも満たない。

 辺りの山々にはもっと多くのネコたちが生息しているのだが、隠密行動ゆえビャッコは大規模に調略(ちょうりゃく)できるほどの大声を出せなかったのだ。

 この部隊はビャッコと八重樫が一晩中駆けずり回り、やっとの思いで集めた仲間だった。


 隠密部隊の夜襲(やしゅう)では残念ながら、敵の戦力をほとんど下げられない。

 ある程度の混乱は(まね)けているものの、橋や河への警戒は変わらずに続けられており、このままでは白虎隊か橋を渡ることは至難だ。

 ましてや七百メートルほど先で寝ている本隊を起こされでもしたら絶望的だろう。


「まずい、まずいにゃよニャエガシ! ダメだったにゃ!」


 先行させた隠密部隊に続いて、ビャッコと八重樫が山の中から踊り出てきた。

 またイノシシやキツネなど、数こそ少ないながらも新たに仲間にした獣たちも後から飛び出してきた。

 図体(ずうたい)のでかい獣たちでは隠密行動は不可能。攻撃力のある彼らは隠密攻撃に加わることができなかったのだ。


 そのまま全速力で隠密部隊を追いかける。先行するのはビャッコ。

 起伏の少ないこの平野においで、ビャッコの最高速度は実に時速二百キロメートルにも及ぶ。

 風よりも遥かに早く疾走し、三十秒にも満たないうちに敵の数を視認できる距離まで接近した。

 これは同時に、ビャッコと八重樫が敵の射程圏内に入ったことを意味する。


「ビャッコは例のアレをお願い! 急いでっ! わたしは……少し早いけど、仕方ないっ!」


 八重樫はグッと上体を起こし、上半身の全てに風を受けた。

 殴りつけるような暴風を受けながら、はあっと大きく息を吸い込み——、


「おい農民ども何やってんだ! 俺たちお侍様のピンチだろ! さっさと助けに来やがれ、このっ腰抜けどもが!」


 ——大工のお頭さながらの野太い声を奏でた。


 この口上(こうじょう)にカチンと来るのは血気盛んな若者なれば当然のこと。

 近くで襲われている弓足軽たちをただ呆然(ぼうぜん)と眺めていた態度が一転、長柄槍(ながえのやり)を握りしめ我先にと駆け出した。

 雄々しい殺気と怒号。どさくさに紛れて弓足軽を刺し殺す農民すら現れそうである。


「なっ⁉︎ なにやってんだアイツら!」

「槍は邪魔だから来なくていい! それよりも本隊の弓足軽隊から何十人か連れてこい!」

「誰じゃ! あんないい加減な号令出しおったのは!」

「こっち来るなって! おい! おい!」

「……ダメだ。興奮してて聞こえちゃいねぇ」


 隠密部隊の強襲(きょうしゅう)に加えて槍足軽の参戦、混戦、そして乱戦。

 弓足軽たちの混乱は増す一方だ。


「よし……、なんとかこれで本隊が起きてくるまで時間稼ぎができたぞ。でも白虎隊のみんなが橋を渡るにはまだ一手足りない。ビャッコちゃん、今のうちに……」


「んにゃあああ! ニャエガシ! 伏せて伏せて!」


「えっ⁉︎」


 ビャッコの焦り声で咄嗟(とっさ)にうつ伏せになると、次の瞬間、矢がびゃうと頭上を飛び抜けた。

 (かす)めた八重樫の白髪がヒラリと舞う。

 コンマ一秒でも回避が遅ければ首ごと飛ばされていただろう。

 かつてないほど近くに感じる色濃い死の気配が襲い掛かる。


「……あぅ……。あっ……。ち……千草姉様……。お父様……。」


 突然のフラッシュバック。

 ()()()()()()()()が鮮明に蘇る。

 ザワザワと逆立つ白い髪。

 全身から噴き出す汗と蒼ざめる顔面。凍りつく心臓。

 ビャッコの体毛を掴む両手には、もはや感覚すらなくなっていた。


「おい見ろ! あの白くてデカいヤツ! 先日の化け猫が出たぞ!」

「今度こそ逃すな! 射て射て射てぃ!」


「にゃああぁヤバいにゃ! ヤバいにゃあ! ニャエガシ、オラどうしたらいいにゃ⁉︎ ニャエガシ!」


 白く目立つ大きなビャッコは格好の(まと)になっている。

 殺意が込められた数多(あまた)の鋼鉄の矢が絶え間なくビャッコに降り注ぐ。


「ニャエガシ! どうしたのにゃ⁉︎ 何があったのにゃ⁉︎ 返事してにゃ! ニャエガシ! ニャエガシ!」


 懸命の呼びかけにも応答がない。

 新たな仲間、イノシシやキツネたちが追いついてくるにはまだまだ距離がある。獣除けの焚火の影響もあってか、全速力を出せずにいるようだ。

 ビャッコ一匹ではどうすることもできず、猛烈な速さで逃げ回るしかなかった。


 ——が、


「てめぇの速さは、五日前から見てんだ、よっと!」


 ズッ!


「キャインッ!」


 敵は戦場の最前線に常駐する手練れ、エリート部隊。

 篝火(かがりび)の明かりしか頼りのない暗がりであるにも関わらず、ビャッコの後ろ左足のつけ根を狙い撃ちにしてみせた。

 痛恨の一撃は関節まで深々と突き刺さり、ビャッコの動きをピシャリと止めた。


 ビャッコは大きくバランスを崩し、胸から地面へと着地。大地が、ズガガガッという鈍く大きな音を響かせる。

 ビャッコは両前足と後ろ右足で地面を抱え込み、ゴロゴロと転がりそうになるのを必死に堪えた。

 そう、転がれば上に乗っている八重樫が大怪我を負ってしまうのだ。

 時速二百キロメートルの速度がゼロになるまでビャッコの辛抱は続く。

 草の生えた地面とはいえ、この辛抱はビャッコの皮を、肉を、腱を、靭帯を(えぐ)り、そして骨の一部を露出させることとなった。


 土煙がもうもうと立ちこめている。


「にゃ……ぐ……ぐぉ……」


「ビャ……ビャッコ……、ビャッコちゃん!」


 正気に帰った八重樫が背中から飛び降り、ビャッコの顔へと駆け寄る。


「ごめんなさいっ。ごめんなさい……。わたし、どうかしてて……。ビャッコを危険な目に……」


「ニャ……ニャエガシ……。それより早く……オラのお腹の下に隠れるのにゃ……。矢の雨が……すぐ、飛んできちゃう……にゃ……」


 そう伝えるやいなや前右足をググッと上げ、八重樫を覆いこむ。

 真っ赤に染まった胸からはボタボタと鮮血が滴り落ちていた。


「ッッ! そんないいから! わたしのことなんて置いて逃げてよ! 最初に約束したじゃん! ダメなわたしを助けたりしないし、見捨てるって!」


「ぜ……、絶対イヤにゃ……。それにおみゃーさんを、使えにゃいヤツだにゃんて、思ってにゃいにゃ……。おみゃーさんとにゃら、オラは、オラは……ふぐっぅ!」


 ズドドッ!


 再び肉に深く突き刺さる生々しい音が聴こえた。それも一つの音ではない。

 背中に突き刺さった矢は肺まで到達しているのかもしれない。

 さらに、近くの地面にも次々と矢が降り注ぐ。

 暗く、遠い距離もものともせず、恐るべき精度の攻撃が休む間もなく続く。


 ビャッコに命中した矢は既にニ十本を超える。

 急所の頭部だけはかろうじて無事だった。


「ヤだよ、イヤだよビャッコちゃん……。それ以上やられたら死んじゃうよ……。逃げてよぉ……」


「……」


 返事はない。

 なおも矢は刺さり続ける。


 涙でにじむ八重樫の目は、ビャッコの流血が混ざり合い、深紅の水で溢れていた。


「ニャッ……ごぶっ、……ニャエ、ガシ……。オラたちは……、仲間(にゃかま)にゃよ……」


「ビャッコ! うん、うん! わたしたちは仲間よ!」


 風に消えそうな声が優しく話しかけてくる。


「ニャエガシが……白虎隊、作ってくれて……、仲間(にゃかま)って、言ってくれて……、オラ、とっても嬉しかったのにゃ……。居場所が、できたのにゃ……」


 降り続く猛攻の中、最後の力を振り絞るかのように言葉を紡ぐ。

 魔王キリンの期待に応えることができず、他の四天王との実力差に絶望する。

 そんな最中(さなか)、死の覚悟までしていた状況に一縷(いちる)の望みを導いてくれた少女。

 そして、名付けてくれた白虎隊。

 白虎隊ははじめてできた居場所であった。

 ビャッコにとって八重樫は、大事な居場所の中心にいる存在であり、彼女なしでは居場所に成り得ないほど重要な存在なのだ。


「ウッ……ヒック……、ビャッコ……」


「オラたち、仲間(にゃかま)は……ウグッ、仲間(にゃかま)は、仲間(にゃかま)を守るものにゃ……。だから、グゥッ! ……だからニャエガシも……仲間(にゃかま)を……信じて……。きっとみんなが、守って……」


 息も絶え絶えで語り続けるビャッコ。

 自分の失態で招いた状況、にもかかわらず身体を張って、いや命を張って守ってくれているビャッコを見ていると、八重樫は辛くて辛くてたまらなかった。

 また幼い頃から戦術を学び、戦場の冷徹さをよく知る彼女にとって、出会って数日程度の相手を守るという行為はとても信じられないものだった。


「ビャッコちゃん! もう喋らないで! ホントに死んじゃう!」


 そう叫んだ次の瞬間のことだった。

 さっきまでの猛攻がウソのようにピタリと止まったのだ。

 ビャッコを傷つける不快な鈍音も、地面に墓標を立てるような削音も、夜風とともに吹き去ってしまった。


「……えっ」


 ビャッコの身体から身を乗り出し、恐る恐る敵を確認すると、



「ウッホホー!」

「ウッキャッキャー!」

「ヒェァーッ! ヒェァーッ!」



 そこにはなんと、ヒトの姿に最も近い、白虎隊のサル軍団がいた。

 橋の下の(はり)(けた)をつたい、死角から河を渡ってきたのだ。

 隠密部隊よりも遥かに高い攻撃力、さらに縦横無尽に飛び回れる俊敏(しゅんびん)さを兼ね揃えるサル軍団。

 丸々と太ったボス猿を筆頭に、弓足軽隊の手元を目掛けて襲い掛かっている。

 槍の攻撃も器用に()い潜り、数で勝る敵の集団を次々と戦闘不能にしていく。


「み、みんな!」


 八重樫の顔には自然と笑みが溢れ出し、濡れた瞳に希望の火が灯る。


 それを合図にしたように、今度は崖からカモシカ軍団とヤギ軍団が飛び出してきた。

 彼らは特殊な(ひづめ)のおかげで、急な崖でもものともしない特徴があるのだ。

 河さえ泳ぎ渡れれば、十メートル程度の崖など平坦な道と変わらない。

 槍足軽隊の混戦の隙を見て河を渡ってこれたのだろう。水は嫌うが泳ぐとかなり、速い。

 登場するなり弓足軽、槍足軽、隠密部隊、そしてサル軍団が入り乱れる集団に突撃し、徹底的に陣形を崩し始めた。


 この状況を作り出したのはビャッコ。

 八重樫が野太い声で農民たちを焚きつけたと同時に、サルやヤギたちに対して密かに河を渡ってくるよう指示を出していたのだ。


「ふふ……ふ……、間に合ってくれて良かったにゃ……。ガッゥ……ガァルルルルゥアッ!」


 ビャッコも勇敢な仲間たちに負けじと、必死の遠吠えを響かせる。


「ビャッコちゃん⁉︎」


 するとこの機会を逃すまいとするように、小蘭(しょうらん)国側の山の中から白虎隊の面々が続々と踊り出し、まっしぐらに橋を渡ってきた。

 さらにこのタイミングで、新しく仲間にしたイノシシたちもビャッコの元に追いつき、勢いのまま乱戦に加勢した。


仲間(にゃかま)は……守るものにゃ。アイツらだってきっと、……オラたちのこと、守って、くれるにゃ!」


「……うん! そうだね、信じるよ! 白虎隊のみんなを!」


 橋を渡り来る獣の軍勢に矢を放つ弓足軽もいるものの、混戦を極めた状況では多勢に無勢。

 槍足軽も崩された陣形では武器の長所である槍の長さを活かせず、白虎隊に一蹴されていた。

 こうなっては誰の目にも勝ちは見ない。怖気(おじけ)づいた者から一目散に後方へ逃げていった。


 それとちょうど同じ時、騒ぎを聞き異変を察知した本隊が動き出した。

 気づいた者が寝ている者を起こし、ピリピリとした緊張感の波が瞬く間に広がっている。

 寝ている隙に密かに襲撃できれば至高だったのだが、やはり人間そう単純な生き物でもない。

 未だに陽が登らず肌寒さのある空の下。万全の動きはできないようだが、正面からぶつかれば消耗戦は免れまい。

 指揮官、騎馬武者の指示のもと、一分とかからぬ内に戦闘準備が整えられていく。


 ブオオォォォォォ……。ブオオォォォォォ……。


 こだまする法螺貝(ほらがい)の音は本戦の始まりを告げる。

 であえであえ、という声が離れた本陣から聞こえてくる。


「にゃごご……。こっそり倒す作戦は……失敗にゃね……」


「やっぱすんなり勝たせちゃくれないか」


 赤黒い血が(したた)るビャッコの胸元を撫でながら八重樫は言う。


「でも白虎隊は河を渡れたし、第一関門はクリアできた。第二関門は、あの大軍との真っ向勝負だよ」


「ニャエガシ、オラも……」


 裁縫道具の針刺しのように矢を背負い、弱々しく立ち上がる。

 その目には戦意の光が熱く灯っている。

 白虎隊の隊長としての、猛々(たけだけ)しい焔である。


「ビャッコ……。うん、わかってる。わたしの言う通り、白虎隊のみんなに指示出してよね」


「にゃおん! 任せろにゃ!」


「ヨロシク頼むぜ、相棒!」


 八重樫とビャッコは互いに目を合わせ、にこやかに微笑(ほほえ)みあった。

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