第1話 「あたしと手を組まない?」
「ビャッコがやられたようだな……」
「フフフ……奴は四天王の中でも最弱……」
「人間ごときに負けるとは魔族の面汚しよ……」
「オラはまだ戦えるにゃ! フシャー!」
威勢の良い叫び声が響き渡る。
しかし雄々しく立ち上がった姿は、誰からも見られることはないようだ。それもそのはず。
「……にゃお? 夢だった……にゃ?」
マヌケ顔でヨダレを垂らしているのは一匹の虎。
新雪のような白い毛をした、雄牛三頭分ほどはあろうかという巨大な虎である。
彼の名はビャッコ。
誉れ高き魔王直属の四天王であり、数多の魔物を率いる身分高き大ボスだ。
しかしその実力においては、他の四天王の足元にも及ばないくらい圧倒的な弱さだった。
「にゃごご、いつの間にか寝ちまったにゃ。空がもう真っ暗にゃん」
眠気を覚ますように身体をフリフリ揺らすと、体毛に付着した藁がパラパラ落ちてきた。
ぐぐーっと気持ち良く伸びをして、全身を大きくしならせる。
「あいっ!」
ピリリとした痛みと共に、テンションのかかった左の脇腹から赤い液体がピュッと吹き出す。
「イタタ~、どうも傷口が開いちゃったみたいにゃご……。ううう、また血が出ちゃったのにゃ〜。……ペロペロ」
身体を丸くしてその源泉を慰めてやる。
全身にジワジワと疼痛が広がり、寝ぼけた頭が少しずつクリアになっていく。
ビャッコは起き抜けの脳をゆっくりと回転させながら、今日の戦いを思い返していた。
「んにゃぁ、今日も近寄ることすらできずに負けちゃったにゃ……。人間たちに負けたのはこれでもう三日連続かにゃ。うーむ無様、にゃんて無様にゃ有様にゃお。もうオラ、情けにゃくって魔王さまに合わせる顔がにゃいのにゃ……」
その顔を前足でグリグリと洗いながら、ケモノ臭い馬小屋の中でゴロゴロと寝返りをうつ。
負けた時いつもここに逃げてくるのは、この臭いが傷ついた心を慰めてくれるからだろう。
誰からも干渉されない一匹だけの空間で、ブツブツと独り言を呟くのが日課になりつつあった。
「ふにゃぁ〜ご、もうここから動きたくにゃいにゃ〜」
四天王らしからぬふがいない言葉の数々が、馬小屋から夜の都に漏れ出ている。
この都には、賑やかな喧騒も、行き交う人々の営みも、もう存在しない。
魔王軍によって占領され、ただ暗闇と静寂だけが都全体を覆っていた。
ビャッコは酔っ払いのようにヘソを天井に向けながら、ぼんやりと雲を透過する月明かりを眺めつぶやく。
「……静かにゃ。とても静かにゃ夜にゃ。風もにゃくって、虫の鳴き声が遠くに聴こえるにゃ。……それでも明日の今ごろにゃあきっと、あの人間たちがここまで攻め入って来て騒がしくにゃるだろにゃ……。魔王さま、それか他の四天王に助けてもらわにゃあ、都の中心の魔王城まで一気に攻め込まれてしまうかも。ん~ごろごろ……」
敗走に次ぐ敗走。ビャッコは追い詰められていた。
手下の魔物はほとんどやられてしまい、手負いのものも多い。
戦意でさえ風前の灯。再び人間たちと戦ったとしても勝ち目は皆無だろう。
容易に予見できる未来の危機がビャッコを奮い立たせることはなく、現在進行形で走る傷の痛みがますますネガティブにさせる。
「でも他の四天王に助けを乞いでもすりゃあ……、んにゃ、きっとその瞬間にオラはポイっと殺されちゃうにゃ。そんにゃ情けにゃい死に方はゴメンだにゃ。かといってこのまま攻め込まれて城に逃げ込んでもきっと……」
魔王の根城にまで侵攻を許し逃げ込んで来るような大ボスを、周りが生かしてくれるとは到底考えられない。
退路には死に方を選べる環境なぞあり得ないのだと、ビャッコは確信しつつあった。
そんなビャッコの顔には悔しさの色も悲哀の色も滲んでいない。
「みんにゃにガッカリされて殺されちゃうくらいにゃら……。うーむ、……にゃごご」
しばしの沈黙。
外から吹き込む微かなそよ風が、ビャッコの白毛をやさしく撫でた。
ビャッコはもそもそと身体を起こし、力なく気怠い様子で丸くなる。
その体勢のまま肺に深く空気を取り込み、大きな鼻からプフーッと長く吹き出す。
「明日……残る戦力を尽くして、特攻するしかにゃい……か……」
ビャッコの目には希望の光は無い。
殺されることを覚悟した羊のような目だった。
「そんなことしてもみんな死ぬだけよ♡ 白猫ちゃん」
「だっ! 誰にャッ⁉︎」
ゾワワッ! 完全に意想外の声に全身の毛が逆立つ。
大きな牙と爪を剥き出しにし臨戦態勢。
暗闇の中の声の主にジッと目を凝らす。
邪気のない、子供のような声がした。
居るはずがない。生きているはずがない。
この都の人間はたしかに、魔王さまが全滅させた。
肉球と鼻の頭が、じわりと汗で湿り出す。
心臓の鼓動が静けさにこだまする。
堪え切れずビャッコが声を荒げようとする、その刹那、雲の隙間から覗き込むわずかな月光が、馬小屋の中を淡く照らした。
「あたしと手を組まない? キミの戦い、勝たせてあげるよ」
幼い顔立ちの、白い髪の少女がそこにいた。




